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他人の村

作者: ようすけ

他人の村



長い船旅であった。


小野寺は額の汗をワイシャツの袖口で拭きながら目の前の小さな島をただ見つめていた。彼は船に乗るのが久しぶりで、若干の船酔いに苦しんで、先ほど体調がよくなりはじめた頃だったのだ。それまでこの小さなボートの船室の簡易ベッドに横になっていた。

「船頭さん、あとどれくらいで着きますかね?」

小野寺は口を右手で覆いながらゆらゆらと船の操縦席まで来た。

「うーん、あと十分もすれば桟橋に着きますよ。あとちょっとの辛抱ですよ。はははっ。」

船頭は六十、七十にいったくらいか、日に焼けていて白髪頭、本土とこの島を定期的に巡回している。

「ははは、どうも、船は慣れていないもんで、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」

小野寺は苦笑いをしながら、操縦席の横のイスに腰掛けた。

「まあ、若い方がこんなへんぴな島まで来るってのが珍しいことですよ。親戚かどなたかいるんですか?」

「いや、ちょっと、友達がこの島にね、来てるっていうんで、遊びに行こうと、思いまして…」

小野寺は口ごもったが、どうにか答えた。小野寺には先ほどからボートのエンジン音がけたたましくなるのが気に障っていた。

「あのお嬢さんも、お友達で?」

船頭はさっきから、もうひとつ屋にある船室のベッドで寝ている女性を見て言った。

「ええ、まあね。」

小野寺はその女性の方を覗く素振りを見せると、はぐらかすようにそう言った。



――小野寺は大学の非常勤講師をしている。専門分野は文化人類学的で、関連の授業を週に四時限持っている。

ある日、授業が終わると学生が紙を一枚持って教壇までやってきた。

「あの、小野寺先生。四年の酒井といいます。」

その青年は目鼻立ちがしっかりして色黒く、活発な風体をしていた。

「きみは確か、テニス部の子だよね、学園祭ではお世話になりました。」

「はい、その節はどうも。実はちょっと先生に見てもらいたいものがあるんですけど、大丈夫ですか…?」

青年は恐る恐る言いながら手に持っていた紙を小野寺に差し出した。小野寺は四つ折りにされた小さな紙を広げると、それは手紙の様であった。

「手紙、かな?」

「はい、多分そうだと思うんです。これは、姉のものなんですけど、悩んでるみたいで、こういうの、誰に相談したらいいか分からなくて、先生だったら何か分かるんじゃないかと思ってご相談したんですけど…」

「お姉さんは何歳なの?」

小野寺は手紙を読み始めながら聞いた。

「二十九になります。」

「ああ、じゃあ僕の一個下なんだね。」

何気ない会話をした後、小野寺は手紙を読んでいった。

手紙にはこう書かれていた。

『お久しぶりです。恵子様。この島は通信機器が使えないので、手紙で失礼します。前にも話した事があるかもしれませんが、僕の住む島は少し変わっていて、島民の全てが、隠れキリシタンの末裔なのです。僕が東京に出てきたのは、出稼ぎのようなもので、短期間の予定でした。

そんな時に君と会い、仲良くさせてもらったのだけれども、僕が島に帰り、東京に戻りたいと言ったら、家族からそれは駄目だと言われました。恵子さん、どうか許して下さい。また、会える日が来るかどうかは分かりません。さようなら。 毛島 巌 』



小野寺はしばらく考えていたが、やがて話し出した。

「君のお姉さん、恵子さんとこの毛島巌って人は恋人同士だったんだね。」

「はい、そうみたいですね、僕も何度か見た事あります。去年の夏、ちょうど一年前ですね。」

「東京で短期間の仕事をして、島に帰ったら、家族から東京に戻る事を反対されて、恵子さんに会えない。しかも、毛島氏の住むところは宗教上の理由で面倒くさいことが色々ある…」

小野寺は顔をしかめた。

「あのー、小野寺先生。」

と酒井が言った。

「なに?」

「先生の授業で、隠れキリシタンの事は何度か学びました。中には閉鎖的な所もあるとか。でも、現代でもそんな事ってあるんですかね?僕、いまいち理解出来なくて、この男の言い訳なんじゃないかって、思うんです。もう三十も過ぎてるいい大人なんだし。」

酒井は幾分腹立たしいというような調子で小野寺に言った。

「うーん、現代でそういう部落のような所はほとんどないと思うけど、ほら、世代も変わってきているしね。ただ、隠れキリシタンといっても色々あるし、それが本来のキリスト教からだいぶ違うものになって、もう全然違う別の宗教になってしまっているものもあるんだ。そういうものが、現代でも細やかながら残っている所もあるかもしれない。」

