第一章 それは求婚? それとも殺害予告?
「すげー、緑の海みたいだ」
気まずさから揺れる車窓を眺めていたウィルだったが、どこまでも続く無限の草原に思わず声を上げた。前方からふふっとそよ風のような笑い声が聞こえてきて、赤面した。
「我々には見慣れた景色だが、そう言ってもらえて嬉しい」
笑うと、猫のようだと思った大きなつり目が細まり、雰囲気が柔らかくなる。
あの度肝を抜くような提案から数日。なんの因果かウィルは女王陛下と共に異国へ向かう馬車の中にいる。
――こんな可愛い子が俺をムコにって言ったのか? ムコってあれだよな、つまり、結婚する系のムコだよな。この娘とあれこれする系のムコだよな。
蕾のような可憐な口元から、尖った顎、白い喉元、組まれた腕の上に鎮座する胸……意外に大きい……まで視線が下がり、慌てて顔を引き上げた。
――こんな可愛い子に一目惚れされるほど、俺ってイケメンだったか?
頬のニキビを掻きながら、物心ついた時から付き合いのある自分の顔を思い浮かべる。
特別整っているわけでもなければ醜いわけでもない。これといって特徴のない平均的なパーツと並びで成り立っていたはずだ。髪は煤を被ったように黒く、一見すると灰色だが青と言い張れば青にも見える瞳が特徴と言えば特徴だが、金髪碧眼の多い母国の貴族の中では霞んで見える。最近は寝不足の為かチャームポイントの眼の下にも隈ができている。
ウィルは自惚れ屋だが、客観的な判断ができないわけではない。専攻している学問は数字等を用いて冷静に自領の状況を分析することが求められる。経験からも結論は導ける。女の子に逆ナンされたこともないし、母や妹の身内のひいき目にも、利害関係のある学友のお世辞にも容姿に良い評価を受けたことがない。従って彼は美男子ではない。
――じゃ、内面の問題? 過去に悪漢から彼女を助けたとか?
栄養不足気味でひ弱なウィルは、喧嘩になったら勝てた試しがなく、幼少時から揉め事を避ける傾向にある。悪漢を発見しても無駄な正義感は発揮せず、自警団に駆けこむか、見て見ぬ振りで通り過ぎるだろう。一方の彼女は、女の身でありながら従軍経験もある。この距離ならウィルの拳が届く前に、彼女の剣で切り殺されるだろう。
だいたい、こんな可愛い子に会ったら絶対に覚えている。彼女とは間違いなく教授室が初対面だったはずだ。オノグルの王女として生まれた彼女と、生まれてこのかた国外へ出たことのない自分がどうやって出会うと言うのだ。
――なら、一目惚れされたとか?
可能性の薄い話だが、自分の容姿がマニアックな彼女の好みにピンポイントで突き刺さったのだろうか。
オッサンに縋りつき、駄々をこねていた自分を思い出す。
うん、黒歴史に指定されて然るべき初対面だ。反射的に馬車から飛び降りたくなった。
「どうした? 風にあたりたくなったのか?」
唐突に走る車の戸を開け身を乗り出したウィルに、女王は猫のような瞳をまん丸にしてゆるりと首を傾げている。
「……ナンデモゴザイマセン」
これ以上、どん底の好感度の、さらに底を突き抜けても良いことはないと判断し、ウィルはそっと戸を閉め椅子に座り直した。
「女王陛下におかれましては恐悦至極に存じ奉り……」
「そんな他人行儀な口調は良してくれ。君は妻になる女にそんな口を利くのか?」
妻、と言う言葉に若干照れながら、「では、お言葉に甘えて」と切り出す。
「俺が身に余るプロポーズをされた理由ってぶっちゃけ、あの論文だよね」
相対的に見て、相手の方が圧倒的に魅力的、しかも国と言う財産も背負っているので、市場価値、資産価値は計り知れない。それなのに夫婦関係を申し込んで来る理由が、悲しいかな平凡な青年にはそれしか思い浮かばない。
「でもその理由が一番納得ができない。あの論文は君の国を貶めるものだったはずだ」
熱狂的な愛国者でなくても、自分の国が批判されて良い気分になる人はいないだろう。何しろ故郷、生まれ育ち、自分を形作ったものの一部だ。その国の運営側に立っているなら、その者の行いをも貶めることになる。言うまでもなく、自分を否定してくる相手と友好的になりたい者は稀で、結婚相手にしたいと思う者は皆無に等しい。
