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不思議学園 短編集

The Halloween Day

作者: 吾桜紫苑

 その話題を唐突に振られたのは、屋上で昼食を食べている時だった。


「ハロウィン?」

「そう、ハロウィン。明日だろ?」


 オウム返しに聞き返した私に、何を当然なという顔で友人の琴音ことねが頷く。さらりと揺れる黒髪に何とも無しに目を向けつつ、首を傾げた。


「そうだけど。仮にも一応神社の神主務める家の娘に生まれておいて、ハロウィンも何も無いわよ。あれ、キリスト教でしょう?」

「正月には神社に行ってお参りをし、盆には夏祭りに行って盆踊りを踊り、12月にはクリスマス、2月にはバレンタインデーで盛大に大騒ぎする日本人が何を言ってるんだか。今更だろ?」

 にっこり笑って堂々と言ってのけるお寺の跡継ぎに、呆れ気味に肩をすくめる。けれど一部真実を穿ってもいるわけで、ひとまず頷いた。

「それはそうだけど。ハロウィンやイースターは日本では割とマイナでしょ?」


 至極尤もな返しをしたというのに、どうしてか琴音はくすくすと笑い出した。悪戯じみた色を瞳に宿して、私を覗き込んでくる。


「……ねえ咲希さき。まさかというかやっぱりというか、ここ春影高校のハロウィンについてご存じない?」

「? 何かあるの?」


 そういえば今日は、どことなく空気が忙しなかったような、そうでもないような。そう思いつつ聞き返すと、琴音はわざとらしく首を振った。


「咲希、私としては、仮にも入学当時からこの学校に通っていた咲希が、夏休み明けに転入した私よりも学校の情報を得ていないのはいかがなものかと思うんだけど、どうだろう?」

「ただ座っていても誰かしら話しかけてくるカリスマ性をお持ちの吉祥寺琴音さんと違って、私は興味無い事は何も知らないわよ。大体、琴音はあの趣味の悪い生徒会の一員じゃない。情報早いのも当然でしょう?」

 我ながら居直りだと感じる反論を返すと、案の定琴音はまた笑う。

「あの超人気者揃いの生徒会が趣味の悪いとは、また咲希ならではの意見だと思うけどね。事実上生徒会として頭数に入れられている事は百歩譲って無かった事にしても、咲希は弓道部だろ? そういう話、しなかったの?」

「私は正規にも非正規にもあの生徒会のメンバじゃありません。それと、あんまり練習前後にだらだら話さないから、私」

 きっちり反論しつつ質問に答えると、琴音はやれやれと首を振った。

「咲希はもう少し学校の事に興味持とう。自分が暮らすコミュニティだぞ」


 呆れ気味の口調でそう言って、琴音が『春影しゅんえい高校のハロウィン』について説明してくれる。


「この高校では、ハロウィンの日は全員お菓子を持ってくるんだって。で、仲の良い子とか仲良くしたい子とかとお菓子を交換する。その時必ず、互いに『Trick or Treat』と言ってね」


 早くも自分の持っている知識とどうしようもなく不整合が出て、小さく手を上げる。


「私の記憶では、ハロウィンの『Trick or Treat』は『お菓子をくれなければ悪戯するぞ』という意味で、ハロウィンイベントというものは、子供が仮装してお菓子を寄越せと家を回るものであって、お菓子を交換するというものではないのだけれど」

「うん、まあ、『クリスマスは恋人と過ごすもの』『バレンタインはチョコを女の子から男の子にあげるもの』にしてしまった以上、今更じゃない?」


 さらりと言ってのける琴音に呆れたけれど、どこか納得してしまった。


「全員仮装とか言い出しそうなのに。ほら、ここは春影高校なのだし」

「うん、そうだとしても春影高校だから不思議はないけど。というか、有志で仮装してくる人も少なくないらしいけど」

「……制服って何かしら」


 仮装で街中突っ切ってここまでやってくる高校生に感心すべきか、制服規定を思い切り破っている彼等をスルーする先生達に呆れるべきか。どちらにせよ、そんな奇妙な状況を異様と思えないのだ、この高校は。

 『春影高校だから』というのは、魔法の説得力を持つと思う。


「まあ実際の所は、『確実にお返しを貰える、男女平等なバレンタイン』というのが1番近いんじゃないかな。どちらから渡しても良いらしいし」

 琴音の説明に、成程と頷く。けれどそこで大層気になる事を思い出して、小さく首を傾げた。

「それ、相当数用意しなきゃならない人が何人か思い浮かぶんだけど。足りなくなったらどうするの?」

「一応、断る権利もあるらしいよ。でも、誰に渡すか想定して、それよりちょっと余分に作るものだろうから、丁度良いんじゃない? まあ、『余分』の割合は人次第だろうけどね」


 琴音の言葉に、同じ顔——中身を盛大に裏切る無駄に整った顔したイケメン共を思い浮かべつつ、互いに苦笑を零した。そこでふと気付いて、訊く。


「……あれ? というか、琴音。さっきの言い方からして、まさか手作り前提なの?」


 琴音はさっき、余分に『作る』と言った。大抵の人が普通は買うだろうにわざわざそう言うのはもしや、と思った私の予想は当たった。


「そう。男女全員、必ず作ってくるんだって。だから今日はみんな、帰ってからお菓子焼く筈だよ」

「買うの駄目なんだ……面倒臭いわね」

 今日の放課後に余計な予定が入ってしまった。そんな思いで溜息混じりに漏らすと、琴音がチェシャ猫のような笑みを浮かべる。

「咲希も大概外見を裏切るよね。面倒臭がる和風美人って視界の暴力だよ」

「咲希『も』、とは何かしら?」

 聞き捨てならないと問い詰めると、琴音はハンサムに笑って両手を挙げた。

「冗談冗談。ま、作るのは一応、『家庭科の実習』という名目にする為みたいね。今は文科省やら保護者やら煩いものが多いし、建前は大事だろ」

「ふうん。男の子は母親に作ってもらってる気がするけどね。いきなり作れと言われても無理でしょ」


 そう適当な相槌を打った所で、琴音がこの話題を持ち込んだ理由を悟る。


「……琴音、まさか」

「……昨日まで何度も試したんだけど、こうに『食べ物じゃない』って言われる代物しか作れなくて……」


 しゅん、と肩を落とす友人は可愛いけれども、それはそれでどうかと思う。ハンサムレディーで何でも出来る琴音の唯一の欠点が料理音痴である事は知っていたけれど、ここまで酷かっただろうか。


