第三話「家族に、なる」
”新しい家族との百日間にようこそ!”
初めまして、立花鞘さん。この度はご応募ありがとうございます。私、担当の酒井藍子と申します。これから皆様の生活をサポートしていきますので、宜しくお願い致します。
人生は一度きり。それは変えられません。しかし、”違った形の家族”を体験する機会があってもいいはず。そんな要望にお応えして始まったこのイベントは今回で第三回を迎え、回を増すごとに参加希望者は増え続けています。
ご応募いただいた皆様にお答えいただいたアンケートを基に、こちらでグループ分けを決めさせていただきました。各地区ごとに通勤、通学に差し支えのない場所にシェアハウスをご用意いたしております。なお、新しい家族となる他の参加者についての情報は、当日ご対面するまで控えさせていただきます。
ここで何点か注意事項がございます。
一、シェアハウスの中では、あくまで皆さんは家族です。こちらで仮のお名前をご用意いたしております。お互いを”お母さん”、”お兄ちゃん”などと呼び合ってください。実名で呼び合ったり、敬語を使うのは禁止です。
二、繰り返しますが、皆さまは家族です。本来の家族にまつわる話題を聞いたり持ち出すのは勿論、異性間の恋愛、またそれに準ずる行為・行動も原則として禁止です。父と母の間の恋愛については本来家族として自然な形ではありますが、今後のトラブルの原因になりますので、スキンシップ程度に留めておいてください。
三、参加者の皆様同士での金銭またそれに準ずる貨幣価値のあるものの授受・貸し借りは原則として禁止です。物品の贈与は認めますが、常識の範囲内でお願いいたします。
四、生活に必要な家具、家電等はハウスに備え付けております。部屋の中には何を持ち込んでも構いませんが、必要最低限でお願い致します。また、本来の家族の写真・面影を感じるものの持ち込みはご遠慮ください。
五、参加者の皆様は、百日間が終われば赤の他人に戻ります。連絡先等の交換は原則禁止です。皆様には専用のスマートフォンを一台ずつお渡しいたしますので、そちらで連絡等は行ってください。
六、もし生活を途中で中止したい方は、私までメールで申し出てください。ひとりでも希望者が出た時点で、家族の生活は終了となります。そうならないよう、皆さまでしっかりコミュニケーションをとって下さい。
七、当イベントはクラウドファンディングによる支援者の皆様によって運営されています。参加者の皆さまは、生活費以外の住居代等は全て免除となります。ただし、毎日専用のスマホから”手記”をお書き頂き、メールにて送信して頂くことが条件となっております。そちらを基に、ウェブサイトや書籍などで生活の様子、感じたことなどを公開させて頂くことがあります。
以上となります。このような注意事項を決めさせていただいておりますが、破った場合の罰則等はありません。どのように生活を送るのかは、皆様にお任せいたしております。トラブル等についての責任は一切負いませんので、ご了承下さい。お困りの点があれば、私までメールでお気軽にお尋ねください。なお、私は皆さまの前には姿をお見せせず、メールでのみのサポートとなります。
ハウスの住所と、鍵を同封いたします。
貴方のお名前は 榊 優美 です。
それでは、新たな家族との百日間に幸あれ。
左手はスーツケースに添え、右手に持ったスマートフォンに視線を固める。
出勤ラッシュがぼちぼち去ったころの、揺れ動く河原沿いの単線を走る車内。眼を滑らす先は、イベント担当者から送信されてきたメール本文。幾度となく読み返すのは、多少なり緊張の表れだろうか。目的駅をアナウンスする鼻にかかった車掌の声が、空席の目立つ先頭車両の隅々まで響き渡る。スマホをポケットにしまい、両手で重たいスーツケースをよいしょと持ち上げながらドアの近くに寄せると、勢いよく開いたドアから渇いた風が吹き込んで前髪を揺らす。甘栗だろうか。何処からか甘い匂いの香るホームは、いつも通勤で降りていた駅の、二つ先。ここは近くて遠い、知らない世界だ。
「お金、置いていくからね。買い物は自分でするんだよ」
封筒にしまい込んだ現金をリビングのテーブルに置く。兄の領域である寝室の前に立ち、そう言い残した。
私の銀行口座には、定期的に数万円が振り込まれてくる。振込人はないが、おそらく母からだろう。あのファミレスでの一件以来、私たちは母と会っていない。施設には何度か面会を申し込んだのだが、母が頑なに拒んだらしく、実現しなかった。会わなかったのは、母の意思である。迷惑をかけてしまったのだという自責の念なのか、関わってはいけないという遠慮なのか。処理しきれないまま宙を彷徨い続けている感情に邪魔されるように、このお金にはずっと手をつけられずにいた。
