二十二話 相反する二つの決意。
後書きにてお知らせがあります。
「聖女様、お願いします!」
「は、はい……ッ」
午後の教会に慌ただしい声が響き渡る。
早朝に勇者が急に訪れてきたかと思えば、昼下がりのこの時間に突然怪我人が運ばれてきた。
階段から転落したという子どもの頭部に押し付けられた布は、赤黒い血で汚れている。
慌ててルナが、いつものように治療を施し始めた。
傷口を塞いでいた布を取り除き、そこからじわじわと溢れてくる血に顔を顰めながら、ルナはそこに手を伸ばす。
ポゥッと、最初は淡く優しい光が彼女の手の先に灯り、次第に激しさを増して子どもの傷口へと流れ込んでいく。
それまで苦悶に満ちた声を上げていた子どもが穏やかな表情へと変わっていくのを、ベイルはすぐ傍で見つめていた。
彼女の力をもってすれば、例え死に至るような傷もみるみるうちに癒してしまえる。
この村に住む人たちがこんな辺境の地にもかかわらず安心して暮らせているのは、彼女の存在あってこそだ。
ルナたちがこのノーティス村に流れ着く前は、村唯一の医者であるアドレーだけでは救えない命も多くあった。
この村の住人たちにとって、ルナは紛れもなく聖女だ。
神殿による聖女になるための〝英才教育〟など、彼女には必要ない。
それを再確認するかのように、ベイルは子どもの傍に膝をつき、必死に治療を行うルナの顔を見つめる。
「……へぇ」
そんな二人を、騒ぎで目を覚ましたギリアンが興味深げに遠目から見つめていた。
◆◆
その日の夜。
血に塗れた礼拝堂の後片付けを終え、ギリアンたちに夕食を提供した後、いつものような食後のティータイムは行わずにベイルたちはそれぞれの部屋へと戻っていた。
日課を行わなかった理由は、言わずもがなギリアンの存在である。
部外者が泊まっている教会の食堂で紅茶を片手に落ち着いて他愛もない話に興じることができるかと言われれば、それは無理な話だ。
結局、どちらが言うでもなしに互いに無言で部屋へと戻った。
寝静まった夏の夜。
静寂を壊さない程度に控えめに鳴く虫たちの声が心地よい。
そんなことを、ベイルはベッドに横になったままボーッと考えていた。
ルナとのんびりと語らった後に眠るのが一日のルーチンになっていたせいか、一向に眠気が襲ってこない。
意思に反して冴える思考の中で必死に眠ろうと目を瞑った直後、その気配を感じ取った。
目を開き、廊下へと視線を向ける。
何かが必死に気配を押し殺して動く気配。
それは、ゆっくりとルナの部屋へと向かっている。
慌ててベッドから起き上がり、扉を開けて廊下へと出る。
そして、今まさにルナの部屋のドアノブに手をかけようとしていたギリアンへ鋭い声をかける。
「何をされているんですか、ギリアン様」
「……また君か。つくづく僕の邪魔をするのが好きらしい」
ベイルに声をかけられ、一瞬びくりとしてからすぐに気怠そうな眼差しを向けてくる。
その言葉に反論しようとしたベイルだったが、部屋の中からルナに「ベイルくん……?」と、眠たげな声をかけられて、慌ててその声に応じる。
「な、なんでもありません。少し喉が渇いたので水でも飲みに行こうとしていただけです」
部屋から返答はなかったが、代わりにベッドが軋む音と共にルナの動く気配がなくなったのを感じとって、ベイルは胸を撫でおろした。
そして、すぐさまギリアンに視線を向ける。
「ギリアン様、少し場所を移しましょう」
◆◆
「……なんだ。この僕をこんなところまで連れ出して」
場所を教会の中庭に移し、ギリアンは呆れたように愚痴をこぼす。
それでもベイルの背中についてきたのは、多分ルナの部屋に忍び込もうとしたところを見咎められたことに、少なからず罰の悪さを覚えたのだろう。
中庭の中央でベイルは立ち止まり、振り返る。
そして、咎めるような声色で問いただす。
「一体、どういうつもりですか」
「何がだ?」
「夜中に聖女様の部屋に侵入しようとした理由です」
誤魔化しは許さないといった様子で問い詰めるベイルに、ギリアンは面倒くさそうにため息を零す。
「大したことではないさ。ただ、彼女を勧誘しようと思ってね」
