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十六話 婚約指輪を買いに来ました。

 ジメジメと陰鬱な空気が草原全体を覆う。

 ここ数日、やむことのない雨が教会の窓ガラスを叩く。


 季節は移ろい、初夏。

 本格的な夏に入るまでのこの季節はほぼ毎日、空を黒雲が多い、地上に雨を降らす。

 水害に悩まされるノーティス村にとっては頭を悩まされる季節だ。


 ベイルは窓ガラスを濡れた雑巾で拭きながら、そんな外の様子を眺めていた。


 ――と、そんな彼の背後。


 礼拝堂の広い空間に「うーっ、うーっ」と悩まし気な声が木霊する。

 一つため息を吐いて、ベイルは振り返った。


「……あの、チャドさん。そんなに不安でしたら少しぐらい先に延ばしてもいいのでは?」

「それはできない! そうやって今までずるずると引き延ばしてきたんだ。この機を逃したら俺は一生ヘタレ野郎という汚名を背負って生きていくことになるんだ。そうに違いない、いや、絶対そうだ……」

「そんなことはないですよ」


 チャドの自虐っぷりに思わず顔を引きつかせる。


 雨となると、大工の仕事は休みになる。

 連日雨続きのためか、最近はほぼ毎日チャドは教会を訪れ、こうして長椅子に座って頭を抱えている。


 その原因は言わずもがな、初夏が去り、本格的に夏が到来してすぐに行われる聖霊降臨祭ペンテコスタだ。

 正確には、その日に行うプロポーズ。


 仕事をしている時はまだ気を紛らわせることができていたのだろうが、その仕事も休み続きで、尚且つ聖霊降臨祭が目前に迫って、チャドはその不安を吐露しに訪れているのだ。

 それ自体はかまわないのだが、そこまで傍で悩まれている様子を見せられると気になる。


 ベイルは窓ガラスを拭く手を止めると、今度は体ごとチャドに向き直った。


「では、覚悟を決めないと」

「そんな簡単に覚悟を決められるわけがないだろ。これだからヘタレ牧師様はっ!」

「誰がヘタレ牧師ですか、誰が!」

「お前のことだよ、バーカ!」


 子どものように口元を指で歪ませて暴言を吐き出すチャドに、これまた子どものようにベイルも抗議の声を上げる。


 そんな二人のやり取りを傍から眺めていたルナは、思わずくすりと笑った。

 それから、場を和ませるための話題を何気なしに口にする。


「そういえば、婚約指輪はもう選ばれたんですか?」

「……え?」


 ルナの問いに、ベイルといがみ合っていたチャドは一瞬困惑してから即座に顔を青ざめさせる。

 そんなチャドの態度に、ベイルもまた顔を引き攣らせながら、


「いやいや、そんなまさか。……え、チャドさん、もしかして本当に?」


◆◆


 婚約指輪は、プロポーズをする際に男性が女性に渡すものだ。


 この指輪は教会などで行われる婚礼の儀にて祭壇に祀り、神々の祝福を受けた後、半分に分けて男性と女性双方が指につける。

 それゆえ、婚約指輪は普通の指輪とは違って二つの指輪を合わせた構造となっていて、そのままつけるには大きすぎるものになっている。


 ――と、その婚約指輪を用意し忘れていたチャドは、ベイルとルナの二人を引き連れて村のアクセサリーショップへ足を運んでいた。


 道中、婚約指輪を用意し忘れていたことをベイルにいじられたチャドはやや凹み気味に、「仕方がないだろ、プロポーズをすることで頭がいっぱいだったんだから」と呟きながら店の扉を引き開ける。

 中からスカート丈の短い、若い女性が現れた。


「いらっしゃいませ。あら、珍しい」


 店員の女性はベイルとルナを見るや、心底驚いたように目を丸くする。

 そんな彼女にチャドは歩み寄る。


「婚約指輪を注文したいんだけど」

「おめでとうございます。では、少々お待ちください」


 女性はにこりと笑って祝福すると、カウンターを挟んで奥へ一度引っ込む。

 すぐに戻ってきた彼女の手には、いくつかの指輪ケースがある。


「これが一般的な婚約指輪のデザインです。ご確認ください」

「あ、どうも」


 カウンターの上に並べ、その対面のイスに座るよう促されてチャドは軽く会釈をして腰を下ろす。


 ご予算は?


