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第ニ十章 国外脱出

「何故ピンズ銀貨との取引を停止したんだ?」

 向かいの席には召喚したエースターの外交官。衣服はエースターの流行の形だが、卵に手足が生えているような体型のせいで滑稽に見える。外交官を呼びつけるなんて貧乏学生だった頃は考えられないが、王配候補としての特権だ。

「どこの通貨と交換するか決めるのは個人の、ひいては国家の自由では?」

「それはそうだ。しかし、相手国に通告も無しに決めるとは、余程のこと。歴史ある我が母国がそう決断したということは、正当な理由があるんだろう?」

 裏を返せば、正当な理由がないなんて、ちゃんとした国がすることじゃないよね、と言う詰問である。

「侮辱に対する報復です」

「オノグルが何を侮辱したって?」

 訳がわからず眉根が寄る。戦争は十年も前の出来事、最早カタはついているはず。

「あなたの扱いです」

 予想外の理由に二の句が継げなかった。

「聞けば、夫として遇してないそうではないですか。これは我が国に対する侮辱です」

「そんなことはないって。陛下は俺を尊重してくださっている」

「では使用人の数が少ないのは何故です?」

 ぐっと言葉に詰まったが、背に腹は代えられない。泥を被ることにした。

「俺が解雇した」

「問題のある部下を押し付けられたのですか?」

 正直に事情を説明してオノグルの過失にされては民が飢えることになる。自分の我が儘であると押し通すしかない。

「……単に気が合わなかっただけだ。外国に一人で来て、見知らぬ人間と毎日顔を合わせるのはストレスが溜まる。今思えば、心細くてナーバスになっていたのかもしれない。兎に角、女王陛下の責任ではない」

 実際に女王は十分に使用人を雇い、雇用の権利も与え、責任を果たしていた。

「また、王配ともあろうものが食堂に出入し、本国からレシピを取り寄せていると伺いました。もしや満足なものを食べられていないのでは?」

「他国の高官を接待するために料理長と打ち合わせするのは業務の範疇では? 俺は男だから微妙な立場かもしれないが、王の配偶者である王妃ならば別に不思議なことではない。衣食住の水準を上げ、陛下に喜んでいただこうと言う下心もあった」

「しかも、靴作りまでしていらっしゃるそうで」

「それも俺が好きでやっていることだ」

 靴の輸出をしようとしていると知られてはエースターに阻止されると考え、ウィルは直前まで黙っているつもりだった。それがこんな風に歪められて解釈されるとは。

「俺の趣味までどうこう言われる筋合いはないな。女王陛下は俺に良くしてくださっている。ただの誤解だし、あまりにも邪推が過ぎる。このままでは両国の亀裂となってしまう」

「良くしてくださってます、ねぇ」

 だが外交官はこちらの言い分にまるで納得していない。

「国政に関わってないのに?」

「外国人の俺を国政に関わらせないようにするのは当然の危機管理だ。俺には後ろ盾もないし、まだ信頼を勝ち得ている最中だ」

「寝屋を共にしていないと伺いましたが?」

「いやいやいや、まだ婚約公示期間中、婚姻前だぞ」

「この蛮族の国を教化するのもあなたの大事な役目ですよ」

 何を教化する必要があるのだと、反射的に反論を紡ごうとする。目の前にお茶が置かれた。運んできたドリナが心配そうにこちらを見ている。ウィルは一呼吸置いた。

「気が合う、合わないは男女の機微だ。幸い、少しずつ心を開いてくださっている。外部から圧力をかけては上手くいくものもこじれてしまう」

 夫婦のことだから外野は邪魔するな、と言外に伝える。

「この辺で落し所としないか? 今後、女王が俺を夫として扱えばピンズ銀貨の交換停止は撤回するってことで」

「そう言う問題ではありません。我が国が軽んじられたんですよ。これは報復です」

「本人が納得しているんだから、報復も糞もないだろ」

 そんなことで、多くの人間が飢え死にしなければならないなんて酷すぎる。

「この国は、ついこの間、急に蛮族の国になったわけじゃないだろ? エースター人である俺との婚姻も決まり、これから両国の結びつきは益々強まる。だと言うのに、この決定は下手すれば戦争になるぞ? あんたの身だってどうなるか」

