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プロローグ 山猫のような女

「卒業できないってどう言うことですか!」


豊かな湖と山々に恵まれ、芸術や学問が盛んな麗しき国、エースター。その高等教育を担う機関、由緒ある大学の教授室で黒髪の青年が声を張り上げている。

書物がうず高く積まれた机越しに対面しているのは、教授と思しき白交じりの口ひげを蓄えた人物だ。激高する青年に「ウィル君」とあくまでも理性的に呼びかける。


「君、専攻は何だっけ」

「家政学です」


家政とは、どうやって家を切り盛りするか、と言う学問である。一般の家庭では家事労働等を行い、家族の衣食住を満たすために家計を管理する。しかし、一口に家と言っても色々ある。明日食うものにも困る貧しい家もあれば、使用人を雇うほど裕福な家もある。家族だって、独居世帯もあれば血族すべてを勘定に入れる世帯もある。国王の宮廷、これも家庭と見なすことができる。王妃や王子は家族、宮中で働く大臣から掃除婦までは収入を貰って働く家族以外の使用人。国家は世襲財産、税収は収入、戦争ですら王個人の喧嘩。


この学び舎で扱う家政はそうした大物、特に領主の財産の管理業務について扱っている。分野は、収入源である鉱業、農業、林業、水産業、商業の専門技術、租税の源である国民生活に関わる経済学的知識、国を繁栄させるための政策論など多岐にわたる。


「なら、わかるよね。経営は収入と支出のバランス。学校も同様、お金で成り立ってるの。わしの給料、雨漏りの修理代。みんなお金がかかるの。それらの費用は主に君らの授業料や有力者の寄付で成り立ってるの」


ここも、他の高等教育機関と同じように元は聖職者の育成から始まったが、家政学科設立以来、官僚育成組織として名を馳せている。学んだ者は即戦力として主に領主の下で活躍し、優秀な者は身分の如何に関わらず国家官僚への道も開ける。

……卒業の証明である学位を得さえすれば。


「だからって、学位取得に卒業金が要るなんて聞いたことないですよ!」

「うん、そうだね。今年から始まった制度だからね」


教授は悪びれず頷く。実際、大した問題ではないのだ。学生と言うのは一種の不労階級。学生は学問をするとの名目の元、労働からは解放され、多少羽目を外す者も居るだろう。彼らの殆どは、それが許されるだけの裕福な経済基盤を持ち、実家からの仕送りと言う名の不労所得を得ている。学費が多少増えたところで、文句は言われるだろうがそこまで問題にはならないのだ。通常は。


しかしウィルは違った。子爵の甥と言う貴族の末端ではあるが、一家の大黒柱で文官であった父を数年前に亡くし、多少あった財産は病弱な母、三人の弟と一人の妹の生活費に消えつつある。長男として、本来なら労働に従事しなければならず、とても学生をしていられる身分ではない。しかし彼は苦心しながら学費を工面してきた。勉学の合間には食堂を手伝い、教授の雑用を進んで引き受け、レポートの代筆、後輩たちの試験対策、街に出て商売をしたことや、賭け事で寮生から金を巻き上げたこともあった。それもこれも学位を得て高給取りになるため。


だと言うのに卒業まであと一歩のところで、このような大きな壁が立ちはだかろうとは。


どれほど努力しようと、期限までにまとまった金は用意できない。度々援助してくれる親戚にこれ以上の借財は望めない。赤の他人が貸してくれるわけないし、そんな稀な人が居たとしてどれほどの高利息になるだろうか。明るい未来のため、何としても卒業金とやらを撤回してもらうか、免除してもらわねばならない。


「俺のような天才を失うなんてこの国の損失ですよ!」


唾を飛ばしながら訴えるウィル。ハンカチで頬を拭う教授は呆れ顔だ。


「自分で自分のこと天才とか言う?」

「誰も言ってくれないから自分で言うしかないじゃないですか!」


実際に金策に走りながらも首席をキープできるくらい優秀なのだが、自惚れが強いのが玉に瑕である。


「はッ! まさか教授、俺の才能に嫉妬して世に出ない内に摘んでしまうつもりですか? 最低! 学生を教え導く立場にありながら、あなたは最低の人間です!」 

「とんでもない言いがかり止めてくれるかい? 君の才能は災厄を呼び寄せる。頼まれたって要らないね」


どういうことだ、と思考を巡らせる。含みがあるのはわかるが、意味はわからなかった。


「じゃ、これから来客があるので失礼するよ」


黙り込んだ青年を前に、教授は話は終わったとばかりに席を立つ。


「待ってください!」


ウィルは退出しようとする教授の腰に縋りつく。


「ええい、放せ」


どれほど邪険にされても、進もうと足掻く教授にしがみつき、罪人を拘束する鉄球のように引きずられながらも断じて離さない。


「学位をください、卒業させてくださいよ~!」

「ははは。面白い男だな」


軽快だがよく響く声がした。教授室の入り口にいつの間にやら女性が立っている。


目にして真っ先に、山猫のようだと思った。


ぱっちりとした、ちょっと釣りがちな眼は、シトリンのように透き通っていて、キャラメル色の髪には黒絹のリボンで編み込まれ、項のラインが顕わになってる。糊の利いたブラウス、首元の白テンの襟巻から、それなりの身分であることは伺える。年頃の女性にしては珍しく、ドレスでもスカートでもなく、乗馬用のズボンと黒革のブーツを履いている。均整の取れた身体はしなやかで、身のこなしに無駄がない。腰に差した剣も相まって武人独特の威圧感があった。


