二十一話 勇者様は噂と違うようです。
世界には稀人と呼ばれる特別な力を有した人々がいる。
その力はおよそ普通の人間では成し得ないものであり、俗に奇跡と称されるものばかりだ。
ギリアン・レドモンドもまた、稀人の一人であった。
彼は十五の頃から、その特異な力を活かして魔獣の討伐を行うようになった。
そんな彼をいつしか周囲は「勇者」と崇め、畏怖し始める。
二十一になった今、その名声は他国にまで知れ渡っている。
創世神と契約し、神の如き力を持つ神官を有する神聖ジェネシス帝国、そしてアポストロ教皇国と敵対関係にあるスチュアート共和国が存続できているのも、ギリアンの存在によるところも大きい。
英雄色を好むと言うが、ギリアンもその例に漏れることなく何人もの美女を愛人として侍らせて各地を回っている。
にも関わらず、魔獣の討伐はただ一人で行う。
――女好きの正義漢。
それが、勇者ギリアンへの世間の評価だ。
女を侍らせながら、色欲に溺れることなく何年もの間国内の魔獣を討伐して回る彼は、共和国にとっても重要な存在だ。
……と、ベイルは勇者ギリアンのことをそう聞き及んでいた。
だが、その評価も今変わろうとしている。
「なんだこの茶は。もう少し高級なものはないのか?」
教会内の応接室。そのソファにふんぞり返る勇者、ギリアン・レドモンドを対面から見つめながら、ベイルは眉を寄せた。
早朝。突然教会に現れたのは噂に名高い勇者だった。
一体全体何のようだろうと、ひとまずベイルはギリアンを応接室に招き入れたのだ。
「あの、それでギリアンさん、一体どうされたのでしょう」
一見プライドが高そうなギリアンを刺激しないようになるべく穏便に話しかける。
すると、ギリアンは顔を顰める。
「ギリアン、さん?」
「……はい?」
「この僕をさん付けで呼ぶとは聞き捨てならないな。様と呼べ、ギリアン様と!」
ギリアンの言葉に、ベイルは呆気にとられる。
(……噂は実際とは違うものだけど、ここまで違うとは)
世間の評価では、勇者ギリアンは正義を尊ぶらしいが、少なくとも今目の前にいる男はただの傲岸不遜な礼儀知らずである。
本当に勇者なのかどうかすら怪しくなってきた。
とはいえ、ひとまずギリアンの話を聞かなければ先に進めない。
ベイルは一つ咳払いを挟むと顔を僅かにひきつらせながら口を開いた。
「失礼しました。その、ギリアン様はどのようなご用でこの場へ?」
ベイルのへりくだった態度に機嫌を直したのか、ギリアンはふんっと鼻を鳴らすと腕を組み、変わらず尊大な態度で応える。
「用? 勇者であるこの僕がこんな辺鄙な村に来た理由なんて一つに決まっているだろ? 南方の山脈に現れたという魔獣の調査とその討伐だ」
言われて、ベイルはあぁと得心がいく。
以前薬草採取のために南部の山脈に立ち入ったとき、魔獣と遭遇したことをベイルが村の自警団に報告したとき。
そういえば、夏頃に再度調査隊を派遣することになったと言っていたような。
その調査隊が、勇者ギリアンということか。
「調査は明日から行う。君は今日一日僕を精一杯もてなせばいい。この僕をもてなすことができるんだ。光栄に思いたまえ」
「ま、待ってください。この教会に滞在されるということですか?」
ベイルが問うとギリアンは「そうだが?」と、何か問題でもあるのかと不思議そうに眉を寄せた。
「いえ、そういうわけでは。……ただ、この教会は大勢が滞在することを想定していませんので、ギリアン様のお供の方々の分の部屋までは」
無論、ベイルたちの自室を除いても何部屋かは空いている部屋がある。
だが、当然ギリアンも一人ではない。
彼が国を回る際に引き連れている護衛や彼の愛人までを泊める余裕はない。
なぜか今彼の連れの姿は見えないが、きっと近くをぶらついているだけだろう。
教会のキャパを考えての言葉に、ギリアンは笑う。
「大丈夫だ。この教会に泊まるのは僕だけだ。他は皆、村長の家にいる」
「……? あの、失礼ながらそれでしたらギリアン様も村長の家に滞在されては?」
確かに村長の家は教会よりも大きい。
一行を泊めるぐらいの余裕はあるだろう。
だがそれならば、ギリアンも村長の家に泊まればいい。
なぜわざわざ自分一人だけ教会に泊まろうとするのか。
ベイルが問うと、ギリアンは不満げに鼻を鳴らし、深いため息をつく。
「この僕に、あんな粗末な家に泊まれと? それも、雑魚たちと一緒に? くはっ、ふはははっ! 冗談にしては笑えないな」
笑ってるじゃないか、と思ったのは胸の奥にしまっておく。
「まあ僕も鬼ではない。こんな辺境の村に僕を泊めるに相応しい場所があるとは思っていないさ。だからこの教会に泊まってあげようと、そういうわけだよ。神に選ばれた僕には、神が宿るこの教会こそ相応しい。……そうだろう?」
自分が語ったことを信じて疑わないといった様子で、ギリアンはベイルに同意を求める。
ベイルは苦笑いでその場を濁した。
ギリアンという人間がどうであれ、彼が魔獣の調査および討伐に赴いてくれたことには変わりない。
あくまで自分は地方の教会の、ただの一牧師として振る舞わなければ。
ベイルがそう決意すると同時に、応接室の扉が開かれた。
「ベイルくん、お客様ですか……?」
恐る恐るといった様子で、廊下からルナがひょこりと顔を出す。
今起きたらしい。
