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第二十一話:『新都の胎動、堅実なる都市計画』

建安十六年(西暦二一一年)、秋。


長江を渡る風はすでに鋭く冷気を孕み、秣陵の地には、ねっとりとした昏い泥の匂いが立ち込めていた。


工事の本格的な着工を前に、歩隲は主君・孫権の仮宮(かりのみや)へと召し出されていた。


まだ二十九歳の若き雄主は、机上に広げられた秣陵の白地図を燃えるような眼差しで見つめ、卓を叩いて熱く語った。


「私はこの秣陵を単なる治所にとどめるつもりはない。長江の利を完全に掌握し、北の魏や西の蜀がいかに押し寄せようとも、一歩も踏み込ませぬ不落の防波堤、すなわち我が呉国の永遠なる基盤『建業』として生まれ変わらせる。お前が交州で培った比類なき開拓の手腕を以て、我が国の生存の盾を、文字通りこの大地に建てるのだ。頼むぞ」


孫権の言葉は熱く、江東を死守せんとする執念の青写真に満ちていた。


「御意。主君が天を翔ける龍ならば、臣はその爪先が踏み締める大地を盤石にいたしましょう。いかなる壮麗な宮殿も、土台が揺らげば一朝にして灰塵に帰すもの。この歩隲、命を賭して新都の骨組みを築き上げます」


心中に秘めたるは、主君の青写真を机上の空論で終わらせぬための、冷徹なまでの「実理の数理」であった。


しかし、一歩朝議の場へ戻れば、そこは言葉の虚飾が編み上げる、形骸たる仕組みの魔窟であった。


錦衣をまとった伝統門閥の官僚たちが、前例と格式ばかりの空虚な議論を戦わせていた。


彼らが熱を上げるのは、主君の威光を飾るための華美な「上物」の意匠ばかりである。


その実理を欠いた空論の応酬を、歩隲はただ冷然と見つめていた。きらびやかな宮殿の建築という花形の役職から余所者を追い払い、泥に塗れさせるための冷遇であったが、国家の一大事業におけるこの完璧な「分業」こそ、歩隲の望むところであった。


翌朝、歩隲は交州から引き連れてきた、開拓の経験を持つ精強な三万の私兵を率いて現場に立った。


他の役人たちが衣服の汚れを嫌って遠巻きに命じる中、歩隲は高台に立ち、冷徹な眼差しで眼前に広がる広大な泥濘を見据えていた。


彼は自ら無闇に鍬を振るうような真似はしない。ただ、手元の日録に長江の水流抵抗、大地が孕む粘土質の保水力、起伏の傾斜をすべて数理へと置き換え、測量網を張り巡らせていく。


その時、現場に激震が走った。


門閥の役人たちが前例と見栄えだけを重視し、泥濘のきわに強行して建てようとしていた巨大な主殿の石垣が、土台の泥に耐えかねて沈み込み、崩落しかけたのである。


「水が湧き出して止まらぬ! 石垣が沈むぞ!」「前例の通りに積んだはずなのに、なぜだ!」


現場の役人たちが衣服を泥で汚しながら右往左往し、パニックに陥る中、歩隲は微動だにせず、ただ冷徹に手元の日録の数式を書き換えた。


「狼狽するな。大地の物理質量を無視して上物を載せるからそうなる。前例の紙切れなど、この秣陵の泥の前には無力だ」


歩隲は高台から指図棒を鋭く振り、三万の私兵へ的確な指示を飛ばした。


「第一隊、北の排水路を三尺埋め戻せ。第二隊、東の遊水池へ向けて斜めに新たな割溝を穿て。水の逃げ道を変え、大地の圧を逃がすのだ」


一分の狂いもない差配により、精強な兵たちが一糸乱れぬ動きで大地を切り裂いていく。ほんの一刻ののち、溢れかえっていた泥水はあらかじめ歩隲が設計していた水路網へと一気に吸い込まれ、沈みかけていた石垣の足元は急速にその水分を失って強固に引き締まった。


