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十七話 夜は長いですよ。

 本格的な雨期に入り、四六時中ザーッという雨音が鼓膜を揺らすのにも慣れ始めたころ。

 ベイルは前もって準備しておいた麻の袋に土を詰めていた。


 この時期、辺りを取り囲む山脈に溜まった雨が草原に流れ出て、浸水被害が多発する。

 それを防ぐために土嚢どのうを作っているところだ。


「――よし、これぐらいでいいか」


 ふぅと一息つき、ベイルは土を詰めた麻袋の口を結ぶ。

 彼の周りにはすでに同じようにして用意された土嚢が積まれていた。


 口を結び終えたベイルはその場で伸びを一つ。

 かがんだままの体勢で作業を続けたせいで痛む腰を軽くトントンと叩きながら、「さて」と意気込む。


 土嚢を作り終えたら、次はこの土嚢を教会の周囲に置いていかなければならない。

 先ほど休憩がてら昼食を取ったところなので気力は十分だ。

 複数の土嚢を一気に持ち上げ、教会の外に運び出す。


 雨は相変わらず激しく降っている。


 作業中濡れてしまうが、仕方がない。

 さっさと終わらせてしまおうと今一度活を入れて、ベイルは土嚢を教会の壁の横に置き始める。


 と、雨音に混ざって教会の入り口から「うんしょっ」という可愛らしい声が聞こえ、ベイルは作業をする手を止めてそちらを見やる。

 見ると、教会の中に作って置いてあった土嚢を一つ、全身を使って見るからに重たそうに必死に運んでくるルナの姿があった。


「せ、聖女様!?」


 慌てて駆け寄る。

 すると、ルナは顔を上げて引き攣った笑みと共に「ベ、ベイルくん……」と苦しそうに声を零してその場に崩れ落ちそうになり――駆け寄ったベイルに支えられる。


「聖女様、何をしているんですか……」


 ルナの持つ土嚢をひったくりながら、ベイルは呆れ交じりに叱責する。

 すると、ルナはしゅんと顔を伏せた。


「ベイルくんにばかり仕事をさせて申し訳ないと……」

「力仕事は俺の領分です。いいから聖女様は中に戻ってください。風邪をひきますよ」

「は、はい……」


 強い語気で、しかし宥めるように言われてルナは教会の中へと引き返す。

 その途中、後目で雨が降る中土嚢を担ぐベイルの姿を見てルナは悲しそうに目を伏せる。


 が、すぐに何か妙案を思いついたように目を輝かせると、早足で教会の入り口へ向かう。

 そしてそこに立てかけられている傘を手に、ベイルの下へと戻った。


「……?」


 土嚢を教会の壁沿いに設置していたベイルは、突然自分の体に降り注ぐ雨が収まったことに気付き、不思議に思いながら上を見上げる。


「聖女様……」


 自分を雨から守るようにルナが傘をさしてくれていることに気付き、声を上げる。


「これならいいですよね?」


 そう微笑むルナに、ベイルは肩を竦める。

 優しい彼女が自分一人に雨の中作業させることに罪悪感を抱くことぐらいわかりきっていたことだ。


 嬉しそうにするルナを見て、ベイルは笑い返した。


「わかりました。では、お願いします」

「はい!」


 満面の笑みを受けて、ベイルは再び作業を再開する。

 そして暫くして、不意にルナの肩が濡れていることに気付いた。


「聖女様、俺を気遣ってくださるのはありがたいのですが、聖女様自身が濡れたら意味がありません。もっと近づいてください」

「っ、そ、その、少し恥ずかしいです……」

「……っ」


 頬を赤く染めてそう言われ、ベイルは思わず口ごもる。

 よくよく考えたらこの状況は相合傘になるわけで、そのことを意識してベイルもまた顔が赤くなるのを覚えた。


 その顔を見られまいとルナから逸らしながら、ベイルは続ける。


「お、俺は気にしないので。聖女様が風邪をひかれたら本末転倒ですから……」


 照れ隠しにベイルがそう言うと、ルナは僅かに頬を膨らませる。

 それはそれで悲しいんですが、と。ベイルに聞こえない小さな声で呟いてから、ルナはゆっくりとベイルの方へ体を寄せた。


◆◆


 土嚢を無事に教会の壁周りに積み終え、夕食を摂ったベイルは自室で筋トレをした後、シャワーを浴びていた。


 夕食を摂る前に泥で汚れた体を洗うためにシャワーを浴びたというのに、筋トレをしたせいで汗をかいてしまい、もう一度浴びる羽目になってしまった。

 最近己の体力不足を痛感して始めた日課だが、まだ初めて日も浅く、うまく生活リズムに組み込めていないらしい。


(まあ、それも追々慣れるか)


 シャワー室を出て体を拭きながら、不意にベイルは目の前の鏡に視線を向けた。


 彼の引き締まった体には、古い切り傷がいくつも残されている。

 それは神官時代の産物だ。


 本当はこの古傷よりも更に多くの傷を負ったのだが、ある時から怪我を負ったその日のうちに綺麗さっぱり治るようになった。

 言わずもがな、ルナと出会ってからである。

 神官としての任務の傍ら彼女の監視の任務も続けていたベイルは、ある時ルナにその傷を見咎められ、そして彼女の力で治された。


 以来、事あるごとにベイルの傷を彼女が治療するようになり――。


(普通、自分を捕らえている集団の仲間の怪我を治そうだなんて思わないだろうに)


