十一話 これはあくまで知り合いの話
「そろそろ休憩にするか」
変わらず午後の時間の大半をヒースとの鍛錬に費やしているベイルは、その途中、ヒースの息が相当荒くなってきたことに気付き、そう提案する。
ヒースは泥のついた頬を拭いながら木刀を下ろし、息を整えながら頷いた。
鍛錬を始めた当初は同じような提案をしてもむきになって続けようとしていたものだが、最近では頑張ることと無理をすることの違いがわかってきたらしい。
ヒースは庭の隅に向かうと、その場にゆっくりと腰掛けた。
そんな彼を見つめながら、ベイルは小さく息を吐き出す。
彼に稽古をつけるようになってからかれこれ半年。
ヒースに剣の扱い方を教えてくれと頭を下げられて、ベイルは彼の監視も兼ねて引き受けた。
そのことを後悔はしていないし、むしろ引き受けてよかったと思っている。
ベイルの狙い通り、あれ以来ヒースは自分よりも弱い者にあたることはないし、何よりベイルにとってもいい運動になっている。
昔と違ってこの辺境の地に来てからは、ヒースとの鍛錬以外に特段動く機会がないのだ。
不意に、庭の隅に座り込んでいるヒースが物憂げな表情を浮かべていることに気付き、眉を寄せる。
普段生意気で快活なヒースがあのような表情をしているのはあまり見ない。
気になって、ベイルは彼の近くへ歩み寄る。
「どうかしたか?」
声をかけると、ヒースは顔を上げる。
「――隙ありッ!」
声をかけてきたのがベイルとわかると即座に傍らに置いていた木刀を掴み取り、ベイルの腹部へと振り上げる。
だがベイルはそれを容易く指で挟み、掴み取る。
「甘いぞ、ヒース。後、鍛錬の時以外は危ないからやめておけ」
「……悪い」
「わかればいいんだよ、わかれば」
木刀を離し、ヒースの隣に腰を下ろす。
それから、優しく問いかける。
「それで、どうしたんだ?」
同じ問い。
ヒースは一瞬身を固くすると、俯いた。
「なんでもねえよ」
「別に誤魔化すことはないだろ。こんなにいい天気なのに辛気臭い面しやがって。ほら、師匠に話してみろ」
「誰が師匠だっつの……」
ベイルの言葉にヒースは吐き捨てるように言うと、少しの間をおいて口を開いた。
「前にベイル、言ってただろ。守りたい人がいるから強いって」
「……そんなこと言ったか」
惚けるように返しながら、ベイルは内心よく覚えていたなと舌を巻いた。
明後日の方向を向くベイルにちらりと視線を送りながら、続ける。
「言ってたよ。それから俺、色々考えたんだ。俺は強くなって何がしたいんだって」
真剣な語気でそう語るヒースを見やり、ベイルは空を仰いだ。
まだ十二の少年が力の扱いについて考える。
そのことに少し大げさだが感動を覚えた。
「守りたい人がいるから強くなったってのは、少し違うな。順序としては逆だ」
ベイルの言葉に、ヒースは首を傾げる。
「これは、俺の知り合いの話だが――」
ベイルは黒い双眸を細め、思い出すような声音で語りだした。
「そいつは生まれたときから一人っきりで、強くないと生きていけない環境で暮らしていたんだ。孤児だったそいつは、引き取られた後も戦うことを強いられて、ただがむしゃらに強くなっていった」
黙ってこちらに耳を傾けるヒースに、ベイルは続ける。
「もちろん、当時そいつは自分がやっていることが正しいことなのかなんてわからなかったし、考えることもなかった。力を持つ理由なんて、持ち合わせていなかったんだ」
庭を吹き抜ける風に漆黒の髪を揺らす。
ベイルは僅かに口角を上げた。
「ただ、ある日そいつは一人の少女に出会ったんだ。自分とよく似た境遇の、まあ言うなれば可哀そうな少女に。だけどその少女はそいつとは違っていつも笑っていた。誰にも優しくて、眩しかった。そいつはそんな少女に救われて、そうしていつの間にかその少女を助けたいと願うようになった」
ベイルはそこで言葉を区切ると、ゆっくりと立ち上がる。
青空に燦然と輝く太陽に右手を透かし、目を細めた。
「――それが、そいつが力を持つ意味になった」
それまで何も考えてこなかったそいつが。
ヒースは立ち上がったベイルを見上げていたが、すぐに顔を伏せる。
「何言っているか、よくわかんねえよ」
「悪いな、子どもには少し難しい話だったか」
「っ、バカにするんじゃねえ!」
ベイルの物言いに噛みつくヒース。
苦笑しながら、ベイルはわしわしとヒースの髪をかき乱す。
「ま、要は自分の力の使い道なんてものはそのうちできるもんなんだよ。むしろ今の段階から力の使い道について考えている時点で、お前は俺の知り合いよりも強くて賢いよ。昔みたいに手に入れた力を暴力に使うこともなくなった。今はそれだけで十分だ。焦る必要はない」
「……うん」
優しい声色でベイルに言われ、ヒースは恥ずかしそうに小さく頷くとすくっと立ち上がり、遠くで走り回る子どもたちの方へと駆け出した。
それが照れを隠すための行動であることを見透かしたベイルは微笑する。
「ベーイールーくんっ!」
「うおぅっ!?」
突然背中に衝撃が加わり、ベイルは驚き後ろを振り向く。
そこには、自分に抱き着くルナの姿があった。
「聖女様……」
少女の悪戯にベイルは苦笑する。
ルナは少し照れたようにはにかみながらベイルの背中を離れる。
「背中ががら空きだったので、飛びついてしまいました。あの子たちがしていたのを真似したのですけど、なんだか恥ずかしいですねっ」
「……暗殺者ですか、あなたは」
じゃれ合う子どもたちに視線を送ってそう話すルナに、ベイルは肩を竦めた。
心臓に悪いからやめて欲しい。本当に。
ドキドキする鼓動を必死に抑え込んでいるとは露とも知らずに、ルナはベイルの顔を覗き込み、小首を傾げた。
「ヒースくんとなんの話をしていたんですか?」
「大それた話ではないですよ。ただの昔話です」
ベイルの返答にルナは不思議そうにする。
そんな彼女にベイルは微笑みかけ、それから彼女の頭の上を指差す。
「聖女様、頭の上に葉っぱが乗っていますよ」
「え、いつの間に……?」
慌ててルナは頭の上に両手を乗せる。
が、頭の上をどれだけ触っても葉っぱが落ちてこない。
すぐ傍でくっくっと口元を押さえて笑っているベイルを見て、ルナはようやく自分が騙されたことに気付き、プクーッと頬を膨らませる。
「……ベイルくんは意地悪です」
「さっきのお返しですよ」
全く悪びれる様子のないベイルの胸を、ルナはポカポカと叩いた。