色づくセカイ
その女は幼い頃から感情が乏しかった。泣きもせず笑いもせず、何を考えているのか分からない子供。それが、彼女の両親を含めた彼女に関わりをもった全ての人間が胸に抱いた共通の認識だった。
女は感情がないわけではなかった。ただ、何がおかしいことで何が悲しいことなのか、理解出来なかったのだ。
どんな場面であれば声を上げて笑ったり泣いたり出来るのだろうか。そんなことを考えるうちに女はますます感情を出さなくなっていった。
「もっと自分に素直になればいい。生きたいように生きればいい」
あるとき男が女にそう言った。必要に迫られることなく女に話しかけてきたのはその男が初めてだった。さらに男はこう続けた。
「そうすれば世界は自分だけの色になる」
女は男に興味を抱いた。生まれてから一度も、何に対しても誰に対しても抱かなかった感情だった。相変わらず笑ったり泣いたりすることはなかったが、それでも男と話すときだけは楽しいと感じるようになった。
「――が何を考えているのかときどき分からないことがある」
幼い頃から言われ続けてきた言葉。言われるたびに、少しずつ女の心は蝕まれていった。だが、男の口から出る言葉は女の心を蝕むことはなかった。なぜなら、
「でも、他人の考えてることを全て分かることなんて出来はしない」
と、男が静かに続けるからだ。その通りだと女は思った。
男とずっと一緒にいればいつか笑ったり泣いたり出来るのではないか。女は微かに期待した。笑っている人は幸せそうに見える。泣いている人も生を実感しているように見える。感情を出すということは、きっと素晴らしいことなのだろう。男が笑っている姿を遠くから見て、女は自分も一緒に笑ってみたいと思うようになった。
「もう逢えない。来月結婚するんだ」
期待は脆く崩れ去った。心臓が抉り取られたような痛みを感じた。それでも女の顔は無表情のままだった。去っていく男の後ろ姿をずっと見続けた。男が見えなくなってもずっと見続けていた。
「どうしたんだ?」
結婚式の前日、女は男を呼び出した。今までと何ら変わりない態度。だが、もしかすると男は迷惑がっているのかもしれない。これまで他人が何を考えているかなど気にもしなった女の頭にそんな考えがよぎった。
「どうしたんだ?」
もう一度男が訊いた。女は頭に浮かんでいた考えを振り払うと、何も言わず隠し持っていたナイフで男の心臓を刺した。何度も、何度も。男がぴくりとも動かなくなった後も馬乗りになって刺し続けた。
気がつくと女の手は真っ赤になっていた。その鮮やかな色をじっと見つめていると、沸々と内側から熱いものが込み上げてきた。
「ふっ、ふふっ、あはははっ。あははははははっ、あはははははははは」
ぽたり、ぽたり。女の眼から涙が零れ落ちていく。男を殺した女は生まれて初めて笑って泣いた。
そしてその日から女の世界は赤色になった。




