第十六章 交渉決裂
女王との関係に光は見えないが、外貨獲得の方には光が見えてきた。安価で丈夫な靴はエースターでも需要がある。有力な輸出品候補だ。
「責任者はいるかい?」
後日、ウィルは四頭立ての馬車でヴァルガ工房を訪れた。今度は将来の王配として着飾り、護衛も何人かつけている。玄関口で見習いの少年に声をかけると、彼は脱兎のごとく店の中へ消えていった。暫くすると、奥から店を震わすような怒鳴り声が聞こえてきた。
「俺はいないと、言えぇぇええ!」
なんて堂々とした居留守だ。程なくして、先ほどの少年が出てくる。
「いないそうです」
「あ、そう。じゃ、中で待たせてもらおうか」
お待ちくださいと言う静止を振り切り、ずんずん中に入っていく。店は大きく二つのスペースに分かれていて、入り口付近は同じような靴が並べられている。恐らく販売するための空間だろう。そこを抜けるとたくさんの人間たちがいた。大きな革を拡げている者。刃物を研いでいる者。靴を縫っている者。完成した靴を磨く者。男だけでなく女や幼い子どもも働いている。明かりとりの窓のおかげで思ったより明るいが、なんだか油臭い。
ウィルが通り過ぎると彼らはぎょっとしたように手を止めるが、険しい顔をした中年の男だけは頑なに顔を上げようとはせず、中敷きに釘を打ち続けている。
「なんだ、いるじゃないか。はじめまして親方。女王陛下の婚約者のウィルフリートだ」
「お前を招いた覚えはないぞ、エースター野郎」
侮辱の言葉にもウィルは気を悪くした風もなく、笑みを崩さない。
「商談があって来たんだけど、この工房の靴を輸出する気はない?」
「エースターの人間に売る気はない」
これは拗らせている、と会話の方向を変えてみる。
「二人の息子さんは戦場で勇敢に戦ったと聞いたけど、父親の方は臆病者なんだね」
職人の手が止まった。
「なんだと」
「だってそうだろ? 自分の靴がエースターで売れるかわからないもんね。戦わずして逃げようとしてるんだ」
「そりゃ商人の理屈だろうが。俺は職人だ。気に入らねぇ奴のためには幾ら金を積まれても作る気にはならねぇな」
「え? 親方は女王陛下のこと嫌いなの?」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。なんでそうなるんだ」
「女王陛下は戦争の中心となっていた張本人だもんね。恨みに思う気持ちもわかる」
「ふざけんな!」
視界が暗くなり、強烈な油の匂いがした。汚れた雑巾を顔にぶつけられたらしい。
「二度と来んじゃねぇ」
発破をかけるつもりだったが言葉選びが悪く、親方を怒らせてしまった。頑固そうな親方だったし、一度決めたことはそう簡単に曲げないだろう。折角、輸出できそうな品が見つかったと言うのに。息子のことで親方がエースターに悪感情を持っていることは覚悟していたが、あれ程かたくなとは。
なんとなく一人で帰りたくなったウィルは、途中で馬車を降り、汚れてしまった上着とともに先に王宮へ返した。ハンカチで顔を拭ったが、油の匂いがまだ残っている。
通りにあるどこかの貴族の邸宅の庭木が色を付けていた。この国に来てから殆ど城に籠りっきりだったウィルの知らないうちに、季節は秋になっていたらしい。
城門の前では男たちの掛け声やら、絶え間ない槌の騒音が聞こえる。
王宮のすぐ近くで教会を作っていると言う話を、ウィルは耳にしていた。しかし、こうして間近で見たのは初めてだった。
入口から主祭壇に向かう中央通路はほとんど完成している。その途中にある、直角に突き出した通常翼廊はまだ基礎が見えている。そこへ、街の傍を流れる大河から船で巨大な石材が運ばれ、陸に下ろして石工たちが定規等で測りながら斧で適切なサイズに割り、それらを多くの人夫たちが運んでいる。彼らに交じり、肩パッドをつけた人夫は大きな桶に乗せ、亀のように背に負って運んでいるのは繋ぎとなるモルタルだろうか。運んだ先では手袋をした人夫が先の尖った鏝を片手に、所定の位置に一段一段積み上げていた。
そのただ中に、よく見知った軍服を着た女の姿を見つけた。冷たくなり始めた外気を避けるように毛皮の襟巻に顔をうずめ、建設中の教会の進捗状況を観察している。
「寒いな。雪が降る前に身廊の屋根はできそうか?」
