第十五章 お出かけ
ウィルは英雄ではない。彼女が本当に辛い時、手を貸したのは別の男だ。でも、今の女王が結婚相手に選んだのは、必要としたのはそんなウィルだ。自分にできることをしよう。改めてそう決意する。するしかないのだ。
女王の関心事はいつだって別の誰かで、その心配事を解決しない限り浮ついたことを考える余裕もないだろう。彼女から与えられた課題、国を富ませる法を見つけぬ限り、パートナーとして認めてもらえるはずもない。男として見て欲しいなんて泣き言を言っている暇はないのだ。
「ローザさぁーん」
ウィルは目当ての侍女を追いかける。彼女はエントランスホールへ続く吹き抜けの階段を降りるところだった。
「何か用ですぅ?」
使用人だと言うのに主に対してあからさまに顔をしかめる。まあ彼女の読み通り、面倒ごとには違いない。彼女がこれから城下へ買い物に行くことは調べがついている。ウィルは満面の笑みを浮かべた。
「俺、街に出かけたいなーって」
「うふふ、寝言は寝て言えですぅ。ローザわぁ、ちょー忙しいんですぅ」
「へえ。雇い主の命令に逆らうんだ?」
つい最近使用人らを解雇した男が脅しをかけると「ううう」と一時的に言葉につまった。
「そ、も、そ、も、冷静に考えるですぅ。街中に王配候補、それもエースターの人間が現れたら阿鼻叫喚ですよぉ。あなたのこと、良く思ってない人間も多いですぅ。追剥と殺人鬼が一遍に来ますよ?」
彼女の言葉が脅しでないことは、ストライキされた男は身をもって知っているが。
「変装していけば平気。公に出てない俺の顔なんて知られてないから」
そこへたまたま、下の階、エントランスホールに女王が現れた。どこかへおでかけか、近衛兵を付き従えている。
「我が君ぃ、旦那様が出かけたいってほざいてますよぉー? 何とか言ってくださぁーい」
怖いもの知らずなのか、侍女が一国の王に気安く呼びかける。
「良いのではないかー?」
反対される可能性もあったが、女王は二階を見上げそう返した。
「へぁ? でも旦那様の身の安全が……」
「そなたがついていて何か起きるのかー?」
急いでいるのか、女王は家来を付き従え外へ出ていく。女王の中でローザの評価が高いのは意外だったが、女王を呆然と見送る肩にウィルは手を置いた。
「じゃ、許可も出たことだし」
振り向いたローザは名状し難い顔をしていた。
街は喧騒の中にあった。洗濯物を抱えた婦人たちが大声で旦那の悪口を言い合い、掃除夫が石畳を磨き、放し飼いされた毛の生えたブタが残飯を漁っている。全体的に田舎っぽい印象だ。エースターに比べて建築物は貧弱だし、通行人も野暮ったい格好をしている。
「それにしても旦那様の着こなし、違和感無いですね。高貴さが破片も見当たらない」
使用人の服を着たウィルをローザがまじまじと見つめる。正直、ウィルは貴族らしい格好よりこっちの方がしっくりくる。
「俺にかかれば高貴さなんて自由自在さ」
「貶したつもりだったんですけど」
今日の目的は市場調査。距離のある他国へ輸出するなら、足の速い食品ではなく、衣服や雑貨が良いと考えた。
通りの脇の、布を張っただけの簡易的な屋根の出店を覗いたが、並ぶ服は型崩れしてる。他の店には毛皮や、異民族らしく円錐形の奇妙な帽子を売っていた。細い路地を抜けると広場がある。中央には噴水もある。水不足と言ってもそれは国土全体の話。王都の周辺にはエースターから流れる大河があり、水には困らず、そもそもそういう場に都を作る。
「じゃ、ローザは財布君二五八号とお話ししてきます」
「なかなか酷いネーミングだ。よくそこまで号数を重ねたもんだ」
