番外編② ユリアのその後
宝石を散りばめたクリーム色のドレスが、日差しを受けて輝いている。
鏡の前で完璧な笑みを作りながら、ユリアは鼻歌を歌っていた。
「アナスタシアなんて、偉そうな貴族女に勝ったのよ♪ サイラス様が私を選んだのは当然よ♪」
今日は、社交界の集まりに出かけてやろうと思っていた。
今まで喪中だとかいってサイラスは遠慮していたが、彼が外国に行っている今、遠慮する必要なんてない。公爵夫人には、皆ひれ伏すのだから。
しかし、邸の門の前で、彼女の馬車は止められた。
待ち構えていたのは羨望の眼差しではなく――衛生局の紋章をつけた役人たちの冷たい目だった。
「ユリア・ヴァレンティアさんですね」
「ええ、そうだけど?」
「あなたに公的な健康診断を受けていただきます。感染症の疑いが持たれています」
「は? 感染? 何のことかしら?」
「これは王都全体の安全を守るための措置で強制です。同行願います」
強引に馬車に押し込まれ、連れていかれた先は、検査センター。
そこには見覚えのある貴族子息や平民の男たちが集められていた。
一人がユリアを見た瞬間、怒鳴り声を上げた。
「ユリア! 犯人はお前だな!」
「お前がうつしたんだろ! お前のせいで、俺の人生めちゃくちゃだ!」
「お前は病気持ちなんて一言もいわなかったじゃないか!」
「ユリアお前はこんなにたくさんの男と関係を持っていたんだな!」
なんのことかわからないまま、一斉に浴びせられる罵声にユリアは耳をふさいだ。
けれど、現実は逃がしてくれない。
やっとのことでその部屋を離れ、検査室に連れていかれると、検査結果が出るまで留め置かれるという。
その後、紙を手にした医師が淡々と告げた。
「残念ですが、感染の疑いがあります。過去に接触した相手にも、既に広がっている可能性が高い」
「……うそよ、そんなの。なんの病気?」
声にならない叫びが喉に詰まり、ユリアは口を手で覆った。
「それは後程ご説明します。
感染の疑いがある方は、まだご帰宅できません。さらに検査を進めます。
その後、感染が正式に確認された場合、あなたが、いつ感染したのか、その後どなたとどんな接触したのか、その他調査を受けてもらいます。
それが終わった後で、これからの注意事項を説明いたします。
全てが終わるまで、しばらく、ここにご滞在願います」
医師がそれだけ言うと、職員に「最奥の部屋だ」と囁き、職員は頷くとユリアを部屋に案内させた。
――それは、まるで薄暗い牢獄のようだった。
ユリアは、そこにしばらく、監視付きで留め置かれることになった。
「ちょっと! ここは平民用じゃない。私は公爵夫人よ? 貴族用の部屋に案内しなさいよ」
「貴族は爵位に応じて貴族用の部屋があるが、お前は平民用の部屋だ」
職員がそう言い放った。食事もベッドも最低限。プライバシーなんてなかった。
「え? 何を言っているの? 私は公爵夫人よ? あなた不敬よ!」
「煩い! 大人しく入れ! お前のせいで、俺の弟は……!」
職員から怒鳴られ、そのあまりの剣幕にユリアは大人しく部屋に入った。
中には、彼女と関係を持った元恋人たちや、彼らの新しい彼女たちが詰め込まれていた。
彼らはみな、ユリアを見るたびに、恨みがましい視線を送ってくる。
誰もが口々に不安と怨嗟を吐き出そうとしていた。
ユリアは歯を食いしばり、耐えるしかなかった。ここから出られる日は、いつなのかもわからない。
七日目の昼。
ユリアの元に、懐かしい顔が現れた。
「リリス様……あなたが、どうして……?」
リリス・エヴァレット。かつてのアルベルト王太子の婚約者だ。
アルベルトは、ユリアが落とせなかった唯一の男だった。
淡い水色のドレスに身を包んだ彼女は、上品な香水の香りをさせ凛とした美しさを放っていた。
「見舞いに来てあげたの。社交界中、あなたの話題で持ちきりよ。ご存知ないかもしれないけど」
