第十八章 感謝の言葉
「だからお相子だと、そう言うつもりか」
「いいえ。ただ、非生産的だな、と思って」
オノグル人がエースター人を殺して。殺されたエースター人の友人や家族がオノグルを憎み、別の人を殺して。殺されたその人の家族や友人たちがまたエースターを憎んで。
「俺たち、いつまでそんなこと続けるんだ? 殺し、殺され、憎しみ合って」
憎しみは連鎖し、終わりがない。
「そんな関係もう終わりにしよう。俺たちは新たな関係を築くことはできないか?」
「なんだ、教会の神父様みてぇに敵を許せとか言うつもりか?」
皮肉気に嗤う親方に首を振る。
「そんなこと口が裂けても言わない。俺、今でも父を殺した連中は死ねば良いと思ってる。父は俺と同じで剣なんか扱えなかった。なのに、オノグル軍が迫る城に残った。母や俺たちを先に逃がしていたから、城が落ちるのは予期していたはずだ。なのになんで、残ったんだろう。未だにわからない」
だってウィルは父がどんなに臆病者と謗られようと、生きていて欲しかったから。
「武器らしい武器を持たなかった父は無抵抗のまま殺された。遺体は他の遺体と同じように共同墓地とは名ばかりの穴に埋められた。墓参りをしようにもどこに埋まっているかわからない。なのにどうやって父を殺した人間を許せば良いんだろう」
許すと言う行為は難しい。感情は簡単に切り替えできない。もしかしたら一生、わだかまりは消えないかもしれない。
「でも、憎み続けるのって疲れないか?」
「若いくせに冷めてるな」
「違う。俺は現実的なだけだ」
ウィルは特別感情が薄いわけではないが、そんなものに振り回される余裕はなかった。いつの間にか損得で物事を考えるようになっていた。
「憎しみで腹は膨れない。俺には幼い弟と妹がいた。家族を食わせるには個人の感情にいつまでも固執していられない」
憎しみは強い感情だが非生産的だ。周囲に悪影響を及ぼし、本人にもマイナスの効果をもたらし、時には攻撃される要素になってしまう。だからウィルは食い物をくれると言うのならオノグルの軍人にも愛想良くしたし、単位をくれると言うのならオノグル出身の教授にも媚びを売った。将来役立つと思ったからこうしてオノグル語を学び、自国語のように話すことができる。自分と家族が生きていくために、そうやって割り切るしかなかった。
「そう言う意味では親方のことを羨ましく思う」
ヴァルカ工房には国の中心人物の提案を突っぱねるだけの経済的余力がある。もし経済的に困窮していれば、幾らエースター人であってもウィルの提案を受け入れただろう。
「俺は飢えたってエースター人の施しは受けんぞ」
「ははは。本当に飢えたことがない人の言いそうな台詞だ。残飯を漁って腹を下したことある? 母の乳が出なくなって、乳のみ児の弟が死にかけたことは?」
にこやかに凄惨な過去を語る青年に、さすがの親方も警戒を顕わにした。
「お前、そんな思いをしたのに、なんでオノグルなんかへ来た。しかも女王陛下と結婚するって言うんだろ?」
「俺もなんでだろうとは時々思うけど。折角縁があったんだ。彼女のことは大切にしたいと思っている」
卒業金の援助をしてもらえた、家族への支援をしてもらえたと言う単純な理由だけではない。剣を握り、兄に殺されかけ、多大な犠牲を払い王座に就いたと言うのに、いつも国民のことばかり考えている。そんな女性を憎しみ続けることなどできない。何とか力になってやりたいとすら思ってしまう。
思えば遠くに来た。学生だったウィルは、この国とは全く縁がなく、紙の上で憎い隣国を追い詰める論文を書いていた。それがこの地を踏み、ここに住む人たちと言葉を交わし、いつの間にかすっかりオノグルが大事になっている。
ウィルは感傷を振り払うと、改めて商談を再開した。
