死者の宮殿にて5 終
「いい加減まっとうにビビったり躊躇ったりってのが億劫になってきたよ」
疾走の荒い呼吸の中でダミーはぽつりともらした。
「あらあら、万事慣れ始めが一番危ないのよ?」
後背に追従するように走っていたヴィオレッタは、こちらは全く息を乱す様子もなくそう返す。
走る二人の大分後ろを大勢の足音とうめき声が追ってきていた。
「いやさ、これはどんな状況でも冷静さを失わない怜悧な判断力というものさね。その判断力によればここは走れや走れ、とねぇ」
「まったく派手に壊してくれたものね。あの牛さんも」
「人間のご同輩は俺たち以外にいないって分かってよかったじゃないか。遠慮なくケツをまくれる」
「まあお下品」
軽口を交わし合いながらも駆ける足は遅めない。事態としては、会話の通り。長々と壁や床を破壊しながらの牛頭の怪人の進行は、同じく牢に閉じ込められていた『ご同輩』の脱出をも大いに助けることとなった。問題はその中にまっとうな人間がいなかったことであったが。
「十や二十じゃ足りないな、業の深いことだ。ここの主様とやらまともな死に方せんぜ」
「どうかしらね、女神の加護を受けた聖剣で一刀のもとに斬り伏せられたときいているけれど」
なんとはなしにといった風情で語られた言葉にダミーは意外そうな表情を浮かべた。
「なんだ、もうくたばってたのか」
「ここを知っている人間なら大体ワンセットで知っているお話よ。勇者エルンハルトの輝かしい英雄譚の一幕としてね」
「ふう、ん」と気のない返事を返しダミーはまた前方に向き直った。当然といえば当然なのかもしれないがまた知らない単語が飛び出した。―――しかも、勇者ときたものだ。
「英雄譚の、勇者様ゆかりの地としては、ここはまた随分物騒な場所に思えるがね」
「当事者ではないからこれは多分に無責任な推測になってしまうけれど、この世で最も強力な魔術の内の二つがここには巣食っていたわけだから、こればかりは勇者様にも聖剣にも手に負えなかったのではないかしら」
前方をふらふらと歩いていた骸骨怪人の頭を段平で飛ばし、肩をすくめるダミーに、それに続くヴィオレッタはどこか投げやりな調子でそう返した。
「ここの主はとても熱心なネクロマンサーだったというから、その根城であるところのここという『空間』で百余年もの『時間』の間に積み重ねられた犠牲者達の魂が発する瘴気は並大抵のものでは無いでしょうね」
ヴィオレッタの語るところの魔術とやらに関する知識を持たないダミーにとって彼女の語る言葉はほとんどが理解しかねるものであったが、所々で意図して強調されたと思われる単語から拾った印象から繰った言葉を投げてみた。
「主不在でも自動的にアンデットをこさえる、まさしく死者の宮殿というわけだ」
「おおむね、その理解であっていると思うわ。アンラク風にいうならここは一種のタタリ場ともいえるかもしれないわね」
「タタリ場、ね」
駆け続ける二人の視界の先にふと開けた空間が広がった。
「さあ、ゴールよ」
ヴィオレッタが弾んだ声でそう言った。だがダミーはその声に素直に喜びを感じることができなかった。
そこは、先のミノタウロスが百人は収まりそうな広さの、岩壁に囲まれた空間だった。と、いうよりそれだけの空間だった。駆ける足は止めずに視線を軽く巡らせるが、調度品の類はおろか扉や窓も見当たらない。ただ、それまでより大分光度を増した照明が天井にぽつぽつと並んでいるだけの空間だったのだ。つまるところいきどまりだ。
「ゴールってのは俺たちの人生の終着点って意味かい」
「そんなわけないでしょう。ついてきなさい」
ダミーの皮肉をあっさりと否定し、ヴィオレッタは足を速めダミーの前に出るとその手を引いた。
共に駆ける段からすでにそうではないかとは思っていたが、いよいよもって遠慮のなくなった少女の俊足に半ば引きずられるようにしてダミーは大部屋の内を駆ける。
転ぶかどうか、危ういバランスで引き立てられながらヴィオレッタに視線を向ければ彼女はまた例の手品じみた手つきで右手に豪奢な装飾のナイフを握るところだった。
「どうするつもりだ」
「要所を掴めば地上に出られると言ったのを覚えているかしら。ここがその要所よ」
確信、というのだろうか、迷いの無い響きで紡がれた言葉はそれが根拠無しのものではないと語っていた。
「道は私が開くわ。私たちはここを出られる、信じて」
ローブの内から紫紺色の瞳がじっと見つめてくる。真摯な光をたたえたその瞳と視線を絡ませ、ダミーは疲労の浮くその顔に弱々しい笑みを浮かべた。
「ハナっからお前さんを疑うつもりなんてなかったさね。……選り好み出来る状況でもないしな」
