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第十九章 崩壊の足音

「感謝するって、感謝するって、そう言ってくれたんだ!」


ウィルは昨日からすっかり有頂天になっている。この国でようやく真価を示すことが出来た。それに女王の控えめな笑顔を思い出すと胸がきゅっとして、湧きたつように嬉しい。


「その話何回目ですぅ?」


ローザはうんざりしている。ドリナですら愛想笑いで相槌をしてくれているが、口角が疲れている。そんなに何回も言っていただろうか。嬉しくて浮かれ過ぎたと自省する。

しかしこのローザ、誰に対しても馴れ馴れしいが、女王の右腕と言うか、信頼されているような気がしないでもない。そんな彼女がウィルにつっかかってくると言うことは、ウィルに対する嫉妬もあるのだろう。何しろ自分は女王に感謝された男である。


「その顔、なんかムカつくぅ~」

「ちょっとローザ」


優越感交じりの感情が表に出ていたらしい。いつも通り失言するローザをドリナが窘める。バツの悪そうな彼女は話題の転換を目論んで視線をさ迷わせ、最終的に机の上に置かれた靴の絵や革のサンプルを胡乱気に眺めた。


「で、旦那様、何をされるつもりですぅ? 実は女物の靴に興奮する変態さんですぅ?」

「装飾品より中身の方が……げふげふ。そうじゃなくて、婦人用の靴を作ろうと思って」


オノグルには庶民でも手が出せる価格帯の靴がある。しかし、折角靴を作るのなら紳士用だけでは勿体ない。女だって靴は履く。お洒落だし身なりに気を使う。購買意欲は男よりも高いはず。安い婦人靴があれば買いたいエースターの女性だって多いだろう。そこで、手に入る範囲でエースターや諸外国で流行っている婦人靴を見本に取り寄せた。


「女用の安い靴ですか?! それはきっと売れますよ!」

「これなんか可愛い!」


若い侍女たちがはしゃいでる姿に、手ごたえを感じる。


「ただ、あんまり複雑なのは出来ないんだよなー。形も限られるだろうし」


ヴァルガ工房は単純な靴の形だからこそ分業と大量生産を可能にしている。飾りのないシンプルな形の方が都合がいい。


「良いと思いますけど、同じ形で。私、色違い欲しいな~」

「あ、わかる。服や気分に合わせて変えたりできるわね」


色違いで安く作れば一人で何足も靴を持つことになるのか。良いことを聞いた。どんな染料を使うかも選定しなければ。プロである親方なら豊富な知識も持っているだろう。今度工房に行った時に相談してみよう。そんなことを算段していると、「ウィル、居るか」

とノックも無しに扉が開いた。


「どうしたの?」


珍しく女王が自室に現れ、戸惑う。何しろいつもは夕食の時間にくらいしか顔を合わせない。


「少し相談が……待て、これは何の集まりだ?」

「婦人用の靴の商品開発だよ。良かったら意見も聞かせてよ。俺としてはこっちの形が良いと思うんだよね、シンプルだし。でもヒールが高いのも捨てがたくて。これが今エースターで流行ってる型なんだけど……」


サンプルを片手に滔々と捲し立てると、何故か女王は胸を撫でおろした。


「そうか。良かった。てっきり、若い娘たちを侍らせて愉しんでいるのかと」

「俺、浮気なんかしてないから!」


必死になって無罪をアピールすると、女王は宥めるように両手を挙げた。


「わかったわかった。で、外貨獲得は順調にいきそうか?」


途端にウィルは渋い顔になった。


「どうした? 靴は数少ない輸出に値する商品なのだろう?」

「うん。でも、革製品の、それも靴だけの市場規模なんてたかが知れてるから。穀物類全体の規模には遠く及ばないんだよね」


靴だけで有頂天になっている場合では無かった。他の商品開発も考えなければ。


「それに一分野だけなら関税を高くされて終わりだし」

「関税か……」

「カンゼイ?」


話に置いてきぼりの侍女たちがポカンとしている。


「輸入品にかかる税金のことだよ。関税の税率は国によって異なり、品目によって設定される。オノグルの靴がエースターに勝っているのは、今のところ値段しかない。なんの根回しも無しに靴を売りだしたら、関税を上げられて終わりだ」


