16話 永遠に破れぬ誓い
「この僕、フレデリック・レオネクスは……"悪しき商人"クロード・ウィズボーンに囚われた"姫"、シェイラ・プリムローズを解放し……彼女を生涯ただ一人の妃として愛することを、獅子神レオンクールの名に、誓う」
流れるように紡がれたその名前の重さを、場の誰一人としてすぐに理解できなかった。
「……は?」
「フ、フレデリック、いま……あなた……」
最初に意味を悟ったのは、壇上にて見守っていた国王と王妃だった。
国王は当然として、王妃も公爵家の出身。この国の上位層しか知らないそれを勿論知っていた。
二人にとって、それは『決して軽々しく口にしてはならない』と、骨の髄まで叩き込まれてからようやく教えられる畏れ多き神の真名。
「獅子神……ああそうだそれは……っ」
原作によりその名を知っていたクロードもほぼ同時に察する。
王子が誰の名を呼び、何を狙ったのか。その言葉の影響がどれほどのものかを。
原作での王子による当て馬への制裁を全て回避したことで油断していた。王子がシェイラを唯一の妃とする為に取る手段は、まだ続きがあったのに。
シェイラが王子の婚約者となってからも、せめて侯爵家以上の令嬢を側室に娶らせようとしていた貴族や国王夫妻を強引に黙らせるために、フレデリックは何をした?
「い、今のどういうこと?」
「あの王様達の反応……レオ……いや、まさかそんな」
数秒遅れて会場全体に動揺が広がっていく。
特に侯爵家以上の高位貴族ほど、状況を瞬時に正確に理解してしまった分受けた衝撃は深刻だった。
その中でも娘を王子の婚約者候補にと長年推してきたティグレス公爵が震える声を漏らす。
「嘘だろう……その名前は……!」
◆◆◆
『嘘だろう、その名前は……!』
『フレデリック殿下……?』
『フフッ。これで僕は、君と結婚しないわけにはいかなくなってしまったよ』
膝から崩れ落ちる貴族達には目を向けず、フレデリックは腕の中に閉じ込めたシェイラを見下ろし、悪戯が成功した子どものように微笑んだ。
――婚活令嬢は腹黒王子の溺愛に気付かない(以下略)原作、最終章『“永遠”に破れぬ誓い』より。
◆◆◆
「フフッ。これで――」
「誰かっ! あの娘を拘束しなさい!!」
王子の無邪気さとはかけ離れた王妃の悲鳴じみた命令が響きわたり、場に緊張が走る。
クロードは咄嗟にシェイラを腕で庇うも、そんな行為が無意味であることもわかっていた。
ここでシェイラを連れて逃げても、真名を使った誓いが消えるわけではない。王子の周囲は何が何でもシェイラを妃として確保しようとするだろう。
フレデリックを、未来の王を神に背かせないために!
「クソッ……!何か、何か無いのか……!」
王妃の命令を受けた護衛騎士達が一斉に迫って来る。
この状況を覆す術は。起死回生の一手は。
……ない。何も思いつかない。自分の不甲斐無さに腹が立つ。
原作という未来を知っていたからと言って神にでもなったつもりだったか。一介の商人に本当の神に対抗する力などないのに。
前世の感覚が邪魔をして、この国においての神の重要性を本当の意味で理解していなかった。それを今更になって思い知るなんて。
歯噛みし、視界が暗くなりかけたその瞬間。
「我が国の守護神、獅子神レオンクールの名のもとに」
一筋の光がさすように。
クロードの背後から、澄み切った少女の声が響いた。
「私、シェイラ・プリムローズは、プリムローズ伯爵領の良き当主となり」
あと数歩で手の届く距離まで来ていた騎士達も、その神聖なる真名への言葉を遮ることはできず足を止める。
「ここに居るクロード・ウィズボーンを生涯ただひとりの伴侶として」
クロードの肩が震える。
会場は静まり返り、誰もがシェイラから視線を逸らせない。
「互いに支え合い、死がふたりを分かつまで、共に幸せに生きることを誓います」
そしてすべてを悟ったように、覚悟を決めた迷いなき声が、永遠に破れぬ誓いを言い切った。
「なっ……何故だシェイラ、どうして!」
「ああっ!嘘、嘘よ……!」
それを聞いたフレデリックは驚愕に目を見開き、王妃はわなわなと身体を震わせる。
「シェイラ……」
驚いたのはクロードも同じだった。
そしてそんなクロードだけをまっすぐ見つめ返し、シェイラは悪戯が成功した子どものように微笑んだ。
◆◆◆
獅子神レオンクール――レオネクス建国以来の守護神。