「君、我が国をどう思う?」
女王はこちらの問いには答えず静かに問い返す。途端にウィルは返答を濁した。
「あ~、俺はエースターで生まれ育ったから、実際にこの国を見たのも足を踏み入れたのも生まれて始めてなわけで。外国からでは情報も断片的なもので」
眼前の美女の気分を害す答えを告げる馬鹿がどこにいる。しかし、女王に「構わん」と許可を出されてしまう。
ウィルは腹を括った。どうせ私見の塊を記した論文は既に読まれているのだ。
「なら言わせてもらうけど、お宅は強国の顔をしているが、その実態は主要な穀物の生産量も少なく、自力で財産を生み出すことのできない貧しい国だ。食糧自給率は低いくせに、外貨の獲得手段はない。足りない財とパンをどうしているかと言えば、戦争と言う形で他国から奪っている。その在り方は、近隣の村に富を略奪に行った先祖の遊牧民のまま時を止めている」
殆ど喧嘩腰だ。論文にはもっと過激なことを書いた。彼女の母国を野蛮な“略奪国家”とさえ評し、その脆弱な経済基盤を徹底的に暴き出した。
多少敗戦した国の人間としての悪意は込められているものの、彼からすれば真っ当な指摘に、図星を差されたはずのオノグル国王は怒るわけでもなく、「そうだな」と頷いた。
その時、馬車の速度が緩まった。
「水場を見つけたので暫く休憩します」
前方から御者が声をかける。
馬は便利な道具のようだが、不便な生き物だ。維持には大量の飼い葉や水を必要とする。ある程度の餌や水は運ぶこともできるだろうが、長距離を移動するには街道沿いの宿屋なり自然の草原や水場が必要で、移動ルートも限られる。勿論、多くの荷物を運べると言う利点はあるものの、一日に進む距離の平均は徒歩と大して変わらない。
ちょっと降りようか、と女王が声をかけた。
馬車の外にも、車窓から見た景色が広がっていた。どこまでも続く空と草原。馬たちが泥を含んだ水たまりに顔を寄せ合う。その傍らでオノグルの女王は伸びをする。
「皮肉ではなく本当に疑問なんだけど、なんで問題点がわかってるのに、この広い国土に小麦を植えようとしないの?」
女は膝を折り、白い手でまばらに草の生える土を掴んだ。
「見てくれ」
手からぱらぱらと零れ落ちる赤茶けた土は、乾いているのか吹く風に容易く飛んでいく。
「貴国の肥沃な土とは比べ物にならないだろう」
地質学にも通じているウィルは、自身でも触って確かめる。黒く湿った母国の土とはまるで違い、水分量は少なく、養分も少ない。これでは主要な穀物は育たない。
彼は改めて景色を見回した。無為な雑草が生い茂り、どこまでも草原が広がる。オノグルの国土の大半はそうなのだ。
「我らの祖は東から来た遊牧民。野山を駆け、家畜を追い、自分の家族だけを養っていた頃ならそれでも良かった」
女王の目もまた、国を見渡すように遠くを見ている。牧畜が盛んだが農作物の採れない、不毛の地。
「数百年前、各々の族長ではなく王を立て、国としての体面を整え都市を作った。近年、水路の整備、学問と医術の向上で出生率は上がり、人口は飛躍的に増加し、都市部へ流入した。この国の食料生産量ではとても賄いきれない。他国から輸入しようにも主な産業の無い我が国は、外貨を獲得できない。
私はな、この国の在り方にずっと疑問を抱いていた。確かにこの国は戦争には強い。私は将として勝つために労は惜しまず最大限の努力をし、その結果幾つも戦果を上げ、今日まで生き残っている。しかし、いつまで勝てる? 近年、鉄砲が生み出され、戦いの形は急速に変わりつつある。そもそも勝負は時の運だ。たまたま雨が降ったとか、見張り番が欠伸をしたとか、指揮官が石に躓いたとか、そんな些細なことで勝敗はひっくり返る。今までは運が良かった。だが、そんなものに永久に縋っていられるだろうか?」
その時の女王は以前見た時と違った。なんと言うか、頼りなげに見えた。
司令官として戦地で立つ時は自信満々に作戦を述べただろう。国王として議場に立つ時は多少強引にでも国策を進めただろう。それはそうだ。自信の無い指導者について行きたい人間が、命を預けたい人間がいるだろうか?