「ローザは人の名前を覚えるのは苦手だけど、金蔓なら覚えられます」
最低過ぎて逆に感心してしまった。
「で、暫く旦那様を一人にしちゃうんですけど」
「行ってくれば? ここで待っているし」
噴水の縁に腰かける。細かい水滴が弾けて清々しい。慣れない他人の靴で歩き回り、足が疲れているから丁度良い。
「いいですか、大人しくしてるんですよ。くれぐれも大人しくしてるんですよ」
ローザが何度も念を押すので、幼児になった気分だった。
彼女は喫茶店らしき店に消えていった。一人になったウィルは街並みをぼんやり眺める。遊牧民の国らしく、しょっちゅう馬が行き交う。ズボンみたいなものを履いた小さな女の子が巧みに手綱を操っていてびっくりした。
道行く人の顔は明るい。物乞いはいないとは言わないが目立たない。豊かではないが、腹を空かせている人はいないようだ。軒先に椅子を並べて老夫人たちがお喋りしている。その前を乳母車を押した母子が通り過ぎる。赤子の頬はふっくらとしていた。
――生まれたばかりの赤子の呼気を塞ぎ、年老いた父母を草原に捨て、育てた子を人買いに売り……
そんな悲しい風景はここには見当たらない。これが母国の賠償金のおかげだと思うと複雑だったが、民を思いやる彼女はきっと良き王なのだろう。
棒切れを引きずった子どもたちが広場を横切る。眺めていて、ふとあることに気づいた。
「みんな靴を履いている……」
驚きのあまり広場の人々を見回す。靴は高価なものだ。エースターで革靴を履けるのは貴族や富豪といった限られた人だけ。多くは木のサンダルや麻布で足を覆う。革を使う場合も、穴を開けて紐を通して巾着袋のように足を覆う程度。街中を裸足で歩く人だっていた。でも、この国ではみんな最先端の、甲を覆う形の丈夫そうな軍靴を履いている。
通行人たちに頼んで靴を見せてもらった。よく観察すると、デザインはシンプルながら似通っている。恐らく同じ工房で作っているのだろう。
響いていた蹄の音が止む。下を向いていたウィルの上に大きな馬の影が差す。
「出かけるとは聞いたが、まさかここで会うとは」
馬に乗っていたのはなんと女王陛下だった。
「こんなところで何を」
「それはこっちの台詞。俺は市場調査だよ。イロナさんは?」
「漁業組合と警備の打合せをした帰りだ」
「ぎょぎょうくみあいとけいび」
聞いたことない取り合わせだ。
「漁業って海も無いのに?」
「海は無いが大きな川がある。川魚も採れる。漁師として生計を立てている者も多い」
「ふーん、漁業組合が成り立つのはわかったけど、警備ってどこを?」
「最近は川に賊が出るらしい。海賊ならぬ川賊と呼ぶべきか」
「かわぞく」
聞いたことのない響きだ。
「君こそ目付役のローザはどうした?」
「そこの店で男と逢引してる」
「あ奴、全く」
彼女の奔放さに苦労しているらしい女王は、テラス席にいる男女を睨みつける。距離はあったが視線に気づいたローザはばつが悪そうに掌で顔を隠した。
「あ、その靴! 街で見かけた靴と同じデザインだ」
今日はずっと目線が下がっているので、すぐに気づく。女王は軍靴だが、皆が履いているのと同じ、飾りっ気のない足の甲を覆う形。王が履くような儀礼的なものではなく、乗馬靴に近い実用的なものだ。
「ああ、ヴァルガ工房で作ったものだ。私のは鉄板が仕込んである特注だが」
何のために靴に鉄板を仕込んでいるのだろうか。それより気になる単語があった。
「ヴァルガ工房って?」
「この国で一番の靴を作る工房だ。腕の良い職人が揃っていて、何より安い」
「靴なんて高価でしょ? なんで安くできるの?」