崩落の危機は、歩隲の圧倒的な数理の監督力によって完璧に未然に防がれたのである。


役人たちが己の無知を恥じて黙り込む中、歩隲が引き直した「水路網と軍需倉庫」の設計だけが、確固たる大地の土台として新都の泥の上に刻まれていった。


◇


歩隲が指揮を執る工事現場の足元には、乱世の戦火に追われ、新都へと流れ込んできた難民や労働者の家族が溢れていた。


老婆や子供たちは、冷たい泥水に足を浸し、飢えと寒さに身体を震わせながら、重労働に喘ぐ父や夫の姿を見つめている。


生垣に囲まれた、まだ荒削りな歩家の自邸勝手口。そこに佇む淑玲の前に、泥にまみれた市井の民が、寄る辺なく立ち尽くしていた。


淑玲の脳裏に、かつて廬江の極貧時代、飢えの極地で自分たちを生かしてくれた、あの不揃いでいびつな瓜の記憶が鮮やかによみがえる。


彼女はからっとした温かい微笑みを浮かべ、民の無骨で、ひび割れた掌の上に、そっと一握りのいびつな瓜の種を載せた。


「これはね、泥水しか出ないようなひどい荒地でも、ドブ板の脇でも、手をかければたくましく育って、驚くほど甘い実をつける瓜の種なの。土はね、裏切らないよ。これを育てて、家族で分け合ってお食べ」


民は涙を浮かべ、その小さな種を、まるで天からの至宝であるかのように懐へと深く仕舞い込んだ。


過酷な税と、宮殿を飾る言葉の虚飾に満ちた中央の監視の網の目をすり抜ける「生存の合理の種」が、いま初めて、市井の泥へと密かに下ろされた瞬間であった。


◇


深夜、秣陵の夜風が蝋燭の灯火をかすかに揺らす中、歩隲は自邸の中庭に作った小さな家庭菜園に、ひとり佇んでいた。


ここで初めて、彼は官衣を脱ぎ、暗闇の中で静かに土を耕した。


かつて廬江の極貧時代には、生きるため、明日の飢えをしのぐための痛切な「義務」であり「労苦」であった土いじり。


しかし今、国政の心臓部に足をかけ、三万の兵を差配する歩兵校尉となった彼にとって、この時間は純粋に自然の摂理と対話し、実を結ぶ奇跡を無心に愛でて「ご機嫌」を保つための「趣味としての家庭菜園」へと昇華していた。


冷たい土に指先で触れ、一粒の種を埋める。


その瞬間、昼間の権謀術数や、主君との謁見、臨機の才を試された土木の指揮で張り詰めていた脳裏の焦燥は音もなく霧散し、胸中の鬱屈が清められていく。


瓜売りの男であった頃の初心へと心が静かに調律され、中央の雑音は消え去った。


「あなた、夜更けに失礼いたします」


背後から、温かい白湯を持った淑玲がそっと歩み寄ってきた。


彼女は中庭の柔らかな土を見つめ、昼間の出来事を少し伏し目がちに打ち明けた。


「実は今日、勝手口に集まった泥だらけの民に、あのご先祖様のいびつな瓜の種を、あなたの許しも得ずに一握りずつ分けてしまいました。お上の厳しい徴税や、門閥の方々の目に留まれば、無断の物資流出として、あなたに累が及ぶのではないかと……後から恐ろしくなりまして」


歩隲は鍬を止めると、振り返って彼女を見つめた。

その口元には、昼間の冷徹な監視の目とは異なる、深く、温和な二重の笑みが浮かんでいた。


「案ずるな、淑玲。前例や格式、空虚な法度では民の胃袋は一粒の米すら満たせぬ。お前が今日、民の掌に蒔いたその小さな種こそが、いずれお上(かみ)の網の目をすり抜け、この国を底から支える本物の力となる。むしろ、これからも困っている市井の民がいれば、私の名に囚われず率先して分け与えるがよい。……土は、決して裏切らぬのだろう?」


「はい、あなた……」


淑玲はからっとした笑顔を取り戻し、歩隲の言葉を胸に深く刻み込んだ。


夫婦の密やかな意思のもと、言葉の虚飾に抗う生存の合理が、確かに噛み合った瞬間であった。


その暗闇の庭を、部屋の庇から見つめる三歳の長男・歩協の、張り詰めた眉根があった。


父の完璧な背中と、母の交わす言葉を見つめるその幼き瞳には、すでに父の背負う「合理」を一分の遅滞もなく処理せねばならぬ義務として、己を追い詰めようとする悲しき呪縛の影が宿り始めていた。

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