嫌悪
生れた子供は女の子だった。生まれた直後、担当医からまずうれしい報告、無事生まれたということと娘の詳しい状況。そして、悲しい報告。妻が亡くなった。出産途中に亡くなってしまうと赤ん坊にも影響が及びかねないという話を彼女にすると、出産を終えるまで必死に頑張っていたらしい。そして、後は任せたと、言っていたらしい。彼女は赤ん坊を抱くことができなかったらしい。産んだ直後に、力尽きたという話だ。
そして処置中の話をし終わると、担当医からさらに悲しい報告をされた。
「娘さんは母親の遺伝子が強く、おそらく体が弱いのが引き継がれております。…しかも母親よりもその状態は悪く、運がよくても5歳まで生きられるかどうか…。」
司法試験も何とか終わり、結果は結構早めに出るらしいが、出るのを待つまでの間に育児計画を練らなければならない。どうしてもこれから就職することとなると、一日すべてを娘に割くことができない。僕は義両親に当面の世話を頼むことになった。二人は孫のことを喜んでいたが、正直なところ、かなり複雑な心境にあると思う。これからの僕と娘の生活はかなり厳しいものになると思うが、そんな中義両親は惜しみなく援助をしてくれると言っていた。申し訳ない気持ちでいっぱいで、どうお礼を言っていいかわからない。
その後、娘を病院に引き取りに行った。たびたび顔を出していたものの、いざ引き取るとなると自分の娘なのに緊張した。娘は僕が抱きかかえると大きく笑った。彼女に似ている、そう思った。泣きそうになったのを何とかこらえ、娘の頭を撫でまわす。きゃっきゃと娘は楽しそうにしているが、これから苦労をかけてしまうんだろうなと思うと、やりきれない気持ちになる。義両親に預けることになるのだろうから、おそらくおじちゃんおばあちゃんっ子になるんだろうな、と思うと少し寂しい。
家で娘を寝かしつけた後娘がどうにも愛おしく感じられ、しばらくその場を離れず顔を見つめていた。彼女に目元とかがそっくりだ、再びそう思った。彼女が今もここにいたら、僕はこのことを話題に一晩過ごしたんだろうなと考えると、彼女がたまらなく恋しくなった。僕は彼女との幸せのために今まで頑張ってきた。できる限りのことをしてきたはずだ、でも今ここに彼女はいない。
暫く娘と過ごして、試験の合格通知が家に届いた。僕は感動も何も、感情が出てこないまま封筒を開き、合格証と他の書類を眺めた。彼女が僕を支えてくれたことを感じて、思い出が頭に浮かんできた。そういえば彼女は、死ぬ直前まで僕のことを心配してくれていた。義両親に聞いた話だが、彼女はやはり寂しかったようで、できるだけ僕に合いに行ってほしいと頼んできた。僕は断る理由も思い浮かばないし、もしろ僕も行きたいと思っていたのでその言葉に甘えると同時に従った。会うたびに彼女は喜んでいるようにみえた。病気に苦しんでいるようにみえた。一番苦しいのは彼女だった。僕は最後まで彼女に甘えてしまっていた。
「…。」
――なぜだろう…涙があふれてくる。
――拭ってもぬぐいきれない。
――合格証がぬれてしまってるよ。
――なあ、僕は結局何がしたかったんだ?
――僕は僕が幸せであったことに気付かなかった。
――恵まれない状況だと、悪いことに甘えてた。
――自分を正当化するために、悪いところだけを見つめていた。
――ひたすら前へ前へ進んできたつもりで、その場にもともとあったものをおざなりにしていた。
――頑張れればいいと思っていた、何か手に入ればいいと思っていた。
――彼女のためにと言って、自分を正当化していつしかそれに酔っていた。
――彼女は僕といることが幸福であったはずなのに、僕もそうだったはずなのに。
――貪欲になりすぎて、見るべきものを見ず、当たり前のことに飽き、大きなものを求めすぎて、今ある幸せに感謝することを忘れてしまっていた。




