第六章 女王陛下の王配候補
窓から西日が差す頃に晩餐会がはじまった。長机には幾つも椅子が並べられ、銀食器は輝かんばかりに入念に磨かれ、繋ぎ目のない白いテーブルクロスに紋章入りのテーブルランナーがかけられている。もちろん、床にも埃一つ落ちていない。花瓶には見栄えは良いが香りは食事の邪魔にならないくらい控えめな、ダリアやガーベラなど晩夏の花が活けられている。主菜はエースターで流行りの子牛のカツレツ。味見は前日までに済ませてある。薄く切った肉を、これでもかと叩いて薄くし、小麦粉と貴重な溶き卵をたっぷりつけ、挽き立ての香辛料を混ぜたパン粉をまぶした一品だ。
衣食住を満たすことは、家政学の基本理念。よく家事と混同されるが、ウィルが学んだのは主にそれに伴う金の流れが主である。酒宴は費用がかかるものの、家臣団を結束させるのに重要なイベントだ。料理長が腕を振るってくれたおかげで、試作の時より美味しく感じる。腹を満たされ、機嫌のよい招待客たちの口も弾む。席順を熟考したお陰か、目立ったトラブルもないようだ。パートナーとばかり会話することはマナー違反なので、ウィルも近くの席の高官の夫人たちと交流を深める。主な話題はエースターの最先端のファッションについてだ。幾つになっても女性は流行に敏感だな、とこっそりと思った。
デザートに、シルバーシュゴンボーツが運ばれてきた。使用人たちと額を突き合わせて相談しただけあって見栄えも味も悪くない。
「まあ、可愛らしいわ」
「面白い趣向ね」
高評価にウィルは内心ガッツポーズをした。
休憩を兼ねたお色直しの後に酒宴の時間となった。侍従たちが左右に扉を開くと光が溢れた。吹き抜けのホールは揺らめく灯りに照らし出され、翻る衣服が見るも鮮やかだ。天井には王家や臣下の騎士のものと思しき旗がかかっている。中には、何故か不吉の象徴であるはずの黒い鳥の紋章まである。
全体的にエースターの舞踏会を知るウィルの目にはややくすんでいるが、古代帝国式の柱、軽食が盛られたテーブルは花々で彩られている。その様子はさながら神話に出てくる神殿のようだ。溢れんばかりの、この舞踏会に招待された名誉な人々の視線が一斉にウィルたちにくぎ付けになる。場を満たしていた管弦楽の音色が盛り上がり、クライマックスの重厚な和音で締めくくる。
「皆の者、ようこそ。私の婚約祝いに駆けつけてくれたことに感謝する」
よく響く声の女王の新たな装いは雪のように白いが、襟や裾には色刺繍、そして胸元を飾る大きなリボンがアクセントとなっている。王冠も宝石の類も一切身につけていないのに、広場中の光を浴びているかのように煌びやかだ。
「今宵は楽しんでくれ」
招待客に愛想を振りまきながら絨毯を踏み、中央に並べられた二つの席へ辿り着いた。
「どこへ行くんだ?」
女王を先に座らせると、踵を返して招待客の間に割って入る。そして、演奏を終えて一息ついた楽団から楽器を借り受ける。
ウィルは馬には乗れないが、学園で専門の家政学の他に一般教養である文法、修辞学、弁証法、算術、幾何学、天文学、音楽の自由七科を学んでいる。家政学と違い、音楽の分野では人の心を動かす演奏ができるような天才ではない。それでも譜面通りに弾くくらいはできる。
手にした楽器は三弦ヴィオラだ。形はヴァイオリンに似ているが平たく、音を奏でるのに弓を使うものの三つの弦をいつも同時に鳴らし、指使いはリュートやギターに近い。主にジプシーが使う、オノグルとその周辺国でしか使われない楽器だ。エースター人のウィルがこの楽器を演奏する。それがこの国を、文化を、女王を尊重すると言う意思表明になると考え選んだ楽器だが、今まで弾いたことなどなく、ここ最近はほぼ毎日猛練習した。演奏する曲は今オノグルで流行っている舞踏曲、楽団とも打ち合せ済みだ。そんな素振りを見せず、涼しい顔で弓を操る。