「親方、発想の転換をできないか? エースターでなく戦争を憎むんだ。戦争が無ければあなたの息子は兵隊にとられることは無かったし、俺の父親も死ぬことはなかった。
今のままではこの国は戦争をせずにはいられない。他国から穀物を買わなければ飢えるのに、買う金がない。だから戦争をして小麦か金を分捕るしかない。でもあなたが靴を売れば状況は変えられる。敵同士ではない、争う必要のない新しい関係を築くことができる」
「エースター人のために靴なんか作りたくない」
意固地に繰り返す親方の口調は駄々っ子のようだった。
「そうじゃない。オノグルのために靴を作るんだ。エースターの連中の多くは今もオノグルを乱暴者の住む未開な地だと思っている。歳月を経ても戦争に勝っても、その印象は変わらない。そのままで良いのか? 馬鹿にされたままで」
オノグルを野蛮人の集まりだと、交渉に足る相手ではないと思っているなら、オノグルも力尽くで要求を受けさせる他ない。相手を尊重するのは、平和への第一歩だ。
「連中を見返してやるんだ。エースター中をオノグルの靴で溢れさせてやろう」
憧れの人の真似をするのに、そのファッションを真似る人たちがいる。ファッションというのは嫌でも目に付く。そして容姿と違って変えるのが容易だ。エースターの人たちが馬鹿にしていたオノグルの靴を誰もが履くことになったら、認識も変わるかもしれない。
「息子さんを奪ったエースターを恨んでいるだろ? だったら戦え。こんなところで管巻いてないで。あなたの武器をとって、あなたの戦いをするんだ。安い輸入品の靴が市場に出回れば、母国のぬるま湯で商売をしていた多くの靴職人は首を括るだろう。人を殺すのは、何も武器だけじゃない。エースターから外貨を巻き上げてやるんだ」
木の軋む音が聞こえた。
「父さん。売ってあげてもいいんじゃない?」
両手に松葉杖を突きながら現れたのは、二十代くらいの青年だった。親方と言うより先ほどちらりと見た奥さんに似ている。加えて言うなら絵の中の小さいほうの少年の面影がある。ウィルはその時、自分の過ちに気づいた。女王は靴が履けなくなったと言った。両方亡くなったとは言っていない。
「僕もエースター人を殺さなかったとは言わない。エースター人は兄を、戦友を殺したからだ。それを悔やむつもりも、まして誇るつもりもないよ。戦争とはそう言うものだ。だが、できるなら戦争は、あの地獄は避けるべきだ」
青年の脚は筋肉も落ち、棒のように細い。身体を支えるだけで歩くことなどできそうもない。戦争は死者だけでなく負傷兵も生み出す。銃や剣で負った傷、野戦病院の不衛生な環境が原因で脚や手を失うことも少なくない。身体に障害を受けた傷痍軍人は定職に就くことが難しく、乞食に身をやつしたり犯罪に手を染める者もいる。ともすると死ぬ以上の地獄を味わうことになるのだ。
「姫様は元気かい?」
「ひめさま?」
「ああ、陛下のことだよ」
女王が従軍していた六年前、彼女の立場は王女だった。姫様と呼んでも不思議はない。それにしては、憧憬が滲んでいるが。
「夫になる方を前に言い辛いんだけど、戦後に手紙を頂いたこともある。彼女は僕がこんな身体になっても気にかけてくれる優しい人だ。軍の連中はみんな彼女に惚れてたよ。女日照りだからじゃない。彼女の人柄に惚れたんだ。
安心してくれ、誰かと恋仲になってたわけじゃない。決して手を触れてはいけない高根の花のようだった。どんな男と結婚するのかと思っていた」
「ははは。それは期待に沿えず……」
未来の夫から乾いた笑いが零れる。
「確かにパール将軍のような筋肉隆々なを想像していた。でも姫様は戦争に勝てる男じゃなくて、戦争しないで済む男を選んだんだね」