小野寺は内心、この件について興味深々だった。

「なるほど。」

酒井も少し考えて無言を続けた。

「もし、もしもだよ、差し支えなかったら、この件、僕の研究材料にしても構わないかな?ほら、君のお姉さんの問題も、同時に解決出来たら一石二鳥だし。」

小野寺は失礼ではないかなと思ったが、乗り掛かった船だし、自分の希望を酒井に話してみた。

「え?本当ですか?!」

小野寺の言葉を聞いて酒井は笑って言った。

「はは。本当だとも。僕にとっても、いい研究材料だし、もしそれが本当なら興味があるしね。お姉さんも気になってる事だし。」

案外話に乗ってくれたので小野寺は少し驚いたが、需要と供給があったことは嬉しい限りである。

それから小野寺と酒井は何度か休み時間に相談をし、姉の恵子とも三人で近くの喫茶店で話をするようになった。当初は酒井恵子自身が毛島巌に会いに行くのは気が引けていたのだが、毛島に合わなくてもいい。むしろ、毛島が手紙で語ったような場所が本当に存在するのかどうがが気になりはじめた。それは、ある意味毛島と決別する意思も恵子自身にあったのだろう。

八月十日の金曜日、小野寺と酒井恵子は二人でその島に乗り込むことを決定した。



―――――――――――――――



「もう着きますよ。お嬢さん起こしたほうがいいんじゃないですか。」

船頭は優しく小野寺に言った。

「ああ、そうですね。ありがとうございます。」

小野寺はそう言って奥のベッドまでゆらゆら揺られながら向かった。

「酒井さん、酒井さん、大丈夫ですか?もう着きますよ。」

小野寺が寝ている女性の肩を少し揺すると、女性は少しずつ目を開いた。

「あ、どうも申し訳ありませんでした。ちょっと酔ってしまったみたいで。」

「大丈夫ですか?」

小野寺は心配そうに恵子に言った。

「ふふ、もう大丈夫です。少し寝たら元気になりました。」

恵子は上体を起こした。

「さ、どうぞ。」

と言い、小野寺は手を恵子に差し出した。

「ありがとうございます。」

恵子は小野寺の手をとると、よたよたと外へ向かった。

「ああっ、いい景色ね。」

快晴の海、目の前には先ほどは小さく見えていた島が目の前に広がっていた。

小野寺は、恵子を初めて喫茶店で見たとき、弟と正反対で色白く、か細く、目の大きな可愛い女性だと思った。その時の毛島に対する思いが伝わったのか、小野寺はひどく彼女が哀れに思えた。何とかして協力してあげたいという気持ちになったのだ。そして、一緒に計画を立てるうちに、はきはきとした芯の強い女性なのだと思うようになってきた。行ったこともない孤島に女性を連れて行くのは初めは心配だったが、やがてその気持ちは無くなっていった。




「さ、着きましたよ。いま桟橋に付けるからね。」

船頭はエンジンを止めてロープを取り出し、桟橋の柱に結び、ボートを寄せた。

「ありがとうございました。さ、酒井さん、降りようか。」

小野寺と恵子はボートを降りた。

「じゃあ、私はこれで本土に帰るよ。明日の朝十時、荷物を運びにまた来る、その次来るのはまた朝の十時。いいね?」

「わかりました。それじゃお世話になりました。ありがとうございました。」

「うん、それから、ここでは電話は使えないからね。私が唯一の連絡役さ、警察も隣の島。まあ、そんなに長居するところじゃないけど、みんないい人たちばかりだから安心して。民宿は私が前もって伝えておいたから、この桟橋を渡ってまっすぐ行くと砂利道に出るから、そしたら左に行くと小さな案内所があるよ。そこで聞くといい。じゃあね。」

「どうもありがとうございます。」

船頭は要件を言ったあとすぐにボートを出して行ってしまった。

二人はしばらく海の向こうに小さくなるボートを見つめていた。手提げの旅行カバンを桟橋に置くと、二人とも、ああ、本当に自分たちだけになってしまったな、と思っていたのだ。やがて顔をあわせると、船頭の言ったように砂利道の方へ歩いていった。

「五島列島は、はじめてだ。」

小野寺が歩きながらポツリと呟いた。

二人が今いるのは長崎の五島列島に属する「今戸島(いまどしま)」という島だ。属するといっても地図にも載らない小さな島で、観光化もされていない。普通なら誰にも気づかれない島なのだ。

五島列島は長崎港から西に約百キロに位置しており、北東側から南西側におよそ八十キロまで、百四十近いの島々が連なっている。無論、全ての島が長崎県である。


江戸時代に徳川家康が禁教令をひいてからキリスト教弾圧が始まり、多くのキリシタンが身を潜めていった。五島列島にはごく小規模な組織で密かに信仰を続けていった集落がいつくも存在したが、時代の流れとともにその数は減少し、現在ではほとんとその組織は解散してしまったが、未だにその形態をとどめている所も確かに存在する。

それはキリスト教と言っていいのか、別の宗教と言うべきなのか、ここでは断言できない。

小野寺は、もともとは純粋なキリスト教だった者たちがかつて虐げられ、そのような狭い集落で身を殺して独自の道を歩んできた歴史を考えながらこの島の風景を見ると、とても悲しい、重たい気持ちになった。

