第五章 婚約式前哨戦
指輪を嵌めた時、硬い指だな、と思った。掌が、特に指の付け根が厚い、剣を握る者の手だ。次に女王がウィルの指に指輪を通し、互いに婚約指輪の交換が終わる。
これは互いの所有物を譲渡することで締結する、一種の契約だ。しかしウィルの方の指輪は残念ながらオノグルの宝物庫産である。先祖伝来の指輪でもあれば良かったのだが、シュルツ家には財産と呼ぶべきものが無いので仕方ない。それでも自分が選んだ金の指輪が女王の、女にはやや無骨な指に嵌っているのを見ると、不思議な感慨があった。
白いリネンのサープリスと絹糸で刺繍されたストーラを首にかけた主任司祭が有難いお話をし、パンと葡萄酒を神に供える。二人は婚約証明書に署名し、祈り、招待客の前で誓う。途中聖歌が奏でられ、神聖だが長く退屈な式がようやく終わった。
オルガンの演奏の中、二人は手をとりあって招待客の中を進む。敷かれていた絨毯が途切れ、教会の扉を出ると詰めかけた観衆たちがわっと歓声を上げた。以前の敵国、エースターの青年を迎えることに賛否はあるが、少なくとも表面上はそんな様子は見当たらない。周囲をそれとなく警戒しつつ、笑顔のまま女王と共に黒塗りの馬車に乗り込む。
扉が閉じた瞬間、長く息を吐き長椅子に背を預ける。黒塗りの馬車は防犯上の理由で中が見えないようになっている。衆目のない宮殿までの道のり、つかの間の休憩だ。
「疲れたか?」
正面には女王が少し笑みを堪えながら座している。執務中は真紅の軍服姿だが、今はドレス姿だ。この国の国旗にもある鮮やかな赤のベルベット、金糸で柘榴をモチーフにした刺繍がされている。シンプルなようだが気品に溢れ、普段詰襟で隠されていた意外にも細い首のライン、ルビーの首飾りをした女らしいデコルテをウィルは直視できない。しかもきっちり結い上げていた髪を緩いシニヨンにし、花をさしている。猫のような瞳は相変わらずなのに、髪型と服装でここまで違うのかと、彼女の魅力を再発見した気がした。
「いや、全然。陛下は大丈夫?」
男は見栄を張る生き物である。特に美女の前では。
「私は戦勝パレードで慣れている。強がらなくてもいい」
「俺は大丈夫だけど頬の筋肉はそうでもないみたい」
ちらりと懐中時計に目をやる。スケジュールよりやや遅れているが誤差の範囲だ。まだ序盤だが先が思いやられる。この後、家臣や外国大使たちと立食パーティー、晩餐会、舞踏会……予定が目白押しだ。
「私も大丈夫だが、足が変な感じだ」
「どうした? 靴が合わないとか?」
「そうではなく、落ち着かなくてな」
女王はドレスの裾を摘み、ひらひらさせる。宝石で飾られた靴を履いた踝や足の甲がチラチラする。そう言えば彼女はズボン姿が多い。ドレス姿を見るのは久しぶり、と言うより初めてだ。
「陛下は軍服とドレス、どっちの方が好きなの?」
「ドレスの方が心許ないな。防御力が無いから」
「ぼうぎょりょく」
「あと、馬にも乗りにくい」
「馬に乗る必要があるのは、女王だから?」
もしかして、彼女は兄王より自分が王に相応しいと示さなければならなかったのではないか。戦争するしかないこの国で重臣や国民が求めていたのは、強い王、戦える王、勝てる王だ。だから本来は着飾ることに興味津々であるはずのうら若い娘は、男がしているような格好をするしかなかったのではないか。
「馬に乗るのが好きだからだ」
けろりと答えた彼女に、そう言うことじゃない、と呆れてしまう。
「まあ、好きで着てるならいいけどさ」
自分の独りよがりな同情なんかお呼びでないだろう。けれど、ドレス姿が似合っていると、夫になるかもしれない身でそれだけは伝えておこうと、重い口を開く。
「言い忘れてたけど、……そう言う格好も素敵だよ」
「ぷふっ」
女王はくしゃみし損ねたように笑いを堪えている。
「なんで笑うの?」
せっかくなけなしの勇気を振り絞ったのに、と憤慨が漏れてしまう。
「いや、悪い。そんなの言われたことがなくて。エースターの貴族はみんなそうなのか? オノグルの男はみんな口下手で、へつらったりおべっかを言ったりしないものだから」
「あのさ。他の貴族は知らないけど、俺、家族以外の女性と接する機会が無くって。口説き文句なんか使ったことない。
つまり、俺がかなり頑張って、あなたに好意を伝えていると理解して欲しいのだけれど」
「え」
女王の頬がさっと朱に染まり、キャラメル色の長いまつ毛を臥せる。
「そうか……。その、ありがとう」
「あ、うん」
珍しく女王が照れたので、こっちまで照れてしまった。気まずい沈黙が場を支配する。
「では私からも言わせてもらおう。なかなか似合っているぞ」
