第五話 廃神さまは考える
「あの、どうかなされたんですか?」
目を見開き、固まっている私。頭が真っ白になって、何も思い浮かばない。魂が幽体離脱でもしたようだ。そんな真っ白に燃え尽きている私に、少女の青い瞳が心配そうに向けられた。ぶつかり合う視線、はっとした。私はとっさに口を押さえると、フフッと笑ってごまかす。すると少女はほっとしたように肩をなでおろした。
「変なことをおっしゃるので心配しましたよ。大丈夫ならいいのですが……」
「心配してくれてありがとう。でも、ここは一体……」
もう一度、あたりの景色を良く確認してみる。だが目に飛び込んでくるのは、エルガイアには良くあるファンタジー風の町。どう見ても、異空間などではないだろう。
まさかね……。私はとっさに以前読んだ小説の内容を思い出した。主人公がVRMMOに良く似た世界に取り込まれてしまい、現実への帰還を試みるという内容だ。読んだときはまるっきり非科学的だと馬鹿にしたが……現状を考えるとあながち無視できない。とりあえず私は少女に気付かれないようにウィンドウを出し、GMに連絡を取ることにした。
ウィンドウ自体は問題なく展開できた。私はゆっくりとその端っこにあるGMボタンを押す。すると、ほどなくしてウィンドウが切り替わった。しかしそこには『通信が切断されています』と表示されていた――。
「もしかして……トリップ? いや、でもVRの原理的にそれはあり得ないはず……。だけどこの不可解な状況は……」
私はぶつぶつとつぶやきながら、しばらく考え込み始めた。不可解な現状、そこから導き出される最悪の想定。それを解決するための脳内シミュレーション。その流れが無数に繰り返され、だんだんと行動の選択肢が絞られていく。やがて導き出された解。最適解ではないかもしれないが、私はとりあえずそれに従って行動することにした。
私はなにやら心配そうに私の方を見ていた少女の方を見た。そして私はできるだけ曇った表情をしながら、少女に告げた。
「……困ったことに、転移球が暴走したのか行きたかった場所とは全然違う場所についてしまったみたいだわ。しかも暴走のせいなのかはわからないけれど、頭がぼんやりとして記憶に混乱が生じているの。守護騎士として依頼を受けていて、危険な場所へ行く予定だったということだけは覚えているのだけど……。それ以外のことははっきりと思い出せない」
「それは……困りましたね」
少女はうなずくと、顎に手を当てて何やら唸り始めた。どうやら、彼女は私の想像していた以上に人がいいらしい。そんな善良な彼女を利用するのははばかられるが、緊急事態なのでここは仕方がないだろう。私は心を鬼にした。
私はウィンドウから彼女にばれないように金貨を一枚取り出すと、それを指先でグニャグニャと曲げた。戦乙女の力で曲げられた純金の金貨は、またたく間に歪な金塊になる。パッと見て元が金貨だとわからなくなったそれを、私は下を向いて考え込んでいる少女の手に握らせた。
「あの、これは?」
「……言いにくいのだけど、しばらくあなたの家に御厄介になれないかしら? 記憶がまともにない私が宿屋に泊るのはどうにも不安で……。できれば、できるだけ信用できそうな人のもとに居たいの。今までの様子を見る限り、あなたならたぶん信用できるわ」
「そういうことでしたら構いませんが……。これを、受け取ってしまってもいいんでしょうか?」
「構わないわ、お金なら幸いそれなりにあるから」
私がにっこりと笑いかけると、少女は困惑したような顔をしながらも金塊を受け取った。計画通りだ。人というのは、善意で貰ったものはなかなかつき返せないものである。価値のあるものならなおさらだ。今回はそれを上手く利用させてもらった。私は少女に悪いなと思いながらも、もう一度少女の方を見る。
「えっと、私の名前はスイ。これからお世話になるわ。あなたの名前は?」
「リーナです。騎士さま、これからよろしくお願いします」
「私のことはスイさんでいいわ。騎士さまなんて言われると照れくさい」
「わかりました。スイさん、よろしくお願いしますね」
「ええ、よろしくね」
リーナが私に手を差し出してきた。私はそれを固く握りしめる。こうして私は、とりあえずの生活基盤を確保したのであった――。
その夜、私はリーナの家にいた。リーナの家は薬屋といっても店頭販売をしているのではなく、道具屋などに薬を卸している問屋だった。ただし小規模なせいであまり儲かっているわけではないらしい。そのため家も小さめであった。しかし彼女は一人暮らしをしているため部屋は余っていて、私は部屋を一つ借りることができた。窓際に面した、とても質素で落ちついた部屋だ。私は鎧を脱ぐとさっそくその部屋のベッドに横たわり、月を眺めながら漫然と今後のことを考える。
私が今後生きていく上で最大の問題になってくるのは、やはり数年後に襲来する魔王だろう。やつが侵攻してくれば、間違いなく私の生活を脅かす。ゲームの所持金やアイテムがあるのでとりあえず生活費などの心配はないが、魔王がいることにはおちおち寝てもいられない。歴史通りなら勇者がそのうち倒してくれるのだろうが、必ずしも歴史通りになるとは限らない。
しかし、どうしたものか。エルガイアで以前、魔王復活イベントがあったのだがその時のスペックから考えるに絶対に私一人では勝てない。不完全な状態で復活したという設定だったにもかかわらず、イベントに登場した魔王は廃人騎士団が連合を組んでギリギリ倒せるぐらいのスペックだったのだ。隠し職に転職したとはいえ、単騎突破は無理だろう。能力の極めて高いクラン、エルガイアで言うところの騎士団を結成する必要がある。
だが困ったことに、守護騎士を統合する組織である「ギルド」は魔王来襲をきっかけに設立されたという設定だ。つまり、まだギルドはこの世に存在しない。なので騎士団を設立するには自力で各地にいる守護騎士たちを集めてくるしかないのだが……。ただ単に守護騎士だけを集めたのでは絶対に周囲から怪しまれる。目的不明の戦力など、国や周囲の人間からしてみれば怪しすぎだ。何か戦力を集める理由が必要である。
個人が戦力を集める理由……。何があるだろうか。弱ったことに魔王来襲以前のエルガイアはとても平和な設定なので、魔物に備えてなどの理由は使えない。山賊などに備えて……というのも駄目だろう。賊に備えるために個人がわざわざ騎士団を設立するなど、明らかに過剰だ。どう考えても怪しまれる。
なかなか考えがまとまらない私は、枕に頭をうずめながら考え込み始めた。しかしその時、はたと気づく。個人で戦力を集めようとするから駄目なのだと。ようは騎士団の隠れ蓑としてペーパーカンパニー、この世界の場合は何かの商会でも設立すればいいのだと――。