けれど、間違いのない人なんていない。未来の見える人なんていない。これで正しいか、未来をよりよい方向に導けるのか。自分の選択に不安な時もある。それを周囲に悟らせるわけにもいかず、いつも肩筋を張って国と言う大きな船の舵取りを担っているのだろう。
でも今、目の前にいるのはむき出しの彼女自身のようだった。
「戦いで勝利する度に、戦の女神だの何だのと持て囃される度に、私は漠然と危機感を抱いていた。しかしそれが何なのか明確に言葉にできなかった。
君の論文を読んだ後ならわかる。富を奪うということは、他者が存在しなければ不可能だ。それは他者に依存しているのと何が違う? この国が抱える根本的な課題を何も解決できず、目を逸らしているだけ。この国が自らの足で立つことにはならない」
女王は振り返り、ウィルをぴたりと見据えた。
「最も城の防御に向く者は、その城の攻め方を熟知している者だ。君は我が国を経済的に殴る策を提案した。ならば、その対抗策も考案できるはずだ」
ウィルが学術誌に掲載した論文は、要約すると手段を用いオノグルへの輸入を停止するという策だ。オノグルは自国の生産では足りない食糧を他国から賄っている。しかも内陸の国だから船で遠方から輸入することはできない。隣接する国々で協定でも結び輸入を停止すれば、この国は破滅する。
「そんな期待してもらっても、やれるかどうかわからないよ?」
冗談めかして言ったが、偽らざる本音だ。もしこれが母国の官僚になれと言うならば、前のめりで自身を売り込む。自分にそれに足る能力があるとわかっているからだ。
オノグルが経済的に自立するために一体幾ら必要か。オノグルの人口は約四〇〇万人。一年に必要な小麦の量は単純計算で約二〇億オンス(約五六万トン)。侵略した土地の中には耕作に向いている地もあり、食糧自給率は約六割。ウィルの馴染みのあるエースターの通貨、ゲルト銀貨で一六〇〇万枚、イオドゥールで発行している金貨で一〇〇万枚以上。それらをこの不毛の地で稼がなければならない。はっきり言って無謀としか言えない額だ。
自分は、この申し出を受けるべきか? 報酬は魅力的だ。卒業金を支払える。それだけではない。どんなに官僚として出世したとしても権限に天井がある。王配と言う立場でこの侵略国を好きにできるなら。こんなチャンスは二度とない。
しかし、そもそも自分にそんなことができるだろうか。幾ら自称“天才”でも躊躇ってしまう。
「どんな材料があるかわからぬのに防壁を築けとは言わない。可能かどうかの判断は我が国を見てからでいい。その間、君は私の婚約者として滞在してもらう。一学生よりは格段に多くの権限を持ち、できることも多いはずだ。私たちも同様に君を見極めさせてもらう」
「なるほど、お試し期間ってわけだ」
雇用契約で言う所の試用期間だな、とウィルはどこか安堵し、どこかがっかりした。
「何も為したことのない者には誰もついていかない。君が功績を出さねば、王の配偶者として民も納得せぬであろう。私の婚姻はこちらとしても最大の切り札である」
国と言う持参金を持つ彼女は、恐らく周辺諸国で最も裕福な女性の一人だ。自他国の王家や高位貴族は勿論、敵対国である帝国の皇帝からも縁談が来ているはずだ。しかも宗教上の理由で彼女に離婚と言う選択肢はなく、一度しか切れないカードだ。
「期間は……そうだな、婚約公示期間として半年にしよう。君が無事我が国を救うことができれば、我が国の半分を統べる地位と権利を保障しよう。先に支払った卒業金は前金ととってもらって構わない」
「因みに、もし、期待に応えられなかったら?」
上手い話には裏がある。リターンだけでなくリスクも天秤にかけるのが良い経営者だ。断じて怖気づいたわけではない。
「うむ。まず前金である卒業金は返してもらわねばならん」
ウィルの脳裏に子爵の伯父に泣きつく自身の姿が思い浮かんだ。
「体面上、慰謝料と言うか違約金も無しと言うわけにはいかぬだろう」
金額が多額過ぎて想像上のウィルは伯父に蹴り飛ばされた。
「君も王配より借金奴隷と言う立場になれば、もっとやる気になるかもしれんな」
自分だけでなく弟や妹までもが荷馬車に詰められ値札をつけられる光景が浮かぶ。
「まあ、血の気の多い臣下たちから報復されるのが先かもしれんが」
妄想の中の自身は、馬に乗った兵たちに八つ裂きにされてしまった。
「待って。俺、脅されてる?」
同じ女にプロポーズされたような気がしたが気のせいだっただろうか。兎に角、王配の立場はハイリターンだがそれに見合う超絶ハイリスク。それはよくわかった。しかも当の結婚相手はにこにこ笑いながら求婚と恐喝のセット売りを敢行する、悪徳商人も裸足で逃げ出す斬新なセンスの持ち主だ。ますます二の足を踏んでしまう。
ちらりと草原に視線をやる。先ほどは中断したが、今すぐここで馬車から逃げるべきか? 騎馬民族相手に?
