3話 王家の影、ブラック
王家の影。それは特殊な能力を持ち、特殊な訓練を受け、あらゆる隠密行動を可能とする精鋭部隊。
その名の通り決して表舞台に立つことはなく、名誉も出世も求めず、ひっそりと王家に寄り添いひたすらに国に尽くす忠義の者達。
しかし公式な戸籍も地位も無く、一族ごと闇に潜む彼らの存在を知るのはそれこそ王家でも一部のものだけ。
何故、貴族ですらないクロードがその秘密を知っていたのか。それはもちろん、前世で読んでいた『婚活令嬢は腹黒王子の溺愛に以下略〜』にバッチリ登場していたからである。
小説の終盤、本編完結後のエピローグ。貴族学校の同級生や国王夫妻、城のメイド等様々な人達の視点からシェイラやフレデリック王子を語るという形の番外編集の中に、『ある影の独白』というタイトルがあった。その短編の語り手が先程対峙した王家の影、カゲロウだったのだ。
本編でも度々出てはいたが、カゲロウ達に課されていた使命はクロードが指摘した通り、未来の国母たるシェイラを他の男の魔の手から守ること。王子がシェイラの見合いを誰よりも早く把握し、的確に邪魔が出来ていたのは王家の影の暗躍による。
逆に言えば、彼らさえ寝返らせれば今後原作から逸脱した行動をしてもリスクを大分軽減出来るということ。王子の魔の手を跳ね除けるためにも、影を味方につけることは必須事項だった。多少危ない賭けではあったが、どうやら運命の女神はクロードに微笑んでくれたらしい。
運命の女神、というより、女神セルヴィナが。
事前にセッティングを頼んでいたカフェの予約席に戻り、とすんと腰掛けながらクロードは頭の中でその名を呟いた。
かつてこの大陸が戦乱に溢れていたころ。それを嘆いた獅子の神が、誰からも襲われない強大な国を作り上げた。それが大陸一の大国レオネクスの始まりであり、この国の民ならば幼子でも知っている歴史。しかし、実は建国までにその獅子神を支えたもう一柱の神が存在した。
それは闇と戦いを司る蛇の姿をした女神。彼女は獅子の神を愛し、彼の理想の国を作り上げるために、その力を持って襲いくる敵を蹴散らした。
しかし、すべての敵を退けた後。平和が訪れた国に、獅子の神の理想に血濡れた己は相応しくないことを悟り、静かに姿を消したのだ。
彼女自ら祝福を与えた愛し子達に、未来永劫この国を影から守る使命を残して。
今もなおこの歴史を知る者はその愛し子の子孫である影の一族と、クロード以外には居ない。クロード自身も知っていたというより、つい最近思い出したばかりだ。
『まったく、崇高なる使命を代々受け継いで来た誇りある一族である我が、何故こんな無害な小娘の監視などせねばならんのだ……かつて女神セルヴィナ様に与えられ、先祖代々受け継いできたこの影の力。本来であれば謀反の可能性ある貴族の屋敷や、下町に蔓延る犯罪組織への潜入などいくらでも相応しい使い方があるだろうに』
という『シェイラのこととなると手がつけられない腹黒王子に振り回される苦労人ポジ』であるカゲロウ視点の愚痴混じりのモノローグを。
彼もまさか己の心の内を小説として文字通り読まれているとは思ってもいなかっただろう。これがホントの文字通りである。
ちなみにレオネクスに限らず、この世界では大抵神の名を呼ぶことはもちろん、知ることすら恐れ多いとされている。皆が獅子の神を名前でなく容姿で呼称しているもこのためだ。
はるか昔、神から啓示を受けた愛し子がその名を記したといわれる書物は教会にて厳重に保管され、それを読めるのは教会関係者と侯爵家以上の貴族王族のみ。
そして、神のもとに誓った行為に反することは、ある意味法を犯すよりも恐ろしい罪とされる。それがこれだけ神聖視されている真名のもとに誓ったものなら尚更。
前世で無信教の日本人だったクロードにはいまいちピンと来ないが、原作では王子が獅子神の名のもとにシェイラを生涯一人の妻にすると誓い、信心深い高位貴族ほど娘を側室に推せなくなるよう牽制するというシーンもあった。
そして今やどの書物にも記されてない蛇の女神の名前を知るのは、彼女から先祖が祝福と使命を受け、口伝により子孫へと受け継いできた影の一族と……当たり前であるが女神本人のみ。
王族にすらその真の忠誠先である名を明かさない影の一族が、たかだかそこそこ上手くいっている商会の三男坊に明かすわけがない。
一族でないなら女神そのもの。何世紀も前に姿を消した女神が、現代において現れて直々にクロードに名を明かしたのだ。それはつまりクロードが影の一族の偉大なる初代と同等かそれ以上の存在であるということ。
と、カゲロウが勘違いしてくれるように誘導したつもりだが、これがびっくりするほど上手く行った。
まあ、人は誰しも自分に都合のいい話を信じやすいものである。特に現状に不満がある者なら尚更。
今までこんなふうに女神の名を出す者がいなかったこともあるが、カゲロウに内心王子への反発があったのも理由の一つだと思われる。
王家の影の代表格であるカゲロウは、長年女の尻を追いかけるばかりの現状に強い不満を抱いていたのだ。
