【第七話】カルト、落下、右腕、それと頭痛について
あたり一面は高い波に囲まれており、小型のモーターボートは進むたびに波の襲撃を受けていた。海面は荒れ果て、空からは大粒の雨が激しく降ってくる。そして水が耳の中に入らないように、僕はとにかく耳をぴこぴこと動かしてた。
「目標まであと1分だ!各自最終チェックに入れ!」
バンパーの命令に合わせて、周りが最終チェックでマガジンの残弾や、装備品の破損確認、そしてチャンバーチェックを行なっていた。ただ波とモーターの音のせいで動作音は全く聞こえなかった。
「αチームは俺、仁、ハス、ガスター、カルイ、メカニクス、カインだ。こっちはカルイが侵入口を作るからそこから侵入する。βチームはグラップルを使って、そのまま上部階層に入って敵を撹乱してくれ」
「その後ビオードはαと合流して中枢部のAIをカインと共に完全破壊してくれ。方法は問わない。場合によってはあの爆弾魔に任せたっていい」
《その心配はねぇな。頭が爆弾のお花畑野郎に助けを借りるだけ鈍っちゃいねぇから》
「誰が頭爆弾のお花畑野郎だ!」
カルイの返しに緊張しきっていた場が少し和んだ。程よい緊張は大切ではあるが、緊張のしすぎは逆に本領発揮ができなくなってしまう。こうやってふざけるのも大切なことだ。
「それでは今よりBLACKOps: COLDENDを実行する。Good luck」
2艘のモーターボートは二つに分かれてそれぞれの役目を実行しにいった。
「カルイ。この箇所だ」
「あいよ」
揺れる足場でなんとかバランスをとり、カルイはC4を経年劣化で脆くなった壁に設置した。
「本当にC4でいくの?もっと静かな方法があると思うんだけど......」
「おいおい仁、お前、静音ドリル的なもので破るつもりか? ここの壁な、複合鋼材と爆発耐性層が二重に張られてるんだよ。もともとこのフロアは燃料貯蔵区画に隣接してた旧防爆室の名残だ。だから、静かに削ってる間に敵にバレる確率の方が高ぇ」
カルイはそう言いながら、C4の時間設定を終わらせる。こいつの爆発音がなった瞬間、カルトとの最終戦が開戦する。
「ここは、静かさより速度を選ぶ。お前の耳に優しくないけど、命には優しい選択ってやつさ」
雨粒が跳ねる音に混じって、爆薬の貼り付け完了の合図が手渡される。隣でメカニクスが小さく呟いた。
「しかもこの区画、下手に熱溶断使うと旧配管の酸化エリアに引火し、取り返しのつかない事故につながる可能性がある。C4なら、爆風は一点集中で済む。どのみち爆発するんだ。少しでも被害が少ない方がいいだろ?」
僕は小さく息を吐いた。耳が水をはじくように微かに動いたあと――
「……わかった。僕の耳を生贄にしようじゃないか」
「でも耳は塞いでおけ」
「それぐらい分かってる」
海面の音と、空の轟音さえ一瞬だけ引き裂いた――。
「んん!」
壁面が、悲鳴すら上げずに崩れ落ちる。鋼鉄の防爆層が“点”で弾かれ、雨音がその空洞を通って内部へと吸い込まれていく。
「爆破確認!」
断裂と同時に、圧が抜けた音と、耳の鼓膜が一瞬押し返される感覚が走った。僕の耳が反射的にぴくりと動いて、再び水を弾く。
「侵入口、開通! α、侵入を開始する!」
カルイの声が裂け目から跳ね返る。雨が流れ込む開口部の向こうに、光のない廊下が伸びていた。
「敵影なし。現エリアクリア」
ボートから内部に飛び移った僕は、改めてカルトとの対テロ戦争の最終戦が開始することを実感した。ここまでくるのに何年かかったことやら。
『いよいよだな』
「はっきり言ってカルトよりここまで生き残れた自分の生命力が怖くなってきた」