「最期の一言がなければ完璧だったのに。酷い人ね」
いささか大仰に、唇を尖らせ拗ねたような表情を見せる。いささかどころかかなり子供じみた仕草ではあったが、容姿の整った人間がすればなんとも可愛らしく、サマになる。
―――見目の良い人間というのはそれだけで得なものだ。
どうでもいい感想を胸中で弄びながらダミーは知らず段平を掴む手を強く握りしめていた。
「俺はどうしたらいい?」
「少し時間がいるの。その間私を守ってくれるかしら」
ある意味予想通りの解答にダミーは不敵な笑みで応じた。
「知らなかったのか? お前さんと出会ってこちらずっとそうしてきたぜ」
「そうだったわね。ここから出られたらきっとお礼をするわ。だから、頑張って」
ゆるりと繋いでいた手が解かれ、少女は前に、男は後ろへ駆け出した。
「……まるで漫画かゲームの展開だな」
段平を両手で握り駆けながらダミーは今更ともいえる感想をもらした。
ゾンビに、美少女に、ネクロマンサーに、ミノタウロス、おまけに勇者。それこそゲームや漫画でしか見かけないような存在の間近に今彼はいた。
「あのテのものの主人公ならなんだかんだいってこういう状況でもわりとなんとかなったりするもんだがね」
はたして自分に彼らと同じ事が出来るだろうか。少なくとも、この世界に実在するらしい勇者様とやらはこれと同じどころか更にハードルの高い事態をどうにかしているらしいが。
「まあ、同じ人類ができることならやってやれないことはないだろうさ」
それは、おおよそ自己暗示にも似た言葉だった。そうして自分を奮い立たせなければ、ここまでかたくなに表面化してこなかったネガティブな感情に潰されそうだった。
つい少し前に自分たちが通り抜けた部屋の入口を前にダミーは剣を青眼に構え立った。
未だ対手の姿こそ見えなかったが、薄暗い通路に反響するように無数の足音と世を呪うようなうめき声の合唱が聞こえていた。
「なにやってんだろうな、俺。何やってたんだっけな、俺」
微かに震える唇を噛み締めながら呟く。口に出すほど、というとなかなかなかったように記憶しているが、昔から何か嫌な事があったり極端に緊張した時にはこうして芝居がかかった言葉を頭の中で繰って遊ぶ癖があった。具体的な前例の記憶が思い出せないことに、胸の奥でまたちりちりと焼くような焦燥感が湧いてくる。どうなっているのだろうか、どうしてこうなっているのだろうか。
「馬鹿がアホがクソがボケがカスがクソがクソがクソが……! いらんこと考えてる場合か俺は」
口中で噛み締めるように呪いを吐き、前方を見据える。まばらな照明の向こうに無数の人型が揺れていた。いっそやけになって突っ込んでいきそうになる心を抑え、待ち構える。時間稼ぎが目的なら、息せき切って稼いだ距離を縮めてまで決死をかけることもない。落ち着けた心で見れば、アレらの移動速度はやはりかなり鈍い。ともすればこの部屋に到達する前に要件を達することもありえるかもしれないのだ。
ちらと後背をうかがえば、ローブの背中がちょうど部屋の真ん中あたりにしゃがみこんでいるのが見えた。更に耳をすませば、低く囁くような声で何事かを紡いでいるのも聞こえてくる。
「魔法でワープでもする気かね……」
冗談めかして呟き乾いた笑いをもらす。前後を考えればその突飛な発想もあながち遠からざるものに思えた。なにしろここはファンタジー世界だ。
小さく頭を振り前に視線を返す。未だ死者の行進は遠い場所にあったがその姿はゆっくりとだが確実に近づいてきていた。
自身の握力で真っ白になった両手を一瞥し、ダミーは知らず笑みを漏らしていた。
余計なことばかりがぐるぐると頭の中をまわっている。先まではそうではなかった筈だ。そんな余裕もなかった、必死だったからだ。
「随分余裕じゃないか、ダミーさんよ」
唇を湿らせ、呟く。硬く握り締めた両手を脱力させ、構えを大雑把な下段に切り替える。深呼吸を一つ、二つ、繰り返すごとに心中の波が静かになっていくような気がした。
「おお、なんか今の俺達人っぽくてかっこいいぞ」
冗談めかして手の内でくるりと剣の刀身を返す。無駄な力の抜けた手首の動きは柔軟に想像通りの軌跡を描き、それにダミーは会心の笑みを浮かべた。
いよいよもって間近に迫ったアンデットの群れに、ダミーは気負いのない様で向き合った。
「剣道二段の腕前みせたらぁ!」
目の前で両手を前に突き出し前のめりになるいかにもなゾンビウォークを晒していた先頭のゾンビの首を斬り飛ばし、その体を肩からの体当たりで後続の集団に押し飛ばす。ドミノ倒しに倒れる彼らの首を次々と刈り取りながら、ダミーは哄笑を上げていた。
