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第十三章 過去の誓い

ただ、不思議なことがある。女王が宣言した男が彼女の好みの異性だと言うのなら、その男と結婚するなり愛人にするなりしたら良い。多少強引でもいいだろう、彼女にはその権力があるのだから。そうしてない、と言うことには何か理由があるのだろうか?


「私の父です」


答えたのは、すぐ傍で栗毛の馬の手綱を握っているドリナだった。


「なるほど、将軍はイロナさんの養い親でもあるもんね。お父さんと結婚したーいと言う女の子もたまにいるもんね」


ほっと安堵し、訳知り顔で頷く。女の子は成長と共に「お父さんなんか嫌い!」と言い出すのだが、父親の愛情不足で育った場合、その欠落を埋めるために父性的な者に憧れることがあると本で読んだことがある。恐らく国王だった父の愛情に恵まれず、身近にあった養い親の父性を求めた。と言うか精神衛生上、異性への恋ではないと思い込む。


「将軍はさぞかし良いお父さんだったんだろうね」


恋敵ではなかったとの安堵から、現金にもウィルの声が弾む。


「そう言うんじゃないんです。父は……私と父はイロナに呪いをかけたんです」


俯き、暗い顔で為された乳姉妹の告白。だが、女王は「馬鹿なことを」と一蹴する。


「ごめん、イマイチ事情がわからないんだけど」


割って入ると、乳姉妹は互いに顔を見合わせた。女王はどこか気づかわし気な眼差しだ。しかし一方の侍女は、何かを決意するように瞳にキッと力が籠る。


「旦那様、イロナが女王になった経緯をご存じですか?」

「なんとなくは」

「彼女が自分の肉親を殺したと聞いてどう思いましたか?」

「えっと……似合わないな、って思った」


言葉を交わすうちに、女王は自分のために動くような人間ではないとわかった。多少無礼なことを言っても笑って受け流し、気位も高くはないし、気さくで寛容だ。

しかし、それでは自分が王になるためにクーデターを起こし、兄を討ったと言う女王像の説明がつかなかない。


ドリナは頷くと、小さく息を吸った。


「少し、昔の話にお付き合いいただけますか?」


        ‡   ‡   ‡


「遅い!」


ふくよかな王妃がヒステリックに騒ぎ立てる。銀の燭台には灯がともり、絵付の皿が並べられていた。


「お待たせして申し訳ありません」


イロナは未だに慣れないドレス姿で席に着く。食前の祈りを唱え、食事が始まった。何か動作をする度に横から王妃の小言が飛ぶ。外国の王家の血を引く彼女は、夫と平民との間にできた娘が気に入らないのだ。顔も覚えていない実母が娘を残して早くにこの世を去ったのは、この王妃が原因なのかもしれない。疑いを持つイロナをよそに、王妃はマナーの細かいところまで指摘し、「これだから平民の生まれは」と扱き下ろす。しかし最近は指摘される箇所も減り、殆ど難癖に近い。


