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第二章 二人の侍女

目が覚めたら、視界を見慣れぬ天井が覆っていて跳び起きた。


いや、これは天井と言うのか? 曇りの無い白いレース、色とりどりの糸で縁取られ、垂れ下がるタッセルの結び目まで美しい。改めて天井に垂れ下がった布を見直し、もしかしてこれが天蓋と言うやつか、と見物してしまった。学園の寮の、硬く少しばかり黴臭いベッドで寝ていた貧乏学生には縁遠い寝床だ。寝具はふかふかだし、手触りはこれ、シルクじゃなかろうか。何故自分はこんなところにいるのだ、と呆然自失である。


これは夢の続きだろうか? と辺りを窺う。壁紙はパステルカラー、カーテンは花柄、調度品の脚は華奢で、どちらかと言えば女性向けだが居心地の良い部屋だ。

隣国の女王から求婚された夢を見た気がするのだが。暫し考え込み、だんだん状況を飲み込み始める。ここは王の配偶者の部屋。王の部屋は今代は女性が使っているため男のウィルが宛がわれたわけだが、通常ならば王妃の部屋だ。だから女物なんだーと些か現実逃避する彼の耳に、控えめなノックの音がした。


「失礼致します、お目覚めでしょうか」

「は、はい、お目覚めです。どうぞ」


礼とともに入室してきたのは、どことなく民族衣装を思わせる給仕服を着た二人の侍女だ。一人はこの国では有り触れた黒髪を一筋まできっちり結い上げた、侍女と言うより家庭教師のような印象を受ける。化粧気はなく、その整った顔立ちと若さを活かしきれていない。ただ背筋がぴんと伸び、お辞儀したりカートを押したり、垣間見える所作は美しい。


その影から滑るように入って来たもう一人の侍女は、全く対極の印象を受ける。明るいふわふわした茶髪に、可愛らしい顔立ち。恐らく件の侍女より年下だろう。彼女を真似て頭を下げたり一歩進んだりしているようで、動きもたどたどしい。ただ、元の素材が悪いわけではないが、それ以上に髪型で、化粧で、服装で、自分を魅力的に見せる術を知っている感じだ。侍女のうち前者の、たぶん先輩の方がウィルに向き直る。


「始めまして、ドリナと申します。旦那様の身の回りのお世話をさせていただきます。何なりとお申し付けくださいませ。こちらは主に衣装係のローザ」


だんなさまはまだ早い、と照れてしまい「はあ」と冴えない返事しかできない。

侍女は運んできたカートを前に置いた。大きな金属製のたらいだ。底の方に入っているのは無色透明な液体、恐らくお湯が湯気を立てている。何だろうと眺めてると、何もしないウィルに焦れたのか、「よろしければ、こちらでお顔をお清めください」と説明が入った。


「ああ、ありがとう」


わざわざ持ってきて来てくれたのか、とウィルはベッドの上でパシャパシャ顔を洗った。


「失礼いたします」


顔を上げると空かさずドリナと名乗った侍女がウィルの顔を拭い、手を拭いた。流れるような一連の作業だ。


「失礼するですぅ」

「きゃ、何すんの!?」


続いてローザと呼ばれた侍女が寝巻に手をかけ脱がそうとしたので、ウィルは生娘のように悲鳴を上げ寝巻を押さえてベッドの上でのけ反った。 

対して若い侍女はきょとんとしている。なんで拒否されたのかわからない、と言った態度なので、オノグルには異性の衣服を剥ぎ取る習慣があるのか? と混乱する。


「あの、お着替えを……」


ドリナも同様、シャツを持ったまま戸惑っている。そう言えば、同級生には伯爵の息子もおり、下着すら自分で着たことがないとか抜かしていた。つまり彼女たちは痴女ではなく、使用人としての職務を全うしようとしたのだろう。だが、ウィルの家は使用人を雇う余裕も無く、弟妹も居たため母に着せてもらったのはだいぶ昔のことだ。異性に着替えを手伝ってもらうなど、年頃のウィルには気恥ずかし過ぎる。


