紅色花嫁
『君』と永遠を誓う時は、真っ赤な衣装を身につけよう。
それは君が愛した少女の一番好きな色だった。
たっぷりのフリルとレースをあしらって、思いっきりの女の子らしさを主張して。
十代前半相当の見た目から一切大きくなれないから色気なんてモノとは無縁でしかなかったけれど、生きてきた時間の中で一番可愛い自分として、君の隣に並びたかった。
「どうですか?」
不器用すぎる少女が膨大な時間を費やして作ったドレスは所々糸がほつれていたけれど確かに似合っていて、あの時君は優しく笑ったのだ。
あれから幾許かの月日が流れて、元々ぎりぎりのバランスで成り立っていたドレスはすっかり擦り切れていたけれど、鏡に映る赤は霞むどころか尚輝いて見えている。
「どう、ですか……?」
不安げに訪ねる、幼いままの姿に君は無言の肯定を返す。そして少女は柔らかく微笑んで、君の頬をそっと撫でた。
「待たせてしまってごめんなさい」
「待ってくれてありがとう」
君は謝罪が嫌いだったが、言わずにはいられなかったのだろう。打ち消すように感謝を述べて、少女の自己満足は完成する。
「あの時君を置いていったことを、優しい君は恨んではいないのでしょうね」
この場所に戻って来れなかったその理由は、意地であり、今少女がここにいるのも又、ある意味では意地だった。
二人が出会う前、少女は酷く我が儘であった。一人きりで過ごした時間が長過ぎる故に形成された人格が誰にも受け入れられることは無かった。
ただ一人少女を変えた君を除いて。
偶然の積み重ねが二人の道を繋げてしまってから後は、平凡だ。平凡であるからこその幸せがあった。
人並みに情を知り、人並みに恋をして、人並みに妥協して、人並みに生きていく。
模範のような幸福の中、予定調和のように時々すれ違い、和解して、ほんの少し意地悪に我が儘を通して、そのまま人並みに君は死んだ。
あっけなかった。
ぼんやりとぬるま湯に浸かったように日々を送る中で、考えたこともあるわけがなかった。
まあそんなものか、と淡白な感想を抱いた。
それは奇しくも永久を誓う前日で、残されたのは約束だけ。その約束を、少女はどうしても持て余す。
真っ赤なドレスを着たかった。真っ黒な礼服なんて、ごめんだった。
君という情のパーツを欠かしてしまった後はもう、少女の自分本位なくだらない願望しか浮かんでこない。
黒のスカートを翻して、何もかもから背を向けて、ただ一つの形見となった約束に思いを馳せる。君の所有物なんかに、何の価値も興味もなかった。
余り過ぎた時間は考えることにだけ費やされる。何度も日が沈み、空の色が変わっても理解できたのはどうにもならない矛盾点だけだ。
些細なことだ。君さえ生きていれば、後の条件は揃うのに。そんな当たり前の前提条件にだけ届かない。中心が、根幹がひっくり返ってしまったことがどうしようもなく歯痒かった。
そのうち不可逆を可逆に変える手段まで模索し始めるまでがお決まりで、脳が悲鳴を上げるには充分過ぎた。
それでも思考を継続し、やっと少女は諦める。妥協することをもう一度学んだ。
約束を完璧に果たすことが不可能ならば一番近い結末に辿り着けばいいだけで、ひっくり返ったその一つが最重要であるならば——
君の死を基準として全てをそのままひっくり返したら、予定の形のその次に、最も綺麗な形になると気付いた。
裏も表も、同じコインには変わりないのだから。
思い付いた瞬間、少女の表情に雪解けが訪れる。真っ黒だった景色には、自分で見付け出した光が灯り始めていた。
屁理屈すらも突き通せば道理にかなうと信じた。
その結論は理性によって弾き出されたもの。少女の精神は壊れても狂ってもいない。
"君のいない世界になんて価値はない"なんて愚かなことは言わない。ただ土台となる価値観が、根本的に違うだけ。
世界を滅ぼす元凶の動機なんて、所詮そんなものなのだ。
意地っ張りな少女はたった一人で立ち向かう。もう側で支えてくれる君はいない。それでもよかった。一人でも大丈夫だと証明したかった。一人でも夢を叶えられると、叫びたかった。
君はこんなことをしても喜ばないなんてことは当たり前。結局のところ夢なんてものは自己満足なのだから、問題なんて何処にあるというのだろうか。
妥協点にしか届かなかったあたりが一人きりの限界で、少女の器の大きさだ。
それでも、絶対に届かない一番の幸福よりは、自身を騙しながらでも手に入る次点の幸せの方が、ずっといい。
心の底からそう思える、だから全てをひっくり返し終えた少女は君の残滓の前で笑えるのだ。
「……きっと時間も世界も何もかも、有限であるべきだったんです」
数えられないほどの時を経て久方ぶりに持ち主の肌に触れたドレスはもう、原形をとどめていなかった。
どろりと何もかもが溶け出していく。
真っ赤に染まった二人きりの世界の中で、君に遅れて少女は永遠を誓った。
同じように時を重ねられなくなった君を抱き、紅色の衣装は更に赤く赤く染め直されていく。
やっと届く。やっと君に追いつける。夢と約束の続きは、叶えられた。
それだけでもう、息が詰まってしまいそう。喉を詰まらせているのは要領の悪い自身への嫌悪感だと知っていて、それらを全て飲み下す。
ぽろぽろと透明な雫を紅に零しながら、少女は静かに微笑んだ。
それは"終わり"によって完成される、至福の形。
最後に少女より白くなった君が笑ったように見えたのは、紛れも無く嘘である。