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とある王女の恋物語・番外編

いつか王子様が

作者: 藍田 恵

「聞いてよぅ、マイリ。リシェンヌったら、やな奴なのよ〜」

「あ〜?」

 涙目で訴えるセルダに、マイリはちらりと一瞥だけくれて再び前を見、歩き続けた。

 女みたいな名前だけど、リシェンヌはこの娘セルダの婚約者だ。

 この国の女性は16歳の成人式を迎えると、その一年以内に正式に婚約を取り交わすか実際に結婚するか、どちらかの選択をしなくてはならない。

 多くの娘が時間的に猶予がある婚約の方を選ぶが、口約束でも「婚約」と決めてしまったからには正式に婚約を取り交わしたと看做され、解消の際には双方の合意が必要とされる。一方的な婚約解消の場合は国王夫妻に謁見して正当な理由を述べ、婚約解消の了解を得なければならない。

 つまりこの国では、婚約には結婚とほぼ同等の重みがある。

 近隣諸国には見られないこの妙な風習は、花嫁争奪に起因する無用な争いを避ける為の、言わば生活の知恵だ。

 娘達は14歳くらいから結婚を意識し始め、将来の約束を交わす。合意の上でなら婚約解消に他者の承認を必要としないから、相手を変えて婚約を繰り返す強者がいないこともない。しかし、そんなことを繰り返している娘も割合あっさりと伴侶を見つけて結婚してしまうのが常だった。

 どの国も圧倒的に女性の数が少ないので、女性は常に丁重に扱われていた。中でもリブシャ王国の女性は美しいことで有名で、国外の男性から結婚の申し込みを受ける娘も少なくない。

 マイリの姉達の中にも他国の男性と結婚した者がいる。しかしやはりそれは少数派であり、大抵の娘はセルダのように幼馴染みと婚約をしていた。

 唯一、権力者の娘だけは例外として16歳を過ぎても独りでいることが認められていた。これは為政に悪影響を及ぼさないようにと設けられた特例だった。

 村長むらおさの末娘であるマイリは、他の娘達に比べて婚約相手どころか結婚に対してすら興味が薄い。そんなことよりも世の中の出来事の方に関心が向かってしまうのは、幼い頃に外の世界を見てしまったからかも知れない。

 その時、マイリは精霊から妙な力を授かった。

 物事を見通し、そして察する能力。

 大した能力ではない、とマイリは思っていた。

 旅の途中で大怪我をしないようにと、子供のうちに大人の智恵をつけられたようなものだと。子供がゆっくりつけていくはずの智恵を人より早く与えられたようなものでしかないと。