 本当に彼女は優しいんだからと、ベイルは優しい笑みを浮かべる。

 白いシャツを着て教会の食堂に戻ると、そこでルナが一人お茶を飲んでいた。


 彼女に声をかけようとしたその瞬間――バリバリバリッという轟音と共に雷鳴が轟いた。


「――ひゃぁっ」


 反射的にルナはその場で飛び跳ねるように肩をびくりと震わせ、小さな悲鳴を零す。

 その後胸に手を添えて気持ちを落ち着かせながら、ベイルがすぐ傍にいたことに気付く。


「ベ、ベイルくんっ」

「今戻りました。……その、大丈夫ですか?」

「な、何がですか?」

「何って、雷に驚いていたじゃないですか」


 ベイルの言葉にルナは顔を固まらせて、すぐに胸を張る。


「ぜ、ぜんっぜん驚いていませんよ! 雷なんてへっちゃらですっ」

「え、でも今」

「へっちゃらです!」

「は、はい」


 変なところで意地を張るんだなとベイルは苦笑しながら厨房へ飲み物を取りに行く。

 その時、再び雷鳴が轟くとともに後ろから「きゃぁっ」という悲鳴がしたのは、聞こえなかったことにした。


◆◆


 その後、ルナと他愛もない雑談をしているうちに夜が更け、二人はそれぞれ自分の部屋へと戻った。


 六畳ほどの私室の窓際に置かれたベッドに寝転がりながら、ベイルは窓の外を見る。

 時々雷鳴と共に空に稲妻が走っているのが見える。


 聖女様は大丈夫だろうか、などと呆然と考えていると、突然部屋の扉がコンコンと叩かれた。


「はい?」


 一体どうしたのだろうとベイルは不思議に思いながらベッドから降りて扉へ向かう。


 ゆっくりと扉を引くと、廊下にはやはりパジャマ姿のルナがいた。

 なぜか枕を抱きしめている。


「どうかしましたか?」

「そ、その、今晩……」

「? なんです?」


 後半になるにつれて声が小さくなって聞き取れず、ベイルは首を傾げる。

 少しの間をおいて、それまで俯いていたルナが顔を上げた。


「その、今晩だけ一緒に寝てもいいですかっ?」

「……へ?」


 突然の頼みに思わず気の抜けた声を漏らす。


 その時、再び雷鳴が轟き、ルナは「ひっ」とベイルに抱き着いた。

 そんな彼女の態度を見て、ベイルはなるほどと苦笑した。


 どうやら雷が怖くて一人では眠れなかったらしい。


「いいですよ。俺も少し怖かったので、聖女様が一緒に居てくださると安心です」

「ほ、本当ですか?」

「はい」


 潤んだ瞳で自分を見上げてくるルナに、ベイルは強く頷く。

 無論、ベイルは雷など怖くはない。


 ルナを部屋に招き入れたベイルはベッドを指し示しながら近くのイスに腰掛けた。


「どうぞ、使ってください」

「え? でも、ベイルくんが」

「俺はこの辺りで適当に寝ますよ。安心してください、俺はイスに座ってまま寝ることができるので」


 ベイルがそう言うと、ルナは少し怒った様子で彼の袖を掴む。


「疲れているベイルくんをそんなところにおいやるぐらいなら、私がそこで寝ます」

