気づかないことは幸せなことです
その暗闇の中、仄かに瞬く橙色の光だけが唯一の光源だった。
それはやわらかくもたよりなく―――だが、確かな熱を含んだ光がぼんやりと私の頬を照らし上げている。
「さ、かほりちゃん……?」
目の前の紅茶色の瞳の持ち主が優しく、どこか妖しく誘うような口調で私を促す。
濃い闇に橙色の光がちらちらと瞬く中、浮かびあがるそれは今まで見たことがないような色をたたえており―――紅い色に染まって見えるのは気のせいだろうか?
「……う、うん……でも……」
それを綺麗だと、とても綺麗だと思う。
でもきっと―――それはこの光のせい。そして、私も同じように紅に染まっているのかもしれない。自身の頬に手を当てればほんのりと熱を孕んでいる。だが、それは暖房のきいた部屋のせいだとは、さすがの私にも言えなかった。
「そんなに恥ずかしがらないで……。僕はずっと、ずっとこの日を待ってたんだよ?」
「えぇ…?でも、何だか未だに実感がわかないというか。こう見られていると恥ずかしいというか……」
そう口ごもれば、ゆっくりとその手が私の頬へ向かって伸びてくる。
「ふふ……可愛い。僕のかほりちゃんは世界で一番可愛いよ?だから、ね……?」
長く、繊細なその指が優しく私の頬を撫で上げる。そして、その指のくすぐるような、どこか肌をざわつかせる感触に思わずぴくりと反応してしまう自分がいつもの自分じゃないような気がして――どこか気恥ずかしい。触れられた箇所から、頬がさらに温度を上げた気がするのもやはり――気のせい、なのだろうか―――?
―――私には、分からない。
「……し・鎮……?」
眼前でちらり、ちらりと橙色の光がゆらめく。
その向こうで口の端を上げて微笑む弟の顔はいつもながらに綺麗で優しげだったが――その紅く色づいて見える瞳がどこか、知らない余所の男の人のように見えてささやかな不安を煽る。
「ね、そろそろいいでしょ?それともまだおあずけ?かほりちゃん……もしかして焦らしてる?」
「!!……わ、わかった。じゃあ、やってみる。私、頑張るから!!]
顔をあげ、心もち顎を上げてみる。唇を若干上向け、すうっと息を吸い込んだ。
潔さが私の持ち味、迷うなぞ、ためらうなぞ私らしくない、そうではないか?そう、女は度胸と思い切り。
そして――― 肺 活 量 だ !
私は目の前に鎮座する特大のバースデーケーキに立てられた二十本のろうそくの火を見事、一息のもとに吹き消したのだった☆
いよぉぉっし!!よしきた私、よくやった!
んん?冒頭の会話が妙に聞えた、ですと??ちょ、何変なこと想像してんの!!
相手は仮にも弟!一歳下の弟の鎮でーすーかーら!!
二十歳にもなって今さら、しかもみんなに見つめられながら二十本ものろうそくの火を吹き消すなんて…、と渋る姉を優しく宥める弟の図、という世にも美しい姉弟愛の会話ですよ?
これが我が家ではごく普通の日常です。
もっとも、自分家の常識は他人家の非常識とも言いますから、そこんとこ世の中すべての常識と照らし合わせて、突き詰めて詳しく述べてみろ、と言われたら困るんだけど。
ま、他人はよそ、自分はうち、とも言いますし、ネ。
でもでも!!これはれっきとした家族愛です、うちは仲良し家族なんです!!
