【第五話】沈黙の中に、僕らは絶望という声を聞いた
「フラッシュ⁉︎」
目の前に飛んできたフラッシュバンによって、強烈な光が目を襲いかかってくる。これが「目がぁ!目がぁぁぁ!」状態ってやつか。昔からの疑問が解決できたよ。それがこんな重要局面じゃなければもっと良かったのになぁ。
「こりゃ援護呼ぶのはちと厳しいな!」
『あいつらに頑張って判断してもらうしかないな』
「せめて何か解決策は考えて」
キーンと続く耳鳴りに耐え、うっすらとしか開けない眼を駆使して、部屋の入り口に銃口を向ける。フラッシュが来たんだ。そろそろ敵の攻撃が始まる頃だ。
「いつでもかかってこい」
そう意気込んだものの、視界はとてもぼやけており、視界に白い残物がずっと張り付いていた。
「うん?」
耳鳴り状態だから確証は持てないが、僕の横に壁の反対側からピッといった音が小刻みに聞こえてくる。どこか聞き馴染みのある音だが、全く思い出せなかった。
「ねぇ、ダスト。この音ってさ......」
『......伏せろ』
「え?」
ダストになんの音なのか聞こうとしたら伏せろと返ってきた。そして僕は頭がフリーズして動けなくなる。
『何馬鹿みたいに突っ立っている!早く伏せろ!あれはC4の音だ!』
「あんだって⁉︎」
ダストの指示に従い、すぐに地面に伏せる。その直後に巨大な爆発音が鳴り響き、真横の壁が破壊された。
「部屋に入るときはドアをノックしろって親から習わなかったのかよ!」
『お前はまず親いないが?』
「死ぬ前に習ったわ!」
緊急回避用として今見える全ての空間に炎の壁を縦横無尽に走らせる。銃弾は防げないが、敵の視界を制限することはできるはずだ。まずはこれで有利な場所に移動しないと。
「あと二人なのになんでこんなにむずいんだよ!」
今使えるのはメインのMCXとグロックのみ。MCXに関しては残弾があと2マグちょっと。戦い切れるかどうかすごい微妙なラインだ。一方グロックはまだまだ残弾があるものの、貫通力が乏しい弾丸を使っているせいで正面戦闘では歯が立たない。
「ここが小説の世界だったらとっくに勝ってたのに」
『お前の物語という点では小説とは大差はないな。ただまだ文章にしていないだけだ』
「それは小説とは言わないんだよ」
鎮痛剤を二錠ずつ飲み込み、敵との戦闘に備える。お願いだからバンパー達早く来てくれ。彼らに僕一人で十分と言ったのがアホらしく思えてきた。
『お前の正面から来ているぞ』
「相手強気だな。こっちが色んな点において不利な状況になっているのを分かっているのか?」
とりあえずより安全な場所に移動するためにグレネードを相手に向かって転がす。そろそろ炎も消えてきた頃だ。このままでは敵の射線に入ってしまう。
「爆音に乗じて移動っと」
爆発音が聞こえたと同時に部屋を飛び出し、敵を中心に反時計回りで移動し始める。これでどうにか後ろか側面に陣取りたいもんだ。
「嘘だろ!一人そこで待機してたのかよ!」
しかしそんな願望は簡単に撃ち砕かれた。残り二人の敵のうち片方が元の場所で待機。そのせいで僕は胸部に銃弾を喰らってしまった。
「あぐぅ!」
運良く銃弾は中のプレートを貫通しなかったものの、強烈な衝撃波と打撲ダメージが体を襲ってくる。
「生きてる。僕はまだ生きてる!お返しだ!」
生の実感を味わいながら相手に対してMCXをぶっ放す。緊張により大きい反動をうまく抑えきれなかったが、それが功をなして相手の頭にまで跳ね上がり、そのまま倒せた。
『運がいいな』
「運も実力の内っていうでしょ!」
残弾少数となったマガジンを外し、震える手で最後のフルマガジンを本体に差し込む。これで倒しきれなかったらいよいよ僕の終わりが近づいてくる。
「左からか!」
敵の足音が左側から聞こえてくる。場所的に開けており、僕には身を隠せる遮蔽がなかった。どこかに逃げる時間も残っていない。
「一か八かだ」
僕はその場で動きながら敵に発砲をする。が、結局意味はなく、僕は胸に複数発もらって地面に倒れた。
「どうにでもなれ!」
とにかく必死だった。いくら凄腕だとしても焦る時は焦るし、無我夢中になってしっかり思考ができなくなってしまう。今がまさにそうだ。
『弾切れだ!』