「なんでそんなものを作るんですぅ? 経済って要するに物の売り買いだって旦那様言ってたですぅ。自由に商売できた方が活発に取引できるはずでは?」


女王はそうだなと頷きつつ。


「関税には自国の産業を保護する役目がある。オノグルも色々な分野にかけているが、特に小麦に関税をかけている」

「え? 小麦? 高くなったらみんなが困りますよね? エースターの安い小麦をたくさん買えば良いのでは?」

「食料を一国だけに頼るのは良くない。戦争を始めたら兵糧はどこから調達するのだ?」


何故エースターと戦う前提、と文句を飲み込みつつも言わんとしていることはわかる。エースターが不作だったり、値段次第ではオノグル以外の国に売ってしまう可能性もある。エースターは肥沃な土地を持っているので小麦は恐らく周辺国で一番安く豊富だ。隣接しているから移送料も少なくて済む。だから何も無ければ偏ってしまうが、エースターの関税を高く、他の国を低く設定しておけば価格が横並びとなり、結果的に様々な国の小麦を買うことになる。


「同じようにオノグルから安い靴が入ってきたら、自国の靴職人を守るためにエースターは靴の関税を引き上げるってことですね」


理屈としてはドリナの言う通りだ。エースターの商人たちは今までと同様に高い値段で自国の靴を売りたがる。外国製の安い靴の輸入を阻むため、王や議会に働きかけるだろう。そうなればオノグルからの靴は安くならず、平民が革靴を手にすることは無い。


それが消費者(じこくのたみ)にとって良いことかはさておき、権力者は既得権益(じこくのしょうにん)を守ろうとするはずだ。


「三年か四年、革製品の関税を撤廃する確約が欲しいな。その間にオノグルの靴は安くて良い品だってイメージが定着すれば良いんだけど」


どうしたものか、とウィルは頭を悩ませる。


「ああ、それで思い出した」


女王が相談があったのだったと用件を切り出した。


「もうすぐ冬だ。毎年この時季に予算をつけて小麦を輸入しているのだが……」


冬は食料が少なくなる。特に食料生産機能の無い都市部は餓死者も出るらしい。そこで秋の収穫が終わり近隣の国に小麦が有り余っている時期に買い溜め、公共の機関で安い価格で販売しているそうだ。


「ところが、去年と同じ額の予算を用意したはずなのに、手に入る小麦の量が減っている」

「一大事じゃないか!」


繰り返すようだが食糧を国外からの輸入に依存しているオノグル、輸入量が減れば喰いっぱぐれる人が出てくる。死活問題だ。


「小麦の価格が上がってるってこと?」


単純に考えればそうなる。例えば小麦の値段が二倍になったら、同じ額で買える量は半分になってしまう。


「いいや。エースター国内は豊作で価格は寧ろ下がっているらしい」

「なら、なんで……」

「それがわからない」


ウィルには幾つか思い当たることがあった。例えば担当者が購入資金を横領するなど。しかし女王曰く担当になっているは信頼のおける人物だと言う。


「正直、情報が少なすぎて判断がつかないな」


ペンで羊皮紙に『周辺国の小麦の売買価格』『周辺国の飢饉、戦争、その他需要増と見込まれる災害の有無』などと書きつけ、作成したリストを女王に渡した。


「この項目を調べてくれる? 俺の想定内の事態なら、どれかに兆候が表れているはず」




一抹の不安を抱えながらも、これ以上はできることがない。

縫った靴を裏返し、踵の縫い目をひたすら叩く。そのまま履くと縫い目が踵にあたり違和感があるので、革を馴染ませるための作業らしい。この行程なら単純なので素人のウィルでもできるだろうと判断した。木槌を振るう、振るう。


「おい、やり過ぎだろ」


無心で叩いていると、帰宅した親方が見かねて声をかけてきた。気づけば平たくなるはずの縫い目が紙のように薄くなっている。


「そもそもなんでここにいるんだ? 王配ってのは随分暇な仕事なんだな」

「親方を待ってたんだよ」


ウィルは職人に木槌を返し立ち上がった。

婦人用の靴の需要はあるはずなので、まずは親方に婦人靴のサンプルをお願いしに来た。しかし彼は革問屋に行ったっきり戻って来ず、いつ戻るかわからないと言われた。日を改めようかとも思ったが、折角侍女たちと相談して作った複数のデザイン画を持参し、護衛にも都合をつけてもらって外出したのに手ぶらで帰るのは勿体ない。視察と言う名目で居座ることにしたのだが、見ている内に手持ち無沙汰なウィルもやってみたくなったのだ。