「料理は大分作れるようになってたでしょうに」

「料理はね、たまに宏に料理当番任してもらえるくらいにはなった。けどお菓子は別。あれは魔法だと思う」

「いや簡単だって。哉也ゆうやも作れるわよ、確か」


 さらりと哉也の——高校でも戸籍上でも赤の他人だけど何の因果か血だけはきっちり繋がっている兄の——名前を出すと、琴音が拝むように手を合わせた。


「お願い咲希! 今日の夜の時間頂戴!」

「……珍しく屋上でお昼食べたいと言ったのも、その為って訳ね」


 琴音は料理音痴を隠している。プライドの高さがカミングアウトを許さないのもあるだろうけれど、同時に、『好きな人に女の子としての欠点を知られたくない』という乙女心でもある。

 未だに納得出来ないのだけど、琴音はあの唯我独尊、傍若無人、傲岸不遜を地で行く傲慢男に恋をしている。快活な性格に見せかけるべく10枚くらい被っている猫の皮を剥いだあの中身を知ってて尚……というかだからこそ好きだという琴音は、このイベントを逃すつもりはないらしい。


「いいけど……その様子だと、人数分作るのはきつくない? 哉也の分だけならともかく」

「他の人の分は宏に任せたから大丈夫!」

「…………」


 琴音の従兄にして現在『近いから』という理由で琴音が一つ屋根の下で暮らしている、私達の1つ上の先輩である所の『宏』こと空瀬うつせ宏毅こうき先輩を思い出す。

 常に冷静沈着な鉄面皮、哉也に噛み付かれても射殺すような眼光で睨まれても——そういえば、何故哉也は空瀬先輩相手には化けの皮を放棄しているんだろうか——平然とマイペースを貫く、ある意味哉也の鏡合わせのような性格である先輩は、どうにも琴音には頭が上がらない、というか振り回されている。今回もどうやら、自分の分に加えて琴音の分までお菓子作りに励む事になったらしい。お気の毒に。


 というよりも空瀬先輩、お菓子作れるのか。いや、琴音じゃあるまいし、料理出来るなら、レシピさえ見れば作れるだろうけど。


 ……あの無表情面でエプロン付けてお菓子を黙々と作って……やめよう。


 危うく何か色々と考えない方が良さそうな光景が浮かびそうになるのを慌てて打ち消す。哉也よりお菓子作りが似合わないとは、なんというか。


「取り敢えず、空瀬先輩には手を合わせておく」

「良いの、宏だから」


 ぽん、と2年生の教室がある方向に手を合わせる私と、手をひらひらと振りながらあっさりと言い切る琴音。何とも不思議な光景になってしまった。


「はあ……分かった。じゃあ空瀬先輩の邪魔してはなんだし、私の家で作りましょうか。稽古は体調不良という事で休んで」


 毎朝毎晩行われる武術の稽古。お祖母様の趣味だけど、趣味であるが故に物凄くきつい。口実作って休めるなら好都合だ、琴音には感謝しておこう。


 ……次の稽古の時に休んだ分までしごかれるのは、考えない事にする。


「ありがとう。持つべきものは良き友だね」


 そうにっこりと笑う琴音はとてもハンサムで、その言葉は混じりけない本心で。


「それはどーも」


 どうにもむず痒くて、肩をすくめてはぐらかした。




***





 翌朝。

 いつもはランニングで必死で駆け抜ける道をのんびりと歩く。身に付けているのはいつものジャージではなく、制服。手には鞄と、大きめの紙袋。

 そして、いつも前方から遅いだの体力無しだのと憎まれ口を叩いてくる哉也も、隣を歩いていたりする。


「それにしても、雪音ゆきねさん達が春影高校のハロウィンを知ってるとは思わなかったな」

 なんと無しに独りごちた言葉に、哉也はどうでも良さそうに返してきた。

「噂だろう。仮装する人間がいるせいで目立っているからな。お前程情報に疎い人間はそういない」

「だって興味無いもの」

「咲希が興味あるものなんてあるのか?」


 せせら笑いと共に返されて、むっとする。咄嗟に言い返そうとして……確かに1つを除いてないなと納得する羽目になってしまった。ちょっと悔しい。


かけるは寺に直行?」

「そう聞いた。咲希があんな遅くに連絡してくるから、予定を調整する暇なんかなかったんだよ」

「……それは後で雪音さんか龍也りゅうやさんに言ってよ。雪音さんからのメール自体が夜だったんだから、仕方ないでしょ」


 どこからか噂を聞きつけたらしい雪音さんが、『私達も春影高校のハロウィンをやってみたいのです。朝の稽古の時間にでもいかがですか?』というメールを私に送ってきた。それで慌てて哉也と翔にメールを送って、人数分のお菓子を追加準備してもらったのだ。


「あのアホ騒ぎ……本当に面倒だな。何でいちいち100人以上分の菓子を用意しなきゃならないんだよ」

「普通はそこまで沢山必要ないわよ。哉也と翔くらいでしょ」


 生徒会長の翔と、その補佐——そういえば副会長なのかただのパシリなのか知らないな——である哉也。無駄に背が高くて無駄に顔が整っていて無駄に猫被るのが上手く好印象な青少年を演じているせいで、この2人は学校中の人気者なのだ。中身知ったら全員逃げていくと思うけど。


