二十話 突然の来訪者
結果だけを言えば、チャドのプロポーズは成功した。
聖霊降臨祭の夜。
漆黒の夜空へキャンプファイヤーの煙が立ち昇る中、チャドがシェリーを離れた場所へ連れ出すのをベイルたちは見ていた。
そしてその翌日の早朝に、プロポーズが成功したことを伝えにチャドが教会に現れたのだ。
それから一月が経った今日、二人の婚礼の儀が執り行われていた。
教会の礼拝堂。その祭壇の前にめかしこんだチャドと、白いドレスを身に纏ったシェリーが手を取り合って佇む。
祭壇には婚約指輪が祀られ、ステンドグラス越しに礼拝堂に降り注ぐ色とりどりの光がまるで祝福するかのように彼らを照らす。
朗々と響き渡るのは、二人の前で祝詞を紡ぐベイルの声。
やがてベイルは手に持っていた分厚い本をパタリと閉じ、しばし瞑目する。
何かを祈るような沈黙の後、目を開けたベイルは婚約指輪をそっと手に取り、二人を見やる。
「では、チャドさんはこちらを。シェリーさんはこちらを互いの指にはめてください」
婚約指輪を二つに分けて、一つずつ二人に手渡す。
指輪を受け取った二人は互いに向き直った。
◆◆
「改めて、ご結婚おめでとうございます」
「おめでとうございますっ」
婚礼の儀を終えて、近くの酒場を貸し切りにしての宴会の最中、ベイルはチャドに声をかける。
続いて、ルナも祝福の声をかけた。
昼間には整っていた髪を僅かに乱し、酒気で赤くなった顔でチャドは陽気に笑う。
「こちらこそ、ありがとう。二人のお陰で最高の日になったよ」
チャドの言葉に、今度はベイルたちが笑む。
社交辞令であったとしてもそう言ってもらえるのはありがたい。
「それにしても、誓いのキスはもう少し緊張すると思っていたけど、案外そうでもないんだね」
婚約指輪を互いの指にはめ合ったのち、礼拝堂に集った人々の前で口づけをしたことを振り返ってチャドが言う。
礼拝堂に集まった人たちは殆どがチャドの知り合いだ。
その人たちの前でのキスは少し気恥ずかしいものでもあり、緊張するものだとチャドは思っていた。
「あの時、俺にはシェリーしか見えなかった。同時に、この人を大切にしようって改めて思ったんだ。……って、何言ってんだ俺」
頬を緩ませるベイルたちを見て我に返ったチャドが恥ずかしそうに酒の入ったグラスに舌を濡らす。
「おーい、チャド。ちょっと来い!」
少し離れた場所からチャドの同僚だろうか、ガタイのいい男が彼を呼ぶ。
その声に反応してチャドは顔を上げた。
「っと、本当に今日はありがとう。これからもよろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますっ」
そう言い残して、チャドは手を振りながら男の方へと駆け寄っていく。
その背中を自然と追っていると、酔いのせいかよろめいたチャドにすぐ傍にいたシェリーが彼を叱っている姿が見える。
苦笑しながらシェリーに頭を下げるその姿に、ベイルたちは堪らず吹き出した。
「お二人を見ていると、なんだか羨ましいです」
少し物憂げな表情でルナが呟く。
それが少し気になって、ベイルは眉を寄せた。
「聖女様は、結婚願望がおありなんですか?」
「ふぇっ? ど、どうして急にそんなことを……」
「いえ、少し気になっただけですが」
途端に慌てふためくルナに、ベイルは首を傾げる。
今の問いは、別に話の流れを大きく逸脱したものではないはずだ。
ベイルの落ち着いた表情にルナは少し恥ずかしそうに俯くと、ぼそりと呟く。
「た、確かにそういうのに憧れますけど、私は好きな人と一緒にいられたらそれだけで十分幸せです。結婚はあくまでその先にあるものですから。……チャドさんたちだって、そうだったでしょう?」
「……そうですね」
ルナの言葉に、ベイルは深く頷く。
神父であるベイルがこんなことを考えるのもあれだが、結婚という儀式自体はそれほど大きな意味を持たないのだろう。
二人の間を神に認められ、誓わせたところで、結局その後どうなるかは当事者しだいだ。
神のみぞ知る――なんて言葉もあるが、こと恋愛に関してはいかな神でも理解できない領域のはずだ。
何もかも見通せるのが神ならば、この世に破局などという結末があるはずがない。
そういう意味においては、ベイル自身も結婚という儀式を尊く思う。
神に支配されていないことを確信できる唯一のものだから。
「ベイルくんは、結婚願望はあるんですか?」
そんなことに考えを巡らせていると、ルナが少し躊躇いがちに小首を傾げて訊いてきた。
今度はベイルが返答に困る。
自分の中で結婚に対するある程度の認識は固まっているものの、いざ自分が当事者になるということはこれまで考えることがなかった。
――聖女様の一番のお気に入りはこれらしい。
以前、チャドの婚約指輪選びに付き合った際に彼が口にした言葉が脳裏をよぎる。
同時に、眼前でこちらを見つめてくるルナに、ベイルは思わず顔を背けた。
「……?」
ベイルのその行動に、ルナは戸惑う。
顔を背けられるような質問はしていないはずだ。
少しの間をおいて、平静を取り戻したベイルが向き直りながら口を開く。
「俺も、聖女様と同じです。別に結婚にこだわりはありません。……ただ、大切な人と一緒に居られれば、それだけで十分です」
ルナの目を見つめて、ベイルは微笑みながらそう告げる。
そうして互いに見つめ合い、どこからともなく気恥ずかしさのようなものが二人を襲う。
ほぼ同時に二人は顔を逸らした。
「わ、私、シェリーさんのところに行ってきますねっ」
そう言って慌てた様子でルナはベイルの傍を離れていく。
シェリーに駆け寄り、彼女と談笑するルナの様子をその場から眺めながら、ベイルは僅かに口角を上げた。
◆◆
「……暑い」
翌日。早朝から礼拝堂にて婚礼の儀の後片付けを行っていたベイルは、小さく息を吐き出して額を軽く拭った。
いつの間にか夏真っ盛りとなり、早朝でも暑い。
特にこの辺りは周囲を山に囲まれているせいか、夏場はジメッとした空気が草原一帯に留まり続ける。
だが、自分はまだいい。
ベイルはルナの私室がある方を見つめる。
体が弱い彼女は、特に夏に弱い。
少し目を離すとすぐに倒れてしまうのは、神殿時代から変わらない。
一層気を引き締めないといけないな、とベイルはまた額にジワリと滲み出た汗を拭いながら決意した。
さて、と朝食の準備をするべく厨房に向かおうとしたその矢先、教会の扉がドンドンと激しく叩かれた。
慌てて駆け寄り、扉をゆっくりと開ける。
すると、
「ふんっ、この僕を待たせるとはいい度胸だ!」
「え、ええと……?」
扉の外には鈍色の鎧を輝かせる金髪赤目の青年。
やけに尊大な態度でベイルを指差してくる。
困惑するベイルに青年は誇らしげに胸を張ると、高らかに名乗り始めた。
「覚えておくがいい。僕の名はギリアン・レドモンド。神に見初められ、超常の力を与えられた選ばれし者。――そう、この僕こそが世界を救う英雄、勇者だ!」




