第三章 反抗的な使用人
翌日もウィルは一人で朝食を取った。昨日より少し早めに起きたつもりだったが、既に女王は執務にあたっているようだ。
「失礼致しますぅ」
ウィルの席へとティーポットの乗ったカートを押しながら侍女がやって来る。昨日案内してくれた隙のない侍女ではなく、衣装係と紹介された未熟な方だ。
「えっと、湯をカップに注いで、ポットにも注いで、あれぇ? 先にお茶っ葉をいれるんだっけ。ま、いいですぅ。それから砂時計返して」
食後にお茶を出してくれるつもりらしいが、手順をそらんじながら酷く危なっかしい手つきで、お湯を零しそうになったり、茶器を落とそうになったり、遂にはカップを温め空気に触れた湯をティーポットに戻そうとした。
「貸してくれる?」
見かねて茶器を奪った。この国に来るまで教授たちの雑用係をやっていたので慣れている。角度を意識してカップに注げば、色も良く香りが広がる。我ながら上出来である。
「わぁー、凄い凄い! プロの使用人みたい。びっくりですぅ」
上に立つ者が使用人として評価を受けるのはどうか、と思いつつ女の子に褒められて悪い気はしない。
「君、衣装係だったね。お茶出しに慣れてないだろ。昨日淹れてくれた子はどうしたの?」
「ドリナは別の仕事で大忙しですぅ」
度胸が据わってるのか馬鹿なのか、侍女はちゃっかり椅子に掛けウィルと一服している。
「そう言えば、ここに来てから君たち二人しか見ないな。他に俺付きの侍従はいないの?」
同性がいればせめて着替えが恥ずかしくないのに、との考えあっての発言だったのだが。
「ストライキしてますぅ」
「へえ、ストライキ……ストライキィ!?」
やけに数が少ないとは気づいていたが、とんでもない答えが返ってきた。
「気づいてませんでした? あなたが入国してからずぅーっとですよ。一旗揚げたい下級貴族は軍に入ることが多いんですぅ。だから、ここで働いている子たちは家族や縁者をエースターに殺された者ばかりです。歓迎されるとでも思ってたんですかぁ?」
人は、未知のものに恐怖を覚えると言う。ローザの笑顔を目にした時、ウィルを襲ったのはまさにそれだった。
愚かだから失言しているのだと思った。訪れる結果を予見できないから無鉄砲なのだと思った。でも、そうじゃない。奈落の底をのぞき込むよう。この女、得体が知れない。
「随分な言いようだね」
怯んでしまった自分を誤魔化すため、わざと尊大な態度をとる。
「ごめんなさぁい、正直者なんでぇ」
全く悪びれずケラケラ笑うので、恐れより腹が立ってきた。でも待てよ、と思い直す。
「ローザって言ったっけ? 君って親切だね。ストライキ組に回ることもできたのに、俺にお茶を淹れようとしてくれるなんて」
「ローザは別に親切じゃないですよ。ローザは自分が一番可愛いんですぅ。だから、ローザ以外の人間が困っててもなんとも思いません」
ずいぶん明け透けだが、見るからにそう言うタイプである。
「でもぉ、ドリナ一人だけにやらせるわけにはいかないんでぇ」
「ドリナさんのこと、大事に思っているんだ」
意外だった。ドリナは仕事に真面目なタイプで、ウィルが見る限り二人は水と油、性質が違い過ぎる。
「ドリナは割と好きです。あたしぃ、何故か同性に好かれないんですよね。この前も同僚に桶の水ぶっかけられました。その子の恋人と二人で食事に行ったくらいで、色目使ったとか言いがかりつけられて、意味不明。だいたい、ちょっとコナかけただけで揺らぐような男女仲じゃ、長続きしないと思いません? 寧ろ早めにわかったんだから、あたしに感謝しても良いぐらいですよね」
何故この侍女が同性に好かれないか、よくわかった。母国でも仕事をしに来ているのか男漁りに来ているのかわからない女の話を聞くが、ここまで突き抜けているのも珍しい。
「そしたらドリナ、タオルを被せて頭を拭いてくれたんです。『あなたの行いは褒められたことじゃないし、庇うつもりもない。そんな風に自分で自分を貶めるのは感心しない。私はあなたみたいに髪を結うことはできない。他の子は男好きとか言うけど、身なりや化粧を研究して、自分を可愛く魅せることを誰より努力しているのは知っている。私はあなたの腕前を尊敬する。あなたは男にちやほやされなくたって充分魅力的な女性だわ。だから、もっと自分を大切にしなさい』そんな風に言ってくれた人、はじめてだったから」
