第七章 責任の取り方
窓を開けると、早朝の少し肌寒い澄んだ空気が流れ込む。不思議と晴れやかな気分だ。無事に一大イベントを終えたのが大きいだろう。
「失礼します、だ……」
起こしにやって来たドリナは、既に身支度を整えているウィルに目を丸くした。
「今日から使用人は二人だけだし、自分でできることは自分でしようと思って」
「有り難い申し出ですが、王族に連なる方にご不便をおかけするわけには……」
「不便だなんて思わないよ」
下着まで着せてもらう貴族の箱入りの子息ならいざ知らず、ウィルは貧乏学生だ。
「窓拭きでもモップ掛けでもなんでもやるよ」
「やらなくて結構です!」
温厚な彼女が珍しく金切声を上げた。
くれぐれも何もなさらないでください、とできた侍女に念押しされ、ウィルは朝食のために食堂へ向かった。昨夜の収支報告書を見ながら、欠伸交じりのローザが給仕したパンとスープをつつく。そこへ、元使用人たちがぞろぞろ現れた。全員集合と言うわけではなく、数は元の三分の二くらいか。
「昨日はありがとう」
まだ城に残っていたのか、と呆れながらも笑顔でねぎらう。
「皆、素晴らしい働きだったよ。何人かに褒めてもらったんだ。これなら君たちの就職先もすぐ決まるだろう」
使用人たちは黙っている。スープが冷めてしまう、と思いながら言葉を待っていると。
「私たちをあなたの元でもう一度、働かせていただけませんか?」
あなたは主じゃない、と非難した気の強そうな侍女、レカの発言に、少なからず驚く。
「私、旦那様のこと、誤解していました。敵国の出身だからとあなたを見る目が曇っていました。あなたがどんな思いでこの国に来たのか、知らなかったし知ろうともしなかった」
使用人たちは深々と頭を下げる。
「厚かましいお願いだってわかっています。下働きでも何でもやります。私たちをお傍に置いてくださいませんか」
「随分移り気だな」
彼女たちの言葉を嬉しいと思う反面、素直に受け入れられない気持ちが口をつく。
「不信感を持たれるのは当然です。風見鶏のような変節ぶりに呆れていらっしゃるでしょう。でも」
先頭に立つ侍女の瞳は揺るぎない。
「私には年の離れた兄がいました。優しい兄でした。厳しい父母の目を盗んでお菓子やリボンをくれたり、人形遊びに付き合ってくれたり、少しかさついた大きな手で私の頭をなでてくれました。
私は戦争の時、子どもでした。何の力もないただの子どもでした。年の離れた兄が死地へ行くのを引き止めることも、兄の葬儀をあげることも、まして戦争を止めることなんかできなかった。
私には弟もいます。もう二度と家族を失いたくないし、同じ思いを他の人にしてほしくない。成人した今だって、自分に力があるとは思えません。敵国に一人来たあなたと比べ、私の覚悟なんて薄っぺらなものでしょう。でも、私だって何かしたい。何か、できるなら」
「ありがとう」
固く結んだ、彼女の拳に触れる。
「一先ず君たちを半年間、期限付きで雇用する。給与は五パーセントカット」
彼女らの唇は無念そうな一本線になったが、やむを得ない。
「当たり前だけど、職務放棄をした人間を同じように雇用し続けることはできない。そうじゃないと真面目にやっていた他の人たちに示しがつかない。後のことは君たちの働きぶりを見て決める。それで良ければ」
殊にサービス業の内訳で、最も大きいコストは人件費だ。相手が納得する形で賃金のカットに同意してくれるなら、これ以上のことはない。
「絶対、認めさせてみせます」
闘志に煌く瞳に苦笑いを返す。彼女たちには悪いが、努力は関係ない。
「じゃ早速、一人で掃除してるドリナさんを手伝ってあげてよ。啖呵きったのはいいけど、正直人手が足りなくて困ってたんだ。きっとこれから、ますます足りなくなるはずだ」
使用人は現状二名、内一名は不真面目だ。身の回りのことができるウィルだけなら問題ないが、客を招く場合もある。人の手は幾らあっても困ることはないだろう。
「はいッ!」
気持ちの良い返事をして、残留を決めた使用人たちは部屋を出ていく。
「旦那様はお人好しですね。もう一度チャンスをあげるなんて」
控えていたローザがぼそりと呟く。確かにあれだけ堂々とストライキした人間を再び雇用するなんて考えられない。と言うか、こんな無礼な口を叩く侍女を首にしない自分の気の長さに眩暈がしそうだ。しかし。