 そう思っていたいからこそ、マイリは時折この能力が疎ましい。

「きーて! 聞いてよ、マイリ」

「やめてよね、そんなバカ男の話なんて。私達はサラの里帰りの準備ですごーく忙しいんだから!」

「サラが? 視察のお供か何か?」

「まぁ…そんなようなものよ」

 興味津々に尋ねるセルダに、マイリは曖昧な返事をする。

 サラは村の娘達の憧れの存在だ。

 大国の王子…それも、自国の王女の婚約者でもあった王子を一目で射止めた村娘。

 真実を語り始めると色々面倒臭い説明が必要になってくるので、一応、世間ではそういう話になっている。

「素敵よねぇ。この村から妃殿下が出るなんて。きっと王子様に大切にされているんだろうなぁ」

「まぁ、そうだろうけど…。セルダだって、大切にされているじゃない」

「そんなことないわよ。マイリは何も知らないんだから! だから聞いてよ…」

 墓穴を掘ってしまったことに気付いて、またやってしまった、とマイリは心の中で舌打ちした。

 本当にこの能力が恨めしい。

 知りたくなくとも、分かってしまう。

 リシェンヌはとても無愛想に見えるけれど、セルダをとても大切にしているということも。

 そして今回サラが村に帰って来るのも、単にいつもの夫婦喧嘩が原因だということも。


 どいつもこいつも、まぁ…。

 さんざんセルダに愚痴を聞かされ、やっと解放してもらったマイリは溜息を吐きながら玄関の扉を開けた。

「あら、お帰りなさい、マイリ」

 次姉のセレナが掃除道具を手にしているのを見て、マイリは首を傾げる。

「サラの部屋の掃除なら終わっているわよ?」

「離れの方を掃除するの。マイリ、そろそろサラが帰って来るはずだから、お茶の準備をお願い」

「あっ…うん」

 どうして離れの部屋の掃除が必要なのか聞きそびれたマイリは、それでもセレナの言いつけ通りにお茶の準備に向かった。

「マイリ、帰って来たのね。ちょうど良かった」

 長姉のケイトが食堂に入って来たマイリに笑顔を向ける。

「ジェスの作ったパイが焼き上がる時間だから、様子を見てちょうだい」

「ジェスは?」

「母さんの実家のお手伝いに行っているわ」

「ふうん」

 サラの従者が里帰りの度に増えていくせいで、村の宿だけでは部屋が足りなくなってきているという話は聞いている。たとえ夫婦喧嘩中でも(だからこそ?)クレイがどれだけサラを大切にしているかということが分かる、心温まる話だけれど…。もともと小さい村だから、そこまでの警備は不要なはずだ。そういえば母さんが実家の空いている部屋を提供出来るようにしようかしらと話していた。

 だからセレナは離れの部屋を掃除するのかしら。今回はサラの侍女も連れて来ることになったとか?

 それとなく今回の里帰りの理由()夫婦喧嘩であることを姉達に言ってみると、ケイトは

「まぁいいじゃないの。もともとの馴れ初めは喧嘩から始まったようなものだし」

 と言い、セレナは

「ただ帰ってくる口実が欲しかったんでしょ」

 と言い、ジェスは

「これでエリーも帰ってくればなぁ」

 と言い、最後にみんなで

「エリーが戻って来る気配はないの? マイリ」

 と言ってくる。

 残念ながら、エリーは多忙だ。ここ最近、ハーヴィス王国との国交が盛んになっているし(例の、すっかり元気になったステファン王子の妹姫との交流が主のようだけれど)、王都ではまつりごとについて熱心に学んで、国王陛下の仕事を少しずつだけど手伝い始めている。

 それなのにサラ。こともあろうに一国の妃殿下が夫婦喧嘩(そんな原因)で度々里帰りだなんて。

 クレイも情けないけど、喜んでサラを迎えるここの家族達も家族達だわ。

 せめて私だけでも、サラに苦言を…。

 マイリが思わず握り拳を作ってしまったその時、馬のいななく声が聞こえた。

「サラだわ」

 ええっ? もうっ?

「マイリ、かまどの様子をちゃんと見てくれたの?」

 くるりと振り向いたケイトは、既に誰もいない食堂を見回して大袈裟に溜息を吐いた。

「…まったく。大きくなってもいつまでも変わらないわね。本当にサラのことが大好きなんだから」


「…あれ?」

 今回はどれだけの人数で帰ってくるのだろうと思っていたマイリは、たった二頭の馬しか庭にいないことに驚いた。

 いつもだったら馬車に従者にと、馬と騎士達が庭にひしめいているのに。

 もしかしたら従者達だけ先に宿に行かせたとか。でも、サラにたった一人しか護衛がつかないなんてことは…。

 どう見ても魔女のようなお忍び用の長いマントを纏ったサラは、器用に馬から降りるとマイリににっこり微笑んだ。

「久し振り」

「サラっ!」

 サラに駆け寄ろうとしたマイリは、従者がサラを引き止め、サラのマントを引き取る姿を見てはっとする。

 日に灼けた茶色い髪の長身の青年は、今迄サラの護衛についていたどの騎士でもなかった。

 この人、まさか…。

「んまぁ、デラ! 大きくなって!」

 背後でケイトが叫んで、マイリは心臓が飛び出しそうになるくらい驚く。

「でしょう? すっかり頼もしくなっちゃって。最近やっと、王城からクレイの領地に移って来れたのよ。だから、今回からデラが私の専属の護衛になったの。これでもう、今迄みたいな仰々しい馬車行列を作らなくても済むようになったわ」

 …ということは、本当に二人だけでここに来たんだ。

 マイリを置いてさっさとサラとデラに近付いたケイトは、二人と手を取り合いながら再会を喜んでいる。

「懐かしいわぁ。デラ、あなたいくつになったの?」

「19です」

 サラとケイトの背丈を頭二つ分以上追い越したデラの立ち姿は、出会った頃のクレイと同様にすらりと優雅で、騎士ではなく貴族の子息と称しても通じそうだった。

「初めて会った時は、今のマイリより小さかったのよね。信じられない。ね、マイリ?」

 いきなりサラに話を振られて、マイリははっとする。

「…マイリ?」

 デラと思しき青年がマイリをじっと見た。

 うわっ。目が合ってしまった。

 どうしてそんなにじろじろ見るの? 何か珍しいものでも見るみたいに。

 何か文句ある?

