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十五話 男って本当にバカな生き物

「失礼。牧師様はおられるかな?」


 昼下がりの教会の扉が突然開かれ、礼拝堂の長椅子に腰掛けてうとうととしていたルナはハッと目を覚ます。

 すぐさま入り口に視線を向けると、そこには紺色を基調とした村の自警団の制服に身を包んだ壮年の男性の姿があった。


 慌てて立ち上がり、男に応じる。


「す、すぐに呼んできますっ」


 弾かれたように教会の奥、丁度部屋の掃除をしているベイルの下へと走る。

 少しして、礼拝堂にベイルが現れた。


「ッ、ゴードンさん!」


 入り口に立つ男性を見て、ベイルは声を上げる。


 茶色い髪と目、そしてそれと同色の顎から僅かに伸びる髭が特徴の男性、ゴードンは、ヒースの父親だ。

 三十八歳という若さで自警団の団長を務めるだけあって人望もあり、何より剣の腕も村一番だ。


 普段は自警団の仕事で忙しいはずのゴードンが一体何の用だろうと、ベイルは首を傾げた。


「すみません、牧師様。お忙しいところ突然」

「いえ、掃除をしていただけですから。それよりもどうされましたか?」

「いやなに、先日のことについてお話を」

「先日? ……ああ、そういうことでしたか」


 一瞬眉を寄せ、それからすぐに得心がいったように頷く。

 対して、ルナは傍らで首を傾げている。


 先日のこととは、つまりは南部の山脈で魔獣が現れたことだ。

 そのことをベイルは自警団に報告するのみにとどめていた。


「話が話ですから、奥でお聞きします。聖女様はここでお待ちいただけますか?」

「わ、わかりました」


 少々不満げだったが、ベイルの指示にルナは素直に従う。

 彼女に心配させないために、ベイルは魔獣の件を話していない。


 二人は応接室へ場所を移す。


 ベイルがテーブルの上にお茶を用意し終えてソファに腰掛けたタイミングで、ゴードンは魔獣の一件について話し始めた。

 それをベイルは真剣な面持ちで聞く。


「つまり、魔獣の調査は北部の山までしかされていなかったと?」


 ゴードンの報告を聞いて、ベイルは問い返す。


「無論国は南部の調査も命じたらしいのですが、調査隊は北部までの調査で切り上げたと私どもが魔獣出現の報告をした後に発覚したそうです」

「どうしてまた。魔獣の調査は定期的に行わなければ危険だということぐらいわかっているでしょうに」

「この辺りは共和国でも辺境中の辺境です。北部一帯ならばまだしも、草原を越えて南部の山脈の調査までするが面倒だったのでしょう。南部はそれほど人が行き交うことがありませんから」

「なんてことを……」


 思わず、ベイルは呆れて嘆息を漏らす。


 確かに南部の山脈に人が行く機会はない。

 それこそ、この村で生活を始めて一年が経つベイルでさえ、先日行ったのが初めてだ。


 だが、だからといって調査を怠っていい理由にはならない。

 薬草を採取しに行ったのが自分だったからよかったものを、仮にアドレーが向かっていたならどうなっていたことか。


 調査隊への憤りを内心で沸々と抱きながら、ベイルは気持ちを落ち着かせるべく紅茶の入ったカップに手を伸ばす。

 その憤りが伝わったのか、ゴードンもまた表情を険しくする。


「幸い、夏ごろには再度調査隊を派遣してくださるそうです。それまでは南部一帯は立ち入り禁止とするのが村長の意向です」

「夏、ですか。結構かかりますね。聖霊降臨祭ペンテコスタの後ぐらいですか?」

「さあ、その辺りはなんとも。……それにしても、よく魔獣を倒されましたな。あれは本来、複数人での討伐が基本ですのに」

「いやあ、運がよかったです」


 苦笑いを浮かべるベイルに、ゴードンは口の端を上げる。


「そう謙遜されずとも。ヒースから聞いています、牧師様にいつもこてんぱんにされていると。いや、愚息に稽古をつけてくださり感謝します。最近は私も忙しく、ろくに相手をしてやれていませんから。家内も喜んでいますよ」

「俺なんかが稽古をつけていいものか。変な癖をつけてしまうのではないかと不安です」

「またまた。先日ヒースと手合わせする機会があったのですが、見違えるようでしたよ。これも牧師様のご指導の賜物です」


 なんだか少し照れ臭くなって、ベイルは頬を掻いた。


 と、ゴードンがふと何か妙案を思いついたように目を輝かせて身を乗り出してきた。


「そうだ、牧師様。どうです、今から一つ手合わせでも」


◆◆


 場所を教会のだだっ広い庭に移し。

 ベイルとゴードンは木刀を片手に向かい合っていた。


 対面でどこかワクワクといった様子のゴードンに、ベイルは内心ため息を零す。


「いいんですか、自警団の仕事は」

「なーに、今は昼休憩です。少しぐらいなら問題ないですよ。それに私も気になっていたんですよ。ヒースがいつも『親父より強いぞ』なんて言ってきますからね」

「ヒースの奴……」


 今日の鍛錬はいつもより厳しくしてやると思いながら、ベイルは木刀を構える。

 なんだかんだで、ベイルも乗り気なのだ。


「ベイルくん、頑張ってくださいっ」


 少し離れたところから、事態を聞いたルナが歓声を送ってくる。

 ベイルは木刀を強く握りなおした。


 神官としてある程度場数を踏んできたとはいえ、ベイルは剣の達人ではない。

 神技ありきでの戦闘ばかりだった自分が、剣のみを武器として戦ってきた猛者であるゴードンに勝てる自信は正直なところあまりない。


 とはいえ、


(負けるわけにはいかないな……)