「サンプルの作成か」


親方は腕組をしたまま頷いた。


「職人どもを遊ばせておくよりマシかもしれんな。良いだろう、引き受けよう。どちらにせよ、この状況では大量生産は無理だからな」

「なんで?」

「革が品薄なんだよ」

「オノグルで革が品薄!?」


驚いて飛び上がる。だって、国内で原材料が安価に手に入ると言う話だったはずだ。


「実は、今日なかなか戻れなかったのはそれが原因だ。シュナイダー商会が買い占めたらしいんだよ。ある程度損が出ても良いってかなり高い価格で買ったらしいぞ」

「シュナイダー商会って、エースターの王室御用達じゃないか!」


繊細な革細工を得意とし、靴のみならず鞄やベルトと言った革製品を手広く扱う照会だ。


「それが、革だけじゃない。他にも取引のあるエースターの商人の一部がオノグルの品を一気に買ってるんだと。なんでもピンズを使い切りたいとか零していたらしい」


何故そんなことを。まるでもう、ピンズ銀貨が要らないと言ってるようなものだ。


――どうもひっかかる


親方への依頼を終えたウィルはすぐさま王宮に取って返した。自室に戻ってすぐ、ドリナが女王からの報告書を届けてくれた。ウィルが作成したリストの幾つかは調査中とある。現時点でわかる範囲で答えてくれたのだろう。周辺諸国で小麦価格の高騰に繋がる兆候は無いようだが。


「ピンズが安くなってる……」

「ピンズが安くなると、何故小麦が高くなるんですか?」


独り言を拾ったドリナがきょとんとしている。


「今、オノグルの通貨のピンズの価値が下がり、対外的にエースターのゲルトの価値が上がってる。大袈裟な話をすると、今まで一ゲルトを一ピンズと交換していたとして、今は一ゲルトを二ピンズと交換してるってこと」

「でも、エースターの小麦は安くなってるって」

「それ以上にピンズの価値が下がっていると言うことだよ。例えば一〇〇ゲルトの小麦を買うのに、一〇〇ピンズ必要だったのが、二〇〇ピンズ必要になったんだ。小麦が九〇ゲルトになったとしても、一八〇ピンズが必要になるでしょ」


そんなことになったら、せっかく小麦自体の値段は下がっているのに、今までと同じ小麦を買うのに八〇ピンズも余分に必要なことになる。


「ですが何故、そんなことになったのですか?」


ウィルは肩を竦める。


「それがわからないんだよ。どうも一部の商人たちの噂が原因らしいけど」

「噂によって通貨の価値が変わる? そんなことあり得るのですか?」

「あるんだよ、わりと。例えば、オノグルが戦争を起こすと言う噂が出回るとピンズの価値が上がる。オノグルが戦争に勝ち、賠償金を獲得することで景気が上向くと多くの人が予想するからさ」

「では、何かオノグルの不利益になる情報が出回ってるってことですか?」

「そうらしい。それがただの噂ならいずれ沈静化する。でも……」


言い淀む。真実なら、近い将来オノグルに危機が訪れるということだ。それも通貨の価格が変動するような大ごとが。


「まずは原因を探らないと。原因がわかれば取り除くこともできるはずだ」

「お話はわかりました。しかし、今すぐピンズ通貨を元の水準に戻さないと、冬の食糧を輸入できず困ってしまいますよね。良い知恵はありませんか?」

「真っ先に思いつくのは政府による為替介入だよね。難しい言葉を使うと外国為替平衡操作と言う。要は、オノグル政府が保有しているゲルト銀貨を一気にピンズに両替するのさ。するとゲルトの価値が下がり、市場で少なくなったピンズの価値が上がる」

「良かった。そんな簡単なことなんですね。早速イロナに進言しましょう」


胸を撫でおろす侍女にウィルは待ったをかける。


「それが、そうもいかないよ。そもそも、価格と言うのは需要と供給のバランスで決まる。欲しい人が多ければ高くても買おうとするし、少なければ売り手は安くしてでも売ろうとする。値段は上がったり下がったりしながら、やがて売り手と買い手が納得する値段に落ち着く。政府による介入はそれを無理やり歪めてしまうことになるんだ。歪めた価格は適正な価格じゃないから、結局は元の価格に戻ってしまうことが多い」

