第四章 腹の探り合い
どうせ、婚約式は開かなければならなかった。
「侯爵夫人より出席の知らせが来ました!」
最年少の侍女が駆けながら持ってきた封筒を、ペーパーナイフで素早く封筒を開けながら、協力的な使用人の姿勢に内心安堵する。自分が評価される場と位置づければ、彼らのモチベーションも上がるに決まっている。
「出席一名追加、現時点の出席者の数は?!」
「総勢百四十二名、まだ返事がない招待客は約半分です」
ドリナが石板に文字を刻みながら答える。晩餐会の席数は決まっている。招待客の選定はこの国の貴族関係に詳しい彼女と、古参の使用人たちに任せてある。
「正直、全員欠席を覚悟していた。そう考えると多い方だね」
客たちが招待を断り、婚約反対の意志を示すことも考えられた。ここにいる使用人たちがそうであるように。だが、今のところ半数は様子見をしているようだ。
恐らく既に使用人たちにも探りを入れて来たことだろう。人の口に戸は立てられない。“王配になるかもしれない、女王が突然連れて来た元敵国の冴えない青年”より“王配にならないかもしれない、国策を提案し得る高学歴の青年”の方が初対面の印象は良いはず。
「料理長よりデザートの試作品が届きましたぁ」
カートを押しながらローザがやって来た。彼女には外部との渉外を担ってもらっている。ウィルの命だと渋る男共が、ローザが頼むと融通を効かせてくれるからだ。例えば料理長は片目に眼帯をつけた海賊を思わせるいかつい男だが、ローザ相手だと猫撫で声だ。将来の王の配偶者と言う社会的地位より女子力が勝ると言うのか。なんだか釈然としない。
「ちょうどいいや、休憩にしよう」
使用人たちの顔が綻ぶ。朝食などの際は、婚約式の晩餐会に出す料理への意見や感想を求めたくて同席してもらっている。回数を重ねるごとに空気も和やかになった気がする。初っ端に脅迫したのが響いて警戒して距離を取られたが、婚約式と言う一つの目標に向かって話し合い、取り組んでいる内に段々と打ち解けてきたような気がする。
「本番に出す茶葉の候補の一つです」
「いつもありがとう。ドリナさんが淹れる紅茶は美味しいね」
「褒め過ぎです」
彼女ははにかんだが、決して過剰な言葉ではない。様々な雑用を引き受けていたウィルは知っている。淹れ方ひとつで味は変わるのだ。ドリナは抜群に上手く、仕草に品もある。式までまだ日もあるし、他の侍女への指導をお願いした方が良いかもしれない。
皿に盛られたのは団子みたいな料理だ。油で揚げた衣はキャラメルの香りがする。半分に切ると中にはプラムが入っていた。
「シルバーシュゴンボーツです」
「なんて?」
必殺技みたいな名前だ。覚えられる気がしない。ひとまず口に含んでみた。プラムは甘酸っぱくバターの香りがする。舌触りも良く、旨い。しかしウィルはうーんと首を捻る。
「パッと見、地味なんだよなぁ」
「他のデザートにします? グンデル・パラチンタとかマーコシュ・グバとか……」
「ごめん、どんなものか想像つかない」
「スープはどうでしょう。季節の果物をラム酒やキャラメルで煮て、最後に生クリームをのせるんです」
「スープに果物使うの?!」
それはジュースとどう違うのか。外国人の自分には甘いスープがイマイチ想像できない。
「酸味があって美味しいですよ。でも、デザートって言うより前菜ですけど」
「その感覚がよくわからない」
改めて今皿に盛られているデザートを眺めた。これで良いとは思うが、目を楽しませるようもっと色や形を工夫しなければならない。
「やっぱこう言うのは女の子に意見をもらおうかな。パンニさん、どう思う?」
「え? 私ですか?」
いつも黙っていることが多い、大人しい侍女が蚊の鳴くような声を発する。