 なにせ、ルナが近くで見ているのだ。

 彼女に格好悪いところを見せるわけにはいかない。


「さて、始めますか」


 ゴードンがそう告げる。

 ベイルは小さく頷いた。


 二人の全身がその場で静止する。

 互いの双眸を睨み合い、初動を見極める。


 次の瞬間――


「――ふっ!」


 先にゴードンが動き出した。


 地を蹴るや否や、鍛え上げられた膂力で一瞬にして距離を詰めてくる。

 木刀が大気を割き、迷いのない軌道を描いてベイルの左腹部を横薙ぎに狙う。


「……ッ」


 ベイルは即座に木刀を左手に持ち替え、その軌道の先に滑り込ませる。

 カンッという甲高い音共に互いの木刀が重なり、両者の体をのけぞらせる。


「せやぁっ!」


 ベイルは即座に重心を前に戻すと、いまだ体勢が崩れた状態のゴードンの懐へと飛び込む。

 体勢を立て直した勢いそのままに、ベイルは木刀を縦に振り下ろした。


 その速度は異常。

 ゴードンはその動きを目でとらえると、にやりと笑みを浮かべる。


「ふんっ!」


 ゴードンは強引に木刀を構え、ベイルの一撃を受け止める。

 互いの木刀が十文字に重なり合い、鍔迫り合いが生じる。


 ベイルは上から、ゴードンを逃がさないように木刀に力を籠め、ゴードンもまた潰されないように下半身に力を入れて踏ん張る。


「――!」


 拮抗は一瞬。

 ゴードンが刃を斜めにしてベイルの木刀を滑らせる。


 思わず体勢を崩して前へと倒れかけるベイルの横に回り、ゴードンはその無防備な背後へ鋭い一撃を叩き込む――。


「ッ、は――っ!」


 ベイルは崩れた体勢を立て直すことなく、そのままあえて前へと転がる。

 地面で一回転しながら即座に木刀を構えなおし、背後から迫っていた凶刃を受け止める。

 地面に膝をつき、辛うじてゴードンの木刀を受け止めるベイル。


 二人の位置関係は先ほどと正反対になった。


 荒くなる息を必死に押し殺し、木刀の先にある相手の両眼を睨む。

 かける言葉も、その余裕もない。


 ゴードンは僅かに苦悶の表情を浮かべた。

 今の一撃を決められなかったのは痛い。

 ――否、防がれてしまった以上力量は相手の方が上。


 これまで剣では父親以外に負けたことがないゴードンが、初めて脳裏にちらつかせた敗北の二文字。

 その一瞬。ゴードンの意識が勝敗の行方にそれた瞬間をベイルは見逃さなかった。


「はぁ――ッ!」


 両手に力を籠め、一気に押し上げる。

 力任せの動きに、しかしゴードンは推し負ける。

 即座にベイルはその場で右足を回し、ゴードンの足をからめとる。


 のけぞらされた上に足を取られたゴードンは、今度こそ完全に体勢を崩した。

 情けなくその場に尻餅をついたゴードンの首筋に、ベイルはとんっと軽く木刀を乗せた。


「……参りました」


 いっそ清々しい笑みと共に、ゴードンは木刀をその場に捨てて両手を上げる。

 ようやく、ベイルは大きく息を吐き出した。


「いやいや、聞いていた以上の腕ですね。私も自分の剣には自信があったんですが、鍛えなおさないと」

「そんな、運がよかっただけですよ。次やればどうなるかわかりません」


 ベイルの謙遜の言葉に、ゴードンはやや鋭い声音で重ねる。


「次がないのが剣の世界ですよ、牧師様」

「…………」


 剣の世界において、勝者が口にする敗者への謙遜こそが最大の侮辱であると、ゴードンの鋭い眼差しが雄弁に訴えてくる。

 ベイルは目を伏せて言外に今の発言を謝罪した。


「お疲れ様ですっ、ベイルくん!」


 笑顔と共に駆け寄ってくるのはルナだ。

 ベイルは彼女に笑みを返した。


 そして、ベイルは再度ゴードンに視線を戻す。


「ゴードンさん、今回の手合わせは条件が平等ではなかったですね」


 ベイルの言葉に、ゴードンは訝し気な眼差しを向けてくる。

 それは侮辱であると今しがた伝えたはずだ。


「俺には負けられない理由がありましたから。対等な勝負となると、この場にはゴードンさんの奥さまもいらっしゃらないと」


 一瞬目を丸くし、そして直後に彼の発言の意味を理解したゴードンは愉快そうにその相貌を歪めた。


「フッ、フハハハハッ! なるほどなるほど、いやぁ確かにそれはそうかもしれませんな。私も妻の前で無様に負けるわけにはいきませんからな」


 ひとしきり高笑いをした後、ゴードンは立ち上がる。


「またお手合わせをお願いしてもよろしいかな?」

「ええ、喜んで。ただし、次からは聖女様がおられない所でしていただけると助かるのですが」

「それはもちろん。手合わせの度に男としてのプライドを賭けるのは些か疲れますからな」


 頷きながら、ゴードンはもう一度愉快そうに笑い声を上げた。

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