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十八話 いくら格好良くても、彼女はそれ以上に格好いい人を知っている。

 初夏特有の雨期が去り、草原のそこかしこに生まれた水溜まりがその数を減らし始めたころ。

 夏一番のイベントである聖霊降臨祭ペンテコスタまであと三日ということで村全体はどこか騒々しくなっていた。


 午後の時間に教会の庭で遊びまわる子どもたちも、どこか浮かれ気分だ。

 そんな子どもたちの笑い声を背に、ベイルたちは聖霊降臨祭ペンテコスタに向けて教会の大掃除に取り掛かっていた。


 聖霊降臨祭当日は教会で昼まで祈りを捧げることになっている。

 そのための準備をしているというわけだ。


「ベイルくん、これはどこに持っていけばいいですか?」


 白い大きな布を胸に抱きかかえながら、ルナはベイルに問いかける。

 礼拝堂の長椅子を整えていたベイルは振り返りながら、ステンドグラスの真下にある祭壇を指差す。


聖霊降臨祭ペンテコスタの日に祭壇にかけるものなので、そこに置いておいてください」

「はいっ」


 言われてルナは祭壇に歩み寄り、その上に布をそっとのせる。

 そのまま振り返り、長椅子を丁寧に拭くベイルの背中を見つめて頬を緩ませた。


「? 聖女様……?」


 ルナが後ろで立ち止まった気配を感じて、ベイルは不思議そうに振り向く。

 慌ててルナはベイルから顔を逸らす。

 その仕草を不思議に思いながらも再び視線を長椅子に戻したその時、乱暴に教会の扉が開けられた。


「誰かいるか!」


 いつになく焦りに満ちた声を礼拝堂に響かせながら飛び込んできたのはチャドだった。

 彼の後ろには何人かの屈強な男たちが続いている。


「チャドさん?」


 彼の声にベイルが顔を上げる。

 長椅子の間に屈むベイルを見つけるや否やチャドは声を荒らげる。


「怪我人だ! 親方が滑り落ちて――」


 言いながら半身を下げ、自身の後方へベイルたちの視線を誘導する。

 見ると、彼の後ろに続いていた屈強な男たちの背中に血だらけの初老の男性の姿があった。


「ッ、聖女様!」

「は、はい!」


 瞬間、ベイルの目つきが変わる。

 彼の呼びかけにルナは弾かれたように奥へと駆け出す。

 次いで、ベイルがチャドに指示を送る。


「奥へ運んでください。後、何人かは子どもたちが入ってこないように見張っておいてくださいそれと、アドレーさんも呼んでください」

「わ、わかった」


 ベイルの指示をチャドは素早く後方へ伝える。

 そうしながら自分たちの親方であるウォルフを抱えた男とチャドがベイルの後に続く。


 教会のすぐ奥にある小さな部屋に設置された寝台にウォルフを寝かせる。


 改めて見ると、全身に打撲の跡があり、所々に刻まれた裂傷からそう少なくはない血が流れ出ている。

 呼吸も浅い。


 素人目に見ても危ない状況だ。

 チャドたちが慌てるのも納得できる。


 だが、この教会には彼女が――ルナがいる。


「――ッ」


 寝台の傍に跪いたルナが、ウォルフの患部に手を触れる。

 そして唇を真一文字に引き結ぶと、祈るようにギュッと瞑目した。


 瞬間、彼女の手から光が溢れ、裂傷を覆う。

 そしてその光が治まるころには、裂傷は跡形もなく綺麗になっていた。


 しかしそれで安堵している暇はない。

 すぐさま別の怪我へと手を伸ばす。


 彼女が治療する光景を後ろから見つめながら、いまだ不安そうにして隣に佇むチャドたちに声をかける。


「大丈夫ですよ。聖女様の力があれば、このぐらいの傷は治ります。……それで、一体何があったんですか?」


 問われて、チャドは気まずそうに目を伏せるとか細い声で答える。


「その、今日は北部の山に薪を取りに行っていたんだ。ほら、聖霊降臨祭ペンテコスタで使う。それで山を登っている時に弟子の一人が足を滑らせて、親方はそれを庇って山道を転げ落ちたんだ」

「なるほど。皆さんに怪我はありませんか?」

「うん、大丈夫だ。ただ、流石に薪を回収することはできなかったけどね」

「仕方ありません。しかしよく親方をここまで運んでこられましたね。結構な距離でしたでしょう」

「弟子の皆で代わる代わるね。本当に聖女様が頼みの綱だった。間に合ってよかったよ」


 そう言って、チャドはくたびれた笑みを浮かべる。


 北部の山脈からこの村までの道のりを全力で走ってきたとあっては相当な疲労だっただろう。

 それでもウォルフのために必死に走り抜いたのだ。


 弟子を庇った親方と、親方を必死に救おうとした弟子。

 両者の関係がとても尊いものに感じて、ベイルは薄らと笑みを浮かべた。


◆◆


「……ぁ」

「! 親方ッ!」


 ルナによる治療が終わってから眠ったままであったウォルフの目がゆっくりと開いたのを見て、寝台の傍から固唾をのんで彼の安否を見守っていたチャドたちが一斉に声を上げる。

