永遠
仕事が休みの日が何日かできた。実際には上司に事情を話して許可をもらったのだが、上司はすごく気を使ってくれ、何かあったらいつでもいってくれと言ってくれた。僕はまたここでも助けられてしまっている。
休日の朝、娘と朝ご飯を済ませ食器を一緒に洗っていると娘がうれしそうに話してきた。
「パパ今日はお仕事お休みなの?」
「ああ、そうだよ。何日間か休みなんだよ、ずっと一緒にいられるよ。」
「ほんと!?やったあ!」
ぴょんっとはねながら娘が僕の服の袖を引っ張ってくる。普段全く一緒にいられないことを申し訳なく思う。娘はまだまだ親と一緒にいたい年頃、それも片親ならなおさらだろうに、今までずっとさみしい思いをさせてきてしまった。終わりが見えた今こそ、娘と一緒にいたいし、今までのことを謝りたい。
片付けも終わり、娘がはしゃぐ姿を見守っていると、医者に言われた言葉を思い出した。
――あと一か月の命です。
――前触れもなく亡くなるでしょう…。
今はこうしてくるくる踊りながらはしゃぐ娘が、ある日急に死んでしまうことを想像したら落ち着かなくなってしまう。ある日起きたらもう息をしていなかったとか、遊んでいたら急に倒れるとか、そういったことがありえるのだ。その時が来る前に、僕は娘としたいことがある。たくさんある…。
「…お出かけしようか?」
「え!?パパと!?」
「勿論。」
「…!!いやったあああああ!!」
「オーバーなやつだな、よしよし。」
頭をくしゃくしゃと撫でてやるとより一層笑顔をはじけさせた。思えば娘を前撫でたのはいつだろう。思い浮かびもしなかった、こんな簡単なことなのに。娘を連れていく場所は今決めた。あそこしかないと思った、僕の始まりの場所。あの花畑…。
娘と一緒に出掛ける、そのこと自体が初めてな気がしてならない。しかも今は電車に乗っている。娘との思い出はできるだけ欲しかったのに、自分でその機会をつぶしてしまっていた。
「わあ!パパあれみて!あれ!」
「んー?どこだい?」
「でっかい川!きれいだね!」
娘は電車に乗ること自体が初めてだと乗る前に気付いた。娘は席に座っておれず、つま先立ちになって後ろに流れていく外の光景を眺めている。
―大きくなりましたね、私の娘。
「…!?」
後ろから彼女の声が聞こえた気がして勢いよく振り向いたが、彼女の影もない。娘がどうしたの?と聞いてくるが何でもないよと答えて向き直る。そうだ、彼女もそこにいるのかもしれない。
「わあ…!!ここがパパの言ってたとこ?」
「そうだよ、ここが…!」
―いらっしゃい。
「…ママ?」
「え…?なん…で…?」
―迎えに来たの…ごめんなさい。
「何謝ってんだよ…。謝るのはこっちだって…。」
「パパ…。」
「…二人とも、今までごめん。僕は何も見えてなかった、自分を必死で背いつかしようとして頑張ってきただけで、君たちのことを全然考えてなかった…考えてるつもりになってただけなんだ…。」
―何言ってるんですか、あなたと居れて、私はとっても幸せでした。あなたのがんばってる姿を間近見られて、あなたをいっぱい支えることができて、私は幸せでした。あなたと出会えてよかったです、あなたがいてくれてよかったです!ありがとうございます!!
「パパ!私もだよ!」
「嫌…お前は…僕はなにも…。」
「違うもん!!」
「え…?」
「パパ頑張ってくれたもん!私との生活のために頑張ってくれたもん!パパが頑張ってなかったら私こんなに生きてられなかったもん!」
娘は言い終わってから、泣きだした。目元に涙をあふれさせ、自分の両手で無理やりぬぐった。娘は、自分が死んでしまうことを何となく知っていたらしい。知っていた、ではなく感じていたということなんだろうか。不思議なものだ…。
娘と彼女の言葉は僕の今までの行動を一切否定するものではなかった。僕は何もできていないと思っていた。彼女と一緒にいる時も、義両親に甘えてパン屋を営んでいた時も、彼女が入院しているときも、娘が家で待っているときも、ずっとずっと、僕は何もできん¥ていないと思いこんでいた。そうして思い込むことで、成長し続けたいと思う自分を、家族をおざなりにしてまでそうする自分を正当化していた。彼女たちは僕のことをこんなにいい気持ちで見ていてくれたのに。
―あ…もう、時間がないです。
「そっかあ…パパ…ごめんね。」
「…僕は、これでよかったのかな。」
僕は決して彼女らに聞くべきでないことを口走った。こんなことを聞いたところで絶対肯定されるに決まっている。僕はそれが聞きたかっただけだったのかもしれない。
―良かったんですよ。あなたは…あなたの納得する道を。あなたが今いる道を踏み外さないでください。
「パパ、私はパパが大好きだよ!今のパパが大好き!いつまでもパパでいてね!」
「はは…もう僕は幸せ者だな…。」
涙がすでにこぼれて収まらない。彼女らも泣いてしまっているようだ。彼女らは二人でいるのに僕は一人だ。これから寂しくなるんだろう、肯定されなくなるんだろう。
―じゃあ…そろそろです。
「うん…パパ、…ばいばい。」
「ああ…ばい、ばい…。」
彼女らはそういうと、二人で目を合わせた。どちらからというわけでもなく、彼女と娘は手を取り合い、足を浮かせた。もう霊体にでもなったのだろうか、もう現実味がない。彼女らがいなくなるなんて、僕はこれからどうすればいいんだろう。彼女らがいないという現実を受け入れたくないからか、ひたすらにあやふやな情報を記憶にとどめている。
『あなたなんかいらない!』
母にそういわれたとき、僕は自分を嫌悪し始めたんだと思う。そうして今も、自分を嫌っている自分がいる。彼女らは怒るだろう、自分に自信のない僕を見て彼女らは怒るだろう。でも、どうしていいかわからない。僕は誰のために頑張ればいいのかわからない。今までは誰かのためにと言っていつも頑張ってきた。いざ、何もなくなると、どうしていいのかわからなくなる。こうなるなら、がんばるというよりも、今ある自分に満足して家族といることを選んでおけばよかった。今更遅すぎる。
彼女と娘はもう見えなくなってしまった。娘が立っていた場所にはもう抜け柄となった娘が眠っている。僕はそれのあたまを撫でまわす。今までの分も撫でまわす。僕の流す涙が娘の頬を濡らすが、娘は何も反応しない。
「…。」
僕は手を放し、身を花畑に投げ出した。花弁が舞う、彼女と出会った時のように。今あの時に帰れるなら、今以上にいい結果を得られたのだろうか。もっとよくできたはずの僕の世界、だが今だけは、この世界に感謝し、満足しておこうと思う。
僕らが持っているものはすべて、自分だけで得たものではない。僕らの今があるのは、自分が頑張ったからではない。すべて自分以外の何かがあったからなのだ。自分が自分がと貪欲になりすぎるのではなく、ありとあらゆるものに感謝し、幸せをかみしめて今を生きることが、大事なことなのだろう。
僕は静かに、目を閉じた。もう二度と開きたくはない。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!