「美人になりましたね」

「へっ?」

 いつの間にか身構えていたマイリは、デラのすっかり女性慣れした態度に唖然とした。


「…と、泣かせた女は数知れず。王都ではかなり有名だったようよ」

 人差し指を拍子を取るようにして振るサラに、ケイトは信じられないという顔をする。

「そんなに女グセ悪いの?」

「あら、でも」

 ケイトのあからさまな表現にセレナは難色を示した。

「そーゆー挨拶・ ・をカン違いするのは」

 ジェスがセレナを引き継ぐ。

「女の悪いクセよねぇ。さがと言うか」

 サラがそう締め括ると、セレナとジェスは満足そうに頷いた。

「難攻不落のデラ、と言われるくらい、女性からの誘惑に乗らないらしいのよ。でも、基本的に女性に優しいし、特にあの外見だから貴族の令嬢達からも凄い人気らしいわ。最初、この呼び名はデラの武勇を賞賛するものだったんだけど、今は女性絡みの意味で使われる方が多いわね」

 誤解をサラに解いてもらったケイトは、安心して微笑む。

「私達と出会った時は、本当に子供だったものね。あんなに逞しくなるなんて驚きだわ」

「今の領地に住むまで知らなかったんだけど、デラはそこの出身なんですって。あの土地の人達は体格に恵まれている人が多いのよ。髪の色は私やエリーみたいな金髪の人の方が多いわね。…ところで、マイリは?」

「そういえばいないわね。また外かしら」

 マイリがお茶に参加していないことに気付いたセレナがふと呟く。

「外?」

「サラの、例のお気に入りの場所よ。あなたがワイルダー公国に嫁いでからというもの、マイリは何かあってもなくても、あの場所に通い詰めているの。この時間は大体、そこにいるわね。でもサラが帰っているのに出掛けるなんて珍しいわ」

 ジェスの説明に、サラは神妙な顔をして考え込んだ。

「どうしたの、サラ?」

「いえ、別に…」

「それで、肝心のデラは何処? お茶の準備が出来ているのに」

 セレナに問われてサラはにっこり笑った。

「この村に来るのは初めてだから、少し散策してくるって。今頃、綿の花(コットンフラワー)の野原に行ってるんじゃないかしら」


 あんな人…知らない。

 淡い緑色の葉と流れる雲を眺めながらマイリは溜息を吐く。

 あれから7年も経っている。子供の頃の話だもの。サラの言う通り、あの時のデラは今の私よりも幼かった。すっかり変わってて当然だ。

 記憶に残っているデラは、生真面目で優しくて…同じ優しい、でも、あんなに甘ったるい顔をするような印象はまるでなくて。

 空から視線を移して、ぼんやりと眼下の綿の花(コットンフラワー)の野原を見たマイリは、ふと誰かがやって来た気配に気付く。

 サラかしら。

 でも、サラは今頃デラと一緒にケイト達とお茶を飲んでいるはず。

 そう考えている間に、人影はマイリの視界に入ってくる。

 マイリは思わず息を止めた。

 デラだ。

 どうしてこんな所に?

 誰かを捜している様子ではないから、サラはやはり家にいるのだろう。デラ一人で、こんな所で何を…。

 デラは暫く綿の花(コットンフラワー)が咲き乱れる景色を眺めていた。その景色の美しさに感動しているようだった。やがてデラは綿の花(コットンフラワー)の上に座り、その感触を手で確かめて、今度はごろりと横になる。