『それが主人公特権とかというやつか?全くお前というやつは......チーターじゃねぇか』
「誰がFPSゲームの汚点じゃ」
ダストの悪口を適当にあしらいつつ、暗い廊下を素早く、でも丁寧にクリアリングしながら通過していった。
△ △ △
僕はあまり狭い場所(音が反射しやすい場所)での戦闘は好まない。理由は至って単純。銃声とかが反射しまくって何重にも重なって聞こえるせいで耳が疲れやすいんだ。
「Engage!」
「ハス!一旦弾幕だ!」
そしてここのプラットフォームがまさにそうだ。両幅は約2m。フル装備兵士二人が並んで通ると結構狭くなるぐらいだ。
「まず全員が射線を通せる場所に移動だ。フラグアウト!」
バンパーのグレネードに合わせて左右の部屋の中に展開していく。少なくともこれで一度に3人以上同時に射線を通せるようになった。
「enemies down」
手が震えている。強風のせいか、雨のせいか、それともただの僕自身の問題か。
銃口が定まらない。それでも敵の胴体を2発で沈めた。心音が収まらないまま、耳がぴくりと動いた。
「これは……完全に待ち構えられてた感じか?」 バンパーが淡々と呟く。経験則だけで戦況を切り分ける男の声が、今日は少し早い。
「気色悪いほど的中してるな。大学テロも、浄水場の時も……」
ふと、撃たれなくなった。敵の銃声が止まった。倒せた実感はない。むしろ、“何かが変わった”だけの気配が漂う。
「攻撃が止んだ?なら前線、少しだけ押し上げる?」
ふと無線からβチームの連絡が来る。
《あーあー、いい知らせと悪い知らせがある。どっちから聞きたい?》
ビオードだ。相変わらず、このタイミングで口調が軽い。
「……どっちでも。時間ねぇぞ」
《じゃあ、いい知らせから。敵、こっちで撹乱成功。同士討ちしてくれた。いい感じに混乱してる》
「で、悪い方は?」
その時だった。敵のいた位置――そこから、音じゃない“殺意”が噴き出した。それはもう、皮膚で感じるほど濃くて、硬かった。
「ねぇ、バンパー……」
「ちょっと黙ってろ、今こっちの報告を――」 《悪い知らせはな、敵の装備が潤いすぎてる。正規軍並み+重武装。あとM2ブローニングが来てる》
「はっ……どこに?」
「バンパー、これマジでヤバいって」
「おい仁、お前も冷静になれ!ブローニングだぞ?そりゃあもう、軽々しく入手できるモンじゃ――」
「だから!そのブローニングが――目の前に来てんだよ!!」
後ろでハスが叫んだ。反射的に僕は前を向いて、そして視界に映ったのは――土嚢の影から突き出た、重すぎる金属の意志。
M2ブローニング
その機械的殺意《50口径の弾幕》が、ぴくりとも動かず、僕らを待っていた。
「Oh what the fuck⁉︎」
『その声嫁に聞かせれるか?』
「お前は一回黙れ!」
僕らが声を上げた瞬間――空気が裂かれた。
「Get down!」
目の前の土嚢の奥で、M2ブローニングが咆哮する。
火線は直線じゃなかった。拳ほどの破壊が連なって、空間そのものが引き千切られていった。
「cover!cover!!」
叫び声より先に、重苦しい銃声が空気を追い越す。壁を貫いた弾丸が、通路の鉄骨を千切り、床が揺れた。僕は本能だけで横転する。耳がぴくりと跳ねて、音の逆流を遮断しようと震えた。
「っ……今の、どこまで抜かれてる!?」
「壁厚20mmまで!その先はもう地形じゃなくなってる!」
カルイが叫ぶ。その声も、射線の裂け目に溶ける。ブローニングの掃射は止まらない。しかも位置が、僕らの進行ルートを“完全に見通した場所”にある。まるで、最初からこの通路を選ばせるように設計されていたかのような配置。