「お嬢さん方、悪いけど一人にしてくれる? 俺、自分で着替えられるんで」

「かしこまりました」


侍女たちが一礼して退出し、部屋に一人残されたウィルはひとりごちた。


「俺、こんなんでやっていけるの?」




速攻で服を着替え部屋を出ると、侍女二人が所在なさげにしていた。


「ごめんね。淑女の手を煩わせなくても俺、基本的に自分のことは自分でできるから」


だいたい世話係って同性がやるものではないか。ウィルは使用人にも、オノグルの慣習にも不慣れなので知らないが。


「ただ、食事はどうしたらいいか教えてくれる?」

「お食事でしたら食堂でご用意できます」

「食堂ってどこ?」


一瞬、沈黙が通り過ぎた。


「差し出がましいですが、本日は宮殿内をご案内させていただいてよろしいでしょうか?」

「うん。そうしてもらえると有難い」 


女王からは特に予定は聞いてない。と、言うことは本日の予定は無しで大丈夫だろう。そうだ、女王と至急連絡をとらねば。ウィルに何を望まれているか、と言うのはわかった。だがそのためにどうアプローチするのか、何をどこまでできるのか、許されるのか、確認をとらねば。期間の半年は長いようで短い。明日からの予定を埋めなくてはならない。


「因みに女王陛下は朝食はもう食べた?」

「既に食事を済ませ、執務にあたっています」


窓から差す日の光はまだ低く長い。長旅の疲れと気疲れからかウィルは寝過ごしたとは思うが、既に支度を済ませ仕事しているなんて驚嘆すべき働き者である。


「わかった、明日はもう少し早く起きることにする。ところで、お忙しい女王陛下と少し話をしたいんだけど、お茶の時間とかとれそう?」

「いえ。いつも執務の合間にとりますので」

「じゃ、ディナーは?」

「一度確認させていただきます」

「無理そうなら食事に託けなくても手が空いたらで良い。時間は合わせるって伝えて」

「かしこまりました」


ドリナが視線だけで合図すると、ローザがカートを押し単独で移動を始めた。恐らく女王へ約束を取りつけに行ってくれたのだろう。


「では、食堂にご案内いたします」


ドリナが向き直り、「こちらへ」と行く先を示した。


現在地は北にある、五十年ほど前に建てられた宮殿だ。同時代の大聖堂等の建築にあるように、壁から緩やかな曲線を描いたかまぼこ型の天井、柱の数は少なく、窓は大きく取られている。


食堂も同じ建物内にあった。石造りの壁には紋章をあしらったタペストリーが飾られ、細長いテーブルには白布がかけられていた。隅の方に座ろうとすると、中央のやたら豪勢な二組の椅子の内の一つを薦められ仰天した。続いて肉と野菜から滲んだ出汁がなんとも食欲をそそるスープに、仄かに甘味のあるパン、チーズに新鮮な果物が運ばれ、ぴかぴかに磨かれた銀食器が添えられている。今まで食べたことの無いような豪勢な朝食だった。


存分に腹を満たした後、周辺の探索を続けた。ウィルが城に入場したのは昨日のことだ。東側に大河が流れ、夕日に染まる細長い城壁、その上に白っぽい壁と赤い屋根が幾つも突き出ていた。この王宮は約二百年前、異民族の侵入を機に平地から川岸の丘の上に移設された。西側には二重の城壁、南側に円形の城壁、東には馬上槍試合が行うことができる広い前庭と観覧席があり、背の高い物見用の塔、城門と一体化した楼閣などもそこかしこにあり、専門家でないウィルでも守りが堅そうだなとわかる。


東側にある建物は作りかけの部分もある真新しい宮殿で、正面(ファサード)には印象的な赤大理石の階段。最新の様式、古代帝国様式を復興させた大理石の円柱やアーチ、絵画や彫刻で飾った壁。青銅の門は神話の英雄の功績を描いたパネルで飾られている。


「うわあああ! なんだこれ、なんだこれ!」


上の階にはブロンズの彫像、紋章のレリーフが目立つ華麗な部屋があった。中央にはタイル張りの暖炉があり、芸術的な彫刻の棚、快適な椅子、テーブル、毛布が置かれている。


何の為にあるのか。本を読むためだ。

壁の棚には貴重な書物が並んでいる。あまりの多さに手放しで狂喜した。


「これらは前陛下が各国から集めた書物です」


テンションの高さに侍女は若干引いているが、ウィルは革表紙を眺めるのに夢中で気づかない。書は英雄譚が多いが、東方の見聞録に帝国の会計法、古代帝国の書物まである。


「そう言えば先代は人道主義者で通称『正義王』か。当時一、二を争う書物の収集家だっけ」

「左様でございます。本がお好きなのですか?」

「うん!」


少年のように素直に頷くので、侍女は微笑まし気に唇を綻ばせる。


「本は一人の人間と会うのと同じくらい、時にはそれ以上の情報が詰まってる。でも、一生かかってもこんなたくさんの人たちと知り合いになれるかな?」


ひょっとして学園以上の量じゃないだろうか、とウィルはきょろきょろ見回す。


「俺、これ読んでも良いの?」

「はい」


――夢みたいだ。ありがとう、未来のお義父様。生きていたら話が合ったろうに、残念だ。


本棚の上に肖像画があったので、ウィルは投げキスを送っておいた。




さて。宮殿内を回っていたら空はすっかり茜色になっていた。歩き疲れて足は棒のようになっている。

ウィルは女王の手が空くのを待つため少し早めに食堂に待機していた。しかしいつ来るかわからなかったので、手持ち無沙汰に書庫で借りた本を読んでいた。手始めに選んだのは、オノグルの地理や特産物について。