「手前勝手な行事に振り回される身にもなれというんだ。バレンタインも色々面倒だが、これはこっちも用意しなきゃならないから更に面倒なんだよ」

「……手前勝手とか、哉也が言う?」


 そもそも哉也が面倒がっているのは、100単位のお菓子作りと、この機にお近づきになりたい女の子達をあしらう事。中には本気でお菓子作って想いを告げようって子もいるだろうに、面倒の一言とはどうかと思う。


「確かに、哉也が1番勝手だよね」

「その勝手な俺をこき使っているのは誰だ、生徒会長」


 不意に横から聞こえてきた声に、けれど哉也は一切動じずに混ぜ返した。私もこの人が不意打ちを狙ってくるのは今更になっているから、平然と目を向ける。


「おはよう、翔。お菓子ちゃんと作ったの?」

「おはよう、咲希。勿論だよ、俺も哉也も2年目だから慣れてるのさ」

 にこりと胡散臭い笑顔を浮かべて翔が頷いた。その言葉の中身に、軽く顔を顰めてみせる。

「沢山の子に言い寄られてるのに慣れてるって事? 流石ね」

「そりゃあまあ、俺達人気あるし、その人気使って会長になったようなものだし?」

「……館長も気の毒に」


 こんな腹黒男にぐるんぐるんに振り回されている館長先生は、本当に気の毒だと思う。しかも哉也も協力しているし。こんな高校生タッグを相手にするのは、胃に優しくないだろうな。


「咲希の協力もあって、ここ最近は問題の解決も捗るしね。感謝してるよ?」

 胡散臭さ3割増しの笑顔でのたまい——私は翔に協力したいと思った事はない、いつも協力させられているだけだ——、翔は一足先にと目的地であるお寺に足を踏み入れた。私達もその後に続く。


 朝の稽古でいつもお世話になっている、滝雲寺そううんじ。観光名所ではなく、純粋な修行僧の為の場所。

 ……だけどどこか胡散臭い総代のせいか、女人禁制はちょっと緩い。何せ、私と雪音さんがいつも出入りしている。


 慣れた道をさくさくと進み、向かうのは奥にある道場。中に入れば既に、雪音さんと龍也さん、総代である苑雷えんらい和尚が待っていた。


「おはようございます、和尚。遅くなってしまってすみません」

 いつものサワヤカ笑顔のまま、翔が丁寧に挨拶をする。礼儀だから、私と哉也もきっちりと後に続いた。

「ああ、おはよう3人とも。制服姿も似合うね」

 にっこり笑顔がどうにも胡散臭い和尚。その後ろから龍也さんと雪音さんが顔を出して、破顔した。

「おはようございます。春影高校の制服は、本当に色が綺麗ですね」

「確かに。俺達は古風だからな、尚更だ」


 詰め襟と紺のセーラー服姿の龍也さんと雪音さんは、思っていた以上に違和感があった。いつも道着やジャージだからだろう。


「綺麗と言うよりも、派手だけどね。これ着て出歩くのはちょっと気になるよ?」

「翔が目立つ事を気にするタマか」


 鼻を鳴らす哉也に、龍也さんが苦笑する。哉也がここで化けの皮を剥がれてからまだそんなに経っていないけれど、もう慣れたみたい。流石だ。


「咲希もよく似合っているわね。素敵よね、そのスカート」

「馬子にも衣装です。シンプルなセーラーをそこまで見事に着こなしている雪音さんの方が素敵ですよ」


 春影高校の制服もセーラーなんだけど、何とスカートが明るい緑色だ。コーラルグリーン、とでも言うのだろうか。テレビで見たグアムの海の色に似ている。上は白で、ラインとスカーフがほんの少し紫がかった青。不思議と調和が取れていて、素敵な制服だ。