この国では神の真名を知ることすら畏れ多く、民の多くは獅子神様と呼ぶのみ。
その真名を記した聖典に触れられる者は教会関係者の一部と侯爵家以上の貴族、そして王族だけであり、その名を掲げて誓いを立てることは法以上の重みを持つ。
原作終盤でシェイラを婚約者としたフレデリックも、この真名による誓いを利用していた。
その誓いにより他の貴族達は娘を側室に推せなくなり、そして国王夫妻もシェイラをただ一人の正妃として認めざるを得なくなった。
強引な手段であるがしかし、原作のフレデリックのそれは既に自身の婚約者であった少女の地位を確固たるものにするため行ったもの。
だが、現実のフレデリックが、既に他に婚約者のいる少女を奪うためにそんな行いをするとは誰が想像しただろう。
そしてその少女が───シェイラが王子の求婚を拒絶すべく、たった今知らされたばかりの真名を使って、王子の誓いと衝突するような誓いを立てることも。
「何故だ、何故なんだシェイラ。優しい君が、間違いとはいえ一度取ってしまった者の手を振り払えなくて困っているだろうから、言い訳を用意してあげたのに。このままじゃ君は……」
切れ者で冷徹な腹黒キャラには到底見えない情けない様子で、フレデリックが慌てふためく。
フレデリックを神への誓いに背かせないためにシェイラを正妃にしたとしても、今度は正妃に誓いを破らせることになってしまう。
神に創られ、護られた国で、真名への誓いを破る背教者を国の中枢に据えるわけにはいかない。
もう、シェイラは正妃として認められなくなった。
「何してるのよっ!騎士達!あの女を捕まえろと言ってるでしょう!!はやくっっ!!」
それでも。フレデリックを『神に背いた王』にするよりは、『神に背いた女を妃に持つ王』にする方がまだマシだと判断したのか、王妃はなりふり構わずシェイラを捕まえようと金切り声を上げる。
しかし、意外にも助け舟を出してくれたのは国王だった。
「もうやめろパメラ、フレデリック。……そこの者、クロードと言ったな。此度のプリムローズ嬢との婚約、王たる我が認め、祝福しよう……獅子神レオンクールの名の下に」
「あなたっっ!!!」
「ち、父上!?」
原作では信頼故の放任主義であり、王子の腹黒を知らぬが仏の能天気キャラとして番外編に少しばかり描かれるだけだった国王。
しかし、さすがに眼前に突きつけられた子のやらかしを見て見ぬフリするほど無責任な親ではなかったようだ。
現国王までもが真名に誓ってクロード達の婚約を認めた。おそらく未来の王を背教者にしないためにシェイラを無理矢理妃にするより、第二王子を新たな王太子に据えることを選んだのだろう。
シェイラを手に入れるどころか、王太子の地位まで手放すことになってしまったフレデリック。策士策に溺れるとはこのことだ。
「何故……何故です父上。僕はただシェイラの"過ち"を正そうと……このままでは"過ち"が……」
「何が過ちだ。一方的な懸想で、愛し合う恋人同士を引き裂くことこそ過ちであろう。……いいや、我が今までお前の優秀さに安心し好きにさせていたことが、一番間違っていたのだな……」
「い、一方的……?愛……しあう?そ、そんな……」
ブツブツと呟いていたフレデリックが顔を上げ、クロードとしっかり手を握り合うシェイラを見てよろめく。
「そんな、馬鹿な……」
ガックリと膝をついたフレデリックの、その光の無い目に、シェイラの姿がちゃんと映っていたかどうかは不明だった。
◆◆◆
その後、フレデリックはすっかり生気の抜けた様子で騎士達に連行されていった。
略奪などという目的で神の真名を利用し、あげく永遠にその誓いに背くはめになったのだ。裁く法がない故に刑罰は科されないが、許される術もない。
おそらくどこかで謹慎という名の幽閉になるのだろう。相当長い間……もしかしたら一生、表舞台には出られないかもしれない。
今まで罪のない恋敵や邪魔者を犯罪紛いの方法で陥れてきたことより、原作でも数少なかった犯罪とは言えない行為で罰を受けることになるとは皮肉なことである。
「皆のもの、騒がせたな。どうか気にせずパーティを楽しんで欲しい」
もう姿の見えない第一王子と項垂れる王妃に代わり、国王がそう声をあげたものの、祝う主役のいなくなったパーティを気にせず続行できる猛者はそういない。
重たい空気の中心にいるクロードとシェイラを誰もが遠巻きに見守るなか、二人に近づくひとつの影があった。