『仁、耳が逃げてるなら、お前の本能で避けろ』
「あからさまに通常のレートじゃないこいつからどう逃げろっていうんだ!」
ブローニングは地上用のモデルがあるが、レートはせいぜい毎分500発前後。ただこいつは1000を超えている気がした。もはやMG42だ。
「まじでカルトふざけんな!」
ハスがスモークグレネードを投げた。遮蔽を増やすよりも、敵の“予測”を乱す手段。まずは冷静に次の一手を考えないと。
「仁!お前は一旦あの機銃手を下せ!」
「みんながフラッシュバンで降ろせばいいでしょ!」
『弾幕によって破壊されるとは思うが?』
「たしかに」
こうなった以上もうやるしかない。左手上に野球ボールサイズの炎の球を作り出し、敵に向かって投げつける。
「行ける!今だけ!」
僕らは、一斉に距離を潰す。
壁の欠損を利用して飛び越える。破片が背中をかすめる。耳がもう、音よりも熱風を感じるようになっていた。機銃は沈黙していた。動いているのは普通の兵士のみ。彼らが僕らを止めれるわけはなかった。
「機銃口、確認!侵入口の左、砲座固定!旋回あり!」
「カルイ!」
「任せろ!あとは爆薬の仕事だ!」
カルイが遮蔽から飛び出し、C4を敵側機銃陣地に向かって投げ込む。相手は誰一人反応できなかった。
「3、2、1、爆ぜろ!」
巨大な爆発音が無機質な廊下に響く。
「機銃沈黙!」
「押し上げろ!」
機銃を完全に沈黙させた僕らは、一気に敵と間合いを詰める。そっからの出来事は記さなくてもいいだろう。反撃を喰らって痛かったことだけは書いておくけど。
「制圧完了!」
△ △ △
これはあくまで僕の偏見だけど、やっぱり男子というものはかっこいいものが好きだよね。メカメカしいプラットフォーム、無数のパイプが走る工業エリア。でも中に入るとあらびっくり。そこは地獄になっていることに気づくだろう。
「ちょっと......明日からパイプ見たら吐き気するかも......」
「よし。明日誰かこいつのデスクにパイプを置いてくれ」
「今ここで撃ち殺してもいいんだよ?」
「ジョークだ。そう怒るな」
僕はもうメカメカしいものは好きになれそうになかった。プラットフォームのパイプラインエリアにいると精神が崩れていく感じがした。理由は単純。狭すぎる。
「せ......狭い......」
僕は猫じゃないんだ。猫だったら喜んでここを通るよ。でも今の自分は狼。特段狭い場所が好きというわけでもないし、なんなら暑くて死にそうだった。
「仁。そこの扉を開けてくれ。その先に上の階に行く階段がある場所に行ける」
ふらつく体をなんとか支えながら重い扉を開ける。どうやらここは吹き抜けのようだ。少し嵐が収まった海からの冷風が僕の体をふにゃふにゃにさせる。
「ちぬ......」
『任務開始からあまり経ってないが?』
「最近体力不足なんだよ......」
「兵士としてあるまじき発言」
みんなから色々言われるが、気にしない。ゆっくりと立ち上がった僕はMCXの残弾を確認した。今刺さっているの残弾少数。さっきの戦闘ですでにニマグ使ってしまったせいで、もうすぐで手持ちの半分を使い切りそうだった。
「あまりにも早いよ......」
悪態を吐きながら慣れた手つきでマガジンを交換する。一応お守り程度にストックレスのモスバーグを持ってきたから、いざの時はこいつを使うかもしれないな。
「仁。早く行くぞ。俺らにはあまり時間は残されていないんだ」
吹き抜けを通り抜け、二階層目の管理棟に上がる。現状さらに上に上がるにはここを通る以外ルートはない。
「階段クリア。側面クリア」
タァァン!