ウィルは黒い綿詰め上着と柘榴色のマントを羽織っている。衣装係のローザが「ひ弱ですぅ」と言いながら詰め物をして胸板や肩回りを拵えた。貧乏性のウィルはあまり装飾が好きでないのと、今日の主役が女王陛下であると言うこともあって、金で縁を刺繍してある以外は全体的に地味で、首元も細い立て衿、袖は紅のカフスをするに留めている。靴は遺憾ながらシークレットブーツだ。女王はやや長身で男のウィルと同じくらいの身長なので、女王がヒールを履けばウィルも同じだけ高くならなければならない。
「それから肌の色つやも綺麗だな。もしかして化粧をしているか?」
「ローザが白粉をはたいてくれて」
彼女に口酸っぱく注意され、あのよくわからないローズマリー入りの液体を毎日塗り込んだところ、不思議なことに腫れがひいた。今も赤みは残っているが、凹凸は無く、白粉で誤魔化せるくらいになってる。さらに眉を整え、アイラインで切れ長な瞳を演出し、当ウィル比五割増しくらいにイケメンになっている。美容や化粧の効果は偉大だ、女が躍起になるのがわかる。
そんな話をすると、女王が「命の水だな」と呟いた。
「何その大層な名前」
「二百年ほど前に、オノグルの王妃が痛風に悩まされていた。そんな彼女の元に教皇のお膝元であるイォドールの修道院からこの水が献上された。その水を使ったところ、彼女は若々しさと美しさを取り戻していった。後にこの王妃は七十二歳のときに二十歳の隣国の王子にプロポーズされたそうだ。だから我々はこの魔法の如き水を命の水と呼んでいる」
「凄い話だな」
そして凄い効能だ。眉唾物の胡散臭い液体であるが、ニキビも改善したし、諸外国への輸出品になるのでは? しかし液体は腐る。取り扱い、移動方法、器はどうすれば……。
「ローザに気に入られたようだな」
考え込んでいたウィルは目の前に女王がいたことを思い出し、思考を中断する。
「気に入られたって言うのかな、あれ」
他の男には、非力で可愛らしく、わざとらしいほど女らしさのアピールをしている彼女だが、自分にだけは素を見せてくると言うか妙に攻撃的だ。心が痛いので辞めて欲しい。
「それにしても、目の前に妻になる女がいるのに他の女のことか?」
「理不尽」
ローザのこと話題に出したのそっちでは? と天を仰ぐも、女王の機嫌は直らない。
「たまには私のことも構ってくれないか?」
「陛下は忙しいし時間がとれないんじゃ……」
途端に恨みがましく「ウィル」とねめつける。
「いつまでそう呼ぶつもりだ?」
「はい?」
「世の夫は、妻を役職名で呼ぶのか? 他人行儀過ぎやしないか? ダーリン、とか愛しい人、可愛い君とか呼ぶのではないか?」
「ハードルが高すぎる!」
類例がハイレベルな上に偏っている。
「だって……名を呼んでくれないじゃないか」
睫毛が頬に影を作る。ウィルは早々に降参した。
「機嫌直してよ、イロナ……さん」
「……まあ、及第点としておいてやろう」
馬車の揺れが止まる。御者席から遠慮がちに「到着しました」と声がかかる。
ウィルが先に降りて手を貸そうとすると、女王は不思議そうな顔をして、それから気を取り直したように笑って手をとった。
「何か変だった?」
「いや。私が慣れていないだけだ」
今日ばかりは城門も開け放たれ、招待客たちがひっきりなしに入城する。高らかな金管楽器の演奏に出迎えられ、二人も城へ、その奥の一階の謁見の間へと移動した。ウィルは女王の傍に立ち、招待客を出迎え、彼らから祝福の挨拶を受けた。今回は結婚式の前段階、どちらかと言うとウィルの紹介の意味合いが強い。何しろ今まで男の影が無かった女王にいきなり外国人の婚約者が現れたのだ。多くの国民はさぞかし驚愕しただろう。
殆どの招待客が男の顔をしげしげと眺め、女王が惚れるほどの美男子ではないと判断する。さらには家柄を聞き、王族に連なる者でも、度を超えた金持ちでも無いと結論付ける。最終的には、そんな相手と何故結婚しようとしているのだ? と明らかに困惑していた。
「おめでとうございます、女王陛下。しかしそんなに急いでお決めにならなくても良かったのではないですか?」
それとなく苦言を呈したのはとある地方長官だ。
「そなたは普段から早く結婚しろとせっつくではないか。こうして相手を決めたのに何が不満なのだ?」
「まあまあ、イロナさん。俺は長官の気持ちもわかるな。俺だって、なんでここにいるのかわかってないし」
苛立つ女王を宥める形をとりながら、殆ど彼の本音だ。
「ですがマチョー長官、まだ結婚まで日時もあることですし、俺があなたの陛下の配偶者に足る人間か、長い目で見ていただけませんか?」
時間も限られているので、一言二言交わすとすぐ次の相手になる。名前を覚えるのも一苦労である。とある領主はウィルのなよなよした身体を不躾に眺めた。