「何故高いのだ?」
質問に質問で返された。戸惑いながらも自分の考えを纏める。
「だって靴って革をなめしたり、靴底をくっつけたり、たくさんの工程がある。それぞれ門外不出の技術だし、職人が一人前になるには何年もかかるんだろ? おまけに一人一人に合わせて作らなきゃならないし。どうしたって高くなるはずだ」
「我々は畜産業の国。革のなめし方なぞ、そこら辺の通行人でも知っている」
原材料である革は掃いて捨てるほどある。周辺のどこの国よりも安い。だが、同様に原価が安いはずの毛織物はそう言うわけにはいかなかったはずだ。
「ヴァルカ工房の親方は外国で修業し、技術を獲得した」
「でも、靴を作るのには手間がかかるだろ?」
「うむ。まず一つ、オーダーメイドだからだ。計測する専門の人間を雇わねばならぬし、時間もかかる。一つ一つ形が違えば生地のロスもあるだろう。しかし、平均的な足の形、或いは足の大きさで作ったらどうだ? 全部同じ形ならば余分な人間も材料も要らない。紐で調整するタイプにすることで、多少は調整できる」
「なるほど……いや、待った。大量生産すると言っても靴を作る工程は同じはずだ」
「そこで親方は靴を作る工程を徹底的に分業化した。生地を型通りに切るくらいくらいなら練習すれば誰でもできる。難しい工程のみ職人がやれば良い。靴一足作れるようになるのに十年かかると言われているが、一つの行程のみならもっと短い時間で取得できる」
靴をはじめ、人が作るものの価格の大半は人件費。あまり給与を安くしては腕の良い職人に逃げられてしまう。だから未熟な者を使って人件費を抑えるのは理に適ってるのだが。
「なんでそこまでして」
「ヴァルガ工房は大量に靴を作る必要があった。エースターとの戦時中、親方の二人の息子も働き盛りだった。当然、兵として徴集された。オノグル人と言えど職人の息子だ。剣もろくに握れぬ、弓も射れぬ人間など歩兵として人の壁にするのがせいぜいだ。歩兵は自分の足で行軍する。命令通り動き、いざとなればいち早く逃げる必要がある。裸足なら草で足裏を切り、枝を踏み抜き、破傷風にかかる者もいる。丈夫な靴があれば少しでも生き残る可能性が高まるだろう。
しかし、二人の息子にだけ良い靴を送ればどうなる? 上司や同僚に奪われて終わりだ。息子たちに確実に靴を届けるには、所属する隊の全員に靴を送る必要があった」
たくさんの人間が関わり工房は軍靴を作り続けた。その靴はオノグル軍のほぼ全員に行き渡った。
「良い話だね」
しかし、女王の白い面は翳った。
「そうまでして守りたかった二人の息子は、どちらも靴が要らぬ身体になってしまった。ままならぬものだな」
暫し感傷に浸っていたが、ふと太陽を目にした多忙な女王は「まずい、次は城で会議だ」と呟いた。その時、ウィルは天啓のように閃く。あの教えをここで実践すべきだ、と。
「ててて手を繋いで帰りませんか」
些か緊張した面持ちで誘いかける。女王は苦笑いを返す。
「折角の誘いは嬉しいが、私は馬で来たのだが」
ひらりと馬に跳び乗り「ではな」と言ってあっさり城へと去って行く。
ウィルは手を差し出したままその背を見送った。
確かに、手綱を捌きながらじゃ手は握れないけれども。あっさり帰られる場合は脈無しですか、ローザ先生? 嬉しいって言ってくれたし、気遣いじゃなくて好意からですよね、ローザ先生? タイミングが悪かっただけ、そうですよね、ローザ先生?!
振り返ると、男に会計をさせていた恋の教師は何とも言えぬ生温かい目をしていた。
漁夫の砦はハンガリー(ブダペスト)の観光名所になってるよ!