 男子はブレザだけど、ズボンの色はやっぱりコーラルグリーン。上着は紺で、女子と同じ青色のネクタイ。左胸のエンブレムが良いアクセントとなっている。


 この制服は、誰が着ても様になる。だからこそ他校の憧れの的なんだけど、ごく普通のセーラー服をここまで可憐に着こなす雪音さんは、流石としか言いようが無い。

 優雅や可憐、という表現がぴったり来る、本当に綺麗な少女。すらりとたおやかな肢体にセーラーを身に纏うその姿は、シンプルな制服故に際だって見えた。


 その本人はといえば、何故か苦笑している。


「……咲希、そういう事をここ以外で言わない方が良いわよ?」

「え? 雪音さんが素敵だというのは、全員の意見が一致すると思うのですが。そうですよね、龍也さん?」

 シスコン兄の答えは決まりきっているけどと目を向けると、龍也さんも苦笑していた。

「ああ、雪音はとても綺麗だよ。けど、まあ……馬子にも衣装はないと思う」

「……はあ」


 一応兄と並んでも見劣りしない程度の外見とはいえ、雪音と比べれば文句無しの「馬子」だと思うのだけど。


 曖昧に頷いた所で、翔が会話に加わる。

「さて、そろそろ始める? あんまりのんびりしてると、学校に間に合わなくなっちゃうし」


 確かに、と顔を見合わせた。ここでのんびりしていたからって遅刻したら、笑えない。


「みんなのお菓子、楽しみだねえ」

 ほくほく顔でいう和尚の言葉に苦笑しつつ、円になって腰を下ろす。めいめいが手に持った袋からお菓子を取り出した。


「咲希はクッキーね」

「ええ、オーソドックスに。一応カボチャ味にはしましたが」

「芸がないだけだろ」

 鼻で笑われて、じゃああんたは何を作ったんだと見てみれば、ブラウニー。

「大きく作って切り分ければ良いだけのものじゃない」

 芸も何もあったものじゃないと反論すると、哉也はまた鼻で笑う。

「俺がほとんど関わりの無い学校の女子共なんかの為に、そこまで時間や労力を割く訳がないだろう」

「その台詞は、ちょっと学校では聞かせられないねえ。同感だけど」

 苦笑しながら、翔もお菓子を取り出した。こちらはレモンケーキ。似合わない。

「作り慣れた感じがするなあ。去年の経験か? 俺、何となく出しづらいな」

 そう言いながら龍也さんが出したのは、マフィン。ちょっと不格好だけど、十分上手に焼けている。

「初めてなら十分だと思いますよ? 器用ですね、龍也さん」

「そう言ってもらえると助かるよ」


 けれど、ほっとしたように笑う龍也さんを尻目に、雪音さんがバスケットからオペラを出したのにはびっくりした。


「雪音さん、流石だなあ」

 びっくりしたのは翔も哉也も同じだ。翔が言う横で、哉也も頷いている。

「ありがとうございます。けれど私は、3人と違って量を作る必要は無いですから。凝ったものを作っても手間ではないのです」


 謙遜しつつにっこりと笑って、雪音さんがそれを切り分けた。全員のお菓子が行き渡った所で、これまた雪音さんが用意してくれた紅茶を配って、お茶会開始。



『Trick or Treat!』



 誰ともなしにそう言って、苦笑を交わして食べ始める。


 用意されたお菓子は、どれも美味しかった。秀逸なのはやっぱり雪音のだったけれど、初めて作ったという龍也さんのも、十分美味しいと言えるレベルだ。

「みんな美味しいものを作るねえ。僕は幸せ者だよ。椿が聞いたら悔しがるだろうねえ」


 椿——お祖母様の名前に、苦笑する。確かに、これはちょっと聞かせられない。お祖母様は甘いもの好きだ。ばれたら稽古が恐ろしい事になる気がする。


「内緒にしておかないとね」

「だな」

 哉也と2人頷き合うと、周りが苦笑した。


「哉也達の所のお祖母さん、本当に厳しいよな。俺の祖父もあれだけど」

 そう言う翔に肩をすくめて見せて、哉也と合わせて聞いてみる。


「2人は、所謂『本命』みたいなの、あるの?」


 バレンタインみたいに、春影高校のハロウィンにも『本命』はあるらしい。この人気者2人にも自分から渡したい異性がいるのかと訊いてみれば、2人は呆れ顔になった。


「あるわけねえだろ」

「だねえ」

「……そう」


 こっちは『本命』の為に、夜更けまで琴音に付き合ってお菓子作りに励んでいた訳で——本当に琴音は下手だったし、失敗しまくりだった——、哉也は鈍いだけで悪気はないと分かっていても、ちょっとむっとする。


(ふっ、いいわよ哉也、せいぜい本命をもらって慌てなさい。少しは琴音の気持ちに答えろ、エセ鈍感が)


 互いに非常に分かりづらいテンポで歩み寄っている2人は、外から見るとどうももどかしい。さっさとくっつけばいいのに、と思うけど、どうにも哉也が煮え切らないのだから情けない。

 あれこれ考えてはいるみたいだけど、どうせ諦めきれないのだから付き合ってしまえと。


「そう言う咲希は、どうなの?」

「はい?」


 哉也に念を送っていると、雪音さんに何事か訊かれた。何の事だと首を傾げると、雪音さんは物凄く良い笑顔になる。

(え、何事?)

「咲希には本命はいないの? そんな事を2人に訊くくらいだから、咲希にはいるのかしらと思ったのだけれど」

「いえ全く」


 脊髄反射のように即答してしまった。けれど、これは仕方ないと思う。


 人気者である哉也達と違って、私は目立たず騒がず大人しく本を読んでいるだけの生徒だから、男子から声をかけられた事なんて数える程しかない。それも、ほとんどが事務的なものか、クラスメイトとして弾きものにするわけにはいかないという配慮。こちらから声をかける事もないから、いつまで経っても関わりが出来ないのだ。欲しいとも思っていないけれども。

 大体、無駄に外見詐欺共と幼馴染みだったり兄妹だったりするせいで、男子に夢を見る事が全く出来ない。見た目が良い程警戒対象になっている。


 だからこその至極真っ当な返事だったのだけど、雪音さんは心底納得いかないという様子で首を傾げていた。


「え? そうなの? だって……」

「? ……何か妙な噂でも立ちました?」


 噂がもたらすとんでもない誤解については既に経験済みだ。伝言ゲームの酷い版というか、尾ひれ胸ひれ背びれが盛大に付くのはお決まり。否定したって無駄だから、スルーするに越したことは無い。そういう事で噂には一切アンテナを張っていないのだけど、学校の違う雪音さんに届くような噂が出来でもしただろうか。


 そう思って首を傾げていると、雪音さんが困ったような顔のまま龍也さんを見上げる。視線を受けて、龍也さんが私を見た。


「雪音が、最近咲希に誰か良い人がいるんじゃないかって。俺も何となくそんな気がしたけど、鈍いから自信ない。けど、雪音は鋭いからなあ」

「……そうですか?」


 全然、全く、これっぽっちも心当たりがない。男の子との出逢いなんて、最近碌な相手がいない。

 哉也とか、翔とか、龍也さんとか、和尚とか。


 ……本当に碌な人がいなかった。琴音との再会って、そう考えると結構貴重だったのか。


 その時ぽんと浮かんだのは、現在琴音に振り回されていて、昨夜は作るお菓子が倍増した空瀬先輩の顔。そういえばあの人、結構アレで人気あるんだったか。琴音も人気だし、大層沢山のお菓子を作らされているのだろう。気の毒に。


(あれ? ……何故あれほど迷惑を掛けられた人に同情する羽目に?)


