第十章 刺客
――いつもの食事がこんなことになるなんて
慌ただしく食堂から追い払われたウィルは、半ば呆然としていた。ドリナに案内されるがまま廊下を進むが、次第に不安が募ってきた。
今日は香辛料のスープに、と口出ししたのはウィルだ。しかし料理長にとっては使ったことのない食材。フォアグラが不味くなったのは自分が余計なことを言ったからでは? スープに全力を注ぎ過ぎたせいで疎かになったとか。料理長は不興を買ったのではないだろうか。そう考えると居ても立っても居られなくなった。彼は厨房であれこれ指図をするウィルを胡乱気に見張りながらも、結局は好きにさせてくれた。宮廷料理の再現や新たな香辛料を使った料理の創作に腕を奮ってくれた。多少の情はある。
「あれ? もうお戻りですか?」
いつもより早い時間に部屋に帰ってきたウィルを、レカたちが不思議そうに出迎えた。
「ごめん、やっぱ戻る」
「旦那様?!」
Uターンし駆けだす。料理長が罰せられたら、あれこれ口を挟んだウィルの責任だ。せめて罰を受けずに済むように口添えをしなければ。
元来た道を猛然と引き返し角を曲がった先で、女王とローザの話し声が聞こえてきた。
「我が君のフォアグラですが、やはり毒が入っていたようです」
とんでもないワードが耳に入り、壁に張りついて息を殺す。
「食材を運んで来た業者、料理人、配膳した侍従等、その他料理に触れた恐れのある人物の確認が終わりました。その内一人が、先月辞めさせたばかりの給仕と偶然会い、会話を交わしたそうです。門番の目撃情報もあります。彼はその使用人が辞めたことを知らず、素通りさせてしまったようです。至急城門を封鎖させ、人相書きを配りました」
「ご苦労」
「毒はソースに混入していました。成分の分析はまだですが恐らくヒ素。エースターで使われることが多い毒です」
しばし言葉が途切れる。侍女は自らの主に問いかける。
「旦那様を疑わないんすか?」
どきりとした。冷静になってみれば、疑われるのも道理だ。女王に恨みのある人物が頻繁に調理室に出入りして、料理長に指示までしていたのだ。調理室は他国の人間どころか、国内の、宮廷人ですら遠慮している場所。ウィルとしては女王に少しでも美味しい料理を食べて欲しいと言う動機なのだが、その行動は怪しまれても仕方ない。
「彼は私が不味いと言ったら興味本位で食べようとした。毒を入れたならそんな危険な真似はしない。それに、食卓は家族で囲むもの、友好を深めるもの、そんな優しい幻想の中に生きてきた人間なのだろう。或いはそれがまともな感性なのかもしれぬ」
女王の声は穏やかで、どこか遠くに聞こえた。
「少なくとも私の家族の食卓はそんなものではなかった。私の義母は事あるごとに私の生まれの賤しさを嘲った。私の兄は目障りな妹の食事に毒を盛った。
私が気に入らぬなら剣でかかってこれば良かったのだ。存分に叩きのめしてやったものを。
腕力が要らぬ故、毒殺を選ぶのは女が多いらしいな。あの男は正面切って私を殺す自信がなかったのだろう。そう考えれば女々しい奴だ」
兄殺しと呼ばれる女王だが、そもそも仲が良かったなら殺し合いなんてしないだろう。隣国のことなので詳しくは知らないが、本妻の兄の元に現れた出来の良い愛人の妹。しかも剣も馬も巧みで戦上手。どう考えても争いの種にしかならない。派閥争いは国を二分し、父である王の亡き後、腹違いの妹は革命まがいの方法で兄を討ち、王位を奪い取った。
「買収される恐れがある故、毒味は信頼のおける者でなければならない。レヴェン、ボトンド、ジョンボル、……皆、死んでいった。大事な部下を失うのは身を斬られるより辛い」
以前、ウィルの家の夕食を羨ましいと評したことがあった。
彼女にとって食事は愉しいものではなかった。味わって食べるものではなかった。命がけだったのだ。命を繋ぐために仕方なく口に運び、今日は部下を失わずに済んだと安堵し、時には食後に食べたものを全部吐き出してのたうち回り、ただただ無事に終わることだけを祈っていた。薄い肉を取り合う貧しい食卓でさえ、彼女は羨ましかったのだ。
ウィルは胸が締め付けられる思いだった。
――もし、史上最高の晩餐が完成したら
この人に食べさせてあげたいと思った。食べられればそれでいいと思っている味音痴な人に、家族で食卓を囲む温かさを知らないこの人に。それでいて、ウィルの話をいつも微笑みながら聞いているこの人に、真っ先に食べさせてあげたいと思った。
きっと彼女はそれを望まない。でもウィルは彼女と家族になりたいのだ。彼女を幸せにしたいのだ。以前は打算的にそう考えた。でも今は、心からそう思った。