 やだやだ。そんな所で寝ないでよ。

 仰向けになって目を閉じてしまったデラにマイリは心の中で必死で語りかけるが、当然デラに伝わるはずがない。

 マイリは諦めて、仕方無くデラの精悍な寝顔を見つめる。

 …大人の男の人の顔だ。

 初めて会った時のクレイより、年上かぁ。クレイも素敵だったけど、デラも…。

 そこまで考えてマイリははっとする。途端に体がぐらりと傾いで、マイリは慌てて枝にしがみついた。

 その瞬間、ぱきり、とその枝が折れる。

 その音を耳にしたデラの目が開いた。

「あ、あ…きゃあああああッ!」

 次々に手にする枝が全て折れ、マイリは最後に地面からそう離れていない位置にある木の枝に柔らかく受け止められて、綿の花(コットンフラワー)の花の上に放り出された。

「いったぁ〜」

 デラの真上に落ちなくて良かった。

「マイリ。大丈夫ですか?」

 既に飛び起きていたデラが慌ててマイリに駆け寄り、マイリを助け起こす。

「怪我は? どこか痛む所はありませんか?」

綿の花(コットンフラワー)の上だったから、大丈夫よ。でも、痣は出来ちゃうかも」

 心なしか青ざめているデラに掌の擦り傷を見られないよう隠しながら、マイリはうそぶいた。

 デラはほっとした顔をして、それから呆れ顔になる。

「…まったく。やることはサラ王女と同じなんだから」

「サラもお城でこんなことするワケ?」

「いや、7年前のサラ王女にさ。今それだと色々問題が…」

「その時のサラはもう成人していたわよ。まだ私、14よッ」

 立ち上がってドレスに付いた埃と草を払うマイリを眺めていたデラは、急に真顔になってマイリの腕を引いた。

「な…何?」

 急に近くなったデラの顔を、マイリは思わず睨み返す。

「そのことだけど…聞きたいことがあるんだ」

「だから何よ」

「マイリ。君、婚約者フィアンセがいるの?」

「え?」

「だから婚約者フィアンセ

「いるわけないでしょう? まだ私、14なのよ!」

「じゃあ、好きな人は?」

 デラはひどく真面目な顔をしている。

 駄目だ、こりゃ。

「…どーして、そんな事聞くの?」

「あと2年で成人式だろう? この国では成人式までに決まった相手のいない娘は、親が決めた相手とサッサと結婚してしまうってサラ王女が言っていたから」

「それがどうしたのよ」

「君に決まった相手がいないのなら待ってて欲しいと思って」

「待つって…何を?」

「だから、僕が迎えに来るのを」

「…え?」

 随分間の抜けた自分の声が耳に届く。

 今のってもしかして。

 ……。

 プロポーズぅ〜?

「返事は? マイリ」

 にっこり笑うこの笑顔は、再会した時と全く同じ人当たりの良い笑顔。

 この笑顔にほだされる女性は、決して少なくないだろう。

 でも。

 7年ぶりに会っていきなりプロポーズなんて、冗談じゃない!

「あっ、マイリ!」

 デラの手を振り解いて踵を返したマイリは、そのまま無言でずんずんと家路に向かって突き進んだ。

 その背中を見送りながら、デラはふぅ、と溜息を吐く。

「失敗…したかな?」

 その呟きは、春風にさらりと流されて消されてしまった。


 なんて事なんて事なんて…。

「あっ、マイリー!」

 道の途中でセルダとリシェンヌの姿を見つけたマイリは、そのまま進むべきか退くべきか、一瞬迷った。しかし迷ったせいで結局セルダに気付かれてしまった。

「セルダ。とリシェンヌ」

「何してるの? こんな所で」

「そんなことより、もう仲直りしたワケ?」

「まあね」

 照れ笑いするセルダと、照れ臭そうなリシェンヌを見て、マイリは心の底から脱力する。

 サラとクレイの夫婦喧嘩も、実はこんなものなのだろうか。仲良くなる為の喧嘩みたいな感じ。

 そんな面倒くさそうな事に私は関わりたくない。既にどっぷり関わっているような気がしないでもないけど…。

 会話もそこそこに二人と別れたマイリは、今度こそ家に向かう。

「ただいまーっ」

「おかえり、マイリ」

 しかし食堂にいたのは、サラ一人きりだった。

「あれ? みんなは?」

「木苺を採りに行ったわ。デラが好きだったでしょう? 木苺のパイ」

「デラ…」

 またこの名か、とマイリはうんざりする。

「木苺狩りなら、サラが行った方が早いんじゃ…」

「それだとすぐに終わってしまって、面白くないでしょう? 私だけでなく、みんなも久々の再会なんだから。木苺を探すのは単に口実で、積もる話が沢山あるのよ」

 サラにそう言われてマイリははっとする。

 確かに最後に全員が集まったのは、ジェスの結婚式の時だ。ケイトもセレナもジェス同様に結婚してからは、近くとはいえ別々に暮らしているから、こうして全員がサラの里帰りを理由に家に集まるのは貴重な機会でもある。

 …と言っても、全員まだ子供がいないから、あれこれ理由をつけてサラとエリー以外はほぼ毎日実家に顔を出しているんだけれど。今では父さんと母さんと私の三人暮らしだけれど、お陰であまり寂しくない。みんなに子供ができたら、今みたいに一同に集まるのは難しくなるんだろうなぁ…。

 そこでマイリはふと気が付く。

 まさかサラ。本当は本気でクレイと喧嘩なんかしていないんじゃないの?