 空瀬先輩には夏から割と迷惑かけられている。直接私を巻き込んだのは腹黒生徒会長だけど、そもそもの元凶は空瀬先輩。多少恨みには思っていて普通だけど、取り敢えず今は同情心しか湧かない。


(うーん、流石琴音。テロリストもどきを手なずけて印象ごと変えてしまうとは)


 哉也に惚れるだけあって並大抵じゃないなあと変な方向に感心しつつ、龍也さんと雪音さんに目を向けてきっぱりと言う。


「全く心当たりがありません。良い人との出逢いとか、期待出来ませんし。そもそもそういうものに興味ありませんし」

「胸張って言う台詞じゃないね、それ」


 翔が横合いから茶々を入れてくる。言葉をかけた龍也さん、雪音さんはといえば、相変わらず腑に落ちない顔をしていた。


(……何なんだ、一体)


 何をそんなに拘っているのだろう。勘なんて、よく外れるものなのに。

 怪訝に思ったけど、まあいいかと思う。人がどう思っていたって、事実は事実なわけだし。


「……そろそろ行くぞ。分かれて行くなら遅刻しかねん」


 今まで黙っていた哉也が、いきなりそんな事を言った。どことなく機嫌が悪い声なのが謎だけど、時計を見れば、確かにそういう時間だ。素直に頷いて、腰を浮かす。


「それでは和尚、これで失礼いたします。雪音さん、龍也さん、お菓子ご馳走様でした。また明日」

「うん、また明日ね。美味しいお菓子をご馳走様」

「俺もご馳走様。ハロウィン頑張って」


 龍也さんの言葉に反射的に哉也達を見ると、苦笑している。そんなに大変なのだろうか。私にはよく分からないのだけど。


「まあ、適当にやるよ。お菓子ご馳走様」

「こちらこそご馳走様でした。哉也さんも」


 にこやかな——片方は胡散臭くて片方はお淑やかという対極性だけど——笑顔で言葉を交わす翔と雪音さん。雪音さんに声をかけられ、哉也も頷く。


「ご馳走様。じゃあ、また」


 龍也さんにひらりと手を振る兄と翔とは別のバス停からバスに乗る——人気者2人と一緒に登校なんて自殺行為だ——為に、私達は別の道を歩きだした。




***




 バスを乗り継ぎ学校に着いて、思わず足を止めかけた。


(……何かいる。いっぱいいる)


 制服姿に混ざって、ドラキュラだの魔女だのがいっぱいいた。ほとんどが小さな帽子付きのカチューシャだったりリボンだったりネズミのカチューシャだったり程度だけど、本格的な魔女帽子を被っている人や、お面を付けている人もいる。中には全身コスプレを決めている人もちらほらと。あんなローブとかマントとかを売っている所がある事に驚きだ。


 ……取り敢えず、ミイラやフランケンシュタイン姿になっている人は、今日の授業をどうするつもりなんだろう。先生方も反応に困るんじゃないだろうか。


 素朴な疑問を抱えながら、そのまま校舎へと足を向ける。稽古後には十分きつい微妙な傾斜が楽々歩ける事に感動を覚えながら、1年の校舎に入った。


 階段を上って廊下を歩き、教室に入った途端、場所を間違えたかと面食らう。



『Happy Halloween!!』



 黒板にでかでかと書かれた文字の周りには、美術部の手で描かれたと思しき可愛らしいカボチャやデフォルメ魔女のイラスト。チョークってこんなに色があったんだ。知らなかった。

 見渡せば、教室のあちこちにカボチャがいる。切り紙だったり粘土細工だったり。あれは折り紙だろうか。と思ったら本物をくりぬいているものまである。誰が作ったんだろう、あれ。


 ……それにしても、今日は普通に授業がある日の筈なんだけど。こんな状態にしてしまって良いのかな。


「あっ、おはよー咲希!」

「おはよう」


 クラスメイトの朱音あかねが目敏く私に気付いて駆け寄ってくる。朱音の親友の亜希子あきこも一緒だ。2人とも、腕にオレンジのリボンを付けていた。

 コスプレらしきものがリボン以外にない事に何となく安堵を覚えながら、私も挨拶を返す。


「おはよう。……教室、凄いね」

「あはは、みんな張り切ってたから。咲希、昨日までハロウィンの事知らなかったって? 琴音に聞いたよ」


 朱音が笑い半分、呆れ半分に告げてきた言葉に首を巡らせると、既に琴音は男女問わず沢山の子に囲まれていた。『トリックオアトリート!』が何度も聞こえるから、既にお菓子交換中らしい。流石の人気だ。


「やっぱり人気だよねー。流石というか、何というか」

「……そうね」


(言えない、とてもあのお菓子が空瀬先輩が作ったもので、本命が既にいるなんてとても言えない)


 何となく熱に浮かされた感じの男子の目を直視出来ずに、そっと視線を外す。

 何せ敵は、中身以外は文句の付けようのないイケメンかつハイスペック、それも亀の歩みで近付いているとはいえ両思い。これでも尚突撃できる勇者は、流石にいないだろう。


(まあ、彼等は琴音に近付く機会さえあれば満足するのかも知れないし、その辺りは私が何か言う事じゃないか)


 そう結論づけ、手に持った袋から小分けにしたクッキーを2つ取り出す。


「はい、朱音、亜希子。Trick or Treat」


 情報に疎い私は2人に色々と教えてもらっているし、何より普段学校で一緒に行動してもらっている。生徒会で忙しい琴音の分まで、というか、とにかく面倒見が良いのだ。ちょっと申し訳なくなる位の優しさに甘えている以上、ここはきっちりとお礼を、と思って渡したのだけど。


「えええ!? 良いの!?」


 どうしてか、朱音に盛大に驚かれてしまった。亜希子も表情が固まっているから、びっくりさせてしまったらしい。


「? 良いって……だってこれ、そういうものでしょ?」


 少なくとも私は琴音にそう聞いたし、哉也と翔の認識もほぼそれに相違なかった。だからこそ渡したのに、何か間違ってしまっただろうか。


「え、いや、だって……」


 言葉に詰まり、視線を彷徨わせる朱音。亜希子はちらちらと一方向に視線を向けていた。それを追うと、相変わらず人に埋もれている琴音が目に入る。


「? 何なの?」

「……咲希ちゃん、もしかして知らない? ハロウィンのお菓子、最初に渡す人は『1番の友人へ』って意味があるんだよ。それと……」

「あ、ちょい、亜希子」


 亜希子の言葉を朱音が止め、何事かコソコソと耳元に囁いているけれど、私はそれを気にするどころではなかった。


 ……『最初に渡す=1番の友人』、か。もうなんかハロウィンの原型止めていないけれど、春影高校のイベントだから何があってもおかしくはない。ない、けれど。


(何で先に言わないかなもう……!)