――やっぱ気候は冷涼で雨量も少ない。穀物を育てるには不利な条件だな。


あまりに夢中になり、空腹も忘れていると、突如目で追っていた文字たちが手元から消えた。抗議しようと視線を上げると、隣に座る猫のような瞳と目があった。


「私を待っていてくれたのではなかったか? それにしては無機物に夢中で妬けるな」

「ごめん、集中してたみたいだ」


いつの間にか食事が並べられている。

その日のメインは羊の肉だった。ニンニクとジンジャー、赤玉ねぎ、サフラン等が使われたソースがかけられている。付け合わせはガルシュカと呼ばれる小麦粉をこねて茹でたもので、見た目は白い芋虫のようだ。これを炒めたベーコンやサワークリームをからめて食べるらしい。元が遊牧民だけあって、料理も独特だ。しかし味は悪くなかった。後で料理長に挨拶に行ってみようと思い立つ。


「で、私に何の用だ?」


黙って舌鼓を打つウィルに焦れたのか、女王が肉を切りながら問う。


「幾つかあるけど、取り敢えず俺の家族に仕送りしてくれたんだってね。ありがとう」

「報酬だと思ってくれ。結果がどうなるにせよ、ただ働きをさせるわけにはいかない。あとは、口止め料だ」


国家元首の傍に居れば知りたくないことも知ってしまう。そうした情報を母国(エースター)に報告されては不利益になることもあるだろう。


「わかった。でも一言お礼を言っておきたかったんだ」

「君は律義だな」


ふわりと目を細めた女王に、ウィルの心臓が沸き立つ。


「それと一応、情報交換の機会が要るかと思って」


ウィルが何をするか知らせておき、事前に許可を得たい。(ほう)(れん)(そう)と言うやつだ。勝手にやったことが女王の不都合になったら、お互い困ってしまう。


「できれば、毎日こうやって顔を合わせたい。そっちの方が忙しいだろうから時間は合わせる。用事がある時は事前に連絡するようにする。まずはこうやってお互いに過ごす時間が必要かなって。ふ、ふう、ふ、ふうふうーになるわけだし」

「大丈夫か? 無理してないか?」


照れが限界に達し自分でも何を言っているかわからない。女王にも心配されてしまった。

深呼吸を繰り替えして己を取り直す。


「うん、余裕余裕。取り敢えず、この国の収入と支出を把握するところからだ。明日、会計資料を用意して欲しい。機密文書もあるだろうから見せられる範囲で構わない」


女王は「用意させよう」と頷き。


「ところで、私からも一つ連絡させてもらって良いか?」

「うん、何?」

「近々、私たちの婚約式を開こうと思っている」

「コンニャクスキ」


盛大に聞き間違えた。一種の現実逃避である。


「君にはそれを取り仕切ってもらいたい。予算も無いから慣例通りで構わないが、晩餐会をやって招待客も呼ぶ予定だ。これは国内外に君をお披露目する機会でもある」

「え? 急に?」


戸惑ったが、順調にいけば一年後、ウィルはこの国の王配になるのだ。この程度のことを乗り越えられなくて、国の中心に立てるはずがない。


「よく考えれば、領主たちと知り合いになる機会を作ってもらえるなんて願ったり叶ったりだ」


突然前向きになった青年に女王は訝し気だったが、ハッと目を見開く。


「何か思いついたのか?」

「まだなんとも言えないけど、一先ず外貨を得る手段がないと話にならない。領主なら地元の特産品とか知ってるかな~と思って」

「外貨、か」


難問にぶちあたったように白い眉間に皺が寄る。国民を食わせるために小麦を輸入するには金貨にして百万枚必要だ。女王も自覚しているように、輸入ばかりしていては富は外へ出ていき、国は益々貧しくなる。収入を獲得する手段が必要なのだ。