うん、そこんとこ、ヨロシコ☆(って誰に言ってんだか……)
脳内ボケツッコミという螺旋階段から抜け出れば、先程までのまっ暗闇から一転、いつの間にやら再び明かりが灯された室内で家族に囲まれていた。
「二十歳のお誕生日おめでとう!」「これで成人だね」などなど、惜しみない笑顔と祝いの言葉を注いでくれる家族に自然と目元と口元が緩んで笑顔になる。
大事な家族、愛する家族、この世で一番私を愛してくれ、私自身も心から大事に思う存在。
改めてその大切さが、ありがたさが心にしみいる。
家族がいて、お誕生日おめでとうと言ってくれて心からお祝いして貰えることは当たり前なようでそうじゃない、とても贅沢な幸せだ。
生まれてきて今日でちょうど二十年、ずっとそばにいてくれた家族がやっぱり今もそばにいて、愛情を向けてくれている。
そんな幸せ。
それは先ほど、寒空の下で幸福の塊として噛みしめた肉まんのようなもの。
ものすごく高価なものとかそんなんじゃなくただ、じんわりとしたささやかなぬくもりを、幸せをくれる大事なもの。
改めてそれに気づくことがある。
自分の手の中にはちゃんとあったかで、大事なものが残っているんだって。幸せはすぺしゃるな何かじゃなくて、今手の中にあるぬくもりとそれを幸せだとちゃんと思えるこころなんだってこと。
そして、その幸せのかたまりそのもの、一番身近で当たり前で―――だけど何よりも大切なもの。それが私にとっての家族のみんな、なんだ。
世の中の常識とか普通とか平凡というありきたりで、でも安全かつらくちんな基準からは完全場外!コースアウトもいいところ!!なくらい、色々とズレまくった家族だけれど―――私にとってはかけがえのない存在だ。
たとえキラキラと輝くまばゆい宝石のような家族の中で、私だけがごく普通の石っころ、一山いくら、十把一からげの手のつけようがないほど平凡で、妙な体質以外ごくごくふつーの人間だとしても。むしろその厄介な体質のせいで、ある意味みんなのお荷物的存在だとしても。
だって私達は「家族」だもの。
私はみんなが大事だし、みんなも私を大事に思ってくれてることがすごく伝わってくる。
――それはずっとこれまでも変わらないし、これからも変わることのないであろう大切なもの。そんなものが一体どれだけこの世の中にあるだろうか?
そして、それを手に入れることができる者が一体どれほどいるというのだろうか?
以前、永遠なんて、変わらぬものがあるなぞ信じない、とある人は言った。
でもね、私は思うの。
永遠に近いものがあると、きっとずっと変わらず大事なものがあると思うのは素敵なことじゃないかなって?そしてそれを信じたいとは思わない?
もしかしてそれもいつかは姿・カタチを変えるかもしれないし、消えていくこともあるのかもしれない。でも、胸に残る気持ちとそれを大事に思い、思われた記憶とこころは消えないんじゃないかかな。私はそのときそう思ったの。
へへ、誕生日のせいかな?私にしては珍しく、ちょっと感傷的になっちゃった。
「かほりちゃん?」
「ん?」
気がつけば、いつのまにやら再び、鎮が私の顔を隣の席から覗き込むように見つめていた。いつもの脳内ボケツッコミの螺旋階段ではなく、今度は記憶と思考の小道に入り込んでいたらしい。放っておくと自分の世界に入っちゃうのが私の悪い癖!
いかん、いかんぞと反省しながらゆっくりとそちらを見上げれば、いつもの透明な紅茶色の瞳が優しい光を浮かべて私を見下ろす。
やはり先ほど、紅く光って見えたのは単なるろうそくの光のせい、もしくは私の見間違いだったのかな?
「お誕生日、おめでとう」
そう言ってくれた弟は、椅子に座った身体ごとこちらに向けている。ブラックジーンズを履いた脚の膝にきちんと両手を揃え、ぴしりと正したその姿勢は礼儀作法の教本に出てきそうなほど綺麗だ。
こりゃまたご丁寧にありがとうゴザイマス。
「うん、ありがとう!」
こちらも礼にのっとり、ぺこりと軽く頭をさげて会釈を返した。ふふふ、と二人で笑みを交わす。
「これで日本では成人、だね」
「ん?ああ、そうだね。まぁ、成人式は来年だし、特に何が変わるってわけでもない気がするんだけど……。あんまりこれといって実感がないというか」
へにゃ、と成人女性らしからぬ気の抜けた笑いを浮かべれば、眼前の綺麗な顔のこれまた綺麗な瞳が嬉しそうに細められた。
「ん――・・今はそう思うかもしれないけど、たぶん、これから色々とあると思うよ?」
弟の唇が口の中で呟くようにその言を繰り返す。「そう……色々と、ね…」と。