 心の中で恨みの念を琴音に送る。


 何しろ今朝、既にあの哉也や翔、龍也さんと雪音さん、和尚にあげている私だ。そういう迷信めいたものを信じるタイプではないけれど、あいつらに——雪音さんは除く——そんな意味を持つものを渡したという事実が結構なダメージだ。


 と、そこまで鬱々と落ち込んだ所で、ぽんと思い出した。


「知らなかった。けど、大丈夫。昨日……というか今日の明け方、琴音と交換したから。試食だけど」


 そう、琴音と一緒に作った後、互いに互いの試作を交換して食べたのだ。日付は超えていたし、カウントに入れても問題無いだろう。良かった。


「へえ、一緒に作ったんだ」

 亜希子に頷くと、朱音がにっこりと笑って手を伸ばす。

「じゃあ遠慮無くもらうね。あ、これ私の! トリックオアトリート!」

 私の手にあったクッキーを受け取り、代わりにと渡してくれたのは、マドレーヌ。チョコレート味で、美味しそう。

「私も。トリックオアトリート」

 そう言って亜希子も手渡してくれる。見れば、かぼちゃのタルトだった。

「2人とも、凝ってるね。何だか私だけ手抜きみたい」

 思わず苦笑してそう言うと、2人は直ぐに首を振る。

「そんな事無いよ!」

「そうだよ。ありがとう、咲希」

 優しい2人にこんな事言ったら、こう返ってくるのは当然か。何を返答を期待するような事を言ってしまったのかと呆れつつ、私は笑みを浮かべて見せた。

「こちらこそ、ありがとう」


 お礼を返して、さて席に着こうと足を自分の机へと向けた、その時。


「あ、あのー、香宮かみやさん」


 耳慣れない声に名前を呼ばれ、不思議に思って顔を上げる。緊張した顔でお菓子を持って立っている彼は、文芸部の子だったか。


「はい、何?」

「あ、あの……とりっくおあとりーと!」


 思い切って、という様子で差し出されたのは、お菓子。

 と、いうことは、つまり。


「あ、うん……Trick or Treat」


 一応琴音に言われて予定の倍作ってきたから、数に余裕はある。クラスの子は多分全員渡すと思うよ、という予想に従ったのだけど、当たりだったらしい。


(こんな影の薄い子でも、クラスの子なら渡さなきゃならないのか。男子も大変だなあ)


 多分、平等に渡さないと、女子が妙な嫉妬をしたり周りに変な勘ぐりをされたりするのだろう。後は、本命へのカモフラージュ、というのもありか。

 やや同情しながら、お菓子を受け取りつつ自分のを渡す。すると、妙に嬉しそうな顔をされた。


(……えーと……。私、そんなに渡しづらい人かな)


 別に善意を拒否するような事はしないのだけど。そんなに普段、他人を拒絶する雰囲気があるのだろうか。


 身の振り方を少し反省しつつ、続いて声をかけてきた男子に目を向けた私は、『あーあ』という顔をした朱音と、困ったような心配するような亜希子の顔を見る事は無かった。




***




(……疲れた)


 部活が終わり道場を出た私は、人気のない、葉も大分落ちた桜並木の所で足を止め、そっと息を吐きだした。

 体力にはそこそこ自信のある私だけれど、今日は結構疲れてしまった。哉也の『面倒』という言葉にうっかり同感してしまいそうな自分が憎い。


 行く先々で顔見知りに声をかけられてお菓子を交換するのが、こうも疲れる事だとは思わなかった。どうも『同じクラスだから渡されている』という事実そのものが羨ましい子もいるらしく、ちょっと人気ある子が私の所に来ると、直ぐに視線が飛んでくるのだ。偶然にそこまで恨めしげな目を向けられても、困るだけなのに。


 それに、ハロウィンと言う事でどことなく浮かれた雰囲気にも軽く呑まれてしまったらしい。何をした訳でも無いのに、体が重い。


 救いは、弓道部でのお菓子のやりとりが穏便に済んだ事だろうか。男子の先輩の中にお菓子作りが上手な人がいて、その人のチーズケーキが絶品だったのだ。大好評で、練習後にみんなで道場で食べた。その後のそれぞれの交換も和やかに進んだのだから、先輩様様だ。


(うーん、でもこんなに無くなったのは予想外だったかな……)


 ちらり、と袋に目を向ける。それなりの数を用意したお菓子は、既にもう残り1個だった。

 予定では、この後琴音の所に向かいがてら、生徒会の人達に余ったお菓子を食べてもらうつもりだったのだ。友人がお世話になっているし、あの迷惑な幼馴染みと兄の下で頑張ってくれているのだし。そういった理由は言えないけれど、琴音と一緒に帰るという口実で、ついでの振りをして渡そうと思っていた。


 けれど、これでは全員に渡らない。


(それによく考えたら、琴音、哉也にお菓子渡して、その流れで一緒に帰りたいかもだしな……邪魔したら悪いか)


 哉也の前に出ると途端虚勢ばかり張って素直になれないあの琴音に、哉也と一緒に帰る流れを作るという芸当が出来るのか少しばかり不安だけど。翔が協力するだろうし、私が出しゃばるのも余計な真似かも知れない。そもそも、あのイケメン共と一緒に帰って目立つの、私は嫌だし。


 ここは素直に諦めて、残りの一袋は自分と母親で食べるかという結論に至った時、不意に後ろから名を呼ぶ声。



「——香宮?」



 振り返ると、空瀬先輩が、1人、立っていた。



「こんばんは、空瀬先輩」

 10月も終わりになれば、部活後には辺りは真っ暗。だからこその挨拶だったのだけど、それよりも空瀬先輩が1人である事に驚く。

「先輩、お一人ですか?」

「ああ。伊藤と河井は2人で帰った。池上と貴戸は用事だ」


 普段先輩は、部活では常に取り巻きのような彼等が側にいる。私が見た限りでもそうだし、学校の生徒達の認識も同じ。そして、特に池上先輩の空瀬先輩への友情の強さは尋常じゃないらしい。幼馴染みなのだそうだけれど、それにしてもいつも一緒にいる感は半端じゃない。見る限り、いつでも隣にいるのだから。