「でもさ、売るものが全く無ければとっくに破綻してるはずだよね?」


輸出品がまるでない零からの出発なら、金を錬成でもしない限り打つ手がない。


「輸出の大半は家畜、牝牛に羊、後は馬だな。目に見える額は大きいが、生きたまま出荷するのでその分、輸送コストがかかる」 


コストがかかると言うなら解体(ばら)して売る手もあるが、内陸は運送に時間がかかる。肉はその間に腐ってしまうだろうし、誤魔化すための香辛料も港が無ければ手に入り難い。

既に産業として成り立っている分野を成長させれば、と考えたのだが甘くはなさそうだ。


「毛皮とかは?」

「悪くはない。ただ、加工技術が無く、毛皮や羊毛を輸出して毛織物を輸入している」

「それ、意味ないやつじゃん」


原材料を売って加工品を輸入したのでは、結果的に高くつく。


「この国で毛織物を作れない?」

「技術はそれだけで金になる。どの国も流出には敏感だ」


そうだよな、と肩を落とす。エースターにもツンフト(ギルド)があり、製品の品質、規格などが統制されて品質が保証される代わりに、好き勝手に価格や販売先、営業等を変えることはできない。しかも、肉屋、 布屋、紡績といった各ツンフト(ギルド)の親方が雇用(と言うか奴隷に)している徒弟のみにやり方、作り方を教えるため、新規業者が参入することはほぼ無い。


それに、毛織物では西の島国、ササナが有名だ。自国で生産・加工する仕組みができている。おまけに船で大量に、どこへでも輸送できる。この分野にオノグルが後から進出したところで太刀打ちできない。外貨を得るためには、外洋に出る港が無いと言うのがどうしてもネックになる。


「他の産業と言えば、今年は白ワインが良い金になった」


火山でできた土は穀物が育たないかわり、果実には良い。ワインなら樽につめれば保存も効き、長旅にも耐えられる。因みに白ワインなのは、気候が寒くて赤はできないからだ。


「ワインだけじゃ心許ないな」

「他は、鉱物。特に銅だ」

「銅かぁ~」


地味だ。せめて、金や銀が採れれば言うことないのだが。

ウィルには鉱山経営の知識もある。銅なら一定の需要があるが、掘り過ぎて大量に市場に出回ったら、苦労して掘り出したのに価値が下がってしまう。掘り過ぎれば地盤も不安定になり、災害を誘発する。それに、地下に眠る鉱物もいずれ尽きるものだ。それを頼みにするのは良くない。


「そういえば、この本に書いてあるけど“森の向こうの地”って名前の地域で、昔、金が採れたんだよね? お百姓さんが土を耕してて金の仮面を見つけたって記述があるけど」

「昔の話だ。金は当に採り尽してるらしい」


その答えは半ば予想していた。今はオノグルどころかこの大陸で金は採れない。


「その他、僅かに鉄や鉛は採れるが、輸出には制限をかけている」

「なんで?」

「銃の原料になるからだ。輸出した鉱物でできた武器で自国が攻撃されるのは面白くない」


なるほど、戦術家らしい意見である。

話を聞いている内にデザートの焼き菓子を食べ終えてしまった。女王は食器を下げさせ、給仕に白紙の地図を持ってこさせた。


「この辺は川魚がとれる」

「この山林は蜂蜜、蜜蝋がとれる」


とか言いながら、次々に書き込んでいく。彼女がペンを置く頃になると、銀燭台の蝋燭がすっかり短くなっていた。


「すごい。幾ら自分の国でもここまで知ってるなんて」


ウィルは借りて来た地理の本と見比べる。川の位置まで正確に書かれていた。この国のことは全部頭に入っているというのだろうか。


「私も我が国の民を徒に死なせたいわけではない。別の方法があるならそれに縋る」


それは彼女の心から出た言葉だったのかもしれない。

この国は貧しい国だ。穀物を買う金が要るのに、売るものが無い。彼女は不毛なこの地で、飢える人を、家族を間引く人を見ている。夢を見る余裕すらない悲しい現実の中で、戦争の賠償金と言う究極の手段しか外貨を得る方法が無い。その手段は両国民の血の犠牲の上に成り立っている。


でもそのことを、彼女はずっと心苦しいと思っていたんじゃないか? 本当は戦争などしたくないのかもしれない。誰一人死なせたくないのかもしれない。彼女は自国の特産品を隈なく調べ、この状況をなんとかしようと足掻いていたんじゃないか?


恐らく彼女が把握しているこれらの特産品は、商品開発が既に済んでいるかできなかったのだろう。ウィルは正確に描かれた地図を眺めながら、そこに込められた彼女の思いを無駄にしたくないと思った。

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