「シェイラ・プリムローズ様」
落ち着いた、それでいてどこか決意を秘めた声がシェイラの名を呼ぶ。
振り向いたクロード達の視線の先には、背筋を凛と伸ばして立つリリーアンヌ・ティグレスがいた。
「リリーアンヌ様……」
シェイラが彼女の名を呼び返すと、リリーアンヌは一拍置き、静かにシェイラへ歩み寄る。
「わたくし、貴女のことを誤解していたようですわ。……貴女ならきっと、プリムローズ領の良き当主となるでしょう」
謝罪の言葉ではない。
けれど彼女にとってはそれが、公爵令嬢としての矜持を捨てずに伝えられる最大限の『ごめんなさい』なのだ。
「いいえ、そんなこと!リリーアンヌ様は、ただ私の至らなさを指摘してくださっていただけで……」
「そうやって、すぐに相手の行動を良い方向にとらえるところ……それが貴女の長所であり、本心でしたのね」
閉じた扇を口元に当て、リリーアンヌがふっと微笑む。その仕草は優雅で、かつて見た刺々しい雰囲気は消えていた。
「父に王城に連れられ、初めて会ったその日から、わたくしはフレデリックさまの虜でした。あの方を射止めるために、他の誰にも渡さないためにと、ずいぶんはしたない真似もしてしまいましたけど……」
フレデリックが連れて行かれた方向に、リリーアンヌが寂しげな視線を向ける。その赤い瞳には、いつかのカフェで見たときと変わらない熱が灯っているように見えた。
「あの方が王太子でなくとも良かった。でも、わたくしではもう、この気持ちさえもあの方の迷惑になってしまうのね」
シェイラを『ただ一人の』妃として愛することを誓ってしまったフレデリックにとって、シェイラ以外の女性を愛することも誓いに背く行為だ。
例えリリーアンヌが王太子でなくとも良いからとフレデリックを望もうと、それは彼に罪を重ねさせてしまうことになる。
フレデリックがこれ以上神に背くことを国王達は許さないだろうし、愛しているからこそリリーアンヌも本意ではないのだ。
「リリーアンヌ様!」
「お気遣いなく。これ以上、惨めな姿を晒すほど落ちぶれたつもりはありませんのよ」
愛する人のいない会場にこれ以上留まり続ける理由も無いのだろう。彼女も出口に向かって踵を返した。
それ以外に方法が無かったとはいえ、その原因になったのはクロード達だ。シェイラが思わず引き留めかけるも、かける言葉は見つからない。
「リリーアンヌ嬢っ!」
しかしそこへ、リリーアンヌを追いかける一人の少年がクロード達を追い越して行った。
白に近い金の髪に、青というより水色の瞳。クロードの頭ひとつ分ほど背が低かった彼はもしや。
「あれってもしかして、カーティス第二王子殿下か?」
「え、ええ、そうね。私も絵姿で何度か拝見したことがあるわ」
カーティス・レオネクス、御年12歳。おそらくフレデリックに代わって王太子になることが先程ほぼ確実に決定してしまった第二王子。
原作番外集のひとつ、『やさしい義姉さまとこわい兄さま』の語り手として登場していたので、クロードも覚えている。
お妃教育のために城に通うようになったシェイラが少々休息するために訪れた薔薇園で、黙々と土いじりをしていた大人しい少年。
シェイラと交流するうちに淡い恋心を抱くも、何処からともなく現れたフレデリックの冷たい笑みに震え上がって失恋を悟っていた。
原作では恋敵とあらば身内にも子どもにも容赦無い腹黒ヤンデレ王子の演出係としての役割しかなかった彼だが、あの様子だと現実ではリリーアンヌとの交流があったのかもしれない。
原作と比べて王子のシェイラとの交流が大きく減っていた分、リリーアンヌが王子に会いに登城する機会が増えていたならそれも有り得ることだ。
リリーアンヌに追いついたカーティスは何やら必死に彼女に話しかけている。戸惑いつつも受け答えをしていたリリーアンヌがクスリと笑い、カーティスの耳が真っ赤に染まるのが見えた。
「……できることなら、彼女が王妃になることは変わらなければいいな」
「……!私も、そうなってくれたらいいと思うわ」
しばらくその様子を眺めていたクロードが溢した言葉に、シェイラが頷く。
いずれ王妃となるあの方にウィズボーンの商品を認めてもらうこと。それはシェイラとした大事な約束のひとつなのだから。
天然鈍感ヒロインもやる時はやるんです。
ポイントや感想等いつも本当にありがとうございます!まだの方は是非…!