ダストに言われても僕はひたすらトリガーを引き続けた。簡単に言えばパニック状態。あまりにも急に心理が変わっていると言われればそりゃそうだ。戦場というにはコンマ1秒単位で動いている。一瞬の判断ミスで全てが覆るんだ。もちろん己の心も。
「仁しっかりしろ!」
ふと後ろから誰かに声をかけられ安全地帯へ引きづられていく。うっすらと目を開くとそこには満面の笑みを浮かべたハスとバンパーらがいた。
「ここをお前一人の独壇場にさせでねぇぞ。俺らにも活躍の場を残しておけ」
「カルイ!」
「ヒーロー遅れてくるっていうだろ?俺らの反撃はこっからだ!」
「みんな!」
しかしそのような悪い方に覆ることがあっても味方がいればどうにかなることもある。今がまさにそうだ。
「さぁて。相手はたった一人のPMCだ。ハス、カルイ、お前らのオーバーキルというものを見せてやれ」
すると目の前でMINIMIの銃口が火を吹き、カルイの手から放たれたグレネードは敵に向かって飛んでいった。敵は圧倒的な弾幕に押されて怯み、最終的にカルイのグレラン爆撃によって爆散した。
「最後はグレランで死んだ......これが因果応報ってやつか」
「因果応報って悪い意味だけじゃないけどね。まぁ僕は僕らが行ったいいことが帰ってこなくてもいい気はするけど」
周囲に舞う瓦礫と硝煙の匂いがなくなってきた頃、僕はようやく一息をつくことができた。これで敵戦力上澄みを潰せたはずだ。そうすれば幾分か戦いが有利に動く。KIAしてしまった味方のためにも勝たないと......
「仁!」
ふと体の感覚が薄れていく感じがした。鋭かった聴覚も薄れていき、体の平衡感覚が崩れてゆく。視界も歪んでいき、物の色の判断もできなくなってきた。オーバードーズか?
「しっかりしろ!どうした!」
気づけば僕の視界はブラックアウトしていた。
△ △ △
『おい。起きろ』
視界が暗転してしばらく経った頃、一つの聞き慣れた声が僕を呼び起こしていた。
『そこのクソ狼。ここは寝室じゃねぇぞ』
「ちょっと聞き捨てられない言葉があったねぇ」
ガバッと体を起こし、声のする方向を睨みつける。最初はダストの野郎に文句を少し言おうと思ったが、目の前の光景に絶句し、言おうと思っていた言葉も消えてしまった。
『やぁ、仁。こうやって顔を見合わせるのは確か初めてだったよな』
「本当に......ダストなのか?すごい僕にそっくりなんだけど」
そこにはダストの声をした僕の姿があった。厳密に言えば、髪色がもっと黒く、顔の表情はもっと邪悪だったけど。
『お前の体に俺はいる。こうやって具現化したらそりゃお前の見た目になってもおかしくはないよな?』
辺りを見回すと僕の生まれ故郷の秋田の町にすごい似ていた。いや、もはや完全一致レベルだった。当の本人の僕はここにあまりいい記憶を持ってないけど。
「それはそうと、ここはどこなんだ?」
『お前と俺の精神世界。お前は戦闘で無理をしすぎていたから俺が無理やり休ませることにした』
精神世界という存在にも疑問を投げかけたいところではあるが、ダストのことだ。あいつは悪魔である以上、神に近しい存在だ。これぐらいは当たり前のようにできることだろう。だから聞いたところでいい回答が返ってくるとも思えない。
「全然無理していた気はしないけど......」
『一つ言おう。お前があのまま動き続けていたら、数分後に鎮痛剤を大量摂取する必要が出てくるぞ。そして本当のオーバードーズになって死ぬ』
そこまで言われた僕は何も言い返せなくなった。
『ほらどうした?精神世界といえどここはお前の故郷だ。少し散策して休憩したらどうだ?』
静かに立ち上がり、辺りを見渡した。懐かしいはずの故郷――しかし、この町に根付いた記憶は温もりよりも痛みの方が濃い。 むしろ僕にとって懐かしいと思えるのは雪との馴れ初めの記憶ぐらいだった。
「散策して休憩って……僕にとってこの場所はそんな気楽なものじゃないよ」
ダストは嘲笑うように肩をすくめる。
『それでも、お前はここを歩くべきだ。お前の精神状態はとても不安定だ。少しでも過去に向き合って安定させてもらうぞ』
「余計不安定にならない?」
鼻を鳴らしながら歩き出す。静かな町並み――それはまるで自分を拒絶していた世界が皮肉にも今になって穏やかさを装っているかのようだった。 控えめに言ってこの町を抹殺したいぐらいに癪に触る静けさだ。