「でも本当、うっそうとしている所ですね、村なんか無いみたい…。」

恵子が辺りを見回しながら不安そうに小野寺に話しかけた。

「確かに。ここだけの話、僕もちょっと不安なんだ。ふふふ。」

小野寺が冗談まじりに言うと恵子は笑った。やがて小さい一軒の土産物屋が見えた。中は暗く、上には錆びた看板で白い字で山本商店と書かれていた。

「これ、案内所?」

恵子は苦笑いを浮かべて言った。

「だって、周りにはこれ一軒しかないからねえ。」

小野寺はどんどん進んで行き、店の中に入って言った。すると薄暗い奥の方から四十代くらいの小太りの女性が笑顔でやってきた。

「小野寺さんですね、村岡さんから伺ってますよ。」

村岡とは先ほどの船頭の名前である。ここは正式な案内所というわけではないし、商店といっても現在は営業しておらず、この女性はたまに来る訪問者の案内役をしているのだと言う。女性は民宿までの道のりを説明してくれた。聞くと、この島に集落はひとつしかなく、二十人ほどしか住んでいないらしい。民宿もその集落の中にあるのだという。

集落はこの道をずっと進み、山道を抜けるとあった。集落にはひっそりと灯りがともっていた。気づけばもう夕刻を回っていたのだ。

「もうすっかり薄暗くなっちゃったね。」

小野寺は額の汗を腕で拭いた。

「なんだか疲れましたね。今日はご飯食べてお風呂に入って早く寝たいです。ふふふ。」

恵子はあまりにも疲れたのか、笑いが込み上げてきた。

「そうだね、明日から本格的に動き出そう。そして、明後日の十時のボートで帰ろう。」

小野寺もひどく疲れていた。早く民宿に着きたい一心であった。

案内してくれた女性の通りの場所について二人は驚いた。もう疲れていて事態をすぐに把握できなかった。

立ち並ぶ小さな家々のなかに大きなお寺が現れたのである。そして、その寺こそが女性の案内した民宿であった。

 「民宿なのかしら?私にはお寺にしか見えないんだけど・・。」

 「ああ、でも、物事を見た目で判断するのは危険だよ。」

 小野寺は嘘とも本当ともとれないような感じで言った。

 「ふふふ、きっとお寺なんだけど、民宿もやってるのね。広くて良さそうじゃない。」

 恵子はプラス思考で考えようと思った。

 珍しいのはこの寺には山門が無かった。どうやら即席で建てられた様子なのだ。それか、いったん何かを壊して建てられたような、そんな妙な感じが小野寺の心を襲った。

 「何だか変な感じしない?」

 小野寺が恵子に聞いた。

 「はい、この庭、古いけど日本ぽくないし、なんて言ったらいいか分からないけど。」

 小野寺はしばらく考えていた。恐らく、かつてここは教会だったのだろう。それを取り壊し、寺のように改築した。さっきから感じる違和感はその為なのだろう。とにかく、二人は小さな庭を上がり、玄関へ入った。玄関は普通の住居のそれであった。

 「すみません、ごめんください。」

 小野寺は大きな声を出した。するとすぐに奥から六十代くらいのはつらつとした丸坊主の男がやってきた。

 「はいはい、小野寺さんですね、伺ってますよ。今日はもうお部屋に入りますか?」

 男ははきはきとしていた。手元の大学ノートを開くと、手書きで書かれた表が見えた。

 「こちらにお二人の名前を書いて下さい。食事は居間に用意してますので勝手に食べてください。九時には片付けますのでそれまでに食べてくださいね。お風呂は八時には沸きますので、八時過ぎになったら入れます。後で案内しますよ。」

 そう言っててきぱきと説明し始めた。二人は男に連れられて中に入っていった。奥に行くと長い廊下があった。横は障子で仕切られていて、どうやらかなり広い建物らしい。廊下の突き当りは階段で、そこを上がっていった。相当古く、木製の階段はきしきしと音を立てた。階段を上がるとまた小さな廊下があり、障子の間がひとつあった。男は障子を開いた。中は十畳ほどの少し広い畳張りの部屋だった。中央には小さなちゃぶ台があり、端に布団が二組たたんであった。奥には窓があり、窓からは先ほど二人が歩いてきた道が見えた。ここが今夜の寝床のようだ。

 「今日は疲れたね。飯食ったら早く風呂入って酒井さんはもう寝たら?僕はちょっと調べることがあるから、ちょっとだけ起きてるけど。」

 「そうですね、お腹もすいたし、眠いし、ふふ。」

 二人は部屋で荷物の整理をすると先ほど男から教えてもらった通りに階段を下り、降りてすぐ左の障子を開き、これもまた十畳ほどの部屋に入った。ここは板張りで四人掛けのテーブルに手作りの食卓があった。食事を終えると男に挨拶をし、風呂を終えて布団を敷き、寝巻きに着替えて床についた。二人は川の字になって仰向けになっていた。