「勧誘? それは今朝の話ですか?」
今朝、ギリアンがルナと会って早々に彼女を愛人にしようとしたことを思い出す。
無論、彼の勧誘がそのことを指すのならばそれを許すつもりは毛頭ない。
が、予想に反してギリアンは首を振った。
「ああ、愛人のことか。無論それもあるけどね。ただ今度の勧誘はそれとは別の話だ。彼女に、この僕のパーティーに入らないかと誘うつもりだったんだよ」
「――!」
「先ほどの力、見させてもらったよ。まさか彼女も神に選ばれた存在――稀人の一人だったとはね。人の傷を癒す彼女の力は、必ずや僕のこれからの旅路で役に立つだろう。彼女は、こんな辺境の地で安穏とした暮らしを送っていいような存在じゃない」
ギリッと、歯を食いしばる。
そして、振り絞るように声を発する。
「……だから、彼女を連れて行くと」
「その通りだとも。彼女には、その義務がある」
「義務、だと?」
険しい顔つきで反芻する。
いつの間にか敬語ではなくなったベイルのそれを、しかし咎めることなく、ギリアンは大仰な仕草で夜空を仰いだ。
月と星の煌めきの下に輝く彼の金髪。
キザすぎるその仕草がいやに似合っていて、ベイルはそれが気に食わなかった。
ギリアンは目を細めて、それから自分に言い聞かせるように語り始める。
「力がある者は、それを振るってしかるべきだ。その他大勢の、力無き者のためにも。だから僕は、勇者としてこの国を救い続けている。――それが、神に選ばれた者の使命だ」
力強くそう言ってのけたギリアンのその決意は、紛れもなく勇者のものだ。
その考えは、誰の目から見ても崇高なものに映る。
だが、それでも――。
「彼女、ルナの力もその一つ。あらゆる傷を瞬時に治す力がどれほどの価値を持つか、君は考えたことがあるか? その力があれば、僕だけじゃない。僕と同じように魔獣を討伐せんと国を巡る同胞たちを救うこともできる」
「……聖女様がこの村に居れば、この村の人たちだって救われる」
「辺境の村でなんの意味もなく生を送る奴らと、人々を救って回る英雄を一緒くたにしないで欲しいな」
ベイルの反論を、ギリアンは一笑に付す。
ただの人と、神に選ばれた者とでは命の価値が違うと。
「物事には優先順位というものがある。この場合、彼女は僕についてくることこそが何よりも優先されるべきだ。――その方が、より多くの者が救われるのだからね」
そう言って、一つため息を吐く。
「本当ならば僕も、こんなところで時間を使うつもりじゃなかったんだ。人があまり寄り付かない南部の山脈の調査? そんなものよりも、もっと優先すべき場所があるというのに」
「――! まさか、北部の調査を行わなかったのはッ」
「ああ、この僕だとも。ここ以上に魔獣の被害に苦しむ場所はたくさんあるんだ。どちらを優先すべきなのかはわかりきっているだろう?」
「……ッ」
ギリアンの言葉に、ベイルは歯を食いしばり、拳に力を籠める。
確かに、ギリアンの考えも一理ある。
人があまりいない場所と、多くいる場所、どちらを優先するべきかなんてのは彼の言う通りわかりきっている。
だがそれでも、自分が薬草を採取しに行かなければ魔獣に遭遇して死んでいたかもしれないアドレーのことを思うと、怒りが込みあがってくる。
確信する。
朝からなんとなく感じていたが、俺は――この男が嫌いだ。
ベイルが怒りに満ちた眼差しを向けると、ギリアンはやれやれといった様子で肩を竦めた。
「君のような凡人にはわからないだろう。力を持つ者の苦悩と葛藤を」
そう言って、話はこれまでだと手を振って立ち去ろうとするギリアンのその背中に、ベイルは叫んだ。
「……お前の言っていることは正しいのかもしれない。それでも、聖女様を巻き込ませはしない!」
「愚かだ。彼女に力を与えたのは、他でもない神だ。神に選ばれた以上、彼女にはより多くの人を救う義務がある。その義務を、責任を放棄させるつもりか?」
「当たり前だ。彼女はこれまで普通の人の何十倍、何百倍も苦しみ続けてきた。普通の少女であるはずの彼女がッ。そんな彼女に更なる不幸を押し付けるような運命を神が敷くというのなら――」