それは私に対してというよりもむしろ、まるで先程発したばかりの自身の言葉の輪郭をなぞるようで、何か、自分自身に言い聞かせているかのようだった。
視線を遠いどこかに向け、何やらぶつぶつと言いながら考え事にふけり始める。人差し指を唇に当て、視線を空に飛ばしているときは、鎮が何か難しいことを考えているときのお決まりの癖だ。
だが、私のいたってのんきでおとぼけさん、かつ平和ボケした思考は今思えば意味深な、そして暗に何かを含んだような先程の鎮の発言や何やら考え込み始めた、そのときの表情を華麗にスルーし、全然違う思考の波へと彷徨った挙句、どんぶらこっこと、とんちんかんな方向へと流れていったのだった。
そう、弟の綺麗な顔をつくづく眺める、というありそうで意外とない機会に。
今度は私の代わりに弟が考え込んでいるのをいいことに、じじぃっと見上げる。父とも母や姉とも異なる系統の美。それを無料で鑑賞できるなぞ、家族ならではの特権だ。
カラーもトリートメントもしないのにこげ茶色の髪は思わず触りたくなるほどやわらかそうで、額にさらりとかかっている。考え事をしているせいか、きゅっと眇められた紅茶色の瞳は綺麗な二重をくっきりと描き、妬ましいほど長い睫毛が頬に影を落としている。
うーん……見た目も中身も出来すぎるくらいよくできてて、おねーちゃんとしてはちょっと淋しいぞ?そして、一歳下の弟とはいえ、男とはいえ、ほんとに綺麗な顔だな、おい。
一応女の身の、しかも姉の私としてはむしろ居たたまれなくなるくらいだ。鑑賞する分にはオッケイ、カマ~ン♪バチコーイ!!な感じなんだけど、並んで外を歩くのは比べられそうでちょっと勘弁、な感じ。
分かるよね?この気持ち。
んん?なに、何かな?鎮ちゃん、何で君がそんなに嬉しそうにするのかね?
およよのよ?どうしてまた少女漫画のヒロインのようにはにかんで頬を染めるのかね??
今度は瞳の代わりにどんどん頬が紅くなっていってますよ、にーさん?……本当に、色々と器用な子だこと。くそう……可愛いじゃないか!
「あんまり見つめられると僕も恥ずかしいよ?みんながいることだし……ね?」
ありゃりゃ、どうやら失礼なくらいに眺めていたらしい。
鎮が首をこちらにかしげながら少し、照れたようにひっそりと私の耳元に囁く。ふわっとサイブレスの香りがシャツの襟元からほんのり鼻腔をくすぐり、今度は私が赤くなる番だった。慌ててその身体を右へと押し返し、距離と空間を取る。
私の凝視のせいでせっかくの綺麗な顔に穴が空くとこでしたよ。こりゃまた失礼!失敬、失敬。失敬千万仕りました!
我が非礼を詫びてから、今度は目の前の母お手製のケーキに視線を移し、改めてうっとりと眺める。
大きな真っ白のデコレーションケーキの上には、先ほど吹き消したピンクに黄色、白などの色とりどりの20本のろうそくがまあるく、円を描くように綺麗に差されており「Happy Birthday Dear Kahori」と描かれたチョコプレートが、二十歳の誕生日だということを改めて祝ってくれているようで……心の底からじんとくる。
ちなみにケーキの土台部分はスポンジケーキではなく私の好物である、ふわっふわのシフォンケーキでできており、生クリームとたっぷりの苺とブルーベリー、ラズベリーでデコレーションされた母の力作、これぞまさにお誕生日様仕様!
そこへ母の鶴の一声が響く。「ケーキ切りましょ~」はいな、喜んで♪♪
んん…あれれ?都合よく、何かを忘れてるような気がするぞ?何かあったような…誰か会ったような………イイエ、シリマセン。ナンニモナカッタシ、ダレニモアイマセンデシタヨ?ネ?ネ?
そうして私はまたもや問題を棚上げよろしく、スルーした結果、心からにして本日最高の笑顔を母へ返したのだった。
だが……そうは問屋が卸さない、ということをこの後、すぐに思い知るのだった。
リビングのソファに転がされた非現実と言う名の、しかして確実に今この場という現実に存在する物体Xから目をそらしても何もいいことなぞないのだと。
あ、何だかもぞもぞしてる……「あ」の字の人、またの名を「歩く厄介事」にして「面倒事を喚ぶ男」、と言う名の人物が目を覚ましたらしい……。おろろ~ん……。
あぁぁぁ~~!!面倒事は間に合ってますから!!
前話まですっ飛ばしすぎた感がある気がします・・(汗)
でも、こんなお話をお気に入り登録下さった方、読んで下さった方には心より感謝、感謝です。
ありがとうございます!!