第二ヴァイオリン/リーゼロッテ Ⅴ
「今日のところはまあまあかな」
家路についたのは、見回りの警備員に有無を言わさず学校から追い出されるほど遅くなってからだった。日付が変わる直前の夜空に月はなく、吐き出す息は暗闇に溶けていく。粉雪はだいぶ前に止んだようだったが、予想通り地面はうっすらと白い膜を被っていた。
「ヴァイオリンを弾いてるとき、あんた気持ちいい?」
「……あまり考えたことないわ」
へえ、とどこかしら残念そうなフリーダの相槌を聞きながら、コートのポケットの中で、じくじくと痛む指を擦り合わせる。今日だけで指先が変形してしまっている気がした。
「デュエットのとき、ぴったり合うと、もうあれは性的な快感っていうか、それをはるかにしのぐっていうか」
どうも彼女はその手のきわどい話題が好きらしい、とこれまでの記憶も合わせてリーゼロッテは結論づけた。個人の嗜好をどうこういう趣味はない。ないが、それでもリーゼロッテはそういう話題は苦手だった。うまく対応できない。
「…………変態?」
途端にフリーダは噴きだした。笑い声が人気のない道に広がる。余程おかしかったのか、立ち止まって身をかがめ、顔に血を上らせて果てには呼吸困難に陥っている。
「いやー、あんたが、そういう、口を、利くとは」
「おかしい?」
「うーん、どうなんだろ、予想外?」
うまくいえないんだけど、と短く息継ぎをしながら、不意に真面目な顔になって彼女はリーゼロッテを見た。
「悦楽というか陶酔というか恍惚というか、とにかく満たされたかんじというか」
ああでも悦楽とかいうとやっぱりおんなじかな、などと直後に自分の言葉がツボに入ったのか、身を反らせて爆笑しはじめたフリーダに呆れて、リーゼロッテは彼女を置いていくことにした。
「あたしたちもっとよくなるよ」
まだ赤い顔をしたフリーダはスカーフをゆるめて、角の街灯の下に立ったまま手をひらひらと振った。彼女の左顎の下がどす黒く鬱血しているのが目に入って、リーゼロッテは何故か安堵した。楽器を強く押し付けることによって付くその痣は、自分にもある。
自分達にも、共通するところがないわけではない。
その発見に免じて、リーゼロッテは手を小さく振り返した。