「シュルツさん、あんた、戦に出たことは? 剣を握るようには見えないが」
この手の質問には閉口する。しかし、オノグルは三代前に正当な血筋の王子がいたにもかかわらず『幼くて戦えない』と言う理由から他国の王を玉座に据えたこともある。戦争で国家を保っている武の国にとって、避けては通れない質問なのだ。
「ミクローシュさん、あなた、家で料理はされますか? 客の切り盛りは?」
「そんなことは女房がやっている。俺は料理などできん」
「そうですね。それと同じことです。確かに俺は武には明るくありませんが、こちらには戦の女神がいます」
ウィルは傍らの女王に微笑みかける。
「俺は文官としての教育を受け、ありがたいことにエースターの学院では首席でした。二人揃えば文武両道、できないことを互いに補い合うことこそ、夫婦として正しい形ではありませんか?」
「女に戦わせておいて男がその影にいるって、ちょっと情けなくないか?」
「役割分担ですよ。得意なことは得意な人がやった方が良い。だからこそ、この国は彼女を王にされたのでしょう?」
女を王にする国の奴らに情けないとか言われたくない、と言外に返すと、無骨な長官は何も言えなくなった。次の客、若い近衛兵はもっと反感をあらわにした。
「仮想敵国の男を国政の中心に置くなんて正気じゃありません。オノグルがのっとられたらどうするんです!」
「君の懸念は尤もだ。きっと誰も言わないだけでそう思ってるんじゃないかな」
それを口にするのは軽率だとは思いつつ、国を思う彼の気持ちはわかる。
「心配しなくても大丈夫。俺はこの国に何の影響も及ぼすことが出来ない無力な存在だ」
臣下たちから侮られるのも問題だが、一番避けたいのは敵視されることだ。外国人が国を滅茶苦茶にしようとしていると思われて臣下たちの協力を得られなくなれば、女王陛下の治世を揺るがすことになる。有害な人間に思われるくらいならばと、ウィルは積極的に無害な人間であるとアピールする。
何故ウィルのような平凡な男が選ばれたのか。その理由の一つは恐らく無害なことだ。彼女は戦争に強い王だが女である。男の方が王に相応しいと思う人間は少なからずいる。下手な男を連れてきては、例えば他国の王族や自国の重役では国が乗っ取られる可能性が高い。だからオノグルに縁戚も無く、他の影響力もないウィルを選んだのだ。
そういう冷徹な計算は、あまりいい気はしないが国のトップとして必要な判断である。
「それに君は女王陛下がそう簡単に外国人の言いなりになると思ってるのかい? 彼女はずっとこの国のトップだった。その手腕は臣下の君たちが一番知っているはずだろう? 一方の俺は文官としての教育、つまり領主や国王の下で働く教育を受けてきた。人の上に立ってきた女王と下で支えることを学んできた俺。良いコンビだとは思わないか?」
こうして、口八丁で招待客たちの懸念や悪意をしていたウィルだったが。
「あんた馬には乗りなさるのか」
とある老臣の質問に思考が停止した。
「いや、馬車で移動していたからな。ちょいと疑問に思っただけじゃ」
ウィルは答えに窮した。エースターだって貴族ならば馬に乗る。貴族の多くは騎士として戦場に行かなければならず、教養として訓練するのだ。ウィルの家にだって幼いころ馬が居たが、速度は人間並み、毎日の世話をしなければならない。利点は重い荷物を運ぶことができること、移動の際に足が疲れないことだが、それ程活用する機会もない。だからそんな不経済な生き物は余分な家財とともに早々に売っぱらった。そう言うわけでウィルは馬に乗れず、その訓練も受けていない。
「まさか、男のくせに馬に乗れんのか?」
だがここは、年端もいかない子どもでも馬に乗る騎馬民族国家だ。幾ら侮られる方がマシと言ったって限度がある。
「ゲルゲイ、実はな、私が馬車に乗りたかったのだ」
助け舟を出したのは女王だった。
「私は王になるため、なってからも侮られてはならぬ、誰かに頼ってはならぬと男のような恰好をして、自分も男と同じことができると証せねばならなかった。だから公の場でも一人で立った」
女王は、この国で唯一の施政者。エスコートを必要としない唯一の女性でもある。
「だが、私もエスコートされてみたかったのだ」
そんなわけないのに、悪戯っぽく笑う女王には説得力がある。
「実際にやってみて、まるで姫になったような気分だった。移動のたびに手を貸され、大切にされて、大層気分が良かったぞ」
「なるほど。陛下も女性と言うわけじゃな」
老臣は呵々と笑う。自分の我儘という形でウィルの名誉を守ってくれた。無言で女王の手を握り、無言で感謝を伝える。この女性と婚約できて良かったと改めて思った。