(いやまあ、哉也も翔としょっちゅう一緒に行動しているけれど、ね)


 あの2人との関係も特殊だけど、先輩達程ではないと思う。多分。


 ふと貴戸先輩の、感情の現れない、けれどどこか激しい情を感じる強い深い色を宿した瞳を思い出して、何故か背筋が冷たくなった。


「香宮も1人か」

 けれどその時先輩に聞き返され、その感覚は直ぐに消える。無意識に息をついて、頷いた。

「はい。部活帰りなので」


 この後は1度家に帰り、軽くご飯を食べてからお祖母様の稽古を受けに行く。この動線を他人に知られたくないから、放課後はいつも1人だ。琴音は別として。


「ああ、そういえば。空瀬先輩、昨日はお疲れ様でした」


 空瀬先輩が琴音にこき使われて2人分のお菓子を作ったという事実を思い出してそう言うと、空瀬先輩は僅かに顔を顰めた。琴音の件になると、この先輩はいつもこの微妙な苦い顔をする、気がする。鉄面皮すぎて表情の変化が読みづらいのだけれど。


「かなりの量でしょうし、遅くなったのでは?」

「日付は超えなかった」

 短い返答。日付を超える近くまでかかったのは事実らしい。

「それよりも。香宮が琴音に協力したのだろう」

「はい。こちらは日付を超えました」

「迷惑を掛けた」

「……いえ。友人の事ですし」

(自分がしでかした事では謝らなくても、これは謝るんですか……)


 殊勝なのか図太いのかよく分からない先輩だ。学校全体を大混乱させかけた夏の件では1度も頭を下げなかったのに、琴音のお菓子作りは頭を下げるのか。

 その違いが琴音のお菓子作りの酷さを示しているとしたらちょっと苦笑ものだけれど、おそらく先輩は『自分が納得して行動した事』は謝らないというだけだろう。悪いと思えば謝る、思わなかったら何があろうと謝らないというその潔さは、哉也にも通じる所があるけど清々しい。犯罪紛いは悪い事では無いのか、とは思うけれど。


 2人の間に沈黙が落ちる。元々友好的とはかけ離れた間柄から始まった縁だし、そもそも互いに積極的に会話を盛り上げる性格ではない。話す事が何もなければこうなる事は、まあ分かりきった事だ。


 けれど、沈黙が落ちた以上、どうしようもないのも確かで。


 適当に何か言って帰れば良いのかも知れないけれど、何故かそういう気分にならない。だったら何か喋って、この心地が良いのか悪いのかよく分からない沈黙をどうにかするべきなのだけれど。


(うーん……)


 何となく、『先輩はいくつくらいお菓子もらったのですか?』というそれなりに無難な問いかけが浮かんだけれど、どうにも気が引けた。


 空瀬先輩の寡黙で謎めいた感じが好き、という女子は意外といる。綺麗に隠しているけど、多分貴戸先輩もかなり強い想いを抱いている。

 そういう人達と次から次へとお菓子を交換している……姿は空瀬先輩に似合わなくてちょっとシュールだけど、多分その筈で。性格からしてそういうのは好きではないだろうし、多分結構疲れているんじゃないかな、と思ったのだ。昨日も遅くまでお菓子作っていたらしいし。


 そんな先輩に、からかいとも取れるような言葉はかけづらい。哉也達じゃあるまいし、空瀬先輩に嫌そうな顔をされるのは何となく嫌だ。かといって、私がねぎらいの言葉をかけるのも、ちょっと嫌みとか僻みに受け取れそうな感じだし。そういう事を言う人間とは思われたくない。


 けれど、じゃあ何を、となると、本当に思い付かない。つい首を傾げそうになったその時、空瀬先輩の低い声が響く。


「……香宮は」

「はい」


 抑揚のない声、冷静な瞳。向き合っていると時折どうしようもなく警戒心が込み上げるけれど、不思議と今日はそれがない。探るような色がないからだろうか。


「今日の騒ぎ……疲れは、しなかったか」

「…………いえ、大丈夫ですけど…………」

(何か悪いものでもお菓子に仕込まれましたか、空瀬先輩)


 危うく声に出かけた言葉を、辛うじて舌先で止める。


 今日は一体何なんだ。そもそも、先輩がここまで私とだらだら立ち話をしているという時点で妙だ。彼は必要最小限の事しか言わない上に、他人の事に興味を示す人でもない。

 それが、私の心配。空瀬先輩が欠片も責任もない事態での、私の身の心配。天変地異の前触れかと警戒してしまう私は、間違っていないと思う。


 けれど、よくよく考えたら、ここまでどん引きしたのが丸分かりな返答で止めるのも失礼な話だ。その事に気付いて、何とか言葉を捻り出す。


「その……クラスメイトの子達も、優しいので、みんなわざわざ私の分まで用意してくれていましたし……あの、弓道部でも、割合楽しく交換しましたから」

「……そうか」

(ああ、何だろうこの違和感……!)


 無難な言葉を紡いでいる筈なのに、募り続ける奇妙な違和感。


 いつもは誰にでも無難で当たり障りのないやりとりをいくらでもこなしているというのに、どうして今、空瀬先輩相手では、こうも下手な会話しか出来ないのだろう。こうも言葉が喉で使えてしまうのだろう。緊張している訳でもないのに。


(……緊張?)