「いえ、それはさすがに……」

「でしたら、ほら、来てくださいっ」


 そう言って、強引にベイルをベッドまで連れる。

 そして、ルナはベッドに入ると掛布団を持ち上げてその隣にスペースを作る。


「さあっ」


 少し上擦った声でベッドに入るように急かされて、ベイルは困惑する。

 いくらなんでもそれはまずいのではと思う反面、彼女が強情なことも知っているベイルはこのままでは事態が一向に進まないこともわかっている。


 逡巡の後、ベイルが折れた。


「失礼します」


 ゆっくりと彼女の横に入る。


 寝慣れたベッドのはずなのに、何故かいつもより硬く感じる。

 一人用のベッドなので、ルナの肩にベイルの肩が触れてしまう。


 その温もりを感じてドギマギとしながら、ベイルはすぐに寝てしまおうと硬く瞼を閉じた。


◆◆


 ベイルがすぐ隣にいるということで雷が鳴っても驚くことなくまどろみに身を委ねることができていたルナであったが、気持ちに余裕ができてすぐ、自分がとんでもないことをしてしまったことに考えが行きつき、布団の中で顔を真っ赤にしていた。


 すぐ隣にはベイルがいる。

 ……それ自体はいつものことのような気もするが、今日は場所が場所だ。


 天井を見つめるよう努める一方で、時々視線を横に向けるとベイルの横顔が見える。

 慌てて視線を逸らし、天井を見つめて、そしてまた視線を横に――。


 そのエンドレスを続けている間に時間は過ぎていく。


 時間を追うごとに眠気は増すどころか意識は覚めていき、心臓の鼓動が早くなる。


「ベ、ベイルくん……?」


 眠ることを諦めて、せめてこの緊張をほぐそうとルナはベイルに声をかける。

 が、返事が返ってこない。


「も、もしかして、もう眠りましたか?」


 その問いにも返答がない。

 耳を澄ますと、スーッ、スーッという規則正しい寝息が聞こえてきた。


「…………」


 全身から一気に力が抜ける。

 意識していたのが自分だけだということがわかって、途端に緊張が解けた。


 同時に、少し釈然としない。

 緊張していたのが自分だけだったということがなぜか悔しい。


「……ベイルくんは、本当に意地悪です」


 仕返しと言わんばかりにルナはベイルの方へ体勢を変えると、彼の左腕を掴む。

 その温もりを感じながら、彼の寝息に誘導されるようにルナはようやく眠りについた――。


◆◆


「……やっと寝たか」


 ルナから寝息が聞こえたのを確認して、ベイルはハーッと息を吐き出した。

 ずっと寝たふりをするのを楽ではない。


 ルナを起こさないようにゆっくりとベッドを出て、再び息を吐く。


 ベッドの上では気持ちよさそうに表情を緩めて眠るルナ。

 そんな彼女を見つめてベイルもまた表情を緩め、文句を一つ。


「この状況で、寝れるわけがないだろ……」

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