「そんな。価格が元通りになるなら、外貨を失うだけで何の意味もないってことですか」

「そう言うこと。だから迂闊に手を出せない。エースター側も協調してくれればまだ有効だけど、難しいだろうね。オノグルは元々、諸外国ほどの外貨を保有してない。輸入に比べて輸出が少なく、外貨を得る手段が無い。それに、価格の操作をするような通貨は信用できないと判断され、見向きもされなくなり結果的に価値が下がってしまう可能性もある」


脅し過ぎてしまったのか、ドリナは焦燥した様子だ。


「では、どうすればピンズ通貨が高くなるんですか?」

「さっき言ったようにオノグルの景気が良くなると判断されれば、みんながオノグルの通貨を欲しがり、結果的に通貨の価値が上がる」


先ほどの話にも出たが、原則として欲しい人が多くなると価格は上がるのだ。


「また、輸出が増えればピンズ高になる」


例えば親方が作ったオノグルの靴をエースターの人間が欲しがったとする。親方は靴を売って得た代金をピンズに交換するため、ゲルトを売ってピンズを買う取引が増え、ピンズ高、ゲルト安になる。エースターの投資家が親方の靴屋に投資する場合もピンズが必要になるため、ゲルトを売ってピンズを買う動きが強まる……と言うことだ。


「そうですか……」


ドリナは肩を落としている。輸出で解決すると言うなら、今日明日でピンズの価値が戻ることはない。


「元の話に戻ってしまうけど、いずれにせよ原因を取り除かないと」


何か悪い噂が流れているなら、“そんなのは嘘ですよ”と触れ回り、不安を解消できれば元に戻るはずだ。

ふと、王室御用達のシュナイダー商会がピンズを使い切ろうとしていた話を思い出した。ウィルはドリナが淹れてくれた紅茶に視線を落とす。何か胸騒ぎがする。エースターの商人たちがこぞってオノグルの通貨価値がなくなると判断している。


「お話はよくわかりました。さすがです。イロナに聞いたんですが、学生時代に難しい論文を書かれたんですよね。一度読んでみたいです」


論文。ウィルがオノグル女王に見初められたきっかけとなった、あの論文。


「損切だ!」


絶叫して立ち上がった青年に、ドリナは唖然と聞き返す。


「ソンギリ!? なんですか、それは?」

「手持ちの株式や外貨の価値が買った時より下がり、そのまま持ってても回復が見込めない場合、さらに下落して損失額が膨らむ前に売り払って処分する。王室に近いシュナイダー商会は恐らく損切したんだ。ピンズ安になってるのもそうだ。情報を掴んだ一部の耳ざとい商人たちが動いたんだ」


ウィルは駆け出した。ドリナが背後で「一体何が」と問うが応えている暇は無かった。

オノグルは食糧自給率が低く、経済面は惰弱。だから、小麦の輸出を止めてしまえば国は困窮する。オノグルは陸続きの国なので、周辺国で協定を結び、輸出をストップすれば良い。でもそれは現実的ではない。オノグルと友好的な国が協定に加わるかは未知数だし、例え協定を結んでも利益になるならこっそり売る国や商人も出てくる。だから論文内ではもっと簡単に、エースター国内で行える次善策を述べていた。


もし、自分がかつて書いたシナリオ通りに進んでいるとしたら。

切れる息、おぼつかない足取り。それでも、一刻も早く止めなければと、こけそうになりながら、真っすぐに女王の執務室に向かった。突然扉が開き、転げるように入室したウィルに、女王と臣下が驚いて振り返る。


「イロナさん、まずいことになった! このままだと……」


そこへ、「申し上げます!」と伝令が転がり込むように部屋に入って来た。


「エースターの議会で、ピンズとゲルトの取引を停止する令が出ました!」


部屋に居る者全てが、何が起きたか呑み込めず呆然としている。


「遅かったか……」


ウィルはその場に膝をついた。


「それの何が問題なんですか?」


事態について行けず、それでも追いかけてきたドリナが問う。


「ゲルト銀貨は国際的にも歴史と信用がある通貨だ。その通貨との交換が公に停止されたとなると、ピンズ銀貨の価値は暴落する」


そんなことになれば、オノグル通貨(ピンズ)と取り換えてくれる人などいなくなってしまう。外貨を得られなければ小麦を買うことはできない。

女王は今や、顔面蒼白だった。


「我々はどうやって冬を越せば良いのだ?」

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