「そうでもないよ。ベンツェ君、残ってくれる?」
黒髪の、年若い侍従が振り返り足を止める。
「悪いが君には辞めてもらう」
ウィルの胃は重かった。他人に解雇を告げる仕事ほど嫌なことはない。勿論、解雇を告げられるのはそれ以上に嫌だが。
「僕は真面目にやって来たつもりです!」
「君は人望も厚く、遅刻や欠勤も少なく、勤務態度も真面目で、万事そつがない、と言うことは他の人から聞いている。そんな君ならどこに行っても問題ないと思ってね。今回のことお咎めなしとはいかない。誰かが責任を取らなくてはいけないんだ」
「責任をとると言うなら年上で侍従長だったナーンドルさんの方が適任のはずです」
「君の言うことは尤もだが、彼には兵士として死んだ息子の他にも養うべき家族がいる。君は天涯孤独なんだろう?」
「そうですが。何故俺なんですか? 俺のような立場は他にもいるはずです」
「本当にわからない?」
ウィルは困惑して眉根を寄せる。多少打ち解けた使用人たちに、「しかし、ストライキなんて凄いことを思いついたな」「このメンバーでやろうって決意したのはなんで?」と尋ねた。そこで複数の人間から彼の名前が出てきた。
年若い侍女たちに「エースターの人間が王配だなんて」と煽り、侍従仲間に「複数で動けば辞めさせられることはない」と唆し、ドリナに「他の人もやっているのに」と脅し、年長の侍従長に「リーダーはあなたしかいない」と説き伏せた。
「君だって、そこまで拒絶するような男の下で働くのは嫌だろう」
影で暗躍していたのは彼だ。だと言うのに、他の使用人たちがウィルを非難していた際には余計なことを言わず、リーダーにもならず、ひたすら目立たないようにしていた。
そぞろに不気味なものを感じる。
「それについては申し訳ありませんでした。先ほどの彼女たちのように悔いて態度を改めます。ですから」
王宮で働けないのは困ります、と小さな声で呟く。零れ落ちた末尾は本音に聞こえた。
「俺の何が気に入らなかったんだ?」
他の使用人たちのように家族を戦争で殺されていると言うのなら、エースター人の排斥に熱心になるのはわかる。けれど、身の上書には両親病死と書かれている。では、ウィル個人への怨恨だろうか、と改めて彼の顔を観察したが、全く見覚えのない顔だ。ならば、他の使用人たちのようにウィル個人への、或いはエースターと言う国への個人的な憎悪の可能性は薄い。考えても全くわからないので、試しに疑問をぶつけてみる。
「エースターの人間を国の中枢に迎えては、この国が乱れると思ったからです」
答えは平坦で揺らぎがない。嘘だと直感した。感情で動く人間ではない。もっと計算高い人物だ。
あなたは自分が思っている人とは全然違った、これからもあなたの元で働きたい等と耳障りの良い言葉を並べ弁解している若い使用人に、不思議な印象を受ける。憎悪や愛国心と言った情熱に突き動かされていると言うよりは、自分の筋書きが上手く行かず焦る劇作家のようだな、と。
「君の懸念は尤もだ。そうならないように、これから自分の行いで示していくよ」
スプーンを手に取り、中断されていた朝食を再開する。
「君が王宮に固執するのはわかる。確かに魅力的な職場だ。給金も高く、行儀見習いも身につけられる。王宮で働いているだけで自慢の種になる。君が築いてきた人間関係もあるだろう。もしかしたら素敵な結婚相手や外国大使の目に留まるかもしれない。でも君は、自らの行いでその職場を放棄したんだ」
下がるように手で促し、すっかり冷めたスープを口に含む。
「紹介状を書くよ」
一瞬、こげ茶色の瞳が鋭い殺意でウィルを射抜いた。それは彼が初めて見せた、彼本来の強い感情だった。しかしそれらを黒の前髪で覆い隠して一礼し、若い使用人は退出した。
その日の午後、ウィルは彼の紹介状を記した。
『真面目で働き者、人間関係も申し分なし。但し、腹に一物あり』
こんな紹介状ではまともな職場は雇わないだろうが、彼を瑕疵のない使用人として紹介しては、ウィルの、ひいては王宮の信用に関わる。十分な退職金を払い、他の使用人たちに事情を説明し、荷物をまとめさせ、その日付で彼を解雇した。