 戦争と言うワードに一瞬、外交官は怯んだが、すぐにその頬は紅潮する。

「蛮族に頭を垂れるくらいなら死んだ方が良い」

「誇りだかのために何人が死ぬと思ってる、何人が犠牲になると思ってる」

 死にたきゃ勝手に死ね。本人同士の喧嘩で本人が報いを受けるのは自業自得。とばっちりで、生きたいと願っている人を、選択肢の無い立場の弱い人を巻き込まないで欲しい。

「蛮族が何人死のうが何の関係があると言うのです?」

 あんまりの言い草だ。人を人と思わない外交官への怒りが遂には突き抜けた。

「黙れ! オノグルの何が悪いって言うんだ。俺たちと何が違うって言うんだ。彼らだって血は流すし悲しければ泣く。同じ人間だ!」

 外交官はわざとらしく肩を竦めた。

「あなたはこの国に交わり過ぎたようですね」


 カツカツカツ、通路に響くのは自分にしては早い歩調だ。追いかける足音が遅れがちになのに気づき、平静にならねばと、後ろに控えるドリナへ振り返る。

「ごめん。上手くいかなかった。君にも不愉快な言葉を聞かせてしまった」

「いいえ、旦那様が怒ってくれて嬉しかったですよ。エースター人の大半は外交官のように思っていらっしゃるでしょう。馬に乗るしか能が無い、血を啜る野蛮な奴らと」

「そんなの自明のことだ。あの外交官がおかしいんだよ」

 この優しい人に、こんなことを言わせて良いはずがない。なのに彼らを貶めるエースターの顔色を窺わざるを得ない。理不尽な扱いには毅然と立ち向かわないと。そのためには自立しないと。折角その手段が見えてきたところなのに。

「なんで今更こんな強硬手段に……」

 こめかみを揉む。何か要求をし、叶えられなかったら抗議して、それでも改めなければ実力行使に出るのはわかる。でも、警告も無しにいきなりぶん殴ってくるなんて。

「……もしや、理由は何でも良いのではないですか?」

「どういうこと?」

「犬を殺したいと思ったら狂犬病だったということにすれば良い。イロナが戦争を仕掛ける時は、負ける可能性を排除し、敵の情報を集め、入念に準備し、兵士の士気が高まり、勝機があると判断した時に仕掛けます。その時、理由なんてどうでも良いんですよ」

 戦争の理由に大義名分は後付けで良い。過去には子どもが葉っぱを奪い合ったり、バケツが盗まれたことや、豚がジャガイモを食べたことが原因で戦争が起きたこともあるのだ。

「今回、エースターは兵馬では勝てないと判断し、金での戦いをはじめた。まさに、逃げるのは恥だが役に立ったわけです。好機と判断したから仕掛けた。それだけの話です」

 書庫にそのの由来について書かれた本があった。ドラゴンを退治するが元になっているらしい。男が一本の剣を携えドラゴンを退治しようと森に入った。ところが森の中には百匹くらいのドラゴンがいたので、男は止むなく退却したのだそうだ。

 剣でドラゴンに勝てないと知る母国は、彼らの住む森ごと焼き殺そうとしている。けれど、ドラゴンが森に籠ったたまま泣き寝入りしてくれると、どうして思うのだろう。

 ウィルが論文を発表した当時、面白いとは評価されつつも、実行に移す政治家は居なかった。実際にそんなことをすればどうなるか、誰の目にも明らかだったからだ。

「たまたまそれらしい理由があったから飛びついただけ。旦那様が責任を感じる必要なんてないんです」

 俯くウィルに、侍女が優しい声をかける。オノグル人の彼女は酷い暴言を浴びせられたのに、誰かを励まそうとしている。視線が合うと、気恥ずかしそうに目を逸らす。

「兎に角、状況をイロナに報告しましょう」


 執務室に入ったウィルたちは言葉を失った。

「これは……」

 ローザが慌てて布を被せたが、はっきりと目にしてしまった。エースターとオノグルの国境付近の地図だ。それも丘陵や小川がわかるほど、紙を重ね立体的かつ詳しく作ってある。そこに駒を置いて軍隊をどう動かすか……どう侵略するか練っていたのだろう。