「本当にここを僕の故郷としてみていいのか?」
そう呟いてみても、答えはこの世界に存在しない。ただ、足音だけが虚しく響く。
『どう捉えるかはお前次第だ。俺にはそのようなことは分からない』
ふと、角を曲がると見慣れた建物が目に入った。そこは幼い頃に住んでいた家――血の匂いが消えて久しいが、それでも過去の影は焼き付いて離れない。ドアを押すと、鍵はかかっていなかった。軋む音とともに、僕は静かに中へ足を踏み入れる。
「懐かしいな……いや、違う。何も懐かしくない。はっきり言ってここの記憶はもう思い出したくない」
棚に積まれた埃まみれの写真立てを手に取る。そこには幼い頃の僕と、両親の姿が映っていた。優しい笑顔――それは確かにそこにあったはずなのに、今となってはただの幻のようだった。
「親がいた頃の僕は、ただの無邪気な子供だった。何も知らずに――それが幸せってやつなのか?」
ダストが背後から覗き込む。
『ガキだったのは事実だろうさ。でも、お前はもう昔の自分じゃない。お前はもう無邪気には戻れないんだ。今の能天気な性格が全て偽りであるように、お前の無邪気さはもう存在しない』
写真立てをそっと元の場所へ戻し、ふと視線を窓の外へ向けた。そこにはかつて、自分を「悪魔」と罵った者たちがいた場所。かつての憎しみは、今も残っているのか?それとも、時間の流れに流されてしまったのか?
『さぁて。ここにいるのも飽きてきた頃だ。少し遊びに行こうか』
「遊び?」
『その通りだ』
彼はそう言い、指を鳴らす。するとあたりの風景は一変し、近くにあった山の麓の風景に切り替わった。
『これを持て』
突如ダストから何かの竿を渡される。よく見るとそれはザリガニ釣り用の竿だった。一体どっから準備してきたんだ?
「ザリガニ釣りでもすんの?」
『お前が小さい時によくやっていただろ?俺もやってみたくなってな』
「悪魔も遊ぶんだな」
『当たり前だろ』
ザリガニ釣りは両親が亡くなる前から楽しんでおり、亡くなった後も唯一誰にも邪魔されずにできる遊びとして遊んでいた。
「久しぶりにやるね〜。腕前はどうなったことやら」
『お前の腕を心配する余裕があるならこっちを手伝ってくれ』
「なんでや」
『俺は初めてなんだよ』
ダストの発言にやれやれと呆れながらも僕流のザリガニ釣りの仕方を教える。しばらくしたら僕ら二人はテンポ良くひょいひょいっと釣ることができるようになっていた。
『なぁ仁』
ふと横からダストが竿を空中でクルクル回転させながら声をかけてくる。
「なに」
『お前はこの世界に何を求めてきた?』
唐突な質問に頭がフリーズする。しばらくの間頭を振り回転させた結果の答えは
「......僕には分からない。そもそもこの世界に何かを求めること自体が正しいことなのかどうかも分からない」
ダストは隣でザリガニ釣りの竿を握りながら、小さく鼻を鳴らした。
『珍しく哲学的なことを言い出すじゃないか』
僕は溜息をつく。生まれつき孤児......というわけではないけど、人生の半分以上は雪と一緒か僕一人で生きてきた。子供の頃には前言った通り、何回もいじめられてきた。その時に僕は「この世界に願いは求められない」と考えた。
「僕にはこの世界に願いを求められない......」
ダストは指先で水面を弾きながら、ゆっくりと口を開く。
『世界に願いを求められない、か。それなら、お前は何のために生きているんだ?』
僕は竿を握る手を強くする。正直、答えは出ない。親・仲間を殺した人へ復讐か、世界を守るためか――どちらも理由にはなる。でも、それが本当に「生きる意味」なのかと聞かれると、うまく言葉にできない。
「……僕はただ、生き延びるために戦ってるだけだよ」
『生き延びるために戦うなら、戦いが終わったらお前はどうする?』
「……分からない」
その答えしか出てこなかった。戦いが終われば、新しい目的が生まれるかもしれない。でも、それを見つけられる保証なんてどこにもない。
ダストは鼻を鳴らしながら竿を置き、僕を見つめる。
『何かが欠けかけている気がすると言ったな。なら欠けているものを埋めたいのか?それとも、欠けたままで生きたいのか?』
僕は思わず息をのむ。何かを埋めるために戦うなら、答えが見つかるかもしれない。でも、それが正しいことなのか――それすら分からない。