「なんの用よ。ふん、アルベルト様に婚約破棄されたくせに。彼は私に恋してるから仕方ないわね、元婚約者さん」
「元婚約者ねぇ? まだ発表はしていないけれど、私とアルベルト様はよりをもどしたのよ。だから、正しくは婚約者だわ。あなたには私たちの何ものも壊すことなんてできなかったのよ。
アナスタシア様は、サイラスなんて最低な男と結婚せずにすんだ。だから、今は世界屈指の大学で医学を学んでいるわ。彼女の将来は輝かしいわね」
「ふん。アナスタシア様なんて、私に負けた可哀そうな女って、学園でも有名だったじゃない」
悔しそうに唇を噛んで聞いていたユリアだが、アナスタシアの名を聞いて勝ち誇った顔をした。
それを見たリリスが、ふふっと笑った。
「有名? 有名だったのはあなたよ? 学生時代から、あなたが性病持ちだって、女生徒の間では有名だったわ」
ユリアの目が見開かれる。
「嘘……性病? ……そんな、誰もそんなこと、言ってなかったわ!」
「言わなかっただけよ。まあ、本人には言わないわよね。単なる噂だから確証があったわけじゃないし。
でも、みんな避けてた。“ユリアと関わったら危険”って。
それに……アナスタシア様はあなたに負けたなんて、言われていなかったわよ。
“サイラス様はユリアから病気をうつされたでしょうね。可哀そうに”とは言われていたわね。あなたが彼と性的関係を持っていたことを、友人たちに匂わせていたから」
ユリアの身体が震えた。
自分は“憧れ”の対象だったはず。
次々と男子生徒を虜にして。
羨望の眼差しを向けられていたと思っていた――なのに。
「そんな……そんなはず……」
「ずっと思い上がっていたのね。自分は女王様だって。でも、皆あなたを内心で軽蔑していたの」
リリスは冷たい笑みを浮かべ、背を向けた。
「じゃあね。もう、会うこともないわ」
ドアが閉まる音が、ユリアの胸に鈍く響いた。
彼女はここにきてようやく知った“自分が蔑まれていた”という事実に、完全に打ちのめされた。
それでも、邸に帰れば、きっとサイラスが何とかしてくれる。病気だって、薬があるわ。
だって私は公爵夫人なのだから――そう思っていた。
なのに、ひと月に渡る監禁生活を終えて、屋敷に帰れば彼女のために門の扉は開かれなかった。
「私よ。ユリアよ。開けなさい!」
門番は固い表情で言った。
「サイラス様の命令です。ユリア様を中に入れるなと」
「……なにを言ってるの。私は公爵夫人よ!」
「離婚が成立しております。すでに役所より正式な通知が届いています。公的な処理が完了したとのことです」
「そんな……そんなはずない! 私、サインしてないわよ!」
「ユリア様は、結婚後も複数人の男性と不貞を続けられていましたね。それが王家の調査により判明しました。その上、衛生局からの通報もあって、特別措置が施されたのです。その為、公爵様のサインだけで離婚が成立したそうです」
「え? 噓でしょう? 旅行前にサイラスに会ったのが最後なのよ? なんの説明もなく私は追い出されるの? 無一文で?」
「そういうことです」
ユリアの前で、音を立てて扉が閉まった。
ユリアは目を見開いた。
あのサイラス様が私を切り捨てた?
あんなに、愛していると毎日囁いてくれていたのに?
このまま放りだすの?
顔もみないまま、話もしないままで?
それって、本当に私を愛してくれていたの?
(嘘っ――――――――!)
がらんとした街路に、ユリアの絶叫が響く。
しかし門は開かない。
誰も彼女を迎えに来ない。
国の監視員だけが、陰から彼女の動向を見守っていた。
その後、彼女はあちこちの知人宅を訪ねたが、どこからも門前払いになった。
結局、業を煮やした国の監視員の手により、実家の男爵家に連れていかれた。
男爵家はこれ以上の醜聞を恐れ、屋敷の庭の隅に牢を作り、そこにユリアを閉じ込めた。
彼女はしばらく後発病し、残り少ない人生をそこで終わらせた。
end