第十二章 俺は馬に乗れる男
こうしてローザからありがたい助言を受けたウィルだったが、なかなかチャンスに恵まれず、手すら握れないまま数日が経過した。
――と言うか、そもそも接触少なくないか?
女王は基本的に用が無ければ来ない。夕食の席だって、ウィルが提案しなければどうなっていただろう。成果を出せば夫にすると言ったが、本当に結婚する気があるならもっと親睦を深めようとするのではないか。
このままではいけない。
間近で見る馬は、円らな優しい目をしている……かと思ったら細長い口からくわっと門歯をむき出しにしたので、びっくりして後ずさる。
「旦那様、怯えを見せてはいけません。私たちが馬を観察するように、馬もまた私たちを観察しています」
女王の好みのタイプを知って当初は落ち込んだものの、折角相手の理想像、つまり到着点を知ることができたのだ。目標が定まれば、後は突き進むのみ。
しかし、年上になるのは不可能、髭を伸ばすには時間がかかる。筋トレ体力も一朝一夕では成果が出ない。だが、馬に乗るのは練習すればどうにかなるのではないか。
講師は、女性に頼むのは誠に遺憾ながらドリナに任せた。幼児でも馬に乗れる国で王配候補が馬に乗れないことを公にするわけにもいかず、誰か口が堅い適当な教師はいないか彼女に相談したところ、なんと本人が引き受けてくれた。侍女業で忙しいはずだが、頼りにされるとついつい頑張ってしまうようだ。そんな彼女を心配しつつも、秘密を知る人間は少ない方がいいので今回はありがたくお願いすることにした。
紐に繋がれた馬に、ドリナが説明をしながら手際よく銜や鞍などをつけていく。
いつも馬車に乗っているので多少のことは知っているつもりだったが、このように改めて観察するとまた違った印象を受けた。
本日用意されたのは栗毛の老いた牝馬らしい。らしいと言うのは見ただけでは雌雄の判断すらできなかったからだ。頭の高さ自体はウィルの方が高いが、四つ脚であることを考えるととんでもない大きさだ。全長は長く、体重はウィル五人分から十数人分だそうだ。
「あ、旦那様、急に背後に立って驚かせてはいけませんよ。馬は元来臆病な生き物です」
虫を追い払っているのか、ぺちぺちと動く房のように見事な尻尾に触れたくなり手を伸ばしたところ、やんわりとだがはっきりと注意が飛んだ。
「俺の後ろに立つなって? ははは、暗殺者じゃないんだから」
「当たり所が悪ければ半身不随、最悪死ぬこともあります」
「マジで暗殺者じゃん」
地を蹴る馬の脚力は発達しており、おまけにただでさえ固い蹄に鉄をつけているので凄まじい威力らしい。機嫌が悪ければ意図的にその即死級の後ろ蹴りを繰り出すこともある、と言う説明を聞いてウィルはそっと距離をとった。
当然だが、離れていては馬に乗れるようになるわけがない。構造上馬の蹴りが飛んでこないであろう側面に移動し、用意された台に登り、鞍に跨った。
「わー、なんだか背が高くなった気分」
ドリナが彼の乗馬ブーツの先を鐙にひっかけている間、ウィルは暢気な感想を漏らす。馬の背はウィルの腰の位置より高いので、跨ると足がやけに長くなった気がする。
「走る合図は腹を蹴ります。鞭を使うこともあります」
「停まる時は?」
「手綱を引きます。だから、絶対に離してはダメですよ」
「なるほど」
「馬は生き物です。命令を聞かないこともあれば、突然走り出すこともあります。疲れていれば反応が鈍くなります。一頭一頭性格も違いますから一概には言えません。様子を見て対処を考えるしかありません。今回は何が起きてもいいように私も馬を引きますね」
ドリナは長い革紐を馬のに繋ぎ、鞭を担ぎ、土が踏み固められた馬場の方へと引っ張って行く。そして低い木の柵で大きな円と小さな円を作り、その間に馬を導いた。
「それでは走らせてみましょう」
ウィルは馬の腹を蹴ったが動かない。もう少し後方を強く蹴るよう促され、言われた通りにすると今度は二、三歩踏み出したがすぐに停まった。
「この子、動き出すまで時間がかかるんです。構わず指示を与え続けてください」
何度か蹴るとゆっくりと進みだした。この状態を常足と言うらしい。動き出した馬は揺れる。初めて乗馬したウィルはへっぴり腰だ。
「背筋伸ばして!」
「はい!」
「踵が上がってます!」
「はいッ!」
「もっと手綱を短く持って!」
「はいッッ!」
「また目線が下がってますッ!」
「はいッッッ!」
スイッチが入ったのか、鞭を振るいながら容赦なく指示を飛ばしはじめ、別の意味で慄く。しばらく彼女の指示の元、馬場をぐるぐる回っていたが、元々姿勢は悪くなく、飲み込みは早い方だ。徐々に正しい姿勢がとれるようになってきた。
するとドリナは駆け足の練習だと言って、さらに鞭を振るって馬の速度を上げる。
揺れる馬の腰の上下に従って、鐙を立ったり座ったりを繰り返す。跳ね上がる尻を浮かしゆっくりと下ろす一連の動作は、馬の動きを邪魔をしないための動きだそうだ。馬の脚運びの間隔がわかってくると、リズム感は悪くないのでコツを掴み始める。