身廊、つまり主祭壇から翼廊までの中央通路の壁は高く積み上げられ、内側には立派な木材を潤沢に使い、巨大な梁が組まれている。上の方では大工たちが巻き上げ機で平らな板を床から一つずつ引き上げ、屋根の上で組み立て金槌を振るっていた。
「棟梁の話では順調だそうです。最終的にはモザイクで飾る予定ですので、取り敢えず仮の屋根をつけています」
現場監督と思しき中年の男が外国語訛りで報告する。
「なら良い。寒い中、野外で作業するのは気の毒だからな。装飾も含め、後の所はぼちぼちで構わん。どうせ時間稼ぎだ」
「時間稼ぎってどういうこと?」
ウィルはついつい疑問を声に出してしまった。
ぱっと見ただけでも多くの男たちが動員されている。石を割る音、荷を運ぶ掛け声、日中途切れなく音が続いているし、近くには何日も泊まり込みで作業するために職人たちの小屋が建っている。これだけ大がかりな事業がただの時間稼ぎとは、解せない。
「だいたい、教会を建てるのにも経費がいるはずだよね。大丈夫?」
「余裕があるとは言い難いが、ある程度は寄付で賄うことができる。この国は信心深い人間が多い。世に余っている金で職にあぶれている者を雇い、貧困者を減らせる」
職があれば生活が安定し、無暗に盗みや殺しをする犯罪者も減る。治安も良くなれば警備に割く人員が減る。金を得た人間は購買意欲も高まり、経済が循環し景気も良くなる。一撃で二匹のハエを撃つ理論に、経済をかじっているウィルは舌を巻く。
「それに、こっちの方が損害が少ない」
「ん? どういうこと?」
「実は十字軍への参戦要請が再三来ている。教会を建てているので忙しいと言えば、教皇あたりには良い言い訳になる」
戦争をしたくないから教会を建設している、と言うとんでもない理論だ。
「戦争は十八番だろ? 聖地回復のために戦ってあげても良いのでは?」
「帝国との戦争はご免被る。帝国軍は強いぞ。エースターとは違い編成も組織立っている。主な将を討っても代わりの将が出てくるし、序列がはっきりしていて意思統一もされている。おまけに徴兵制で大量の軍を動かせる。我々のように遊牧民を祖に持ち馬の扱いに長け、戦闘は聖戦と位置づけられ一兵卒の士気も高い。勝てぬ相手なら戦闘は避けるべきだ」
弱い相手には戦争をふっかけ、強い相手とは戦争はしない。卑怯なようだが、政治は正義だけでは成り立たない。国を背負う国家元首には必要な判断だろう。
「でも帝国の勢いは凄まじい。いずれこの国へも侵略してくるはずだ。それなら十字軍の力を借りて、先に潰しておくのも手じゃない?」
ちょっと前に南のオドリュサイ王国が帝国の占領下に置かれた。予言者教と言う割と新しい一神教を掲げる帝国は、支配地域を拡げ信者を増やすことを目的にしている。エースターやオノグルが信仰する救世主教も同じく一神教で両者の主義主張は真っ向から対立している。いずれ北上してくるだろうし、そうなれば戦争は避けられない。
「そうだな。いずれ刃を交えることになるだろう。ただ、一国で戦う方がマシかもしれん。十字軍などと聞こえは良いが、所詮各国の寄せ集めだ。前回の遠征の結果を知っておろう? 守りやすい場所で迎え撃つと主張した当時のオノグル王の意見を却下し、撃って出た。軍の指揮系統もバラバラ、ランク王国あたりは考えも無しに突撃しまくり、領土が遠い他国は危うくなればさっさと逃げる。友軍が逃げれば自軍も浮足立つ。オノグル軍は最後まで戦ったが半壊し、王は漁船に身を隠し、命からがら脱出した」
女王が生まれる前の話のはずだが、自国のことだからか我が身に起きたように渋い顔だ。
「それに、万が一勝利できたとしても、十字軍に組み込まれるのであれば旨味も少ない。土地を奪えたとしても財は略奪された後だ。利益の殆どは教皇あたりが持っていく。そんな戦いなら避けたい。オノグルは名誉や使命感のために戦っている余裕などないのだ」
十字軍は元々聖地を奪還するために始まったが、その目的も薄れている。異教徒を虐殺して富を奪ったり、同じ救世主教の国に侵略したり、自分の領土を勝手に作ったり。現にこの救世主教の国であるオノグルも標的になったことがある。遠征の失敗も多くなり、犯罪者が参加することもあるので評判も悪い。そんなものに参加するくらいならまだ一国で対処した方が、と女王が考えるのは無理ないことかもしれない。