 その声に反応して、ウォルフは視線を横へ向けた。


「ここは……」

「教会です、ウォルフさん」


 優しくベイルが語り掛ける。

 彼の姿を視界に収めたウォルフは一瞬口を開き、それから状況を整理したのか「ああ……」と掠れた声を零した。


「そうか、私は山道を……」

「親方ぁ、すいません! 俺のせいで……!」


 恐らくは彼が最初に滑り落ちかけた弟子なのだろう、と。

 ウォルフに向けて頭を下げながら号泣している男性を見てベイルは密かに理解した。

 そんな男性にウォルフは笑いかける。


「なぁに、気にするな。よくあることだ。それよりもお前たち、私のことはいいから早く帰って休め。そんな調子で肝心の聖霊降臨祭に間に合わなかったら大ごとだ。そうだろう?」


 明日の作業に向けて早く休めと、ウォルフは告げる。

 だが、その指示に逡巡してみせる弟子たち。


 その中でチャドが声を発する。


「みんな、親方の言う通り今日はもう休もう。明日は今日の分も働かないといけない。フラフラのまま作業に取り掛かってまた今日みたいなことになったら大変だろ?」


 チャドの言葉に弟子たちはそれでも躊躇いを見せる。


「それに、親方なら大丈夫だ。聖女様の治療してもらったんだから。ですよね、親方?」

「ああ。私はこの通り大丈夫だ」


 ウォルフは笑いながら力強く頷く。

 その笑みに安堵したのか、弟子たちは「じゃあ」と身支度を整え始めた。


「すまんな、チャド」

「……いえ。親方も、今日は安静になさってください」


 弟子たちが身支度を整える中、ウォルフがそっと声をかける。

 それに返したチャドの声は僅かに震えていた。


 きっと、彼もウォルフのことが心配なのだろう。

 それでもウォルフの意思を汲み取り、自分の気持ちを押し殺して皆を纏めたのだ。


(……シェリーさんは、チャドのこういうところに惚れたのか)


 チャドの背中を見ながら、ベイルは場違いな感慨を抱いた。


◆◆


 チャドたちが教会を去り、そしてウォルフをアドレーに引き渡した後、ベイルたちはいつもより遅めの夕食を摂っていた。


「聖女様、今日は本当にお疲れさまでした」


 食事をとりながら、ベイルは対面に座るルナに労いの声をかける。


 今日のような大怪我をルナが治療したのは久方ぶりだ。

 その精神的な疲労も普段とは比べ物にならないだろう。


 ルナは気丈にも笑って見せる。


「いえ、ベイルくんもお疲れさまでした。それにしても、助けられて本当に良かったです」

「ええ、本当に」


 いかにルナの力が奇跡に等しい力であっても、死人までは生き返らせることができない。

 もし彼らの到着が遅れていれば、あるいは助からなかったかもしれなかった。


「明日は一層気を付けて欲しいですね」


 恐らくは明日も山へと赴くはずのチャドたちの身を案じる。


「聖霊降臨祭も、もうすぐですからね」


 去年すでに聖霊降臨祭に参加したことのあるベイルたちは、代々この祭りのキャンプファイヤーで使用される薪が北部の山脈の頂上近くにある巨大な樹木群から採ったものであることを知っている。

 なんでもあの山には草原一帯を見守る神が眠っているとされているのだとか。


 そういった理由があって、大工たちは山に立ち入り薪を集め、それを草原に丁寧に積み上げる。

 雨が降っている雨期にそれをするわけにもいかないので、この一連の仕事をほんの数日で行う必要がある。


 大変だがやりがいがあると、いつかチャドが笑ってそう言っていたのを思い出す。


「プロポーズ、うまくいくでしょうか」


 聖霊降臨祭の話をしていた流れで、ルナがぽつりと呟いた。

 言われて、ベイルは顎に手を当てる。


「さあ、どうでしょう。ただ……」


 一息置いて、彼は脳裏で先ほどのチャドの行動を思い起こす。


「俺がもし女性だったら、チャドのプロポーズは断らないと思いますよ」


 チャドは普段は少し抜けたところがあるが、ここぞというところで頼りがいのある男だ。

 自分が女性であったら、あるいは。


「……って、変なこと言っちゃいました。あの、勘違いしないでくださいよ。別に俺、チャドのことをそういう目で見ているわけではありませんから」


 慌ててベイルは訂正する。

 すると、ルナはくすくすと笑って見せた。


「わかっていますよ。でも、ベイルくんがそう言っていたことをチャドさんが知ったら喜ぶと思いますよ?」

「いやですよ。チャドさんに言ったら暫くの間絶対に顔を合わすごとにそれをネタにからかってきますから」


 むすっとした表情でパンを頬張るベイルに、ルナは更に微苦笑を浮かべる。


 そして彼女もまた、「確かに今日のチャドさんはなんだか凛々しかったですからね」と、ベイルの言葉を肯定する。

 彼女自身、ああいったチャドを見るのは初めてだったのだろう。

 異性の目から見て、彼の姿が格好良く見えたはずだ。

 並大抵の女性であればあの姿に惚れてもおかしくない。


 しかし、ルナは――。


 いまだにパンを頬張るベイルをチラリと見て、ルナは口元をカップで隠す。

 そうしながら頬を僅かに染めてぼそりと呟く。


「でも、私は断りますよ」

あ、念のために言っておくとベイルはそういう趣味はないです。たぶん。

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