 「ねえ小野寺さん。」

 恵子がふと小野寺に言った。

 「なんですか。」

 小野寺は自前の懐中電灯で分厚い本を照らしながら答えた。

 「電気、つけましょうか?」

 恵子はくすっと笑いながら言った。読みづらそうにしている姿が滑稽で面白かったのだろう。」

 「はは、いいよ。この方が僕、頭に入るんです。」

 「何を読んでるんですか?」

 「この村の歴史。ここに来る前に本州の郷土館で一冊だけ手に入ったんだ。」

 小野寺は得意げに答えた。

 「なにか、わかりました?」

 「うーん、いまいち。五島列島史の中に、隠れキリシタンの記述があるんだけど、その中にこの今戸島のことが少し載っているんだ。」

 「それで?」

 「ふふ、それを今から調べるんだよ。さ、おやすみ。」

 小野寺は優しい笑顔で恵子に言った。

 「ふふ、そうですね。おやすみなさい。」

 恵子が眠りについた後、小野寺も数分後に眠ってしまった。二人とも相当つかれてしまったのだろう。部屋にはスイッチを切り忘れた懐中電灯の灯りだけが細々と灯っていた。

 しかし、小野寺は中々寝付けなかった。クーラーは一応効いているのだが、妙な汗をかく。誰かの視線のようなものも感じる。小野寺はトイレに行きたいのだと思い、恵子を起こさないようにそっと起き上がり、懐中電灯を持ち、部屋を出た。

その夜は床に戻るとそのまま朝まで起きなかった。


翌朝、二人は夕食をもらった部屋と同じところで朝食を食べた。

 「ねえ酒井さん。」

 食べながら小野寺は恵子に話した。

 「なんですか?」

 「昨日は寝れた?」

 恵子は小野寺の質問にしばらく黙っていた。

 「どうしたのさ。」

 小野寺は笑った。

 「実はね、小野寺さん。」

 恵子は小声で小野寺に話した。

 「あたし、眠れなかったの。小野寺さん、一度部屋出たでしょ?」

 「うん。」

 小野寺は真剣な顔をした。

 「あの時、誰かに見られているような感じがして、早く帰ってこないかなって思ってたんですよ。」

 恵子は泣きそうな表情を作って見せた。

 「ははは、ごめんごめん。トイレに行ってたんだ。実は僕も視線を感じて中々寝付けなかったんだよ。相当疲れてたのに。」

 「あの家主の人、一人なのかしらね。何者かしら。」

 「あの人はお坊さんでしょ。ここは間違いなくお寺だよ。実は昨日トイレに行く途中、この廊下の手前の障子をちょっと覗いてみたら、本堂らしいものがあったよ。」

 「そうだったの。あの、ここはいつ出ますか?」

 小野寺は後方にある掛時計を見た。時刻は八時一五分を指していた。

 「そうだね、九時三十分には出ようか。少し支度をして。ある程度の荷物はここに置かせてもらってさ。」

 「そうですね。そうしましょう。」

 二人は朝食を終えると部屋を出た。小野寺は何か気になることがあるのか恵子を先に二階にやり、廊下に一人になった。昨日見た本堂が気になったのだ。小野寺は奥の障子を開けた。朝だというのに薄暗い。光が差し込まない造りになっているのだろうか。小野寺が部屋の中に入るとやはり本堂であった。想像した通り、一般的な寺の造りとは違っていた。本尊もいかにも簡易的に作られた感じがするし、装飾品も簡素なものだった。

 本堂には誰もいなかった。あの男、家主は洗い場で皿を洗っている。小野寺はあたりを見回すとふと目に留まるものがあった。本尊の脇に木製の小さな棚があった。小野寺はその棚に近づくと小さな観音開きのガラス戸の中に白い陶器製の小さな観音像が置かれていた。この観音像だけ妙に造りが凝っており、完成度が高い。思わず小野寺はガラス戸を開き、ゆっくりとその小さな観音像に触れた

 カチャッっと音がした。それと同時に観音像の顔の部分が割れ落ちた。経年劣化の為弱くなっているところを、小野寺が触れたために壊れてしまったので。小野寺は慌てて落ちた破片を顔の方にやり戻そうとしたが、その部分を見てぎょっとした。


 

 剥がれ落ちた観音像の顔の中に、得体の知れない顔のようなものがあったのだ。

 「えっ?」

 小野寺は思わす声を出してしまった。その容姿はまるで遮光器土偶の目のようであり、能面の輪郭のようでもあり、一瞬見ただけで気分の悪くなるような形相だった。気になったが小野寺は破片を元に戻し、戸を閉め、辺りを見回して誰も見ていないか確認してからそそくさと部屋を出た。

 二階の部屋に戻ってからも小野寺は黙っていた。恵子が何か言っても上の空で返事をしていた。恵子はそんな小野寺に少し違和感を持っていたが、とりあえず二人は民宿を後にした。

 今日やることはひとつである。それは毛島巌の存在を確認することだ。この島に来る前は人を探すという作業は相当骨の折れる作業だと二人は思っていたが、二十人程しか暮らしていない集落ならそう難しくはない。しかもこの周辺の家々を訪ねていけば二十人はすぐに済んでしまう。恵子はただ、毛島巌の存在を確認したかったのだ。




ところが物事はそう簡単に行かなかった。誰に聞いても毛島巌という者は知らないというのである。知らないどころか、毛島という名字の者も存在しないという。恵子と小野寺は途方に暮れてしまった。