言葉を切ると、彼女は媚びを売るような語尾を止め、静かに呟いた。
「ドリナね、あなたに期待してるんです。ドリナの父は、この国で英雄と称えられるような有名な軍人でした。あちこちの戦争でひっぱりだこで、家には殆ど居なくて、無理がたたって戦いの最中に急死しました。以来、家は没落真っ逆さま。住み慣れた屋敷を追われ、婚約は解消され、母親も亡くなりました。そんな中、雇ってくれた女王に尽くし、化粧をすればちょっとは見られる顔なのに、いつも自分のことは後回し、すっかり嫁ぎ遅れ。
戦争が無ければ彼女は今も家族と一緒に過ごしていたかもしれません。なのにあなたが来てから、あなたがこの国で少しでも過ごしやすくなるように心を配って、同僚が放棄した仕事を全部一人で引き受けて城中を駆け回っています」
「なんでそんな……」
「争いの中心にいた女王陛下がエースターの人間を結婚相手として連れて来たんです。長年の敵国と和解したら、争いがなくなるかもしれない。そんな風に期待してもおかしくないでしょ?」
「そんなこと言われても俺、まだ何もしてないし」
何も為したことのない者には誰もついていかない、と女王は言った。この国で実績もない自分には、どうにかする力はない。生意気な口の侍女を罰することも、真面目に職務をしているらしい侍女を取り立てることも、さぼっている使用人たちを罷免することも。女王に見いだされただけで、特に何も為していない自分には。
彼には女王の後ろ盾しかない。女王に泣きつけば問題を解決できるかもしれないが、それは彼女の威を借りているだけ。
「ですよねぇ。期待し過ぎですよねぇ」
ローザは笑顔を向けたが、目は笑っていない。
「で、どうするんですぅ? 女にここまで期待させておいて、知らん顔ですぅ?」
期待というのは重いものだ。自分に任せてくれた女王、自分を信じてくれた侍女。正直、自分にはそんな力があるとは思えない。だからと言って投げ出して、言い訳ばかりしているのか。出された難題。その解はまだ見えない。
だが、諦めるわけにはいかない。自分は期待されているのだから。
「ローザさん。君、友達思いなんだね」
怠けている使用人たちのせいでドリナは過度の労働をしている。思い返せば、顔も青白くやつれていた。ところが新しい“旦那様”はそれに気づきもしない。だから彼女は不興を買う覚悟で発破をかけたのだ。
「買いかぶりですぅ。ローザは自分のことが一番可愛いんで」
にこりと笑う若い侍女に、ウィルはせいぜい不敵(に見えるよう)に笑みを返した。
「いいだろう。期待に応えてみせるよ」
‡ ‡ ‡
「そなたら、仕事を放棄していると聞いた。一体どうしたと言うのだ?」
女王は謁見室に使用人たちを集めていた。多忙だが時間を割く他ない。彼女は雇い主だ。数日間の使用人たちの職務怠慢はさすがに彼女の耳に入った。ストライキに参加した使用人たちは十数人。男もいれば女もいる、年若い者が多いが年長の者もいる。皆、ある男の補佐をするように申し伝えた者たちばかりだ。
「我々はただ、陛下に目を覚ましていただこうと考えたまでです」
一番年長の、五十代のリーダーと思しき白髪交じりの使用人が口を開く。
「私が目を覚ますだと?」
声には怒りより戸惑いが滲む。並ぶ面々は、真面目に職務に励んでいた者ばかりだ。
「女王陛下!」
音を立て、木彫のドアが開いた。磨きあげられた靴を踏み鳴らしやって来たのは、一週間ほど前に決まった婚約者。当世風の衣裳を身に纏った彼は、彼女の足元に跪いた。
「この件は私めにお任せいただいてよろしいですか?」
「なんだと?」
「一先ず、あの男に任せてみるですぅ。お忙しい陛下の御手は煩わせませんからぁ」
図々しいのか命知らずなのか、ローザと呼ばれる一介の侍女が女王の背を押し退出させる。後ろ髪引かれる思いで振り返るも、彼女が決めた王配候補にウィンクで送り出された。