 クレイもそれを知っていて、こうして頻繁にサラを実家に帰らせてるんじゃ…。

 ちらりとサラを見ると、サラは涼しい顔をしてマイリのお茶を淹れている。

「やっぱり、ジェスの作るパイは最高ねー。今夜は木苺のパイを沢山焼くって張り切っていたわよ」

「あの…サラ? 今回も、クレイと喧嘩して帰って来たの?」

「やあねー、マイリ。今回は違うわ。もっと大切な用事があって来たんだから」

 意味深な顔でマイリにカップを渡したサラは、ジェスの新作の胡桃のパイを切り分けた。

「私ももうひとつ貰っちゃおうっと。マイリも食べるわよね? このパイ、リブシャ王城の晩餐で出たのをジェスが真似して作ってみたんですって。あの晩餐会に出られなかったのは、本当に残念だったわ」

「…まさかパイを食べそびれたからとか?」

「まさか。マイリの初ダンスを見逃したからよ」

「なっ…!」

「私と父さんと母さんだけ見逃したなんて、口惜し過ぎるわ。みんなひどいのよ。私が知らないと思って盛り上がるんだから。…でも、可愛かっただろうなぁ。あの頃のマイリって、本当にデラと仲が良かったわよねぇ」

「こっ…子供の頃の話じゃない!」

「でもマイリ、デラがお別れを言った時に、あなたデラにこう言ったんでしょう? もう少し大きくなったらデラが迎えに来てくれるから、今はお別れだけど大丈夫、って」

 はい、とサラからパイの皿を渡され、マイリは硬直した。

「…え?」

「デラもその話を律儀に覚えてて…って、マイリあなたもしかして覚えてないの?」

「忘れてたわよ、すっかりっっっ!」

 今思い出した。

 すっかり思い出した。

 そうだった。

 慣れない足取りでステップを踏んで、時々デラの足も踏んで、それでもデラは笑いながら私のダンスの相手をしてくれていた。

 そのうち曲調がなんだかもの悲しくなってきて、子供が踊るような雰囲気ではなくなってきたから私達は踊ることをやめて…ふと、デラが「本当にこれでお別れですね、マイリ」なんて言うから。

 その場にいなかったサラがその時の私の言葉を一言一句違わずに言えるということは、デラが今も一言一句違わずに覚えているということだ。

 真面目で優しくて律儀なデラ。

 全然変わっていない。

 変わったのは外見だけ。ただ私が誤解していただけ。

 でも今更、どうしろって言うの?

「あら〜…。じゃあ、デラがっかりしたでしょうねぇ」

「どうしてデラががっかりするのよッ?」

「だって、いくら間接的でもプロポーズでしょう? プロポーズは本来男がするものだし…。でもマイリが14になるまでに何とかしないと間に合わないわよ、って冗談で言ったら、デラ本気にしちゃって遠方の討伐部隊に志願しちゃって…結局、私やエリーやケイト達の結婚式に一度も出席すること無く今日まで至ってしまった訳だけど。ところで、綿の花(コットンフラワー)の野原でデラに会ったんでしょう? デラは何か言ってなかった?」

 ふるふると震えるマイリに、サラは呑気に首を傾げる。

 何か、どころかっ…本当にプロポーズされたわよっ!

「だっ…だけど、こうして人の口からこの言葉を聞かされたら、まるで私がデラからの求婚プロポーズを要求しているみたいだわ。デラは私の予言の力のことを知らないし、ただ優しくて律儀だから仕方無く…そうよ、デラの本当の気持ちは違うのかも知れない」

「それが返事もせずに逃げた理由?」

 背後からの声にマイリは驚いて椅子から立ち上がる。

 そこにはデラが片手に花束を持って立っていた。

 摘まれた野の花はどれもマイリが好きな花だった。

 …こんなに些細なことまで覚えてくれていたなんて。

「デラ…」

 デラはマイリに近付くと、後ろ手に隠していた花冠をマイリの頭に冠らせ、跪く。そして片手に持っていた花束をマイリの目の前に捧げてマイリを見上げた。

「結婚して下さい、マイリ。僕はあの時、あの君の予言・ ・を現実にしようと思ったんだ。…7年前のあの旅でクレイ王子はサラ王女を見つけ、僕は君を見つけた。君が16になったら迎えに来るよ」