自分にそんな力があるのか。決まりが悪いウィルを青年が正面から見据える。
「父の靴を売ることが陛下のためになるんだね」
「ああ。陛下は外貨を欲している。オノグル国民の靴をエースターへ輸出すれば外貨を得られる。そしてそれは、オノグルを蛮族から交渉に足る相手に格上げさせることになる」
自信はないが、決意はあった。永久に受け入れられることは無い。そんな悲しい台詞を、ウィルは二度と彼女の口から言わせたくないのだ。
息子は振り返り、「父さん」と呼びかける。親方はようやく頷いた。
「いいだろう。エースター人の靴を作ってやるよ」
翌日からヴァルガ工房がエースター向けの靴を作り始めたようだ。一週間もしない内にサンプルが届いた。早速履いてみたが、自分の足に馴染むので使わせてもらっている。商品が出来たからと言って売れるわけではない。靴を輸出するため、ウィルも動き出した。商品を運搬する流通経路の確保、販売する小売り店、税金、通行手形といったその他諸々の手続き。やることはたくさんある。今日はオノグルに滞在している外国の商人たちに意見を聞くつもりだ。
「旦那様の到着が時間より早かったので、準備が間に合いません。こちらの部屋で休んでいただけますか?」
商人たちを接待しようと応接室へ行こうとしたところ、いつもはこちらの意を汲んでくれるドリナが立ち塞がった。
「別に部屋を用意してくれなくて構わないよ。隅で邪魔にならないように待ってるから」
「そのように仰らず」
押し込められた部屋には、最近よく嗅ぐ油の匂いと、もう一つ。
「何してんの!?」
女王陛下が屈んで自らの靴を磨いていた。
「靴を磨いている」
「いや、見ればわかるけど、そう言うことじゃなくて、違う、そもそもこんなところで」
混乱し言葉も要領得ない。だと言うのに、女王は落ち着きを払っている。
「見つかったら色々言われるので、空き部屋で磨いていた」
「そりゃ言うよ。一国の王に靴を磨かせる家来がどこにいるんだよ」
「普段は無論侍従たちにやらせるが、暇なときは自分で手入れしている」
革はたちまち艶を取り戻していく。クリームの量も多すぎず少なすぎず。ウィルも革靴を磨いたことがあるのでわかるのだが、手つきも悪くない。
「どこでそんなこと覚えたの?」
「軍では自分のことは自分でしなければならなかった。私の部隊にいた男が手入れの仕方を教えてくれた」
呆れてしまった。王族に靴の磨き方を教えるなんて豪胆な男がいたものだ。
「靴職人の次男坊でな。大人しいが靴のことになると熱く語る男であった。定期的にクリームで栄養を与えろと、過酷な状況だからこそ清潔に保つことで良い印象を与えるのだと、靴は生き物だったのだからきちんと手入れをすれば長く持つのだと、口酸っぱく言われた」
磨き終えた靴を角度を変えて眺め、満足したのか軽く頷く。
「血を見るのが苦手で、戦場には不向きな温厚なだった。……何とか無事に親元に返してやりたかった」
油まみれの手を拭い、道具を片付け、瓶に蓋をする。
「足がそこそこ早かったので、色々言い訳を並べ、危険の少ない後方で伝令役をさせた。しかし、運が悪く流れ矢に当たった」
女王は磨いたばかりの靴でウィルの前に立つ。
「靴は他国に売るに値すると以前から考えていた。価格が安く品質が優れている。しかし、子を失った親方の心を思うと、なかなか踏み切れなかった」
その時、気づいた。女王がここにいたのは、たまたまではない。気軽に顔を合わせるのを立場が許さぬ女王が、偶然を装って待っていたのだと。
ドアに手をかけ、女王は優しい顔で振り返る。
「君は私ができなかったことを為してくれた。感謝する」
ふい~、ここまでが王妃代行、猫曜日と同じ展開ですが、こっからとんでもないことになります