一見した人は、可憐な風貌を妖精に喩えるかもしれない。どことなく野性味をかぎ取った人は豹に喩えるかもしれない。


でもウィルは猫だと思った。あの優雅なようでいて、獲物を狩る時は実に獰猛な小さな狩人に。人に飼われても犬のように馴らされるのを良しとしない孤高の獣に。


「その卒業金とやら、払ってやっても良いぞ」

「……え」


あれほど望んでいた出資の申し出だと言うのに、彼女の不思議な魅力に囚われていて反応が遅れた。


「卒業金とやらがあれば卒業できる、そう言う話だったな。金が無いから学位が得られず、才を発揮できる機会を失うなど気の毒ではないか。天才を自称するからにはさぞかし優秀なのだろう?」

「ええ。それはもう」


年頃の令嬢に煽てられ、ウィルの声が上ずる。男社会の大学で、マドンナは掃除婦のハンナさん(四十代、子持ち)と言う学生生活を送ってきた彼には余計に刺激的だった。


「もしや君、名をシュルツ,ウィルフリートと言うのではないか?」


息を呑む。彼のフルネームは正しくウィルフリート=シュルツ。シュルツ子爵家との繋がりを示したい時は間にフォンを入れて名乗ることもある。継ぐべき爵位も領地もないので正式な名ではないが。


「なんで知ってんの? もしかして俺のファンか何か?」


すぐ調子に乗る彼は、傍らの教授がみるみる青ざめていくのに気付かなかった。


「論文を読んだ。タイトルは確か『経済による戦争』だったか」  

「え? 君みたいな可愛い子が俺の論文を? ……それは光栄だな」


数か月前に執筆した彼の力作は学術雑誌にも掲載された。教授や学生と言った何人かの目に触れたとは思うが、勿論、うら若い乙女が好んで読むような読み物ではない。


エースターは、騎馬民族国家のオノグルと隣接している。この国、やたら強い。数年前に両国は戦争になったが、母国(エースター)は国内に攻め込まれ首都を包囲された。何しろ相手は子どもから老人まで馬に乗ることができる国だ。貴族くらいしか馬に乗れない国では、殊に機動性で太刀打ちできない。そんな騎馬民族もさすがに堅牢な城壁で守られた首都は攻めあぐねたらしく、数か月の包囲の後、多額の賠償金を得て国に引き返した。


「あの国の騎馬戦術は確かに脅威だ。でも所詮は後進国、経済面は惰弱だからね。食料自給率も低く、対外的な国内総生産も低い。そこを突けば……」

「ウィルフリート、黙れ!」


どんなに失礼な発言をしても、呆れたように窘めるだけだった老成な教授が鋭い声を上げる。話を遮られ不満気な教え子の前に、庇うように立ちふさがる。


「あの論文を真に受けないでください。学生が悪ふざけしただけです。若人は過ちをするもの。彼は学位を得られなくなり、その罪は贖われました。彼は未来ある優秀な若者です。これ以上の罰はどうかご寛恕を」


ウィルに目もくれず、可憐に見える女性に平伏せんばかりだ。


「優秀さと軽率さは両立し得るのかな? 些か危険な取り合わせにも思えるが?」

「誓って貴国に害を為す意図はありません。どうかお許しください、陛下!」


陛下と呼ばれるのは一国の主である。

エースターの騎士王、北のポーラ王国の許諾王、西の大国ランクの太陽王、東の果てにはヴァラヒア公国の悪魔公、そして南には帝国の異教の皇帝。イオドォールの教皇領を治める教皇も広義の意味では一国の主だろう。

そうした周辺国の王の名を一つ一つ思い浮かべるまでもない。女の王はとても珍しい。


ようやく、ウィルは女性の正体を悟った。


彼女がフルネームを呼んだ際、姓,名の順で呼んだ。そもそも乗馬用のブーツを履いている時点でおかしい。この国の女性は馬には乗らず馬車に乗る。高位貴族ならば尚更だ。

名乗りの習慣も違う東方にルーツのある国。数百年前に馬で移住し、財を略奪し、今やエースターの二倍の国土を征服した大国。


堂々とした立ち振る舞い。シンプルな衣服では隠しきれない威厳。

その女は、王の娘に生まれながら自ら剣を振るい、戦闘の最前線に立った。父亡き後、腹違いの兄を殺し王座についた。


――オノグル女王、イロナ


「実に面白かったぞ、君の教え子の案は。一滴の血も流さず我が国を脅かすとはな」


その時、彼は女の瞳が小鳥を狙う猫のように爛々と光を帯びているのに気づいた。

あの論文を読んだ女王はさぞ気分を害しただろう。なるほど、わざわざエースターの大学に外国の国主自らが処断しに来たわけだ。なんて暇人だ。


学園は隣国の侵略者が論文を目にしたと知り、不興を買う前にウィルを追放しようとした。退学と言う形ではなく、穏便に“卒業金”などと言う苦学生にとっての難題を突き付けた。栄えある学び舎が隣国の圧力に屈したと言う形をとりたくなかったのかもしれないし、ウィルの将来のことも考えてくれたのかもしれない。


しかしそれも無駄になった。教授は相手が君主と分かっていたから、ウィルを黙らせ命乞いをしたのだろう。今なら恩師と呼んでやらないこともない。


女は腰に、革の鞘に納められているものの、手入れの行き届いた剣を差している。獲物と目された男は死を覚悟した。享年十八年歳、思えば短い生涯だった。


「君」

「ベッド下のエロ本は家族に見せずに処分してください」

「天才を自称する割に隠し場所は凡庸だな。いえ、そうではなく」


一歩で剣の間合いに詰める。僅かに乾草の匂いがする。女王はぱっちりとした大きな瞳でじっと覗き込む。宝石のような眼に、ウィルはまともに物が考えられなくなった。


「君、私の婿になる気はないか?」

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