第二ヴァイオリン/リーゼロッテ Ⅲ
おかしい。
リーゼロッテは自分が急激にうしなわれる感覚にとまどった。
絡まる音色は境界をあいまいにする。
形あるもののようにまとわりつく旋律が、思考を次々と攫ってゆく。
今弾いているのはリーゼロッテか、フリーダか。
どこまでが自分で、どこまでが相手なのか。
焦りもまったく歯止めにはならないまま、脊髄をビブラートが駆け上った。
世界が揺らいだ。そして、意識が欠けおちた。
* * *
二人とも第一ヴァイオリンのパートを弾いていることに気付いて、演奏を止めたのはほとんど同時だった。沈黙にいたたまれずに、リーゼロッテは目を伏せる。
「……もっとよく聴いて。あんたは確かに上手いけど、余裕がない」
あたしたちはそれを見せちゃいけないんだから。
フリーダの指摘にリーゼロッテは奥歯を噛み締めた。あなたこそ色気垂れ流しの変な音でこれを弾くのはやめたほうがいいとか、自分がソロではないときはもっとひかえてほしいとか、苦情が喉の奥にあふれて言葉にならない。
八つ当たりだとわかっていた。そんなことは自分の犯したミスに比べたら大したものではない。
(あなたが上手に弾けるようになったら)
心の中、ぽつりと浮かび出てきた囁きに反論する。
上手というのは、どういうことだ。何年弾いても間違えてばかりだ。今のように。少し上達したと自惚れれば、すぐに壁が行く手に立ちふさがっている。たとえば、この甘い毒のような音が。
失敗を詫びるために口を開いた先に、陽気な声でさえぎられた。
「それともあんた、もしかしてファーストが弾きたかったの?」
嘲われたと感じた瞬間、頭に血が上るのが他人事のようにわかった。
いいえ、と押し殺した声でつぶやく。違う、第一ヴァイオリンになりたかったからファーストパートを弾きはじめたというわけでは、けっして。
「ならいいんだけど。交換する? って言ってあげたいところだけど、あたしもせっかくの第一ヴァイオリンを譲りたくないし」
「結構よ、そんなこと。……うぬぼれるのも大概にしたら? どちらがファーストかなんて、聞いただけではわからない曲だわ」
「でもあたしたちはそれを知ってる人達の前で弾くんだよ」
学内コンサートには、学内のすべての教師が列席し、そして上の学校からも教師が招待される。
プログラムに記載される名前が後になればなるほど、それは生徒が優秀だということを示す。上級に進みたいなら、それが自分を印象付ける一番手っ取り早い道だ。
そして通常、レベルが高い方の演奏者が第一ヴァイオリンを受け持つ。
目をそむけていたことを、無理やりに突きつけられた。
怒りで目の前が白くなるのは、それがすべて真実だからだ。
(あなたが上手に弾けるようになったら、いつか一緒に演奏しましょう)
やわらかな声が、記憶の向こうから誘いかける。
……重奏は嫌いだ。
自分が何をしているか気がつく前に、ヴァイオリンから肩当てをむしり取り、楽器をケースに放り込むような勢いで片付けていた。
「ごめんなさい、今日はもう、失礼するわ。あなたと練習できる気がしない」
リーゼロッテは今度こそ心置きなくドアを叩きつけた。