できつつある教会を眺める。工期を計算し、誰が何をするか役割を明確にし、時に監督し、統率が取れているからこそ設計図通りに作ることが出来る。働いている人々が勝手に棟を増やしたり、違う大きさの石材を積んだりしたらとんでもないことになる。計算を誤り、建設中に崩壊してしまった教会の話も聞いたこともある。
強敵とは戦わず、どうしても立ち向かうなら自分の統率のとれる範囲で、と考えるのは現実的な女王らしい意見である。
「イロナさんの考えはよくわかったけど。ただの言い訳にするには立派な教会だね」
ウィルは素直な感想を述べたつもりだったが、女王は皮肉気に唇を歪めた。
「蛮族には教会がないと思っていたか?」
正直言えば、と頷く。
「我々は所詮異民族だ。生き血を吸う、野蛮な民族と周辺諸国に蔑まれているのは知っている。それでも我々はこの地を故郷と定め、この地に根差すことに決めた。我々が文明人だと、交渉に足る相手だと認めてもらうには、君らの宗教を受容するしかなかった」
異民族の彼らは進んで教会を作った。今ではエースターより信仰熱心なくらいだ。そうして宗教を受け入れることで、ようやく周辺国の仲間入りをしたのだ。
「それだと嫌々受け入れたみたいだ」
「少なくとも私は敬虔な信者のつもりだ。それでも時々思う。我々の祖は何を神と崇めていたのだろう。何を信じていたのだろう、と。
元の信仰を捨てた選択が間違いだったと思わない。我々は十字軍の討伐の対象となることなく、我が国には異国の大使館もある。だが……」
オノグルの女王はふいに言葉を切る。瞳には夕闇に浮かぶ十字架の影が映っている。
「我々はいつまでも蛮族と蔑まれれば良いのだ?」
「そんなことない」
「そうか? エースター人の大半はそう思ってるのではないか? 馬に乗るしか能が無い、血を啜る野蛮な奴らと」
そうやって幼い子どもを脅すエースターの母親は少なくない。隣国だと言うのにオノグルは御伽噺に出てくる悪者の扱いだ。ウィルだってこの国に来る前は漠然と敵意と恐れを抱いていた。そんな過去を振り払うかのように大きく頭を振る。
「教皇様だってちゃんとオノグルを認めている」
「教会の連中は帝国の脅威があるから味方面しているだけだ。戦争の矢面に立たせるために。利用価値が無くなったら次の敵に仕立て上げるだろう」
「なんで」
腸が煮えくり返るようだった。
「なんでそんな風に言うんだ。まるで全て諦めてるみたいに」
女王は黙っている。シトリンの瞳は凪いでいるように穏やかだった。
「君たちは人間だ。人間扱いを求めて何がいけない? 胸を張って、周辺諸国と肩を並べられるような対等な関係を築いていけるはずだ。今は無理でも話し合いや交渉で……」
「それは全くの無駄なことだ」
紅の唇が、下手な冗談でも聞いたように無理やり弧を描く。
「私たちはわかっている。幾ら友好的な態度をとっても、時には武力を示してみても、永久に受け入れられることは無い。私たちは数百年前に毛皮を纏って現れた異邦人のまま」
彼女は慣れていた。馬鹿にされるのに慣れている。恐れられるのに慣れている。人に人と扱われないのに慣れている。そんな不当な扱いをオノグル人はずっとされてきたのだ。
「なんでそんなのを受け入れてるんだ。悔しくはないのか!」
ウィルは叫んだ。吐き出しても吐き出しても体の芯は滾るように熱く、口惜しさが湧く。
愚痴も言わず一人で職務をこなしていた侍女の真摯さを思った。家族を殺されても仕えたいと言ってくれた使用人たちの気高さを思った。弱い立場の国民を気に掛ける女王の慈悲深さを思った。誰も彼も蛮族だと一括りにされて、貶められて良い人たちじゃない。
「君はエースターの人間にしてはちょっと変わっているな」
女王は淡く微笑む。
「そんなエースター人が一人でもいるとわかっただけで十分だ」
頭の奥がつんと熱くなってきて、拳を握った。
――違うんだ。それじゃダメなんだ。この国はこんなにも素晴らしい。
この国の良いところを、目の前に突き付けたくなった、大声で触れ回りたくなった。
けれど、折角ウィルには口があると言うのに、エースター人の耳には届かないのだ。