 ウィルはよろよろと女王に縋る。

「イロナさん……待ってくれ、もう少し猶予を……」

「猶予などどこにある!」

 滅多に感情を揺らさない女王が声を荒げる。

「冬までに小麦を用意できなければオノグルの民は飢え死にするのだぞ! の価値は石ころ同然、外貨を得る手立ては無い。力尽くで奪い取る以外に道があるのか!」

「だからって……」

 言葉を失う青年を気遣うように、侍女が間に割って入り、乳姉妹を諭す。

「準備もなしに戦争するなんて、犠牲が増えるだけ。冷静になって。そもそも穀物が輸入できなければ兵糧すら用意できないわ」

「現地調達しかあるまい」

「いい加減にしてイロナ!」

 さすがのドリナも金切声を上げた。

「それじゃ穀物を奪われたエースターの農民はどうなるの! 何の罪も無い弱者が犠牲になるなんて、貴女が一番厭うことのはずでしょ? 何か別の方法を……」

「他に方法は無い!」

 女王は叫ぶように反論する。

「私が考えなかったかと思うか! だが無いのだ、どこにも。私はこの国の民を食わせねばならぬ。生かせねばならぬ。そのためには手段を選ばぬ。私は侵略者にも悪魔にもなる」

 声が、感情が、堰を切ったように爆発する。

「他に手立てがあるというなら言え!」

 悲愴な声だった。胸が掻きむしられるようなそれは、懇願のようだった。

 ウィルは答えなければ、と思った。答えたい、と願った。女王は、本当は戦争などしたくないのだ。自国民を誰一人死なせたくないのだ。

 彼女は求めていた。その解を、心底求めていた。

 だが、開けた口からは喉がひりついたように音が出ない。

「……そうだろうな」

 声から温度が消えた。彼女の目に失望は無い。わかりきったことを眺めているだけだ。この国に来て日が浅い学生如きが見つけられるなら、誰よりこの国を憂う女王がとっくに解を見つけていたはず。

「これは元々、君が思い描いたことだろう?」

 言葉は狙いを定め、矢のようにウィルの心をぶすりと刺す。

 論文を書いた時はそうだった。

 経済による戦争をしかけたら、この国の民が飢えることはわかっていた。父の仇の国、顔も知らぬ人々がどうなろうと関係なかった。

 戦争は人が死ぬ。しかし同じだけの人間が、この国で飢えて死ぬのだ。剣を持てる者は幸運だ。自らの死に場所を選べるのだから。弱き者は自分の死すら選べない。

「そもそも、君に解決策を求めたのが間違いだったな。望む結果になって満足か?」

 そんな訳ないと叫びたかった。この国のことを知って、この国の人たちと触れ合って、いつの間にか大切に思うようになっていた。

 そんな言葉、この危機を招いた自分が言っても、今はただ白々しいだけだ。

「所詮エースター人、オノグルの興亡など他人事、君には関わりのないことだ」

 でも自分は関係したかったのだ。両国の戦争以外の関係を築きたいと、築けるはずだと信じていたのだ。

「出て行ってもらえるか」

 閉ざされた部屋で、女王侵略の算段をしている。男は引き留める言葉を持たなかった。


 自室に戻ったウィルは壁に頭を打ち付ける。痛みの分だけ、冷静になれる気がした。

「俺は天才じゃなかったのかよ」

 自分が何か出来ると思っていた。何も為したことがないのに、何故だかそう思っていた。

 今、無力さに打ちひしがれている暇はないと、わかっているのに。

 女王を支えてやりたいと思った。偽りのない気持ちだ。気持ちばかりだ。言葉ばかりだ。結果を出していない。そんな人間、信用出来ないのは当然のことで。結果を出さなければ、この国は、その国主である女は救えない。

 開け放った部屋の窓からは、草原を走ってきた荒涼とした風が吹き抜ける。これから訪れる厳しい寒さを思わせる冷たい空気は、余分な感情を削ぎ取って行くようで心地良い。

 今は余計なことを考えたくなかった。その場にへたり込み、ぼんやりと夜空を眺める。遮るもののない広い空に、大きな満月がぽっかり浮いている。すっかり暗くなった私室に落ちて来た光は冴え冴えとしてどこまでも透明だった。この国では二度目の満月だった。この国に来てから二月が経つことになる。いつの間にかこんなにも月日は経っていた。