「オールクリアァ!」
『うるさい。死ね』
「ひどくない⁉︎」
階段付近の敵を片付けて内部に入り直す。上の方からは激しい銃撃戦の音が聞こえており、おそらくβチームがまだ戦っている感じだ。
「こちらαチーム。ただいま第二階層の管理棟に来た。ここでこの施設全体の防犯システムをシャットダウンさせるから、その後に中枢で合流だ」
《了解だ。はっきり言ってカルトの遊び相手になるのも結構しんどい。なるはやで頼む》
「頼まれた。ではもう少し遊んでやってくれ」
管理棟の階段を抜ける。金属の足音が響くたび、僕の耳は勝手に震える。
もう“水を弾く”だけの機能じゃない。“空気の違和感”を読み取るセンサーに変わっている。
それが戦場というものだ。生きてるだけで、身体の役割が変わっていく。しばらく歩いて行くと大きな鉄の扉の前に来た。横には消えかけた文字で管理室と書かれている。
「この鉄の扉の先に管理室がある。どうやって開ける?」
「中に人は?」
「いるね」
耳を扉に当てて中の音を拾う。今のところ5人の反応は確認できた。しかもいくつかの金属音も聞こえる。おそらく角待ちでもしている感じだ。
「ぶっちゃけこのまま扉を開けて制圧するのも手だが......こんな幼稚な作戦を実行したい奴は多分いないだろうな」
「ならここもあいつだな」
カルイがバックの中から新たなC4を取り出す。
「一個で足りますか?」
「あぁ?メカニクスよ。足りてたらこんなに持ってくることはねぇよ」
そういうと彼はさらに3つバックの中から取り出した。
「これなら十分か?」
「十分ですね」
C4は鉄の扉に均等に設置され、起爆待機スイッチが入れられた。カルイによると、あとは起爆レバーを押し込めば爆破するみたいだ。みんながそそくさに扉の両サイドに移動を始める。
「Ready or not ?」
「We’re ready 」
耳を貫く爆音と体を揺さぶる衝撃波が伝わってくる。ゆっくり目を開け、扉に向かって銃を構えると、そこにはぽっかりと空いている穴があった。
「フラッシュ」
近くで待機していたメカニクスがフラッシュバンを二つ投げ込む。中からは眩い光が放たれた。
先頭にいるバンパーの肩を叩き、管理室内への侵入を開始する。中では先ほどの爆発とフラッシュバンによってあらかたの敵は無力化、もしくは死亡した。
「Move」
バンパーが二本指をたて、手を分ける動作をした。二チームに分かれて制圧するようだ。意図を察した僕らは二手に分かれ、管理室内を左右サイドから挟むようにして制圧していく。
「Where’s my target!」
部屋の中をあら制圧し終わった頃、入ってきた方とは別方向の扉から大きな声が聞こえた。電動モーターの音、それと重そうな足取りがあった。
「重装備兵か!」
ミニガンを構え、巨大なアーマーに身を包んだ重武装兵が扉を蹴破り、銃口が僕らの方に向けられる。
「Holy shit!隠れろ!」
バンパーが声を上げると同時にミニガンのガトリング砲が回転し出した。壁や地面に当たって鳴り響く金属音が鼓膜に刺さり、機銃の音は大きすぎてもはや聞こえなくなっていた。
「僕も撃ちたい!」
「一回黙れダンマニスト!お前を肉壁にしたろうか!」
僕らはとにかく身の安全を確保できるまで逃げまくるしかない。そしてその間にミニガンは狂ったように発射し続けられていた。
「誰かこいつをやり切れる方法がある奴!あったら銃弾の費用カバーしてやる」
「なら僕に任せて」
ぶっちゃけ重武装兵は何回も倒してきた。奴らは動きが鈍重。懐に入れば勝ち確だ。ただ今回は相手の行動が早すぎて対応できなかった。
「まじで言ってるのか?」
「何回も重武装の野郎は処理してきたから大丈夫」
ミニガンのガトリング音が、唐突に途切れた。空気が静寂に包まれる。耳が拾うのは、瓦礫が転がる音と、人間の呼吸だけ。
――撃ち止めたな。
ミニガンは一度止まれば、再発射までに数秒のラグがある。
その隙こそが、破壊の最適タイミング。
「Hey Bro!」
叫びと同時に、僕は地面を蹴った。獣のような加速で、ジャガーノートの懐に飛び込む。構え直そうとしたミニガンを、足で地面に叩きつける。
ガンッ!