「料理にも花やミントを飾ってはどうでしょう」
侍女は自信なさげに目を伏せる。
「なるほど! それなら料理の手間も増えない。名案だ」
人前で褒められ、パンニは面映ゆそうだ。それを見ていた他の使用人たちも負けじと意見を出し合う。
「ブドウとかオレンジとか別の果物を揚げてみては?」
「そう言えば他の料理でソースを三日月形にしているのを見たことがあります。だからこのデザートもこうやってジャムを並べて……」
「君らすごくないか! ちょっと待て、書き留めるから」
晩餐会のコース料理がどんどん形になっていく。手放しで褒めると何人かが満足そうに頬を緩めた。こちらまで微笑ましい。誰だって叱られるよりは褒められたいものだ。
「後は当日の備品だが。ナーンドルさん、晩餐会の招待客分の机や椅子、銀食器の数の確認、清掃をお願いしたい。人員は二、三人ほどで良い?」
ウィルは年老いた使用人の一人に声をかける。
「かしこまりました。では、ベンツェとチャバをお借りします」
「了解。あ、そうだ、席順も考えないといけないな」
使用人の一人がうっかり「うわっ」と漏らしたが、席順というのは存外厄介なのだ。官職や爵位と言った序列や、某侯爵夫人は某女伯爵と仲が悪いとか、人間関係を考慮しなければならない。だと言うのにウィルはこの国の貴族関係に疎い。
「まずは単純に身分順で並べてみて、まずいところがあるならチェンジしよう。後で案を作ってみるからドリナさん、力貸してくれる?」
「かしこまりました」
他力本願だが、彼女が一番頼りになる気がする。ストライキに不参加だったことからも信頼できるし、質問すれば建設的な意見が返ってくる。
「ところでドリナさん、もしかして良いとこのお嬢さんだったりする?」
貴族たちの事情に明るいな、と思っての発言だったが、使用人たちは一斉に沈黙した。
「イロナとは乳兄弟、姉妹? です」
「イロナってどのイロナ?」
イロナはこの国で割とよくある名前だ。王女が生まれた当時は、あやかろうと同じ名前にした人が多かったらしい。そこまで考え、待てよ、と思考が停止する。
「この国で国家元首をやっている……」
ウィルは咽た。
「ドリナの父親はパール将軍です」
「パール将軍ってあの生涯無敗の?!」
その名は隣国まで届く程の伝説的な英雄。どんな素晴らしい軍人や王でさえ、戦いで敗北し捕虜にされたことも、命からがら逃げ帰ったこともある。そもそも戦いに出ること自体が少なければ無敗でいることも可能かもしれないが、何度も戦えば失敗、つまり負けることもある。有史以来、生涯無敗でいることのできた指揮官はかなり稀有だ。
件の彼は強敵帝国軍との度重なる戦線に立ち、二振りの大剣を自由自在に扱う豪傑である。水車小屋の息子が将軍まで登り詰めたとか、どんな大軍も恐れない彼が唯一奥さんだけ恐れたとか、異教徒の帝国軍の死体を咥えながら踊る宴会芸を持っているとか、とにかく逸話の多い人物である。
「なんで侍女なんかやっているの?!」
「父は新興貴族ですし、女の私は継ぐことのできる財産は殆どありません。それに、乳姉妹であるイロナを少しでも傍で支えたかったので」
改めて凄い人だ、と脱帽だ。他人のために生きるなんて、なかなかできることではない。どこまで人間ができているのだろう。こんな女性にご助力いただき、大変心強い。
さて、席の話は長くなりそうなので後回しにすることになった。
「後は晩餐会後の会場か。初日に案内してもらった時、立派なホールがあったな。あそこを使おう」
「飾りはどうしましょう?」
「今までの祝賀などの会で使われている広間でもあります。招待されているお客様も多いですし、失礼ですが半端な装飾ならどうしても見劣りします」
「そっか……」