 納期は?


 などなど、女性の質問にたどたどしく答えるチャドを後目に、ルナとベイルは店内を見渡す。


 指輪はもちろんのこと、ネックレスやイヤリングなど、様々な種類のアクセサリーが店内のショーケースの中に入れられている。

 無論、大都市に流通しているものと比べると些か品質が落ちるが、この辺境の地で扱われているものとしては一級品だろう。


 ベイル自身、少し驚いている。


「お二人はどうされますか?」

「へ?」


 そうして店内を見渡している二人に、女性が突然カウンターから声をかける。

 ベイルは思わず間の抜けた声を返す。


「お二人も指輪を選ばれにいらっしゃったのでは? 最近結構多いんですよ、プロポーズ後にカップルで指輪を見に来られる方が」

「た、ただの付き添いです!」

「そ、そうですっ」


 慌ててベイルが訂正し、ルナが顔を真っ赤にして続く。

 女性は予想が外れたと首を傾げながら、すぐにチャドとの商談に戻った。

 なんだか気まずくなったベイルは、一つ咳払いをしてからルナに言う。


「少し外の空気を吸ってきます」

「は、はいっ」


 ベイルに声をかけられたルナはびくりと肩を震わせて応える。

 その返事を受けて、ベイルは逃げ出すように店の扉を押し開けて外に出た。


 降りしきる雨が風に煽られて、雨避けをすり抜ける。

 僅かな雨粒に牧師服を濡らしながら、ベイルは深いため息を吐き出した。


「外の空気を吸うって、雨模様のこの状況で何を吸うっていうんだ……」


 自分の下手な言い訳がルナにも見透かされたような気がして、羞恥に顔を押さえる。

 不意に、先ほどのチャドの『ヘタレ牧師』という言葉が脳裏をよぎった。


「っ、そんなの言われなくてもわかってるんだよ……」


 ちらりと、窓越しに今出たばかりの店内を見やる。


 チャドに呼ばれたらしいルナが、彼の隣で婚約指輪を見ている。

 その背中を一瞥し、店内から視線を外してからベイルは黒雲が覆う空を見上げた。


◆◆


 濡れた服を軽く拭いてから店内に戻ると、チャドがちょいちょいと手招きをしてきた。

 一体何の用だと近寄ると、指輪ケースを二つ差し出してきた。


「どっちがいいと思う」

「俺に訊いても参考にならないと思いますが。聖女様はどちらを選ばれたんですか?」


 再び店内のアクセサリーを見て回っているルナに視線をやりながらベイルは返す。


「こっちだね」

「じゃあ、それがいいと思いますよ。女性の選択に委ねれば万事うまくいくものです」

「それはありがたい教えだ。さすが牧師様」


 チャドの茶化した物言いにベイルは肩を竦める。

 実際、ベイルのこれも人の言葉を借りたものだ。


 ベイルの言葉を受けて指輪を決めたらしいチャドが、女性に「これで」と指輪ケースを渡す。

 そうしながら、チャドが思い出したようにベイルの脇をつついた。


「そうだ、ベイル。今日の礼というのもあれだけど、一ついいことを教えてあげよう」

「いいこと?」


 チャドのにやついた表情が妙にうさんくさくて、ベイルは怪訝そうに耳を向ける。

 すると、チャドはカウンターに並べられた指輪ケースの中の一つを指差した。


「聖女様の一番のお気に入りはこれらしい。さっきついでに訊いたんだ。後々の参考にするといい」

「……この間の一件で懲りてないんですか」

「あ、あの時は悪かったよ。でも今回はベイルにとっても有益だろう」」


 チャドは表情を引き攣らせる。

 この間の一件。ベイルの留守を見計らってチャドがルナに変なことを吹き込んだ時のことだが、その後ベイルがモートン家を訪れてシェリーに告げ口をしようとしたのを必死に止めたのは記憶に新しい。


 チャドの弁にベイルは肯定も否定もしない。

 だが、それ以上チャドを問い詰めなかったのが、あるいは彼にとっての答えだろう。


「? どうかされたのですか?」


 二人の諍いを耳にしたルナが近寄りながら問うてくる。


 ベイルは慌てて指輪ケースを彼女から隠すように立つと、「なんでもありません!」と取り繕った。

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