締めくくりの和音にビブラートをかけ、弓を上げた。わっと歓声が上がる中を、今度は道化師のように大袈裟に礼をした。気障な動作に反感を覚える人もいるだろうが、今日はお披露目の場。悪目立ちをした方が、記憶に残らないよりはずっと良い。
顔を上げると「楽器を弾けたのか」と女王すら目を丸くしていた。サプライズの甲斐があったと言うものだ。
「オノルグの紳士淑女の皆さま、本日はお越しくださりありがとうございます。皆様にお会いできて、嬉しく思います」
ウィルは声を張り上げる。
「皆さま心中さぞかし穏やかではないでしょう。敬愛する女王陛下の配偶者がどこの馬の骨とも知れぬ、しかもエースターの若造、と。
あなた方がエースターを敵視しているのは何故か。数年前まで戦争をしていたからです。傷つけ、傷つけられたからです。しかし今、互いに敵対しているわけにはいきません。二人が争えば三人目が喜ぶ。三人目が誰のことを差しているか、おわかりですよね?」
言葉を切った一呼吸の間に、彼らの念頭に北上しつつある帝国が思い浮かんだだろう。
「我々は互いに手を取り合うべきです。そのために、この国は自ら富まなければならない。俺は戦争以外の方法でこの国を飢餓から救ってみせます」
できるのか? 疑問の声がぱらぱらと上がる。
「できます」
力強く言い切り、「それには」と続けざま、深く頭を下げる。
「あなた方の協力が必要です。どうかお力をお貸しください」
一仕事終えたウィルは女王の元へと戻った。
「驚いたな。皆の前であんなこと宣言するなんて」
招待客たちを笑顔で睥睨しながら耳を寄せ、女王が囁く。その吐息に耳が震えそうだ。
「イロナさん、俺は流されるままここに来たけど。ここには俺の意志で立っている。何としてもオノグルとエースターとの戦争を回避してみせる」
間近に魅力的な女性がいてドキドキするが、真剣な話なので腹に力を入れて向き直る。
「戦争はこの国を富ませて来た。でも俺は、戦争は仕方なかった、あの死は必要だったとはどうしても思えないんだ」
ストライキした使用人たちを思った。死んだ父を思った。家族の死は必要な犠牲だった。そう言い聞かせて涙を堪えるのはある種高潔ですらある。でも子どもだったウィルは泣きわめいた。こんなのは間違いだと拒絶した。肉親の死を納得できるはずがない。
「彼らだって本当は家族を失うなんてことしたくなかったはずだ」
そこにあるのは、二度と自分のような思いをさせたくないと言う暗い決意だ。
一生で食べる小麦の量。一生に稼ぐ収入の額。そうやって人間のある一面を切り取って数値化することはできる。しかし誰が、家族の価値を金で換算することができるだろうか。 命は掛け替えのないものだ。掛け替えのないものには値札がつけられない。人一人失うのは多大な損害。有能な経営者なら、損失は避けるべきだ。
「君の言う通り、犠牲を払わずに済めばどれほど良かっただろう。だが君は、この国の飢える人々を救う手立てを持っているのか?」
「エースターを含めた、周辺国との貿易だ」
貿易は、戦時では成り立たない。貿易で賠償金以上の利益を生み出すことができれば、戦争を起こすことを躊躇うはず。
「貿易と言うのは輸出と輸入で成り立つ。私は輸入に耐え得る商品を見つけられなかった。歴史ある大国出身の君が見て、この国に富を生み出すものはあるのか?」
「わからない。だけど俺は全てを見たわけではない。価値のあるものを、国の草の根かぎ分けてでも探し出す。そしてそれは、この国で生まれた君たちの助けを借りれば、より早く見つかるだろう」
「存外正直者だ。具体的な方策はノープランということだな」
棘のある言葉が返って、失敗したかと自嘲する。
それでも、真っすぐウィルの真意を問うてきた彼女に、嘘や誤魔化しの上で関係を築きたくなかった。商売は信頼が大切だ。偽りの上の商売は長続きしない。
「確かに今のところ俺の計画は夢物語だが」
虚勢でも笑顔で、ウィルはウィンクをしてみせる。
「やってやるさ。なんたって、俺は女王陛下……イロナさんに見込まれた男だからね」