 ウィルが本物の天才なら、この二月にもっと上手くやれていただろうか。こんな結果を招くことはなかっただろうか。

 風も無いのに木が揺れ、葉が音を立てる。何事かと思い目を凝らすと、庭から人影がぬっと現れた。思わず叫びそうになったが、しーっとジェスチャーされ拍子抜けする。青白い月光に照らされた顔は見覚えがある。

「ドリナさん……」

「驚かせてすいません。ですが、お話があってきました」

 夜這いって男の方から行くんじゃないっけ、と冗談を飛ばすには、彼女の表情は暗い。

「イロナから給金の運搬を頼まれました。幼い頃からの付き合いなので、あの子の意図はわかります。イロナは私に、あなたを連れて逃げろと言っている」

「そんなバカな」

「そうでしょうか? イロナがあんな言葉を口にする人間でないのはご存じでしょう?」

 女王の人となりは短い付き合いで知っている。過去を穿り返して、意図的に人を傷つけるような人間ではない。起こった出来事を、誰かのせいにする人間ではない。

「このまま、この国にいてはあなたの命が危ない」

 母国との戦争が始まる中、オノグルに残れば。ウィルの立場が難しくなることは想像に難くない。どう振る舞おうと、エースター人である彼はスパイの疑いがかけられる。王配と言う未来が消えるだけではない。下手すれば投獄、戦意高揚のため、見せしめに殺されることだってあり得る。

 関係ないと、女王がわざときつい言葉で拒絶したのは、愛想を尽かしたウィルが国を出るよう仕向ける為か。

「でも、俺がここから逃げたら……」

 戦争が始まる。母国にオノグル軍が攻め込んで来る。国境付近の農村で穀物が奪われる。多くの人間が死ぬことになるだろう。

「厳しいことを突き付けるようですが、この国であなたにできることは、最早ない」

 民が飢え死にするような事態になれば女王は進軍する。そんなわけないと跳ね除けるには、乳姉妹の言葉は説得力があり過ぎる。

「一緒にこの国から逃げましょう」

「俺個人ならともかく、それじゃドリナさんの立場が……」

 すると彼女は疲れたように笑う。

「元から不相応だったんですよ、私には。父は腕っぷしが強いから出世しただけの水車小屋の主人。元は農民と一緒に畑を耕していた辺境領主の娘です。それが乳姉妹が国王になったものだから、国の中枢に近い場所で働けた。そんな地位、私には不相応です」

 ウィルだってそうだ。ただの学生で、そこら辺に居る普通の青年。この国や母国の命運なんて、背負うはずがなかった。ウィルには重過ぎる。投げ出せればどれだけ良いだろう。

「他の誰かのことよりもあなたのことを考えてください。あなたがそう言ったんです。私はあなたを死なせたくない」

 彼女が示す庭園の一角には、運んできた荷車があり、重そうな木箱がのっている。

「ここに、旦那様の今日までの給金があります。これだけあれば路銀には困りません。王族のような生活は保証できません。慎ましい暮らしになるでしょう。でも、死ぬよりはずっと良い。私ができることは何でもします。どこまでもお仕えします。だから、私と一緒に生きていただけませんか」

 ドリナは良い女だ。働き者だし、気遣いもできる。贅沢を望まなければきっと幸せになれるだろう。

 だと言うのに何故だろう。喰えなくはないと評した晩餐を一人でとっている女王の姿が思い浮かぶ。

 死んだ兵を、傷ついた兵を、その家族を気にかけるような優しい人だ。本当は戦争なんてしたくないのだ。誰かを傷つけるのも、誰かに傷つけさせるのも。でも彼女にはその手段しか残ってない。

 しかし、自分に何ができると言うのだろう。

 視線を下げると、靴先が目に入った。悩んだ末、ウィルは顔を上げ、彼女の手をとった。

「……ここから、連れ出してもらえるか」

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