「……僕は、ただ戦うだけじゃダメなのか?」
ダストは軽く笑いながら、川の水面を指でなぞる。
『ダメじゃないさ。でも、お前が何を望んでいるのかすら分からないなら、戦う意味はどこにある?』
僕は唇を噛んだ。その通りだ。僕自身が何を求めているか分からないまま、戦場を駆け回っている。ただ「生き延びる」ことだけでは、いつか限界が来るかもしれない。なんなら戦わない方が生き残れるまである。ダストは立ち上がり、僕を見下ろす。
『それと仁。あくまで生きる理由のアイデアを教えてやる。お前は雪とずっと一緒にいるっていう願いを昔に掲げたよな?』
「......」
『お前は彼女のことを考えれば良くないか?脳細胞が単純なお前にとってはそれが最適解な気がする』
僕は少し目を見開いた。頭の奥底に沈んでいた記憶を、一瞬で引きずり出されたような感覚だった。そうだ――僕は、雪と生きるためにここにいるんだ。世界を守ることも、復讐を果たすことも、それが僕の根底にあるわけじゃない。
「……それを忘れるわけないさ」
ダストは小さく笑った。僕はずっとこうやってこの戦場に残り続ける理由を考えていたが、最終的に雪と一緒に入れればどうなったっていい。ただその大前提として世界を平和にしたいと思っていたんだ。平和に雪といれるようにって。そしてそこから復讐という考えが浮かんできた。
『なら、それがある限り、お前は完全に壊れることはないな』
僕は鼻を鳴らして答える。
「お前は何でも分かったように言うけど、僕のことを全部理解できるわけじゃない」
『全部は分からないさ。でも、俺はお前の内側にいる。それくらいは分かる』
僕はしばらく黙ったまま、視線を水面に落とす。静かな川の流れは、まるで僕の頭の中を映し出しているようだった。欠けているものへの不安、己への不信――でも、その中にひとつだけ確かなものがあった。
雪とともにいたいという願い。
僕はゆっくりと立ち上がる。足元の感触が妙に確かだった。
「そろそろ行くよ」
ダストは静かに頷く。
『ああ、行け。そして、また迷ったらここへ戻ってこい。その時は俺がお前を引っ張ってくるから』
「そんなに頼るつもりはないけどな」
苦笑いしながら歩き出す。僕はいつまでも過去から逃げることはできないし、いつかは向き合わないといけないのは分かっている。同じようにこの世界で生きる理由、戦う理由についても考えないといけない。正義のためか、権力のためか、はたまた富のためか。でも今の僕にはどれも必須というわけではない。
「さてと......この世界を変えるためにもう一仕事するとしますか」
△ △ △
再度開けると見慣れた風景が目に飛び込んできた。バンカーに戻ってきたか。
「ん......ガフッ!」
息を吸い込む時に大きく咳き込んでしまう。
「ようやく起きたか。マジで心配してたんだぞ」
バンパーが顔を覗き込みながら文句を言う。
「ぼ......僕はどれぐらい気絶していた?」
「10分だ」
意外と経っていなかった。体感だと半時間は経っている気がしてた。
「動けるか?」
「あぁ、大丈夫」
重たい体を起こし、戦闘で落としたモスバーグを拾う。まずはここで生き残らないと。
「目的地までは後どれぐらい?」
「あと10分ちょっと。ただ教祖はもう逃げたそうだ。今回は奴らの戦略的勝利だ......」
バンパーによると僕が昏睡していた時に教祖が裏口から逃走。つい先ほど郊外の防犯カメラに映ったとの報告が入った。
「目覚めから最悪な情報だね。休日出勤とお伝えする寝起き電話よりも」
「お前はどんだけ休日返上が嫌なんだよ」
「嫁に手を出されると同レベル」
手慣れたクワッドリロードでモスバーグにショットシェルを詰め込んでいく。MCXの残弾がなくなった今のメインはこいつだ。
「教祖がいないにしても他の信者はいるはずだ。そこら辺をある程度掃討するぞ」
△ △ △
残りの残党を処理しつつ、今回の襲撃を振り返る。今回のバンカー襲撃作戦は敵の戦略的勝利だった。僕らは彼らの本拠地を潰し、重要な物資の回収と破壊を行うことができたが、本来の目的である教祖の殺害は最終的にできなかった。亡くなった味方についてはあまり話さないでおこうか。運が良かったことにカインとアイサが生き残ったが、他は......察してくれ。