「この草原には死体が転がっている」
どきりとした。思考を読まれ、逃げたら殺す的な脅しをかけられたのではないかと思ったからだ。しかし彼女は遥かに続く草原を眺めている。
「生まれたばかりの赤子の呼気を塞ぎ、年老いた父母を草原に捨て、育てた子を人買いに売り、食い扶持を減らす。そんなこと、この国では日常茶飯事だ」
「その解決策を俺が見つけられるって?」
女王はこちらを振り向いた。命綱とも呼べる視線の先、瞳の中にはなんと頼りない男が映っているのだろう。とんでもない買いかぶりだ。この男は異国の学生に過ぎない。
たまらず俯き、自分の手を見る。指は長いが右はペンだこのせいで歪、それが男にしては細い手首に繋がっている。この手で何を為せると言うのだろう。
「あなたは、なんで俺ができるって思うわけ?」
繰り返すようだが、ウィルは自惚れ屋だが現実主義者でもある。自分が他国を救うような力量があるとはどうしても思えない。
「だって君は、我が国の侵略を許さないだろう?」
息が止まった。
これからはお前が家長だ。そう言って背を押した分厚い手。誰のものともわからぬ土を盛っただけの墓。すすり泣く女や子どもの声。
誰にも言わず、ずっと秘めてきた思い。シリトンの眼は、その胸の内すら見透かすようように澄んでいる。
ウィルは半年とは言わず、今すぐ逃げ出したくなった。その手を女の手が掴む。
「私は、この国の新しい在り方を求めている。そしてこの国を、戦争以外の方法で飢餓から救いたいのだ」
拳は固く、振りほどけない。家族以外の女性に手を握られたのは久しぶり、と言うか初めてではないだろうか。
「頼む」
懇願の吐息を漏らし、瞳を伏せる。修道女が祈るように背は僅かに丸まっている。その背に国の命運と、国民の命を背負っている。一人で背負うにはその難題は重すぎる。
この国を変えたいと目の前の女が言う。
それは、ウィルが当初思い描いたオノグルを破滅させるやり方ではなく、オノグルを自立させる方法だが、戦争をしないで済む国に変えると言う意味では望ましい方向のはずだ。
だったら同士だ。自分が逃げたら、この問題を彼女一人に背負わせることになる。
「わかった。やれることを精いっぱいやってみるよ」
遂に白旗を上げる。この願いを突っぱねることがどうしてもできなかった。
正直、自信は全然ない。でもこんな美女に期待され、懇願され、求婚までされた。彼女が自分の力を信じてくれるなら、ちょっとくらい頑張ろうと思えた。
それに、自分一人の手に余っても、二人なら、どうにか掴めるのではないだろうか。
「本当か! ありがとう」
ぱっと光が灯るように、女王は破顔した。彼女の提案を受けるのは自身の暗い野望のためでもある。自分を信頼し感謝する、輝かんばかりの笑顔を見ていたら、今更のように後ろめたさがふつふつ湧いてきた。
「……それで、陛下は、それでいいの?」
普通の家庭で育ったウィルは違和感を覚えていた。
「勿論、国の益になるなら」
「えっと、そう言うことじゃなくてさ」
自分の結婚すらも商談の条件のように語る。だが、彼女と同じようなうら若い女性なら、結婚に、新郎に、もっと夢と希望を持っているはずだ。彼女は自分のことを、例えば異性としてどう思ってるのか。
「君の方はどうなんだ?」
女王は子猫のように上目遣いで青年を窺う。
「え? 俺?」
「初対面で私のことを“かわいい”と評し、容姿を好意的に受け止めているようだ」
「それは、まあ」
彼女の容姿はとても評価している。王配になったら夫婦生活を送るのだ。女王が美人でなかったら、この話を受けたかどうかわからない。
「君のエロ本……官能小説を拝見したが性的嗜好は年上ものが多いくらいで健全な方に分類される。兄弟が多いことから、生殖能力も問題なさそうだ。結婚するからには世継ぎを期待される。夫婦生活に不満はないと判断させてもらっていいだろうか?」
「ちょ、え、何言っちゃってんの?!」
滔々と述べられているので聞き逃しそうになったが、秘すべきプライベートを暴き立てられ、とんでもないことを口外されている。
「例えば、君がさっきからチラチラ視線をやっているこの胸」
気づいていたか、とウィルは恥じ入り目をぎゅっと瞑った。
「好きにしていぞ」
「はへ?」
「触ってみるか?」
お年頃の青年は無意識に手を伸ばしかけ……後ろで組み、叫んだ。
「嫁入り前の女の子がそんなこと言うんじゃありません!」
女王はたまらず吹き出した。