 「もう全部の家を回ったよ。確かに、この島であってるはずなんだ。」

 小野寺は額の汗を手で拭った。

 「巌さんが嘘をついていなければね・・・」

 恵子は呆然としている様子だった。今日も夏の日差しが強い。遠くで蝉の声が聞こえる。二人は砂利道に座り込んでしまった。しばらくの間二人はそのままだった。

 小野寺は腕時計を見た。十三時を回っていた。

 「どうしようか、一度寺に戻って相談しようか・・・。」


******


「けしまたかし?さあ、この集落はご覧の通り狭い所で、そんな人がいたらすぐに分かると思うんだけどねぇ。」

 「この村は古くからの奴しかいないし、毛島なんて人はいないよ。残念だけど。」

 皆口々にそう言うのである。二人が十軒の家しかない集落で、どの家も毛島という名字の者はいなかった。


 果たして、毛島巌という人物は本当に存在するのか、この暑さでそんな事まで思うような、何かに突き放されたような感覚になった。


 小野寺はさっきからもうひとつ別の事を考えていた。あの気味の悪い観音像の事である。寺に戻る途中で、小野寺は恵子にその事を言おうか言うまいか悩んでいた。

 「小野寺さん、さっきから何か考えてるみたいだけど、どうしたの?」

 恵子は寺を出る時から思っていた事を口に出した。

 「うん…」

 小野寺はやはり言おうと決心した。

 「さっき寺の本堂で、変な観音像を見たんだ。僕は仏教には詳しくないからそれが変なのか、自分の思い過ごしか自信がなかったんだけど…」

そう言いかけた時、恵子が背後に気配を感じた。後をつけられていると思いさっと振り返った。

「あ、男の子!」


恵子が思わず叫んだ。十歳手前くらいの坊主頭の少年が恵子が振り返った途端後方に逃げ走った。何故かは分からないが、何かの勘が働いたのか、小野寺は走ってその子を追いかけた。

 少年を捕まえるのはそう難しくなかった。

 「はあはあ、はあはあ」

 小野寺に押さえつけられた少年はうずくまり、息を切った。

 「ごめんね、こんな事をするつもりじゃなかったんだけど、許してくれ。」

 小野寺は少年から両手を話した。少年は小野寺の事をうかがいながらゆっくり立ち上がった。短パンからみえる膝には土がついている。

 「ああ、ごめんごめん。」

 小野寺は少年の膝についた土を自分の手ではたいた。

 「大丈夫?」

 恵子が駆けつけた。少年は歯を食いしばっていた。何も語らないという感じだった。

 「なぜ君は、あたし達の後をつけてきたの?何かあたし達に用があったの?」

 恵子は優しく質問したが、少年はうつむいたままだった。小野寺は困ってしまい、立ちあがり、腕を組んだ。

 「ねえ、君、あたし達、人を探しているの。男の人。ここに来るのは初めてなのよ。」

 それを聞いて少年は恵子の方へ顔を上げた。何か話したそうにしていたが、やがて口を開いた。

 「おれも、探してるんだ。お父さん。でも、もう会えないかもしれない…」

 少年は今にも泣き出しそうに震えて言った。

 「一体どういうことだい?」

 小野寺は顔をしかめた。こんな小さな島に尋ね人が二人もいるなんてそうある事ではない。

 「もしかしたら…」

 恵子が小声で言いかけた。

 「いや、早合点はいけない。」

 小野寺が恵子の言葉をさえぎった。恵子は僅かな望みを思ったのだ。この少年が探している人とは、毛島巌なのではないかと。しかし、小野寺はそうは思わなかった。

 「君、名前はなんて言うの?」

 小野寺は少年の目線の高さに腰を下げて言った。

 少年な少し黙っていたがやがて

 「カネダ…ケイスケ」と言った。

 「うん、けいすけ君、君のお父さんは名前はなんて言うの?」

 「……カネダ、コウジ」

 恵子はそれを聞いて、ズボンのポケットからメモ紙を取り出した。先ほど家々を訪ねる時に一軒一軒、表札の苗字をメモしたのだ。

 「カネダ、カネダ、おかしいわね。カネダなんて名前はないわよ。」

 恵子は小野寺の顔を見て言った。

 小野寺達が探している毛島という男もこの島にはいない。この少年が探している父親もこの島にはいない、この少年は何者なのか。

 「けいすけ君はどこから来たの?この島の子じゃないよね?」

 小野寺が少年に聞くと、少年はまたうつむいてしまった。そして、目を痛いくらいに閉じて涙をこぼした。

 「うっ、うっ、ここは、おれの島だっ!父ちゃんと母ちゃんで来て、ここで暮らすって決めたんだっ!ここしか、もう、ここしか俺たちの住む場所は無いんだっ!!」

 少年は何かに対する怒りを押し殺して叫んだ。

 「一体何があったんだい。詳しく僕たちに話してくれないか?力になれる事だったら協力するからさ。」

 小野寺が少年にそう言ったが、少年はその言葉を聞くか聞かないか分からないうちに草林の方へ走って行ってしまった。

 小野寺達は少年の姿を見ながら、また立ちつくしていた。二人はそれでもあの少年の事が気になり、半日ほど島じゅうを探して歩いたが、ついには少年は見当たらなかった。      

夕方になり、二人は仕方なく寺に戻った。


 「いやあ、昨日から思っていたんですがね。」

 二人が夕食を食べていると、家主の男がお茶を持ってきた。

 「こんなへんぴな所に、若い方が何しに来たのかなぁと思ってたんですよね。はは。」

 「はあ、僕たち、人を探しに来たんですけど、どうやらこの島にはいないようでした。」

 「せっかく来てもらったのに残念でしたな。この島は電気も発電機でまかなっているし、電話は通じないし、年寄りばかりだし、本土との唯一の連絡方法は、あなた方がこの島へ来たあのボートだけ。荷物も郵便も患者もみんなあれで運ぶんですよ。変わってるでしょう。」