「お前、ズボンを穿いて宮殿内を闊歩しているらしいな」


正当な王子である兄が珍しくイロナに話しかける。体系は肥満形で、肉に埋もれた眼は糸のように細い。


「はい。馬に乗るのが好きなものですから」

「女のくせに馬に跨るのが好きとは。もっとお淑やかにしたらどうだ?」

「お兄様も乗馬してはいかがですか? 楽しいですよ」


兄は舌打ちをした。騎馬民族の国の王子に生まれたくせに、兄は馬にも乗れないのだ。

イロナはスプーンを持つ手を止めた。素材の味とも隠し味とも違う味。恐らく毒だ。


「食べないのか」


兄がにやにやと陰湿な眼で観察している。イロナはにっこりと返した。


「お義母(かあ)様が文句ばかり言うものだから、マナーに自信を無くしてしまいましたわ」


スプーンを置き、その後の食事に口をつけなかった。


娘を扱き下ろす母。妹に毒を盛って喜んでいる兄。多忙で不在の父。

乳母の家族の方が余程自分を愛し、慈しんでくれた。血の繋がりを家族と呼ぶならば。ここにあるのは、家族の形をしたガラクタだ。




冷たく、重苦しく、窮屈なだけの宮殿の通路を歩く。


「イロナ!」


背後から親し気に名前を呼ばれて瞠目する。


「久しぶり」


黒髪を振り乱し駆けて来たのは、幼い頃共に育った乳姉妹のドリナだった。


「ああ、久しぶりだな。どうした?」

「父に昼食を持って来たの。食堂の料理だけじゃ足りないんですって」

「パール殿は大食漢だからな」


育ての親に言及しつつ、食事にありつけなかったイロナはバスケットから目が離せない。そんな視線に気づき、ドリナはリンゴを一つ差し出す。


「要る?」

「いや、将軍のだろう?」

「大丈夫よ、父は大きいもの。多少のことでは萎んだりしないわ」


幼馴染の言葉に甘え、本格的に腹の虫が鳴りそうだったイロナはリンゴに噛り付いた。真っ赤な皮から白い果肉が覗き、果汁が唇から滴る。美味い、甘いよりも真っ先に毒は入っていないと考えてしまい、そんな自分に辟易する。


「ご飯、食べてないの?」


掻い摘んで説明する。ドリナはショックに顔を強張らせた。


「そんな。兄妹なのに毒を盛るなんて」

「私を貶めてしか自分が優位にいることを確認できぬ。くだらぬ男だ」


陰口を叩く王女に、ドリナは辺りを見回した。幸いなことに静かな通路に人影はない。


「滅多なこと言わないでよ。王宮には多くの耳があるんだから」

「知っている。だが、一緒に育った仲だ。鬱憤くらい吐かせろ」

「だいぶ追い詰められているのね」

「そのようだ」

「あなたが将軍家を出て王様のお城へ行くことになった時、寂しかったけど幸せになるんだと思ったわ。真の姿を取り戻してお姫様に変身し、白馬の王子様と一緒になるんだって」

「相変わらずの恋愛脳だな。小説の読み過ぎだ」


どこかおっとりしている乳姉妹の欠点は恋愛小説が好きなことだった。


「別にいいでしょ。そう言う話に憧れたって。理想の相手に嫁ぎたいって思うことは間違いじゃないでしょ?」


今の世で女が経済的に自立する手段は限られており、その大部分は結婚して男に庇護してもらうしかない。


「夫に命運を委ねるなんて心底理解できないな」


そんな生き方、自分にできないと思った。誰かに寄りかかっている自分が想像つかない。


「ならイロナは、お姫様じゃなくて王様になりたいの?」

「そっちこそ言葉に気を付けろ」


無邪気に問う乳姉妹を窘める。イロナが王になるなら、王太子である兄が死ぬことが前提だ。しかし妙に心を惹かれ、その言葉を口の中で吟味する。


「わからぬ。弱者をるのが趣味の男より私の方が幾分ましかと思う」


あんな男が王になるのか、と言うのが彼女の偽らざる本音だ。自分では何もできないくせに弱い者いじめが好きで、性根はねじ曲がり、人の心を持っていないのではと感じる時がある。だが、と言葉を濁す。


「正当な血筋でなく、また女である私が王位に就くには数多の屍を築かねばなるまい。私は、その犠牲に見合う人間か?」


自分は馬にも乗れる。民にも慕われている。兄と違って真っ当な心を持っている。しかし、それだけだ。正当な手段では王になれない。それならば、正当な血筋である兄がなった方が、まだ民のためになるのではないか。