金属音が響く。奴の腕が一瞬止まった。その隙に、瓦礫の破片を掴み、ヘルメット越しに頭部へ一撃。
「お前は動きが遅い。だから近接戦は苦手なんだ」
言葉と同時に、連打。瓦礫を振り下ろすたび、鈍い衝撃がヘルメットを叩き、骨を伝わって体の芯に届く。いくら装甲が厚くても、衝撃は脳に響く。奴の体がよろめく。僕は休むことなく、さらに殴る。拳が、瓦礫が、虚無が、鉄の巨体を揺らす。
「これで終わりか?」
鉄の巨体は動きを止めた。地面には奴の血溜まりができ、僕はただそれを見つめていた。
『まさか撲殺だとはな』
「あまりにも着込んでだからナイフが入らないと思って」
手についた返り血を服でふき取り、顔についたのを同じように袖でふき取った。後ろを振り返ると、みんなが何とも言えない表情で見ていた。
△△△
「防犯システム完全ロック。ついでに俺のファイヤーウォールをこの中に追加しておいた。システムがロックされたと知っても解除には半時間は最低でもかかるだろう」
「Good job Cain.」
バンパーによる力強い背中への攻撃によってカインのバランスが少し崩れる。
「なら叩くな。お前のパワーは異常なんだよ。理解してくれウォッカをキメた戦闘民族さん」
カインからの冷ややかなまなざしは届いていなかったのか、バンパーは全く動じていなかった。バンパーは何でなのかはわからないが、とにかく明るいやつ。見ての通り他人の皮肉や罵詈雑言はあまり気にしないタイプだ。
「さてお前ら!管理室でのTo Doタスクはもう完了した。今からは頭のねじが外れているカルトのAIを破壊に行くぞ!」
「うぃ」
「叫ぶ気力あるなら動け」
「あの狼野郎を見習え。ロシア人」
もちろんこれらも気にしない。
「次に目指すべく区域は汚水処理区画だったよな?」
ふとカルイがこちらを見つめる。その目はまるで僕を憐れむようなものだった。
「そうだけど……何その憐れむような眼は?」
「いや、これから行く場所でさらしそうなお前の醜態を憐れんでいるんだ」
「え?」
はっきり言ってこの時の僕はまだ何一つ理解していなかった。うっすら覚えているのはブリーフィングの最後、うとうとしている時に誰かが「熱中症注意」世言った言葉だけだった。そして、しばらく後に僕はその言葉が都と絵も重要な単語だと理解することになる。
△△△
「あちゅい~」
『仕事中だ。ふざけた声は出すな』
「無理なもんは無理だよ……」
現在地は先ほど書いた汚水処理区域。体感温度は35℃。湿度は僕のしっぽがもふもふじゃなくなるぐらい高かった。はっきり言ってこの区域を破壊したいほどだ。
「む……無理……」
『傭兵だろ?これぐらい耐えろ』
「種族的に無理……」
狼獣人でもまたいろんな種類の狼がいる。少数民族のニホンオオカミのもいれば、赤道付近で過ごしているエジプトオオカミがいる。その中で僕の種族は一番メジャーなハイイロオオカミ。大体世界中にいるのだが僕の家系は代々寒冷地出身のせいで、シベリアかここかと聞かれたら迷いなくシベリアを選ぶレベルで暑いのが嫌いである。
『お前は東京に住んでいるだろ。あそこもシャレにならんぐらい暑いやろ』
「あっちは家の中でクーラー24℃にしているからいいの。こっちはフル装備だよ」
ところどころパイプから噴き出る蒸気に顔面直撃されながらも、どうにか汚水処理区域内を歩いていく。ニオイ自体は問題なかった。
「ここあとどれぐらいで通り抜けれるの〜?そろそろ限界......」
「接敵しなければあと数分ってところだ」
「あいつらの教祖に会ったら、絶対文句言ってやる......」
『殺すんじゃないのか?』
「殺す前に精神攻撃だ」
──その時だった。