「旦那様、大変お上手です! こんな短時間で取得するとは!」
「そう?」
褒められ、自尊心をくすぐられたウィルは疲れも忘れてしまいそうだ。運動不足のため腿がプルプルしているが。
「これなら次のステップに進めそうですね」
ドリナは停まっているように指示を出し、握っていた長い紐を馬から外し、柵を片付けはじめた。
そこへイロナが通りかかった。羊皮紙を片手に、伴もつけずに一人歩いている。
「イロナさん!」
顔を上げた女王は馬場でウィルの存在を認めて目を見開く。
「何してるんだ、こんなところで」
「馬に乗ってます」
「うん、乗ってるな」
「俺は馬に乗れる男です!」
「うん?」
何故青年がそんなアピールをするのかわからず、女王は首を傾げている。
そんな時、僅かな羽音が聞こえた。得意満々なウィルは気づかなかったが、虻が飛んできたのだ。牝馬は尻尾をパシパシ振り回しながら追い払おうとしたが、どこ吹く風の虻は巨体の獲物にかぶりつく。そこは丁度、駆け足の指示を出す箇所と同じだった。
乗っている人間に指示を出されたと勘違いし、馬が駆け出した。
「あるぇ?」
突如動いた馬に呆然とし、去り行く景色と激しく上下する尻に事実を飲み込んでいく。
「ちょ、ま」
静止を呼びかけたが、言語を解さぬ獣は勿論聞くはずがない。
「旦那様、手綱です! 手綱を引いて停止の指示を!」
「そっか手綱、たづ、あっ」
侍女の指示に応えようとするも、焦るあまり手から手綱が零れ落ちた。初心者は拾い直すこともできずパニックに陥る。停止の指示がないので馬はどんどん加速する。
その時、澄んだ音が短く響いた。イロナが指笛を吹いたのだ。
厩の方から一匹の黒い馬が猛然と駆けてくる。気性の荒い牡馬は速度を落とすことなく、女王の元へ突進する。彼女は高い足を上げ、ろくに馬具もつけてないこの馬にひょいと跨った。カラスのように黒いこの馬は、女王の脚となり戦場を駆ける軍馬である。その脚で栗毛の馬にたちまち追いつき、並走した。
女王が走る馬の背で立ち上がったかと思うと、栗毛の馬の尻に飛び乗った。イロナはそのまま、すとんと後ろに跨り手を前へと突き出す。期せずして抱きしめる形になったことで身体が密着し、背に体温となんだか幸せな二つの感触を覚える。青年が危機的な状況の中に一筋の幸せを見出している間、イロナは手綱を握り、ぐっと引いた。
待ちわびた合図に、ようやく馬は歩調を緩め、やがて停まった。
誰ともなくほっと息が漏れる。イロナは手綱を握ったままするりと馬を降り、駆け付けたドリナに手渡した。体温が離れ、背中が急に寒く頼りなく感じる。
超人技で自分を救出した女王。ウィルはまだ事態が呑み込めていない。
――今、さらっと曲芸的な凄技連発したよな?
だいたい、駆ける馬の上でどうやって立つのだ。練習の時以上に激しい揺れだった。それだけでも驚異的なバランス感覚だと言うのに、別の馬に飛び移るとか、想像を絶する。
そう言えば以前、馬車を飛び降りようとしたウィルに「風に当たりたくなったのか?」とピントの外れたことを尋ねたことがあった。しかし彼女ならば、風に当たるために気軽に馬車を飛び降りるのかもしれない。こんな女王に『馬術が巧み』と評してもらうためには一体、どれほどの研鑽が必要なのか。
ドリナの助けを借り、ウィルは腹ばいになりながらようやく下馬した。疲労と腰が抜けたので、そのまま地面に座り込んでしまう。
「因みに聞くけど、さっき俺がやってたのってどれくらいのレベルなの?」
放心気味に尋ねると、馬の腫れた腹に手を当て具合を見ていたドリナから返事があった。
「イロナは知りませんけど、さきほどのは私の五歳の時の練習方法です」
まさかの幼児レベル。ショックのあまり、ウィルは立ち上がる気力がない。
女王は自分の指笛に応えた黒い馬の首を軽く叩いた。馬の皮膚は厚いので、褒める時や感謝を伝える時は撫でる代わりにこうするらしい。ウィルはまだお礼を言っていないことに気づき、「助かった、ありがとう」と力なく呟く。
「どうして馬に乗ろうとしたのだ?」
「その、女王陛下の好みのタイプが馬に乗れる男だって……」
正直に白状するのは決まりが悪かった。本当は馬を乗りこなしているところを見せて惚れてもらう予定だった。もっと格好よく、さりげなくアピールしたかったのに。
「あなたが前に公言した理想の殿方のことを耳にされたの。随分気にされたみたいよ」
乳姉妹の補足に、ああ、と頷く。
「あんなのは適当に言っただけだ。気にするな」
「それは気にするなって言う方が無理。だって……」
だって、理想の人物には髭があるなど具体的。まるで誰かを思い描いているようだ。
「イロナさん、その好きなタイプって、もしかしてモデルがいるんじゃない?」
女王陛下の乗り方は良い子は真似してはいけませんよ