「父も平均寿命を越している。兄の臣下となり、いずれ誰かに嫁ぎ、自分の手の届く範囲の者を守るくらいしか私にはできぬ」

「まあ。イロナが臣下? 誰かに頭を下げるなんて不得意なのに」


旧知の乳姉妹は、微妙な立場のくせに誇りばかりはある自分を皮肉った。


「私とて必要に迫られれば頭くらい下げる。まあ、兄に毒を盛られられ、命を奪われるまでの主従関係となるだろうが」


その未来が透けて見えるようだった。

生きたいなら王位を狙う他ない。しかし今のイロナには犠牲を払う覚悟が無かった。




そんな彼女を嘲笑うかのように、事態は動き始める。

数日後、王女の乳姉妹は王宮の一室で見つかった。手を縛られ、服を破かれ、殆ど裸の状態だった。使用人から耳打ちされたイロナはすぐに将軍の家に向かった。


「ドリナは」


いつになく険しい表情の将軍は目線だけで閉ざされた扉を示した。二対の大剣を操り、大軍にもひるまず向かっていく大柄な男だが、この時ばかりは小さく見えた。


扉が開いた。ドリナの母でありイロナの乳母でもある将軍夫人が出て来た。沈鬱な面持ちだったが、イロナを目にするとそれでも笑顔を作る。


「よく来てくれたわね」

「ドリナの様子はどうだ?」

「入浴させて医者に診てもらったわ。口の堅い人に。身体は大丈夫。擦り傷や多少のあざはあるけど、目につくところは一ヶ月もすれば治るでしょう。でも心は……」


いつもは気丈な将軍夫人の瞳にみるみる涙が浮かぶ。


「相手は赤毛のやせ型の男と猫背の金髪の男だったと」

「兄の腰巾着だ」


よく覚えている。兄の影から、自分のことも散々心無い言葉でからかってきた。

頭が燃えるようだ。最近は毒入りの食事を口にする機会も減り、兄は焦れていた。だが、王女の自分に直接手を出すことはできず、腹いせに弱い立場の乳姉妹を苛んだのだ。


イロナは壁に掛けてあった剣をとり、腰に差す。


「……どうする気だ」


彼女に護身にと剣を教えた将軍が平坦な声で問う。 


「償わせる」


踵を返す女の肩を、将軍は掴む。


「何をだ? そう問われて、娘がされたことを公表する気か?」


未婚の貴族女性は婚前交渉をしてないことが求められる。非処女であることが公になればまともな嫁ぎ先はない。彼女されたことは、黙っているしかないのだ。


「しない。私の乱心で済ませる。元はと言えば私のせいだ」

「止めておけ」


育ての親の咎めるような声色に、イロナは感情を爆発させる。


「ならこのまま黙っていろと言うのか! あなたは自分の娘が傷つけられて悔しくはないのか! あいつらに報復してやりたくはないのか!」

「ああ、殺してやりたい! 俺の大事な娘を傷つけたんだ! 殺してやりたいよ!」


将軍の大きな拳が固く握り込まれ血が滴っているのを、イロナは見た。


「だが、殺してどうする。理由なく人を殺しておいて、下々の者がついていくか?」

「そんなことどうでも……」

「ダメだ。お前はそんなことするな」


イロナ、と義父でもある将軍は静かに名を呼ぶ。


「お前は王になれ」


その言葉は重すぎて、何を言われたのか咄嗟に理解できなかった。


「私は女で……」

「人の痛みを喜ぶ男でなく、我がことのように憤る、お前こそが王になれ。女のお前が王になるのは確かに血と茨の道だ。我が家は元は粉屋だ。大した後ろ盾とはならない。だがお前が屍を築くのを躊躇うなら、俺が剣を振るおう。お前は、王になるべきだ」


英雄の言は犠牲を躊躇う王女の胸に強く響いた。

その時、閉ざされていた扉が開き、乳姉妹が青白い顔を出す。


「ドリナ!」


父は近寄ろうとしたが、男である彼も畏怖の対象なのか、娘は身体を固くして震え始めた。父親は脚を止め、唇を噛みしめ、俯いた。

女であるイロナは乳姉妹を抱きしめ、背を撫でてやる。


「私がされたこと、公表して」


彼女は震えてはいるが、毅然と告げた。イロナは言葉を失い、乳姉妹の顔を覗き込む。


「そんなことしたらお前……」

「もうまともな嫁ぎ先は望めないわ。だって殿方に近づくのが怖いんですもの。それなら少しでも貴女の役に立ちたい」


目には決意があった。王女の手を握るのは、思いがけず強い力だった。


「お願い、イロナ。私の為に王になって。もう二度とこんな思いをする人がないように」


数日後、将軍の娘が凌辱されたと公表され、その下手人の人相書きが配られた。

この一件が明るみになり、口を閉ざしていた同じような被害者もちらほら声を上げ始め、余罪も明らかになった。反感の声が広まると、将軍はその機を逃さず王子の腰巾着に決闘を申し込んだ。一対二ではあったが、決闘とは名ばかりの一方的な蹂躙であった。悪友と言う名の手足をもがれた兄は大きく評判を下げた。

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