 男はゆっくりと丁寧に説明してくれた。

 「でもまあ、こういう所は初めてなのでとても面白いです。それにしてもここの島民の方は全然なまりがありませんね。」

「ああ、みんな観光客だと思って気を付けているんですよ。さ、お茶をどうぞ。」

 小野寺は差し出されたお茶を飲んだ。恵子は黙ったままお茶に手をつけなかった。


 風呂を終え、二人は部屋に戻った。

 「小野寺さん、こんな所まできてもらって、結局何も分からないままで、本当に申し訳ありませんでした。」

 恵子は申し訳なさそうに言った。

 「いやいや、僕は大丈夫だよ。いいレポートが書けそうだ。しかし、酒井さんの方は残念だったね。これじゃ手がかり無しだ。」

 



「これを見てもらいたいんだけど。」

小野寺は古びた一冊の本を恵子に見せた。昨日の夜寝床で小野寺が見ていた本だ。

「それは、たしか…」

「この本には僅かながら今戸島の記載がある。ほとんどが転びキリシタンについての事についてなんだけど、ほら、これを見て。」

小野寺はページをめくって指差した。

「1900年頃、の所から見てくれるかな。」

と言った。

「1900年頃、今戸島周辺の島々からの目撃で、今戸島にたくさんの光が降りてくるという記載がその他の書物で確認できる…って。」

恵子はいまいちピンとこないという感じで小野寺の方を見た。

「この本は昨日も言ったように、五島列島の歴史、特に点在する小さな忘れられた島々の歴史についてまとめたものなんだ。そのデータは古文書や伝承、住民達の証言など多岐にわたるんだけど、何故か1900年頃、光が降りてくるという、まるで神様が降臨したかのような記載があるんだ。」

小野寺は少し興奮しながら言った。

「1900年だと日本では明治時代。西洋の文化を取り入れようとしていた頃で、隠れキリシタンなんていう存在は徐々に薄れだして来て…」

そこまで言って小野寺はやめた。恵子がそこまで乗り気ではないことに気づいたからだ。恵子は今、毛島巌がいないという状況を必死で受け入れようとしているに違いない。


小野寺は布団の中で先ほど恵子に話した続きを考えていた。

あの本には今戸島について気になる記載がもうひとつあった。その光の目撃談の数日後、集落は全焼した。原因不明だったらしいが不思議な事に死者は1人も出なかったのだという。今戸島について書かれている事はそれだけで、後は現在に至っているらしい。

この奇妙な出来事はなんなのだろう。今日の少年といい、毛島巌といい、全てがこの島にきて宙ぶらりんのままどこかへ行ってしまったようだ。

それに、あの奇妙な観音像は何か。

あの観音像は他の仏像などの造作物に比べて新しく、精巧に出来ている。とすると、あの観音像こそがこの島民の人達が本当に崇拝する物なのではないか?観音像はフェイクで、観音像の下にいるあの得体の知れない者こそが本当の信仰の対象なのではないか……





十二時半を過ぎた頃、集落の外れの小さな小屋に小野寺達と遭遇したあの少年がいた。小屋は村の資機材庫らしい。引き戸の隙間からその少年は小屋の中を覗いている。辺りは灯りも無いので暗く、小屋の中の照明が薄っすら外に溢れるだけだった。中には誰かがいて話している。少年は耳をそばだてていた。

 「翔太、明日はあの方が彼らを捕まえて、本当の事を喋らせる。彼らは私達の暮らしを脅かしに来た悪魔だ。何が何でもこの島から出してはいけない。」

 「うん。」

 小屋にいるのは集落の住人で、父親と息子らしい。父親は三十代、息子は十歳くらいだろうか。

 「翔太、おまえが大人になる頃、不幸が起きて、もっと大きな敵がこの島にやってくるかもしれない。そんな時は、これを使って脅すんだ。」

 そう言って父親は小屋の奥に風呂敷で覆い隠された物を息子に見せた。風呂敷から出てきた物は息子、翔太くらいの大きさの陶器で出来た大きな円柱だった。それは大きな骨壷の様であった。翔太はまじまじと見た。

「父ちゃん、これなんだ?」

「ここには、神様が眠っている。お前はあのお寺の本当の横に安置されている小さな観音様を見た事があるか?」

「あるよ。」

「あの観音様の下には、私達が本当に信仰している神様がいらっしゃる。私達は昔から隠れて生きてきたから。この鍵をこの上の穴に差し込むと、神様が起きて悪魔を懲らしめてくれるんだ。だけどいいかい、滅多な事では神様を起こしちゃいかん。それは、お前が大人になってから考えろ。いいな。」

