第八話 廃神さまと取引
ガタガタと揺れる景色、揺れる身体。私は石畳の上を軽快に走る馬車の中にいた。今日は大事な商談の日。私とリーナは取引先の商会がよこした馬車に乗り、相手の屋敷へと向かっていた。
今日の取引相手は、タイラーというかなりの豪商。薬や生活雑貨、さらには食料品まで取り扱うタイラー商店という店をいくつも街に展開しているらしい。かなりのやり手で知られる商人で、近年ギルドにも影響力を発揮しているのだとか。嘘か本当かはよくわからないが、ギルドマスターの座を狙っているという話まである。
何故か本が日本語で書かれていたのであらかじめ相手の情報を仕入れておいたが、正直かなりやりにくそうな人物だ。私は先がちょっと思いやられて、大きく息を漏らす。その一方で、隣のリーナは能天気な顔をしていた。まったく、平和なものだ。こっちは今日の取引に備えて、昨日は徹夜でいろいろと勉強したというのに。
「今日の取引は難しそうだわ。気合いを入れましょう」
「そうですか? 普通に仕入れの話をするだけなので、そこまで難しいとは思いませんけど……」
「普通の話をしようと思わないから悩んでるの。普通にやってたら、利益を三十パーセントも上げるなんて不可能だからね」
「……あんまり変なことをしないでくださいよ。タイラーさんから取引を打ち切られたら、うちは困るんですから」
リーナはムッとたしなめるような顔をした。私はそれにふふふと笑って答える。リーナはイマイチ納得がいかないような顔をしていたが、とりあえず表情を元に戻した。
こうしていると、馬車は通りを抜けてある屋敷の前に来た。私の背丈の二倍はありそうな高い塀と、馬車ごと出入りできるような巨大な門がどっしりと聳えている。門の隙間からは青々とした芝生と白亜の建物が見えた。西欧風の、いかにも豪奢で洒脱な造りをした屋敷だと私は思った。
私たちは馬車の御者兼案内人に連れられて、屋敷の中へと入っていった。飴色の分厚い玄関扉を抜けると、そこには贅を凝らしたある種異様なまでの空間が広がっていた。毛足の長い艶やかな紅絨毯に、天井からつりさげられたシャンデリア。宝石をこぼれんばかりにあしらったそれは、はたから見ていて落ちるのが心配なほどだ。さらに壁には精緻な細工が無数に施されていて、触れるのが怖い。
屋敷の豪華さで自分の財力を見せつけ、相手を威圧する。独裁国家などが国際行事を派手にやって国威発揚をするのと同じ理屈だ。なるほど、タイラーという人物はうわさ通りのやり手らしい。私は認識を改めると、しっかりと気を入れ直す。
その時、奥の扉が開いた。重々しく開かれた扉の向こうから、背の高い壮年の男が現れる。柔和だが底の見えない笑みを浮かべている男。彼は私たちの方へと近づいてくると、気易い様子で声をかけてきた。
「いらっしゃい、リーナさん。おや、こちらのお嬢さんはどなたかな?」
「新しくリーナ商会の外部顧問になりましたスイです。よろしく」
「ほう、外部顧問ですか。タイラー商会のタイラーです。これからよろしく頼みますぞ」
タイラーはほんのわずかに眉をゆがませたものの、すぐ親しげな態度で手を差し出してきた。まるで、遠方に住んでいる娘にでもあったかのような態度だ。まったく嫌みというものがない。私はそんな彼の手を、愛想笑いを浮かべながら握った。
「さてと、挨拶も済みましたし早速奥の部屋へと行きましょうか。商談はそちらで」
タイラーにエスコートされながら、私たちは奥の部屋へとたどり着いた。派手な玄関とは打って変わり、落ち着いた日当たりのよい部屋だ。家具など調度品のセンスも良く、クラシカルな雰囲気がする。やはり、玄関のあれはパフォーマンス的意味合いが強いようだ。
「ささ、どうぞお座りになってください。すぐにメイドに茶を用意させますからな」
タイラーは私たちを先にソファーに座らせると、パンパンと手を叩いた。すぐさまメイドが現れて、テーブルに紅茶を注いでいく。その立ち振る舞いは洗練されていて、老舗ホテルの従業員のようだった。タイラー自身の態度といい、彼は客に不快感を与えないようにするのが非常に上手いらしい。
私はメイドが立ち去るのと同時に紅茶を一口すすった。そして適当な感想を述べると、そのままタイラーと他愛もない世間話をする。だがしばらくして、退屈そうな顔になり始めたリーナがおもむろに口を開いた。
「あのタイラーさん。そろそろお仕事の話をしても良いですか?」
「おお、そうでしたな。すっかり忘れていましたぞ。うちとしてはそろそろ冷えてきたので、風邪薬を二百ほど仕入れたいのですが……去年と同じ相場でいかがですかな?」
「わかりました、それで……」
「ちょっと、待っていただけますか?」
二人の話を遮った私に、容赦ない視線が注がれた。二人とも、驚いたような顔をしている。とくにリーナは、どうしてそんなことをするんだとでも言いたそうな顔だ。眉がへの字になってしまっている。私はすり寄ってくる彼女を制すると、タイラーの方へと向きなおった。そして、出来るだけ強い口調で言う。
「去年の相場の二倍でいかがでしょう?」
「ずいぶんと面白いジョークをおっしゃる。コメディアンの才能があるとおもいますぞ」
「まじめな話です」
「……なにか、お考えでもあるのですかな?」
タイラーはここにきて初めて怪訝な顔をした。抜け目のない、商人の顔だ。先ほどまでの柔和な態度はすっかりとなりをひそめ、代わりに威圧感が前面に押し出されている。
だが、私はそんな彼など全く怖くない。こういう連中などいくらでも見てきた。むしろ、先ほどまでの柔和な態度の方が底が見えない分厄介なほどだ。冷静な気分になった私は、怯えたような顔になっているリーナの肩に手をかけると、タイラーに向かって笑いかける。
「これから言うことはあくまで独り言です。あなたは近くにいるから聞こえただけ。ということで」
「……」
タイラーは黙って指で丸印を作った。了承の合図だ。
「なんでも、この街は領主さまの方針で寄付はする方もされる方も税金がかからないのだとか。むしろ、寄付した方は寄付した分だけ税金がお安くなるそうですね。そこで私も、誰かに寄付をしたいと考えているのですが……。誰がよいでしょうか。もしうちの店の商品を高ーく買い取ってくださる方がいれば『謝礼』として、商品を売った儲けの半分くらいを『個人宛』に寄付してもいいんですけど……」
私はニッとタイラーに視線を送った。するとタイラーは豪快に笑い始める。どうやらこちらの言いたいことを正確に察したらしい。まったく、素晴らしく頭の切れる男だ。
「なるほど、名目上の利益を減らして節税しようというのか。だが、それだとそちらには利益がないな。何が目的だ」
「そうですね、出来ればいつもの三割増しほど薬を買い取っていただければ」
「よかろう、三割と言わずに五割増しの三百個買い取ろうじゃないか」
「ありがとうございます。今後ともご贔屓に」
タイラーは私に向かって、満足げな表情で手を差し出してくる。私はそれに応じて、固く彼の手を握りしめた。日本でやったら確実にアウトだが、まあ異世界だから大丈夫だろう……。そんな考えもあってか、自然と私の顔からは笑みがこぼれていた。もっとも、私のわきにいるリーナは何が起きたのかすらイマイチ理解ができていないようだったが――。