「さて」と、ウィルは立ちあがり、居並ぶ使用人たちを真顔で睥睨する。
「君たち仕事をさぼっているんだってね。あんな素敵な女性を困らせたら駄目じゃないか」
「誰のせいだと思ってる!」
一人が口火を切ったのを機に閉ざされていた唇が次々と開く。
「エースター軍に年の離れた兄は殺されたわ」
「俺の子は骨で帰って来た」
「領内の村は焼かれた。優しい人たちばかりだったのに」
「絶対に許さない」
「こんな結婚、祝福されるわけない」
「この国にあなたの居場所なんかないわ!」
「そうだ、この国から出ていけ!」
出ていけ、出ていけと罵詈雑言が飛び交う中、冷静に分析する。つまり彼らはエースターという国に個人的な恨みを抱いている。で、目の前をうろつき手近な外国人に不満をぶつけた。彼の下で従順に働く気にもなれなかったが、危害を加える度胸もなかったのだ。
「なるほど、全くもってその通りだ!」
ウィルは大声で肯定した。責めていた相手に認められ、攻勢が弛む。犯罪者ですら自分は悪いことはしていないと正当化するものだ。真っ向から反論したって何の得にならない。
「君らが言うのも最もだ。俺だって君らの立場なら同じように考えるだろう。
敬愛する女王陛下の婚約者として、どこの馬の骨とも知れぬ男が現れたら気が気でない。おまけにその男ときたら、ジャガイモのような顔にもやしのような手足が生えている」
「いや、そこまでは……」
あまりに自分を卑下するので罪悪感を刺激されたのか、フォローに回る人間までいた。
「だが君ら、まさかあの偉大なる女王陛下が恋に盲目になって魅力皆無の異性に求婚したなんて考えてないだろう? 女王陛下に仕え、彼女のことを誰より理解している君らのことだ。彼女に別の思惑があってのことだとわかっているはずだ」
使用人たちは黙った。知らないのにわかってるはずだなんて言われたら黙るしかない。
「彼女はこの国を誰よりも憂いている。彼女はこの国のために、自分の個人的な感情は差し置き、かつての敵国の人間だろうと遠慮なく使うことができる器の大きな人だ。俺は美男でもこの国の人間でもないが、この国を救う策を持っている。実は俺はエースターでも有名な学び舎の学生でね。俺が書いた論文を読んだ陛下がスカウトしてくださったんだ」
「では、何故官僚ではなく王配に?」
「幾ら偉い学者顔負けの知識を持っているからって、海千山千の政治家たちがポッと出の若造の政策に賛成してくれると思う? 王配候補、と言う箔が付けば、少なくとも耳は傾けてもらえるだろ? 陛下とは丁度年も近いしね」
「なら、陛下とは結婚しない……?」
使用人たちが顔を見合わせている。
「そうだよ。俺は雇われているのと同じだ。期間内に成果が得られなければお払い箱だ」
逆に成果が得られれば結婚と言う選択肢も現実的になるのだが、そこは敢えて言わない。恐らく彼らは、元敵国の人間が国の中枢に入り込んで滅茶苦茶になってしまう自国を憂いて、こんな大胆な行動に出た。受難に立ち向かう聖職者のように、絶対服従の女王陛下に対して口答えをしたわけだ。
その、国を守ると言う大義名分をまずはぶち壊さなければいけない。でも相手に真っ向から“それは間違いですよ”と指摘しても受け入れるはずがない。相手にもプライドがある。だから“そんなことわかってますよね”と言うで進めていく。
「ああでも、ここだけの話にしておいてくれる? 諸外国からプロポーズされ、陛下は煩わしく思っておいでだろう。もしかしたら男避けの意味もあるのかもしれないね」
別に知られたところで不利益はないが、形だけでも一応口止めしておく。
「君らは敵国の人間の元で働くのは苦痛だったんだね。わかるよ。家族や近しい人が殺されているんだ。とてもそんな気持ちになれないよね。よし、陛下に掛け合って全員解雇にしてあげよう!」
「え」
途端に、真っ青な顔が並んだ。
その程度の覚悟もせずにストライキしたのか、と鼻白ろむ。雇用関係は、雇い主の方が圧倒的に立場が強い。労働者だったウィルは身に染みてよく知っている。突然辞めさせられても泣き寝入りするしかないのだ。
「でも私たちがいないと仕事が……」