勇者の決意に勝る覚悟と共に、ベイルは宣言する。
「――俺は、そんなふざけた神は殺してみせるッ」
ベイルの心の中で、何を熱くなっているんだと自制を促すもう一人の彼がいる。
それでも、ギリアンが語る言葉一つ一つがそれを上回る怒りを沸き立たせる。
それはかつて彼が神殿へ、そして神へ抱いた怒りだ。
ベイルの宣言に、ギリアンは顔を伏せる。
「……神罰が下るぞ。背教者が」
「大いに結構。生憎と俺は、ふざけた神は信じない身だからな」
「神に仕えるべき神父が、どの口で。……だが面白い。神を殺すときたか。あんな小娘一人の人生のために?」
「俺にとって彼女は、神なんかよりも大切な存在なんだよ」
中庭の空気が重くなっていくのを感じる。
その中で、しかしベイルは自分の中で決して揺らぐことのない事実を口にした。
ギリアンは笑いを押し殺すように右手で顔を覆う。
「くくっ、くははははっ! 一人の女のために、神を殺す? 全くこれだから、何も知らない愚かな只人は。……ならば君には、この僕が手ずから神罰を下してやろう!」
己の誇りを穢されたことへの怒りと共に、ギリアンから殺気が吹き荒れる。
それは辺りの大気を震わせ、木々や草花に悲鳴を強いる。
夏の夜に鳴く虫たちの声は、最早消え去っていた。
勇者の殺気を前にして、ベイルは自身の胸に手をやる。
そして、臆することなく迎撃の構えを取る。
そんなベイルの姿を見て、ギリアンは意外そうに表情を歪めた。
と同時に、吹き荒れていた殺気が鎮まる。
「……そういえば、君が南部の山脈で魔獣と遭遇したんだったな」
「そうだが」
「ならば明日、君に道案内を頼むとしようか。長い間調査をせずにいた地だ。恐らく凶暴な魔獣が多くいるだろうが。なに、神を殺すとまで言った君だ。まさか逃げるわけがないだろう?」
ギリアンは挑発するような笑みを浮かべる。
本来であれば、仮にも教皇国から逃亡の身であるベイルたちは目立つ行動を慎むべきだ。
万が一力を使う羽目になる場所に行くことは控えるべきだろう。
いつもであれば断るはずの挑発を受けてしまったのは、彼が冷静ではなかったことの証か。
「……わかりました。勇者様の道案内をお引き受けします」
「ふっ、明日が楽しみだよ」
敬語に戻ったベイルを見てニヤリと笑みを深め、ギリアンは教会へ戻る。
その背中を見届けながら、ベイルは両手に力を込めて夜空を仰ぎ、一つ息を吐く。
「何をやってるんだ、俺は」
冷静を取り戻し、今しがたの自分の行動を悔やむ。
相手は勇者。この国のみならず世界中にその名声を轟かせている存在だ。
そんな相手に喧嘩を売るなんて、まったくどうかしている。
だけど、どうしても許せなかった。
「……神に選ばれた以上、より多くの人を救う義務がある、か」
ギリアンが口にした言葉を反芻する。
ふざけた話だ。
そんな重責を、あんなか弱い少女に押し付けていいわけがない。
神が彼女にその辛い未来を敷き、それを強いるのなら――。
ベイルは再び胸に手を当てる。
自身に繋がる創世神の力を感じる。
「何も知らないのはお前だ、勇者。神は、そんな崇高な存在じゃない。――本当に尊い神なんて、いない」
もう何年も前の記憶を蘇らせながら、ベイルは呟く。
その声を聞く者はいない。
暗い、暗い夏の夜。
ようやく虫の鳴き声が戻ってきた教会の中庭で、ベイルは一人、随分と昔に抱いた決意を蘇らせていた。
彼女を守るためならば、たとえ神であっても殺す。
その決意を。
諸々の設定は、物語が進むにつれて明かされていきます。
圧倒的イチャイチャ不足……!
話は変わりますが、一点ご報告が。
おかげさまで、本作『聖女様を甘やかしたい! ただし勇者、お前はダメだ』の
書籍化が決定いたしました!
読者の皆様の応援のお陰です。
温かい感想をいつもありがとうございます!
発売自体はまだ先になりますが、取り急ぎご報告を。
出版社や発売日などの詳細は公開許可が下り次第、
随時活動報告などでお知らせいたします。
引き続き更新頑張っていきますので、応援のほどよろしくお願いいたします。