王子の婚約者でもない令嬢に張り付いてはその行動を逐一報告したり、いつでもサプライズでドレスを作れるよう目視でスリーサイズを測ったり、近づく男達の弱みを探ったり、果たしてこれは崇高な使命と類稀なる力を持った誇り高き一族である自分らがやることなのかと。いやほんとそれな。クロードは脳内で同意した。
更に気の毒なことに、原作内では王家の影達に報酬が支払われている描写が一切無いのだ。影達も使命がどうの誇りがどうのと言うばかりで、前世のサラリーマン達のような『今月給料日まで厳しいわ〜』とか『夏のボーナス何に使う?』なんて金銭の授与を想起させる言動も全くない。
着ているものは皆同じ黒の布きれ。24時間いつでもどこからでも駆り出されるらしく、まともな住居や休暇があるかも怪しい。さすがに食べ物がなければ生きていけないのでそれだけは支給されてるのかもしれないが、娯楽を嗜む様子も無い。
時には建物の天井に何時間も張り付くこともあるらしい重労働の対価がもしかしなくてもただのパンやスープ、あとやりがい。
嘘……王家の影達の給料、低過ぎ……?と思わずクロードも開けた口を両手で覆ってしまう事態であった。
『とりあえず貴方達はうちの商会の従業員として雇うこととする。これが基本給と今後の給与形態と福利厚生の説明書だ。明日までに読んできてくれ。仕事内容は後日から始まる研修で話そう』
『キュウヨケイタイ?フクリコウセイ……?』
つい先程忠誠を誓われた直後にした会話を思い出す。まるで異次元語でも聞いたかのようなカゲロウの反応。
ちなみに異世界だから『給与』や『福利厚生』という概念が無いとかではない。普通に有る。カゲロウ達に無かっただけだ。
『雇い入れ日、つまり明日から6ヶ月経過したら有給を付与する。まずは年間12日からで……』
『ユー……キュウ?クロード殿の好物でございますか……?』
『新種のキュウリのブランド名じゃないから』
そんな調子で殆ど全ての単語が通じないものだから、クロードはまるで異世界に来てしまったような気持ちに陥っていた。十七年前にとっくに来ているのに。
「お客様。お連れ様がもうすぐ到着されるようです」
「!」
明日からの研修内容をどうしよう、人権とは何かの説明から始めないと駄目かなどと考えていたクロードが、店員の言葉でハッと我に返る。
切り替えなければ。このカフェに来た目的はシェイラの行く先に先回りしているだろう影との接触を果たすためもあるが、一番は純粋にシェイラとのデートだ。
「ありがとうございます。では、お願いしていたものを」
「はい!承知致しました!」
店員に指示を出しつつ、シェイラをエスコートするため席を立つ。
カフェを出てすぐ、プリムローズ家の紋章入りの馬車がどんどん近づいて来るのが見えた。
「シェイラ嬢。お久しぶりです」
「クロード様!会いたかったです!」
クロードが停まった馬車に近づくと、間髪入れずに馬車の窓が開きシェイラ・プリムローズが顔を出した。
今朝からの仕事の疲れが一瞬で浄化されるくらいの輝く笑顔である。
「配達業者のトラブルで手紙や物が届かなくてすみません。今日こそ貴女に贈りたいものがあって」
馬車から降りてきたシェイラの腕を取り、カフェまでエスコートする。
店員に扉を開けてもらい中に踏み入れば、事前に飾りつけられていたクロード達の予約席に、次々とケーキや料理が運ばれてくるところだった。
「わあ……!」
赤を基調としたフルーツやエディブルフラワー、ピンクのクリームで彩られた大きなケーキ。真っ白なテーブルクロスとのコントラストも美しい。
「失礼」
「え?」
感動しているシェイラの手を取り直し、クロードがさっと懐から取り出したものをその手首に巻きつけた。
「しがない商人なもので、庶民的で恥ずかしいですが……初デート記念に」
それは目の前のケーキをテーマに、波打つクリーム模様のチェーンに赤い果物を模った、最高純度の火魔石を連ねたブレスレットであった。
複数の果物のモチーフを連ねたブレスレットであるので、一つ一つの石のサイズは大きくない。
物語の王子がヒロインに贈るような、国宝級の特大宝石を使った装飾品と比べれば見劣りするだろう。
しかしシェイラに限ってはそんな豪華絢爛なものより、クロードらしく、また思い出を形にしたものの方が喜ぶと踏んだ次第である。
「シェイラ嬢!?」
喜ぶと踏んだ次第である、が。
己の手首に巻かれたブレスレットを掲げ、シェイラの両目から涙が溢れ出た。
「こんなに……こんなに素敵なものを貰ったのは初めてです……!棺桶まで持って行きます!」
ブレスレットを腕ごと胸に抱きしめて泣くシェイラをクロードが呆然と見つめる。
「……そんなこと言ってたら」
そうだ。ここが原作通りに進んでいた世界であれば、シェイラは一度も異性からの贈り物を受け取ったことが無い。シェイラの手に渡る前に全て王子に握り潰されていたのだから。
「すぐに棺桶満杯になっちゃうな」
贈り物をここまで喜んで貰えるとは、男冥利に尽きるというもの。
眩しげに片手で髪をくしゃりとかき上げ、クロードは目を細めて笑った。