「カイン。復活早々ですまないが、今日その行方を辿ってくれないか?」
その後の僕らはベルリンまで戻り、イヴァンさんの部屋に再度集合した。
「こき使われることにはなれてるから任せろ」
「これが終わったらお前の有給増やしてもらうように頼むか」
現状この場に残っているのは11人。僕、バンパー、ハス、ガスター、カルイ、ジェイド、アイサ、カイン、スラウィー、ビオード。それとイヴァンさんだ。他の協力者はまだここに来ている最中だそうだ。
「現状把握できたのは彼らが他と同じように廃線を通って移動したことぐらいだな。現状どこに向かっているかは分からない」
「それなら俺は少し見当がついている」
イヴァンさんが椅子にもたれかかった姿勢で低い声を上げる。
「俺の知り合いに北海を主要航路として持っている奴がいるんだがな、最近航路周辺で謎の集団を見たと言う連絡が入ったんだ」
「周辺国の部隊の可能性は?」
「ない。装備は統一されていたものの、銃火器は統一されていなかった。おそらく非正規軍部隊だろう。それとワッペンなどのマークは確認できた」
机の上にその部隊の写真に関する資料が置かれる。マークは財団機動部隊のでもない。しかしどれもカルトとの戦線で何回も見てきたマークだった。
「十中八九カルトかKDの野郎だ」
「ただ現状こいつらの行方に関する情報はほぼないんだけどな」
「その理由はなんだ?」
「この中にイギリス人かドイツ人はいるんか?それか地理に強いやつ」
カインとアイサが手を挙げる。
「知っての通り北海は天候がとてつもなく不安定だ。一つのオブジェクトの持続的な観測は結構困難だ。そもそもこの周辺の海域は天候が不安定すぎて詳しい周辺地理がわかっていないんだ」
彼は別の書類を僕らに見せる。それは北海周辺の海図だったが、一箇所だけ広い範囲で塗りつぶされた空間があった。
「通称《海上空白域》、詳細は一旦省こうか。おそらく彼らはここに向かったと予想されるが、追跡は困難だ」
彼はプロジェクターを操作して、スライドを壁一面に映し出させる。そこにはずらっと並んだグラフがあった。
「これは俺の知り合いに頼んで入手してきた国際物流データだ。この赤枠に囲まれている部分があるんだが、存在しないコンテナが航路に記録されていた。これに関しては俺の情報網の話だから信憑性はあるぞ」
写真にはうっすらではあるが中型船に4から5個のコンテナが積載されているのを確認できた。他にも人らしき影がたくさん写っていた。
「とまぁ、もしここにカルトの拠点あるなら教祖はここに行くと思う。ていうか俺ならそうする。誰も来ないような場所、北海で計画を練るんだ」
「北海か......ビオード!」
ふとカインが声を上げる。さっきまでぼーっとしていたビオードは突如呼ばれたことに対して驚きを隠せていなかった。
「お前......財団のグローバルネットワークを改造することはできるか?」
「急になんだと思ったらそんなことか」
「それでどっちだ?」
「可能だ」
「よし」
彼はズボンのポケットからスマホを取り出してどこかに電話をかける。
「あぁ俺だ。来れるやつでいいからベルリンまで来い。大丈夫。至って簡単なゲームするんだ」
△ △ △
しばらくした後、イヴァンさんの部屋の中では財団情報部門の職員と機動部隊「オーバーロード」の隊員が集まってきた。
「探索エリアは北海の《海上空白域》だ」
隊員や職員らは僕には予定理解できないような設備を取り出し、探知作戦を開始する。
「……ここが、何もない場所か」
北海の海図を見つめながら、僕はそう呟いた。
“海上空白域”――衛星も、レーダーも、通信も、何もかもが届かない。
まるで、世界から切り離された“沈黙の穴”。
「普通、何かしらのノイズがあるもんだがな」
ビオードが腕を組んで言う。
「ここは、ノイズすらない。完全な無音だ」
「自然じゃないってこと?」
「そう。これは“作られた沈黙”だ。誰かが、ここを“聴かせない”ようにしてる」
ビオードが端末を起動し、財団の旧衛星網に接続する。傍受対象は、空白域の縁をなぞるように設定された。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