足元にごろごろと転がる棍棒や剣を蹴り上げ拾い上げては手当たり次第に投げ放つ。掴みかかる腕を斬り落とし、その首を肩で抱えへし折りざまに団子の集団に投げ飛ばす。下がった頭にはステップを踏むようにことごとく踏みつけの足を落とし粉砕する。
ダミー自身でも意外に思うほどの健闘だった。数の猛威に対して彼は互角の戦いを展開していた。
けたけたと壊れた笑い声を発しながら両手に携えた剣を体ごと旋回させる、それだけでゾンビの胴が両断され、骸骨の頭が粉砕される。
「近づいた奴からあの世逝きだぞクソったれぇぇ!」
ひと振り、ふた振り、絶叫の合間に死者を死体に返しながらダミーは聞き覚えのある声を聞き、とっさに身をそらした。
直後、ダミーの脇をひとまとめになった死者の集団がかっ飛んでいった。
連なる人型の垣が割れ、そこから一回り大きな人型がぬと頭を出した。それもまた、見覚えのある顔だった。それも会いたくない類の。
「そりゃそうだ、そういう話だったもんなぁ?」
―――呪いとやらが死体に作用したのだろう。予想してしかるべき事態だったのだ。
後悔もそうそうに、ダミーは間近に立つ骸骨を蹴り飛ばし背後に跳んだ。瞬間、巨大な腕が死体の集団を押しつぶしながら伸び、ダミーの目前で引き戻されていった。
気付けば、あれだけいた死者の集団の動く姿もまばらになり、ダミーは改めてそれと正面から対峙していた。
「おひさしぶりとでも言うべきかい、カウボーイ?」
血脂で刃の鈍った剣を投げ捨て新たに拾った長剣を両手で構えながらダミーはミノタウロスのその威容を見上げた。
とろりと濁った瞳がダミーの姿を捉える。無造作に腕が上がり、振り下ろされた。
いつかより遥かに鈍く、しかし力のこもった打撃が地面に落ち爆ぜた。
身を返し拳を避けたダミーはあがる飛礫から身をかばいながら後退する。その動きを追うようにミノタウロスは一歩踏み出し更に拳を放ってきた。
「そんな頭の悪いパンチがなぁ! そうそう当たるか阿呆が!」
半身に身を逸らし迫る拳を紙一重にかわし、すぐ脇で伸びきったミノタウロスの腕に剣を振り下ろす。
みちりと、身の詰まった肉の裂ける音と共に錆の浮く刀身が丸太のような腕に半ば程まで食い込んだ。
―――舌打ちがダミーの口からもれた。
いつかのように声を上げるでもなく、ミノタウロスは淡々と剣のぶら下がる腕を引き、また愚直に拳を繰り出してきた。それをサイドステップで避け、足元から蹴り上げた手斧で先と同じく腕に振り下ろす。肉厚の刃が腕の筋肉を断ち割るが、少し刃が沈むとその進行を止める。
「っ、筋肉ダルマが……!」
微かに痺れの感じられる手をひらと振り、忌々しげにダミーは吐き捨てた。
そして更なる拳打が愚直に打ち下ろされ、それをダミーがかわし、またその腕に武器が突き立つ。
「痛がってみせるくらいの可愛げもねえのかよ」
まるでそれ以外の思考がないとばかりに繰り出される拳をかわし、間近の腕に鉈を振り下ろす。単純極まりない打撃に対する回避とそれへの反撃の動作にはまだまだ余裕があったが全く鈍る様子のないミノタウロスの動きを見ていれば、ジリ貧という言葉が浮かんでくる。
「いい加減、しつっこいんだよ!」
来る拳を身を屈め避け、ダミーは手にしていた槍をやり投げの要領でミノタウロスの右目に突き立てた。
それまで沈黙を続けていたミノタウロスがはじめて悲鳴らしき声をもらし、たたらを踏んだ。
突き立てた槍の反動で身を翻し、ミノタウロスの腕から手斧を引き抜き、体の回転を加え投げつける。両目の潰れたミノタウロスは正体を失ったようにふらつき始めた。
おぼつかない足取りを鉈のフルスイングで引き倒し、轟音とともに倒れるミノタウロスの体をダミーは駆け上がった。
「地獄に、堕ちろオオォォ!」
だらしなく開いた口腔を剣先でこじ開け、柔らかな粘膜に体重の乗った一突きを突き立てる。巨体が一瞬びくりと揺れ、蠕動するように痙攣すると、やがて沈黙した。
一突き、二突き、そしてひとしきり刃で頭蓋の内を掻き回すとダミーは細く長い気息を吐き出し、ミノタウロスの体から降りた。
骨に、腐肉に、牛頭の死体と、諸々の武器とその残骸と、周囲の惨状は酷いものだった。
動くものの消えた通路から踵を返すダミーの視界に砂色のローブが映った。
「遅かったじゃないか。全部終わっちまったぜ」
「これでも急いだのよ? もっとも、急ぐ意味もあまりなかったみたいだけど」
死体の山をうかがいながら、ばつの悪そうな様子で弁明するヴィオレッタの頭をダミーは軽く小突き、とんとんと湧き出る文句の言葉を背に浴びながら歩きだした。
―――なあ主人公、こういうのが刺激的な人生ってやつなのかい。俺はもうはやくも退屈が恋しくなってきたよ。
『死者の宮殿にて』 了