「元の職場のことを心配してくれるのかい? 大丈夫、何とかするよ。俺は自分のことは自分でやれる。それに、君らが居ない数日間、王宮はちゃんと回っていただろう?」
一人ならばその使用人は首になる可能性が高いが、集団ならば辞めさせられることはないと彼らは考えていたのだろう。甘すぎる。お前らなんか必要ない、と言外に告げる。
「あの、紹介状は」
紹介状とは“この人はこんな人間である”と言う証明書のようなもので、良い紹介状を持っていると次の職場で有利に働くが、悪い紹介状なら粗悪な職場や低い地位での採用、不採用になることもある。
「え? でも俺、君らが働いてるの見たことないし」
他の使用人や女王に聞けば真面目に仕事をしていた様子を知ることができるのかもしれない。が、そんなつもりは毛頭ない。
ことの重大性をようやく飲み込み、皆、血の気の引いた顔をしている。
「旦那様! お許しください、みんな魔がさしたのです、出来心だったのです! これからは心を入れ替えてお仕えします、だからどうか」
凍り付く使用人たちの中から進み出て深く頭を下げる者がいる。一人だけ真面目に職務に励んでいた侍女、ドリナだ。本当に出来た人間だ。彼女には是非とも残ってもらいたい。
「でもドリナさん、彼らは、詳しい事情はわからなかったにせよ、女王陛下に何か思惑があるとわかっていたはずだ」
彼らは使用人としては最も重要な、雇い主の意に反している。
「俺は父親が早くに亡くなり、病の母と小さな弟と妹を養わなければならなかった。学生業の傍ら、できることは何でもやった。厩の掃除はキツかったし、いけ好かない教授の雑用もあったけど、喜んで引き受けた。報酬を貰うには、嫌なことも多少我慢しなくちゃいけない。そんなこと、碌に社会に出たこともない学生が知ってるんだから、王宮の使用人として高い給金を貰っていた彼らも当然知ってるはずだ。
それ以上に俺の下で働くのが嫌だったんだ。彼らの意志を尊重するしかないだろ?」
あくまで彼らの意志を尊重し彼らを解雇するのだ、と言う流れに持っていく。元々、使用人の何人かを解雇する気でいた。人件費と言うのは何よりも高い。赤字の経営を再建するには収入を増やすか支出を減らすかしかない。相手側の瑕疵でコストカットの免罪符を得たのだ。ウィルはまだこの国で弱い立場の人間だ。悪者になるわけにはいかない。
「では、配置換えなどはどうでしょうか。他の職場になれば彼らもきっと真面目に……」
「王宮に勤める立場上、様々な国の客を接待しなければならないんだよ。王宮はこの国の顔なんだ。どんな相手にも愛想よくしなければならない。敵国の人間にもだ。そんな大変な仕事、彼らには辛いんじゃないかな?」
個人の好き嫌いで、各国の大使や高官に無礼を働くかもしれない使用人を誰が雇うと言うのだ。そんな使用人を雇うくらいなら新しく雇って教育し直した方がマシだ。
「旦那様……」
ドリナが悲痛な面持ちをしているが、こればかりは譲れない。だいたいウィルにはこの国に味方が少ない。どころか、恨む人間までいる始末。せめて身の回りにいる人間くらいは信頼できる者に任せたい。さもなくば足元を掬われる。
「わかった。ドリナさんがそこまで言うなら、みんなにチャンスをあげよう」
ドリナに配慮した形で、と言うのがミソだ。ドリナもローザもストライキには加わらなかった。仲間内での立場は微妙なものになる。彼女の口利きで仕事に残れたと言うなら、他の使用人たちに感謝されることはあっても、恨まれることはないだろう。
「俺もこの国に来たばかりで事を荒立てたくない。俺のやりたいことを手伝ってくれるのなら、君たちに他の貴族と知り合う機会をあげよう。その期間、職務に専念すれば紹介状を書いてあげても良いし、次の仕事が決まるまで残っても良い」
俺に仕えるのは嫌だろ? と嫌味の一つでも言ってやりたいが、実際に引き継ぎもないまま大量に辞められるのは困る。それを相手方に恩を売る形で残留させることができる。
「何をなさるおつもりですか?」
恐々と聞く使用人たちに、にっこり笑いかける。
「婚約式を開く」