財団旧衛星網。財団がかつて世界中の異常・脅威・通信を監視・制御するために構築した多層型衛星通信網。主に静止軌道衛星と中軌道衛星を組み合わせ、地球全域を常時カバーすることができた。今は新型に置き換えられ、運用はされていないものの、稼働している予備機がまだいる。
リアルタイムでの秘匿通信が可能。TDOA逆探知支援というよく分からん機能を持っており、特定の電波の発信源特定が可能となっている。その性能は米軍ミサイルのトマホークの電波の傍受さえも可能となっている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「それと仁。このヘッドセットを耳につけてくれ」
「なんで?」
「空白域の電波は意図的に消されているが完璧になくなっているわけではない。だからその完璧じゃない部分の音をお前の聴覚で見つけ出すんだ」
僕にとっての電波は機械でしか感じ取れないもの。急に音を聞けと言われた僕はしばらくの間固まっていた。
「それって......可能なの?」
「どうだろうな。でもこれだけは言える。人間には不可能ってことだ。このハッキング用の演算ノード《オーバーロード》は電波の波を音という情報に変換できるんだ。ただ波があまりにも弱いと、音として識別できてもデジタル情報としては読み込めない」
そこまで言われるとやってみないといけない。僕はサイズの合わないヘッドセットを頑張って耳につけ、神経を尖らせた。
「機械が拾えない空白域のないはずの《揺らぎ》を、君なら感じ取れる」
「分かったよ。……始めよう」
最初は、何もなかった。
ただ、静寂。民間船からの電波もなければ、自然からのノイズもない。地球上にあるボイドのようだった。
でも、しばらくすると――
「……聞こえる。何かが繰り返し、音を出し続けている」
ビオードが端末を操作する。
「カイン。さっきの部分の電波の波状を解析して」
「了解。……よし、収束角14.8°、信号強度はノイズ基準比で+2.7dB。人工的揺らぎの兆候ありだ」
カインの報告に、オーバーロードの技術班がざわめく。もちろん僕は何一つ言っていることは分からなかったけど一つの《歪み》が確認されたことだけは分かった。空白だと思われていた海域に、確かに発信源がある。
「仁。今の音、聞き覚えはあるか?」
ビオードが僕の方を向く。財団に入ってからとっくに忘れていた音。昔の会社で嫌というほど聞いてきたリズムだった。
「うん。あれは……リズムじゃない。意図的な鼓動だ」
僕はゆっくりと言葉を選ぶ。
「一定じゃない。でも、誰かが何かを維持しようとしてるテンポに聞こえる」
何か巨大なものがある。僕にはそれだけ分かった。過去に何度も巨大兵器を見てきた。そしてそれらの装置の電子パーツの作動時の音に似ていた。
「波形を重ねてみよう」
オーバーロードの部隊長が手を振る。
「仁の感覚ログを使って、信号のノイズキャンセルを組み直せ。獣人の耳が聴いた構造を、機械で引き出すんだ」
再演算が走る。画面に浮かび上がったのは、三つの断続する波形。しかしそれぞれ、周期が微妙に異なる。でも、3つ合わせると、ひとつの――照準コードになる。
「……まさか」
僕はゆっくりと口を開ける。
「これはミサイルの電波?」
「それよりもっと酷いやつだ」
横からカルイが割り込む。
「これは撃つためのコードだ。誰かが、ミサイルを待機状態にしたまま、照準を合わせてる」
あいつが爆弾に精通しているのは分かっていたが、まさかミサイルのコードも理解できるとは思ってもいなかった。
「すぐに解析をしろ!」
周囲の職員や隊員はパソコンに向かって高速でタイピングを進める。
「「演算ノード《オーバーロード》稼働中。深層照準パターン解析、開始します」
ディスプレイに数列が走り、中央に浮かび上がるのは淡い赤の軌道線。三つの照準波が、都市の輪郭をなぞっていた。
「……このコード、今も変動してる」
「ロンドン、ベルリン、ワルシャワ......全部巨大都市じゃねぇか。射程はどうなっているんだよ」
カインが息を呑む。
「照準座標が動的選定されてる。AIが今も何万通りもの演算を行なって都市を選び直して入りんだ」
「沈黙の奥にいたのは神だけじゃなかった。狙いを定める意志もだ」
その時に、僕は財団にきてから過去1の絶望を感じた。