父親は円柱の隣の棚から箱を取り出し、小さな鍵を見せ、またしまった。

さっきから覗いていた少年はばれるとまずいと思い、静かに駆けていった。



小野寺はあの少年のこと、それから不気味な観音像のこと等気になることだらけだったが、とりあえず考えるのをやめた。

二人は今日のことで少し興奮していたのか、中々寝付けなかった。何度も起きては寝、起きては寝をくりかえし、やがてうとうとしているうちに朝が来た。

「酒井さん、中々眠れなかったね。」

小野寺は目を擦りながら布団の中で恵子に言った。

 「ええ、あれから色々考えちゃって。」

 恵子も布団の中で薄目を開きながら言った。

 「毛島さんのこと?」

 「巌さんは結局、あたしに嘘をついていたのかな。あたしにこんなところまで来させて。」

 その言葉を聞いて小野寺はぐっと自分の思いを飲み込んだ。小野寺は毛島は何だか嘘をついていないのではないかと思ったのだ。

 二人は朝食を食べる為に一階へ降りた。朝八時を回っていた。

 「あれ?」

 居間に入ると二人は顔を見合わせた。朝食がテーブルに無いのだ。たしか、今日の朝まで食事が出るはずだった。

 「まだ作ってないのかな。」と恵子。

 「いや、ちょっと変だぞ。」

 小野寺は妙な異変を感じた。それは恵子も同じだった。気配が無いのだ。この寺には二人しかいないのではないかと思い、寺じゅうを探し回ったが、案の定あの男はいなかった。

 「おかしいね。ちょっと外に出てみようか。」

 二人は急いで寺の外に出て、家々が並ぶ中心通りへ走った。


 集落の中心地では二十人程ほどが何かを取り囲んでいた。二人は島民たちの方へ向かった。取り囲んでいる人々の隙間から、あの寺の男と、それから昨日の少年と、もうひとり男が見えた。寺の男は仁王立ちし、少年ともうひとりの男をものすごい形相で睨みつけている。昨日までの優しい表情とはまるで違う。少年のそばにいる男は傷だらけで、顔から所々に出血の跡が見える。力があまり出ないのか、地面に四つん這いになっている。少年はその男をかばう様に立っていた。

 とにかく異様な光景であった。雰囲気から島民の全てが少年と傷だらけの男に対して敵意を抱いていることは小野寺にはすぐにわかった。小野寺は少年の事が心配で、恵子の手をとり、取り巻きをかき分けて中心へ入っていった。

 「一体これはどういうわけなんですか?」

 小野寺は寺の男に言った。

 「君達には関係のないことだ。私達だけの問題なんだ。」

 寺の男は小野寺を睨んだ。

 「しかし、この男は怪我をしている。はやく手当をしないと!」

 小野寺がそう言うと周囲の取り巻きはガヤガヤ言い出した。

 「手当なんか必要ない、殺してしまえ!」

  周囲から誰かがそんなことを言った。

 「何を言うの!?」

  恵子はそれを聞いて憤り、辺りを見回した。

 「そいつはスパイだ!俺たちの暮らしを暴きに来たんだ!」

  誰かがまたそんなことを言った。


 小野寺はしばらく考えて寺の男に話した。

 「こうやって僕たちが来たのも何かの縁かもしれません。落ち着いて、何があったか話していただけませんか?」

 小野寺は腰を低くして、男を刺激しないようにした。

 「もういい、もういい、私が、は、話そう。」

 口を開いたのは傷だらけの男だった。

 「やめろ!そうやってお前は全てを話してしまうつもりか!」

 寺の男が傷の男に対して言った。

 「あなたは黙って下さい。」

 小野寺は強い口調で寺の男に言った。小野寺が傷の男に寄り添うと、男は静かに語り出した。


 「私がこの子と、妻をこの島に連れてきたのは一週間ほど前でした。私たちは遠い星から来たのです。私たちの星では大きな戦争があり、貧困で苦しむ者、差別で苦しむ者、多くの不幸な人がうまれました。私たちはその生活に耐えられなくなり、宇宙船で長い長い旅に出ることにしました。十五年の歳月でこの星を見つけました。その間にこの子も産まれました。」

 小野寺はこの男が本当のことを言っているのか、違うのか分からなかったが、真剣に話していることは分かった。

 「私がこの島を選んだのは、この島の人たちがかつて虐げられ、苦しい過去を背負っていることを調べて知っていたからです。そういう人たちなら、きっと私たちの事を理解してくれると思ったのです。ふふ、それが、この島の人たちも大昔に遠くの星から来た異星人だったんです。この人たちは私が異星人だと知ると、部屋に監禁し、拷問し、その為妻は死にました・・・。」

 小野寺は驚いた。そして寺の男の顔を見た。

 「・・・この男の言うことは本当だ。私たちの祖先は二百年前に地球へやってきた。それはこの男と同じ理由で、私たちの星では長い核戦争が続いていたので、この地球へ避難してきたのだ。」