 自分の頭に自然と浮かんだ単語に、尚更混乱する。幼い頃から哉也の眼光に真っ向から向き合ってきたせいで、どんな人間に睨み付けられても動じなかった私に、この単語は物凄く縁遠い。何で今出てきた。


「それにしては、疲れているように見えるが」

「は……?」


 何を考えているか自分でも分からなくなりそうな思考の中、耳に滑り込んできた言葉に、今度こそ硬直する。


 確かに、疲れている。それもあって、人のいない所で人心地付く為にここに来ていたのだ。

 けれど、私は基本、疲れを表に出さない。すべき事が山積みになって連日睡眠不足記録を更新したら話は別だけど、どんなに疲れていても、それこそ熱があっても周りに気付かれない。少しは顔に出してくれと、何度お母様に言われた事か。

 それをこの人は、この短い会話の間で気付いたというのか。元々観察眼のある人ではあるけれど、ここまで来ると特殊技能な気がする。


「少し、顔色が悪い」

「……。ハロウィンがここまで盛り上がるというのを知らなかったので、少し熱気に中てられたかも知れません。けど、大丈夫です」

「無理はするな」

(……うん。先輩も熱気に中てられたんだな。それか悪いお菓子に中ったか)


 ここまで来ると、他に答えはないと思う。この人が他人、それも身内でも仲間でも何でもない、ちょっと縁の出来ました、しかも前にやりたい事邪魔されてますな相手を気遣うなんて、普段はまずあり得ない。誰だろうか、ここまで先輩を変容させるようなトンデモお菓子を作って手渡したの。



 ……けれど。



 こうして心配してもらう事は、そうそうない。疲れが顔に出ないのだから、当然心配もされないのだ。その辺りは自分のせいなので、別に何とも思っていないのだけれど。


 それでも。今までにない経験が、言われた事もない『無理はするな』なんて言葉が、何となく嬉しい。



「はい。ありがとうございます」



 だから、お礼の言葉は、自然と口から出てきた。いつもの作った笑みではなく、自然と浮かんだ笑顔と共に。


「……礼を言われる事では無い」


 表情も変えずそう返した先輩は、自分がどれだけ変な事を言ったか自覚がないのかもしれない。それだけ調子がおかしいという事ならば、それはそれで心配だけど、今こうして先輩に渡された言葉そのものが、どうにも嬉しかったのだから仕方ない。


「先輩も、昨日遅くまでお菓子作っていたのなら、今日はゆっくり休んで下さい」

「……ああ」


 さっきとは少し違う表情で——それが何を示しているのかは分からなかったけれど——頷く先輩。ふと気付けば、結構な時間、長話していた気がする。

 もう結構寒いし、いくら私が何となくここを離れ難く思っていたとしても、何時までもここにいるのは辛いだろう。挨拶をして帰ろうと思った所で、ふと手元の袋を思い出す。



「あの、先輩。良ければこれ、食べてもらえますか?」



 クッキーとその緩衝材を兼ねた細い紙とを一緒に詰め、透明なビニールの袋に入れて、オレンジのリボンで結んだだけの、シンプルな包装。洒落っ気も何もあったものじゃないけれど、下手に勘ぐられても何だからまあ良いか、とも思う。もしこれで凝った包装していたら渡し難かったかも知れないな、と思いつつ、ただ1つ残ったそれを差し出してみた。


「1つだけ残ったものですけれど、良ければ」


 気遣いはいらないと告げたつもりだったけれど、言ってから『余り物を押しつけた』とも取られかねない物言いだな、と気付く。まあ、そこまで気にしなくて良いか。 


「…………」


 空瀬先輩は、無言で差し出された袋を見つめている。その顔はいつも通りの無表情だけど、何だか様子が変、な気がする。


(えーと……やっぱり迷惑だっただろうか)


 よくよく考えなくても、そこそこモテる先輩は相当なお菓子をもらっている筈で。ただでさえそのお菓子を消化するのに一苦労するに違いない彼に、大した量ではないにせよ、更にお菓子をあげても困らせるだけかも知れない。


(いらないならいらない、って言ってくれて構わないのに。……って、そういう事を堂々と言う哉也みたいなのの方が珍しいのか)


 Noと言えない日本人、なんて表現もあるくらいだし、他意無く差し出されたものを無碍にはしづらいだろう。空瀬先輩はその辺り気にしない方かと思っていたけれど、一応あの細やかな気遣いの出来る琴音の親戚なのだし、実は気にする方だったか。


(悪気があった訳じゃないけれど、悪い事しちゃったかな)


 適当に何か言って引っ込めようとしたその時、それまでリアクションを示さなかった空瀬先輩が、動いた。



 おもむろに左手に提げていた袋に手を入れたかと思うと、袋を1つ取り出す。私とほとんど変わらないような包装を施したそれに入っているのは、フィナンシェ。



「え? あの……」

「俺も最後に1つだけ残っていた」


 戸惑って見上げた先には、静かな黒い瞳。淡々と告げられ、それが先輩の作ったお菓子だと知る。


「香宮が構わないなら、だが」

「? あ、はい。喜んで……?」


 自分から渡しておいて、先輩のをいらないと言う失礼な人だと思われているのだろうか。それとは何か違う感じがして、返事が疑問型になる。


 空瀬先輩はそれに頓着せず、片手で袋を差し出し、片手を私の持つ袋に伸ばした。半ば無意識にそれを真似、互いのお菓子を交換する。



「Trick or Treat」



 完璧な発音でそう言って、先輩は僅かに目を細めた。細くなった目から覗く黒の綺麗さに目を奪われながら、小さく微笑んで、返す。



「Trick or Treat」






 何ていう事の無いそのやりとりに不思議な充実感を覚えたその時の私は、まさか次の日に『最後の1つには『貴方と親密になりたい』という意味があるんだよ』と教えられて絶句するなんて未来は、欠片も想像していなかったのだった。


*注意*

 これは『春影高校のハロウィン』です。

 本来のハロウィンは割と冒頭で咲希が言っていた『子供が仮装して家を練り歩きお菓子をもらう』です。

 なのでそもそも高校生がお菓子もらっている時点でイロイロアウトですが、まあその辺りは皆さんお菓子のやりとりしているかと思いますが。

 順番に込めた意味とか本命とかは100%創作です!←威張るな

 という事だけご注意を、と念の為付け加えておきます。

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[一言] こんな独自習慣なんかあったらたまったもんじゃない!
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