残念ながら、ウィルに自由に動かせるお金は少ない。給金を前借りする算段をつけなくてはいけないかもしれない。
「庭園に咲いた花を飾るのはどうかしら?」
「良い考えだ、レカさん、早速、許可をもらって来てくれる?」
「はい!」
レカと呼ばれた侍女は立ち上がり、駆け出そうとしてふと動きを止めた。
「そう言えばみんなの名前、覚えているんですか?」
「一緒に仕事するんだからそれくらい当然だろ?」
涼しい顔で答えたが、覚えるのに大変な苦労をした。オノグルの発音は周辺諸国と違いすぎる。でもウィルは覚えなければならなかった。紹介状を書かなくてはならない、それもある。それ以上に誰が味方か敵か、害を為すのか早急に見分けなければならなかった。
そんなこととはつゆ知らず、使用人たちは感激している。ありがたい誤解だ。
その後も話し合いは続き、お茶や皿も空になってしまった。
「では、私は早速掃除道具の準備をします」
「僕は前回の式の備品の使用記録を確認します」
「俺も手伝うよ。雑巾はどこにある?」
使用人たちのやる気に釣られて発言したところ、悲鳴が上がった。
「旦那様は大人しくしていてください!」
「王族に連なる方に雑巾がけなんかさせられません!」
「ここに招待客のリストがありますから、暗記でもしておいてください!」
使用人たちは一致団結してウィルに大人しくしているように促すと、ぱたぱたと部屋を出て行った。肩を竦める。最初に脅し過ぎたか。それ以前にウィルは上司をやっている立場だ。学生時代と同じように下働きに加わるのは外聞がよろしくない。
「って、君は行かないの?」
部屋にはローザが一人居座り、残りの菓子を貪っている。先ほども話し合いに一切参加しなかった。幾らストライキに参加せず残留が決まっているとは言え、やる気のない女だ。
「あたしは、料理長がせっかく作ってくれたシルバーシュゴンボーツを消費する係ですぅ」
「羨ましい係だ」
嫌味を言ったのに動じず、じっとこちらを観察している。
「何かな?」
「良かったですねぇ。使用人たちを無事に手懐けることができたみたいで」
「ま、期限付きだけどね」
「それもカセイガクとやらの知識ですか?」
「いや、これは俺の人生経験」
言い方に悪意を感じたがウィルは気づかなかった振りをした。
あの後、女王陛下にも「どんな魔法を使ったんだ?」と言われた。必死だっただけだ。最初に悪い印象を与えてしまったので、労働者だった自分がされて嬉しかったことを全部することにした。名を呼ばれ、褒められ、認められる。言葉にすれば単純なことだ。
「高級取りの使用人たちがサボっててさぞかし気に入らなかったでしょうねぇ。旦那様はご家族を養わなければならなくて、ご苦労されたんですもんねぇ。報酬を貰うには、嫌なことも多少我慢しなくちゃいけないって仰ってましたし」
「確かに言ったけど。怒ってる風に見えた?」
おどけて見せたが、主であるはずの男を探る瞳は相変わらず薄気味悪く落ち着かない。
「父親を殺した国の主に仕えるのは、多少の“嫌なこと”ですかぁ?」
ウィルは表情を消した。心を無遠慮に覗き込まれ、反射的に隠そうとした。それでも、発した声は険を帯びる。
「知ってたんだ」
ウィルの父親は子爵家の三男で、家を継げないので職を持たなければならなかった。国境と王都の間にある交易都市で領主に召し抱えられ文官として働いていた。家族と城壁内に住んでいたが、オノグル軍が迫り、父親に逃げるように促され、親戚を頼って王都に疎開した。それが父との最後になった。
進軍したオノグル軍は街を蹂躙し、多くの者が殺された。兵は勿論、民間人も。文官として城内に残った父親も。死体は見ていない。形見になるものなど何もなかった。死体は他にもたくさんあった。伝染病が起こる前に共同の墓地に埋葬されたと言う。武器を持たぬ父が殺されたと人伝に聞いただけだ。