 寺の男も落ち着きを取り戻したのか、口を開いた。

 「私たちの祖先がこの島に来たときは、本当の隠れキリシタンの集落だった。外部との連絡を絶っているこの島は、私たちが暮らすには最適の場所だった。祖先は島民を、持ってきた武器で全員殺してしまい焼き払った。そして自分たちが隠れキリシタンとなってこの島に暮らしだしたのだ。勿論やってはいけないことだ。しかし、私たちが命をつなげるためにはそうするしかなかったのだと思う。私たちはそう言う暗い過去を一生背負って生きなければならなかったのだ。外部の者が来るのはご法度。ましてや私たち以外の異星人がこの島に暮らすなど、あってはならないことなんだ。私たちはこいつらを疑っている。疑いたく はないが、彼らが私たちの生活を脅かすきっかけになるのではないかと思っている。いやそうだ。だから彼らはこの島にいてはいけない。どこまで私たちの事を調べたのか知る必要がある。だから少し乱暴をしてしまったのだ。」

 小野寺はこの男の発言である程度状況が把握できた。

 あの本に記載されている「降りてきた光」は彼らの宇宙船、その後の「全焼」は彼らがもともと暮らしていた隠れキリシタン達を殺して、彼らになりかわる為、ここの島民が長崎弁を話さないのは部外者に対して気を使っているからではなく元々長崎弁を話せないから、通信機器が使わないのは外部との連絡を最小限にする為・・・

 そして今、彼らは、彼らと同じように虐げられて助けを求めてこの地に降りてきた者たちを排除しようとしている。


 「毛島巌さんを知っていますか?」

 恵子は声を震わせながら寺の男に言った。

 「ああ、知っているも何も、私の息子だった。彼は出稼ぎに東京へ出て、あなたと一緒になることを懇願したが、私たちはそれを許さなかった。ここで産まれたものはここで死んでゆく。幸い地球人と違って、血が濃くなっても変換出来る遺伝子が私たちにはあるんだ。」

 「それで、巌さんは今どこにいるんですか?」

 小野寺が男に聞いた。

「・・・その男が殺したんだ!」

 男は物凄い恐ろしい形相で傷だらけの男を指差した。

 「なんですって!?」

 恵子はそれを聞いて膝から崩れた。小野寺は思わず恵子の肩を抱いた。


 「ふふふ」

 沈黙が続いた後、傷だらけの男が笑い出した。そして話し出した。

 「私達を監禁し、拷問したのはあの毛島巌という男だった。妻を殺したのはあいつだ。だからあいつを殺して何が悪い!私は隙をみて息子だけ逃した。ここの島民は昔からそういう野蛮な血筋だったんだ。昔から住んでいる人達を悪びれる様子もなく皆殺しにし、今度は私たちも殺そうとしている。野蛮な奴だ。お前たちは一生心から笑って暮らせる日など来ない!一生じめじめとした場所で生き続けるんだ!」

 傷だらけの男は膝を付きながら怒りに震えていた。

かつて戦争によって虐げられた者たちが安息の地を求めてこの地にやってきたが、その者たちは結局、この地で虐げられてきた者たちを占領し、今度は時を経て、同じ境遇の者たちを排除しようとしている。

 

ズシンという鈍い音がした。男はうつ伏せのまま倒れた。

島民の中の若い男が二十センチ程の石を持ち、背後から傷だらけの男の後頭部を殴ったのだ。男の扇情的な言葉に怒り、衝動的な行動に出てしまったのだ。若い男はその場で座ってしまった。」

それを見ていた島民たちは流石に血の気が引いてしまったのか、みんな呆然としていた。

寺の男も立ち尽くすしかなかった。

「父ちゃん!父ちゃん!」

少年は傷だらけの男の肩を必死でさすったが、息は無かった。小野寺も恵子もその光景をただ見ているしかなかった。何も出来なかったのだ。


「ちくしょう、ちくしょう・・」

少年は両方の拳を強く握りしめ、しばらくすると遠くへ走って行ってしまった。


 小野寺達はとりあえずこの場を離れて頭を整理しようと島の外まで出た。二人は無言のままあの桟橋の近くまで来た。小野寺が腕時計を見ると九時二五分だった。ボートが来るまでまだ時間がある。荷物は寺に置いてきてしまったが戻る気にはなれなかった。



 少年は走り、昨晩親子を覗き見た小屋に来た。重たい引き戸を開けると、奥の「神様」がしまわれている陶器の上の風呂敷を取り、横の鍵を持ち、鍵穴に差し込んだ。すると機械的な信号音が鳴り出し、その「機械」は小刻みに大きな音を立てながら揺れだし、だんだんその音も大きくなった。少年は驚いてその場に倒れこんだ。


 物凄い爆音が聞こえた。小野寺と恵子は爆風により身を丸めた。しばらく爆音と爆風が続いた。何が起きているのか二人には理解できなかった。

 やがて静かになった。辺りを見ると、すぐ近くの木々まで燃えて焦げている。二人は島の中心部を見上げた。

 空に大きな黒い入道雲が立ち上っていた。



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