ルナがパジャマ姿ではなく、いつもの純白の外套を羽織っているのを見てベイルはほっと胸を撫で下ろした。
彼女の無防備な姿を、ギリアンには見せたくなかった。
ルナの問いに答えようとベイルが口を開くよりも先に、目の前を強い風が吹いた。
気づけば、先ほどまで対面のソファに腰掛けていたはずのギリアンが、扉の前にまで移動していた。
「君、名前は?」
突然目の前に現れた金髪の青年に目を丸くしているルナに、ギリアンは柔らかに微笑みかけながら問いかけた。
ルナは戸惑いながら答える。
「ル、ルナです」
「ふっ、いい名だ。……よし、ルナ。君を僕の愛人にしてあげよう」
「え、ええっと……?」
突然の、そして強引な物言いにルナは困惑する。
助けを求めてベイルに視線を送った。
その眼差しを受けて、ベイルは慌てて立ち上がる。
「あの、ギリアン様。聖女様が戸惑って――」
「ああ失礼、名乗り忘れていた。僕はギリアン。この国で勇者をやっている」
「勇者――!?」
ベイルの言葉を無視してギリアンが続けた口上に、ルナは瞠目する。
彼女の驚く様子を見て気分をよくしたのか、ギリアンはきざな仕草で髪をかきあげる。
「答えに窮する気持ちはわかるよ。なにせこの僕の愛人になれるのだからね、自分がその場につくことに相応しいのか不安なのだろう。だが心配することはない。君の美しさは及第点だ。僕の愛人になることを、この僕が許そう!」
そう告げながら、慣れた所作でルナに更に詰め寄る。
怯えながらギリアンから逃げるようにルナは後ずさるが、いつの間にか閉まっていた扉に退路をふさがれる。
ギリアンは笑みを深めると、ルナが被る外套のフードを取るべく手を伸ばした。
「っ、ベイルくん――ッ」
「――!」
その瞬間、ギリアンは目を丸くする。
「彼女にそれ以上近づくな」
ルナに向けて伸ばされたギリアンの右腕を掴んだまま、ベイルが鋭く、そして低い声で警告する。
その声には殺気さえこめられている。
ギリアンは自分の右腕を強く掴むベイルの手と、そして彼の鋭い眼差しを交互に見つめる。
そして、彼もまた目を細めた。
「……君、何様のつもり? この僕に指図をするなんて、許されると思っているのかな?」
――空気が、震える。
比喩でも何でもなく、事実として。
応接室の窓ガラスがガタガタと揺れ、三人の衣服や髪がまるで草原のただ中にいるかのように揺れる。
勇者が放つ、その威圧。
しかしベイルは臆することなく、殺気を向けてくるギリアンの右腕を掴んだまま睨み返す。
一瞬驚いた様子を見せながら、ギリアンは腕をふりほどこうと右腕に力を込めた。
だが、彼の腕はベイルに掴まれたままピクリとも動かない。
ギリアンは険しい顔つきを一転、「へぇ」と意味ありげな笑みを浮かべると、小さくため息をこぼした。
「まあいいや。僕はこんな辺境の地に来たばかりで疲れているんだ。休ませてもらうよ」
「え、は、はい……」
態度を急に変えたギリアンに虚を突かれたベイルは、慌てて彼の右腕を放す。
ギリアンは軽く伸びをしながら応接室の扉を押し開ける。
少しして、廊下にでていったギリアンをベイルは慌てて追い、空いている部屋へと案内した。
◆◆
「そうですか、わかりました」
ギリアンとの一悶着を終えて、彼が教会の空き部屋で休んだのを確認したベイルたちは、村長の家を訪れていた。
ギリアンの話が本当なのか、その確認をするためだ。
彼が勇者であり、そして彼の連れが皆村長の家に滞在していることを確認したベイルたちは村長の家を後にする。
教会への帰り道。
少し暗い面持ちでルナは呟く。
「突然のことにびっくりしました。でも、これで南部も安全になりますね」
「そうですね」
仮にも勇者であるギリアンたちが来てくれた以上、ベイルが魔獣と遭遇して以来立ち入り禁止となっていた南部の山脈も直に開放されるだろう。
そういう意味ではギリアンのことは歓迎すべきだ。
だが――
――よし、ルナ。君を僕の愛人にしてあげよう。
「……っ」
「ベイルくん?」
不快そうに眉を寄せるベイルに、ルナが気遣わしげに声をかける。
彼女の純粋な眼差しに、自分が今とても自分勝手な感情を抱いてしまったことがなんだか恥ずかしくなって、慌てて話題を逸らす。
「その、先ほどは助けるのが遅くなってすみませんでした」
先ほど、ギリアンに詰め寄られていた際に対応が遅れたことを謝る。
仮にも勇者である彼の機嫌を損ねることを恐れて、対応が遅れてしまった。
自分はいつもそうだ、と。
ベイルはルナに気付かれないように拳に力を込める。
思えば以前も。
助けを求めている彼女に手をさしのべるのは、いつだってギリギリだった。
つくづく、そんな自分が嫌になる。
ベイルの謝罪を受けて、ルナは不思議そうに彼の顔をのぞき込む。
「いえ、こちらこそ助けてくれてありがとうございますっ。……本当に大変なときはいつもベイルくんが助けてくれるので、それに甘えてしまっています。私も少しは強くならないといけませんね」
俯きがちに、ルナは言う。
ベイルは大きく首を横に振る。
「聖女様は十分お強いですよ。……俺にぐらい甘えてください。俺も、聖女様に頼られるのは嬉しいですから」
そう言いながら、ベイルは彼女の頭に手を伸ばす。
ルナはその手を抵抗することなく受け入れた。
外套のフード越しに頭を撫でられながら、ルナは頬を赤く染めて嬉しそうに微笑んだ。
勇者様は強いです。たぶん。