「それ、女王陛下は?」
「あんな論文書くんだから当然だろうな、って仰ってましたぁ」
そうだろうな、と頭のどこかで納得する。国家元首の伴侶を選ぶのだ。背後関係、血縁関係など当然調べるだろう。そもそもオノグルに対して良い感情を持っているなら、その国を経済的に追い詰める方法なんて考えない。
「でも、それならなんで俺なんかを」
「陛下って自罰的なところがありますからねぇ」
やれやれと、やんちゃな子ども相手のように首を振る。ローザのそんな仕草に、それ以上に女王に違和感を持った。殺される覚悟をしてウィルを傍に置いたのだろうか。それすら仕方ないと、自分の罪を受け入れているのだろうか。
でも、とローザは剣呑な視線で射抜く。
「あなたが我が君を害すつもりなら、殺します」
「物騒だな、ローザさん。そんな細腕で何をするって?」
ウィルは冗談を聞いたように笑みを作る。ローザも笑った。無邪気な笑みだった。
「人を殺す方法って、いーっぱいあるんですよ?」
笑みが引きつる。何故かわからないが、直感で本気だと思った。
ウィルは何とか言い逃れをしょうと頭を捻る。でも上手い言い訳は見つからない。
「わかんないよ、正直。気持ちの整理もつかない内にこの国に連れて来られて、心はぐちゃぐちゃだ」
恨む気持ちが無いと言えば嘘になる。家族にはまだ父親が必要だった。母は父の訃報を受け、体調を崩すほど悲しんだ。妹は父の大きな手を恋しがった。一番小さな弟は父の顔を覚えておらず、それがどれだけ哀れなことか。父亡き後自分たちがどれだけ苦労したか。
「俺、女王陛下のこと血も涙も無い人間だと思っていた」
女だとも、人だとも思ってなかった。他人の国まで出かけて行って、人を殺す虐殺者。悪魔だと思った。
「そうだったら良かったのに」
自分のことばかり考えてる人間なら良かった。人を殺すことに愉しみを感じる異常な人間なら良かった。地位や名誉ばかり気にしている俗物的な人間なら良かった。そうすれば心置きなく後ろから刺せただろう。
――この国を、戦争以外の方法で飢餓から救いたいのだ
実際に会った女王は想像と違った。この国を守るために彼女は仕方なく剣を取った。もがき、苦しみ、迷いながらも他の道を探していた。
「陛下が創る新しい国を手伝ってやりたいと思ってる。そしてこの国を、人を殺さなくてすむ国に変える」
言葉に出して、形にして始めて自分の気持ちを知った。存外おかしかった。自分は随分お人好しだな、と。
「それが俺なりの復讐なんじゃないかな」
ローザは見極めるように見つめている。じーっと、長いこと。
「何かついてる?」
間が持たなくなり、我慢できず問う。
「ニキビがついてますぅ」
「ああ、うん、ニキビね」
拍子抜けした。ニキビとは思春期からの長い付き合いだ。しかしローザは憎々しげにウィルの頬を睨んでいる。
「わかってるならなんで対処しないんですぅ? 無精は嫌われます。外見は多少の努力で変えられるんですよぅ」
「そんなこと言われてもどうしたら」
「食事に油ものは控えて、睡眠は八時間は確保するですぅ。顔を洗う時、ごしごししちゃダメですよ。石鹸を泡立てて優しく洗うですぅ」
「待って待って、急に何?」
矢継ぎ早に肌の手入れの仕方を言われ、ウィルは目を白黒させた。
「あとこれ」
ローザは懐から瓶を取り出し押し付けた。中には透明な酒らしき液体とローズマリー、その他薬草が入っている。
「ローザのとっておきをあげますから、顔を洗った後につけてくださぁーい」
渡すだけ渡すと、ローザは食べ終えた皿を片付け始めた。
「えっと?」
戸惑うウィルに、くるりと振り返る。
「そんなみっともない顔で我が君の隣に立つつもりですぅ?」