プラットフォームの右端、ひときわ蒸気が濃かった配管の奥から、異音が鳴った。
ガコン──
「っ、何の音......?」
「蒸気圧じゃない。バルブ圧の逆流か?」
メカニクスが反射的に視線を向けた先で、配管のひとつが爆音と共に破裂した。
白く濃い蒸気が爆風のように吹き出し、周囲の視界を一瞬で奪った。高温の蒸気が目を襲い、目が引き抜かれるような痛みが走る。
「視界っ......ゼロ!」
耳が水蒸気に包まれてふにゃりと沈む感覚。呼吸が焼けるほど暑くなる。まるで熱水を喉奥に勢いよく流し込まれるようだった。僕はとっさに首元のスカーフを引き上げ、横にいたメカニクスの腕を掴む。
「おい仁!メカニクス!お前ら大丈夫か!」
「待て、バンパー──こっちに来ないで!」
轟音の中、プラットフォームの衝撃で足場が崩れ、メカニクスがフッと下に落ちていく。
「メカニクス!」
「仁!早くそこから離れろ!」
カルイの声が遠くで聞こえたが、もう遅い。蒸気の吹き出しによる構造の応力で、僕の足元の床も沈んだ。
視界が揺れる。身体が浮く。耳がぴくりと、危険領域へと反応した。全てがスローになり、体が反応できなくなる。
──そして、僕は落ちた。
数秒後。
微かに水蒸気が薄れ、金属のきしむ音が落ち着く。額に落ちる水滴によって僕はようやく目を醒めた。
「っ......生きてるの......?」
「まぁ......なんとか......クソッタレ。なんだよこのごみみたいな施設は」
メカニクスの声が横から聞こえる。どうやら彼もなんとか無事のようだった。ふと見渡すと、ここは配管下層の資材保管エリアらしかった。
上下に絡むパイプが格子のように走っており、
本隊のいるプラットフォームからは隔絶された位置にある。
『大変なことになったみたいだな』
「しかも結構面倒なことにね」
通信は通じるかもしれない。でも蒸気の圧と中継機器の損傷で、今は交信が遮断されていた。
「......はぐれたな」
「そうだな。事故だ。完全な不慮の事故だが......仁、お前しっぽ、蒸気焼け起きてるぞ」
「まじ!?いや!しっぽは──よかった......特に問題なかった......!」
「落ち着け、ただのジョークだ」
「どういうつもりだよ」
「反応がいつも通りだから、精神撹乱はしていないみたいだな」
「24時間365日、僕の精神は正常だよ」
メカニクスの頭を手でペチッと叩いた後に立ち上がる。少し足が痛むがイブプロフェンを服用すれば問題ないだろう。
「鎮痛鎮痛......」
鎮痛剤を二錠まとめて口に投げ込み、水で流し込む。ひとまずはこれでやり過ごそう。
『一ついいこと教えてやる。薬というのは長年使ってると効きが悪くなってくる。違法薬物と同じだ』
「それで?要点は何?」
『お前の場合だともって1時間。多分そこにも満たないと思うけどな』
「あっそ。ご丁寧にありがとう」
ダストの戯言を聞き流しながら落下時にパイプによって切り裂かれた右腕の治療を始める。思った以上にパイプが皮膚を抉り取っていたみたいだ。なんでさっきまで気づかなかったんだろう。
「仁。腕は大丈夫なのか?利き腕のようだけど」
「人を殺せるならこの腕は大丈夫だ」
包帯をきつく縛り、止血帯を使って完全に止血させる。もはや右腕からは痛覚というものが消えた気がした。腕がオシャカになる前に任務を終わらせたいもんだ。
「さて、本隊に戻るために進みますか。絶対どこかしら上層部に上がる場所があるはずだ」
「そうだな。少しお前のメンバーが気がかりではあるが」
「大丈夫だよ。あのファッキンガイズは死にはしないさ」
頭がまた痛み出す。そういやこれについても詳しく追求しないとな。僕は苛立ちを覚え、好奇心を天秤にかけながらゆっくりと歩き出した。