「ところでローザ、次の手だが」
国王とその臣下は廊下を、盗み聞きをしている男の居る方に向かって歩き出す。ウィルは慌てて近くの部屋に身体を滑らせる。カーテンを閉め切られた部屋は薄暗く、家具が埃を被らないように布がかけてある。どうやら空き室らしい。扉に背を預けほっと息をつく。その瞬間、奥の方で薄ぼんやりした人影が動いた。
「わ! びっくりした!」
部屋には先客がいた。どこか見覚えがある若い男だ。
「あれ、ベンツェ君、どうしてこんなところに」
言いかけ、呼吸が止まる。そう言えばこの男、先月辞めたはずで……。
「まさか」
男は無言でズボンのスリットの中に手を突っ込んだ。取り出された何かが両手の先で鈍く光る。身の危険を肌で感じ後退った時、凄まじい音がして扉が開いた。
「犯人発見ですぅ!」
元気良く入室してきた侍女は、入口に立っていた為に扉でしたたかに腰を打ち、るウィルに目を落とした。
「旦那様と密会ですぅ? それにしては様子がおかしいですぅ」
「違うよ。発見しちゃって殺されかかったんだよ」
腰をさすりながらも弁解する。負傷した上に犯人の一味にされてはたまらない。
呑気に話している内に、開け放たれたドアから弾丸のように女王が獲物に飛びかかっていた。しのぎを削る刃のあまりの激しさに火花が散る。元侍従の方が男だけあって腕も太く、両手に凶器を持っている。しかし女王はその手数の多さを素早い剣戟で防ぎ切り、尚且つ攻勢に転じている。刃をまるで指の延長のよう、かと思うと相手の手元を蹴り上げた。たちまち賊の懐に入り、鳩尾に一太刀加えようとするも、侍従は剣の柄で辛うじて防ぐ。
一撃一撃が致命傷の猛攻。加えて予想のできない変則的な足技。国家元首が自ら暴漢と対峙していると言うのに、危なげなく見ていられる。
「いつまでそうしているですぅ?」
戦いの様子をぼんやり眺めていたウィルの肩を、侍女がつんつんした。
「はっ、そうか。加勢しなきゃ」
「止めとくです。あなたじゃ足手まといですぅ」
否定はできない。先ほどまで静かだった渡り廊下に、カカカカンと絶え間なく硬質な音が響いている。頭、腰、肩、喉、腕、また喉。上に攻撃が集中していると思えば、刃を埋め込んだ爪先が足元を襲う。跳躍でかわし一息ついたその鳩尾を、逆の足が容赦ない膝蹴りで狙う。とても割って入れる気がしない。
「そうじゃなくて衛兵を呼んできてくださぁーい。ローザはここで出口を塞ぐですぅ」
「わかった」
険しい様相で終始無言で剣を裁く元侍従。女王が負けることはないだろうが、相手を生け捕りにし、事情を聞きたいはず。ウィルが踵を返しかけたその時、唐突に決着がついた。
男は渾身の力で鍔迫り合いを振りほどく。張り詰めた糸が撓むようにできた隙に、手にしていた短剣を投げる。喉へ、もう一方は心臓へ。馴染んだ武器を犠牲に稼いだ間、相手の攻勢が防御に転じたその刹那。男は一刻の躊躇いなく、三階の窓を突き破った。
「なっ」
遠くで水音がする。水堀に飛び込んだのだろう。
「取り逃がしたか」
女王は窓の下を確認し、剣を収めた。
「ベンツェ君。解雇されたこと、そこまで恨んでいたなんて……」
ウィルは悪いことしたな、と独りごちる。逃走経路を確保しつつ主の食事に毒を盛るなど、凄まじい執念だ。だが、ローザも女王も半眼を向けた。
「何言ってるですぅ? 陛下の剣と渡り合える時点で只者ではないですぅ」
「恐らく他国の工作員。エースター人の君の命も狙ったことを考えると、帝国だろう。首尾よく王宮に潜り込んだが解雇され、一か八かで毒殺に踏み切った。そんなところか」
そうだったのか、と罪悪感が早々に消え失せた。そう言えば彼の様子は変だった。どことは上手く言えないが。
「でも待って、帝国の人間にしては見た目は変わらなかったけど」
帝国の人間はエキゾチックな風貌で、肌も小麦色や褐色の人間が多い。
「見た目はあまりアテになりません。この国の人間だって金次第で裏切るですぅ」
物騒な話だと身震いしていると、女王が声をかけた。
「お手柄だったな」
「え? 俺は何もしてないけど」
たまたま賊に出くわし、ぼーと立ち尽くしていただけだ。お手柄は寧ろ女王の方である。
「君のおかげで工作員を王宮から排除することができた」
ベンツェを解雇したのは、確かにウィルだ。工作員とは知らず、結果的な話ではある。それでも単純なもので、褒められると嬉しくなった。
賊の捜索は夜を徹して行われた。しかし朝日が差しても、鳥が行き来しているだけで、水堀には何の変哲もなかった。