 真摯にマイリを見つめる瞳に、あの頃のデラが重なる。

「僕には身寄りがいないし、爵位も何も持っていない。おさの娘を貰うに値する男になる為に、騎士団で功績を上げる事に必死だった。やっと騎士になれて君に堂々と会える、と思ったら君はとっくに14になっているだろう? 本当に焦ったよ。とにかく間に合って良かった。…間に合ったと思ってもいいだろう、マイリ?」

 急に不安そうになったデラの表情を見てマイリは驚く。

 ああ、そうか。

 私が泣いているから。

「マイリ。…返事は?」

 本当に…本気で、デラは私に求婚している。

 マイリはデラから花束を受け取った。

「はい…」

 笑顔で立ち上がったデラにマイリは優しく抱き締められ、頬の涙を大きな手で拭われた。

 この大きな手で花冠を編んでいたと思うと、なんだか滑稽だ。

「花冠の編み方…まだ覚えてたのね」

「あの頃の事は大体覚えているよ。…いや、忘れられなかったんだ」

「私が教えてあげたのに、私より上手だなんて…」

 デラの胸でむくれるマイリにデラは微笑む。

 その様子を見ていたサラも、デラと同じように微笑んでいた。


「占い師ってね、自分自身のことは占えないんですって。だから、マイリの場合もそれに近いんじゃないかしら。危険な事なら話は別なんでしょうけど」

 今回のことを予測出来なかった事をいつまでも訝るマイリに、ケイトはお茶を渡す。

 あれから掌の傷をデラに見つけられて、マイリはデラに両手を包帯でぐるぐるに巻かれてしまった。

 なのでパイ作りには参加出来ない。

 デラが離れの部屋でおさ夫妻と話している間、調理場で手分けをして木苺のパイを作っている姉達を見つめながら、マイリは少し不服そうにお茶を啜る。

「マイリがデラに焼いてあげられれば良かったのにね」

 ジェスが残念そうに、しかしニヤニヤと笑ってマイリに言う。

「これからいくらでも作ってあげられるわよ。まだ正式な婚約まで2年もあるんだから、その間、ジェスからしっかり教わりなさい」

 セレナも同様にニヤニヤ笑う。

「今回はマイリに勘付かれないようにしようと細心の注意を払っていたのに、まさか当の本人がそのことを忘れてたなんて…。デラが少し可哀想だったわ」

「忘れてたんじゃ、いくらマイリが特別な能力を授かっていたって予測しようがないわよね」

「ねー。お陰で今回は助かったけど」

 サラとジェスはきゃっきゃっと笑い合って、ますますマイリの眉間に皺を寄せさせた。

 …全員、今回の件では共謀ぐるだったなんて。知らないのは当の私だけだったなんて、本当に釈然としない。

「それにしても花冠かぁ。やるわね、デラ」

「初めにマイリに逃げられた敗因は、花が無かった事だと気付いたんですって」

「それ以前に、いきなりプロポーズなんかしたら驚かれるって思わなかったのかしら?」

「だって先にマイリからプロポーズしているし。デラは真面目だからマイリから断られるなんて夢にも思わないわよ。この日の為にデラは騎士団で頑張って、異例の早さで騎士になったのよ」

「だから、私からプロポーズはしてないわよっ! 少し先の出来事を話しただけだもんっ!」

「まあまあ、みんな。せっかくのお目出度いことなんだから、からかうのもそのくらいにして。第一、その能力はマイリがまだ子供だったから授かったようなものだし。そのうち必要なくなるものよ」

「…どういうこと?」

 ケイトの言葉にマイリは首を傾げる。

「あなたを守ってくれる人が、これからは迷ったり悩んだりした時に相談に乗ってくれるから、その能力に頼る機会は少なくなるということよ。おめでとう、マイリ」

「…ありがとう」

 照れながらお礼を言うマイリに、姉達は優しく微笑んだ。


成長したマイリとデラのお話です。

連載にしようかどうか迷ったのですが、やはりどうしても一話完結にしたかったので、結構時間をかけてしまいました。


今回仲間外れになってしまったエリーのその後のお話も、いつか投稿しようと思っています。

楽しみにしていて下さいね。


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