だが、私は思ったのだ。すべては想像から一歩足を踏み出すことはないのだが、仮にお金の送り主が母だとして、どうして送り先は私なのか。
兄は。兄の分はどうなる。
送り先となっている私の銀行口座は、小学生の頃に母に強請って作ってもらったものを、そのまま今でも使っている。特に欲しいものがあったわけではないが、お年玉やお小遣いをきちんと積み立てて管理し、通帳を眺めてニヤニヤしたいというませた子供心からだった。
兄も口座を持っているのかと母に聞いたら、私だけだと言っていた。つまり、二人分。兄の為に使うのであれば、気兼ねすることはない。
溜まりに溜まった数十万円を引き出し、どしりと置く。年齢的には大人ではあるが、自立しているとは言い難い兄を置いていくという後ろめたさを、この両手に込めた。
ごりごりとキャリーが路面を擦る音が、突として澄んだ様に滑らかになる。奇麗に舗装された道路が導くのは、どこか懐かしさと真新しさが混在した不思議な住宅街。それもそのはず。この辺りはかつて築五十年は珍しくない住居が立ち並ぶ寂れた街だったが、インフラ整備とリノベーションによる再開発が進んでいる。古き良き和のテイストはそのままに、玄関を開ければ近代的な暮らし。若い住人も増えているらしく、にわかに脚光を浴びているらしい。
スマホをちらちらと見ながら歩いていると、写真の中と現実の風景が一致する。地図通りであるならば、ここに違いない。目的地にたどり着いたらしいと私の筋肉は緊張を緩め、ほっと息を漏らした先に、私の”家”はあった。
庭付き一戸建て。車庫にはワゴンと軽が停めてあって、シェアハウス・・・・・・というより、まさしく家族の城だ。真新しい表札には榊の文字が輝き、連名で名前が刻印されている。
榊 次郎
加奈子
優美
晶
おや。どうやら私は四人家族のようだ。父、母、わたし、・・・・・・誰? これはわたしの家族を記しているはずなのだが、わたしは彼らに関する情報を何一つ持ち合わせていないために、何の意味も分からない文字の羅列と化している。
腰を屈めてまじまじと表札を見つめていると、殺風景な庭の隅っこに、背中を丸めてうごめく真っ赤なチュニックと黒のストレッチパンツの後ろ姿が目に映る。
誰だろう。参加者かな。私に気づくことなく、黙々と庭作業に熱中している。べつに隠れているわけではないが、なんとなく足音を殺して近づく。その背中は、軍手をはめた手で草刈りスコップを握りしめ、懸命に雑草をこずいている。
「あの、お取込み中すいません。つかぬことをお尋ねしますが・・・・・・」
こつんと地面にスコップを落とすと、振り向いた顔にはきらめく両目が花開く様に瞬く。その瞳に反射する私は、さぞかし緊張に満ち満ちていただろう。
「あなたは私の・・・・・・母・・・・・・だったりしますか?」
言葉を体内に取り込むように優しく頷いたその小奇麗なご婦人は、小さく微笑んでこう返した。
「はい。左様です。わたしは、あなたの母です。よろしくね」
奇妙な会話だ。私は出会ってしまったらしい。百日限定の、母とやらに。
お庭作業スタイルに紛れていたものの、私を見つめるそのお顔は恐ろしく整っていて、長い睫毛が彫刻のような美しい横顔を際立たせている。何よりも所作。動き一つ一つが滑らかで美麗。その仕草に息を呑み、思わず見とれてしまう。もし授業参観にこんなお母さんが来たらいい意味でちょっと浮いてしまいそうだ。
「お庭のお手入れですか? 雑草大変ですね。お手伝いを・・・・・・」
そう言いかけると”母”は優しく首を振る。スコップを拾いなおして、顔に寄せた。
「いいの。私が勝手に気になって気になって。奇麗なお庭にしちゃおっかなーって張り切ってるところよ。それより荷物を片付けて、きょうはゆっくりしなさい」
ほらほら、と背中を押す母に急かされるように、玄関のドアノブにそうっと手を掛ける。ああ、ついに。ここから始まるんだ。それにしても、百日間ってどうなんだろう。長いのか、それともあっという間なのか。ドラマで言うならちょうどワンクールか。何度も見返したくなるような、面白いやつだと良いんだろうけど。
垂直に見下ろす太陽からの、優しい熱を淡く背中に浴びながら、そんなどうでもいいことを脳内にぐつぐつと煮込む。何となく勢いで来た。人生にはたまに寄り道が必要っていうか、そんな好奇心を微かに燃やしながら。少しだけドアノブに力を込めると、真新しい空気に触れて、心心地よい眩暈が私を優しく包み込んだ。
”初日”
初めまして。誰が読んでるのか分かんないけど、書くことになっているので、手記とやらを書きます。時刻は午後十一時をまわりました。やや眠いです。他人同士を家族という”形”で呼び合っていきなり暮らすってことに、少なからず不安がなかったわけじゃないけど、ひとまずは安心しました。
もとはボロ屋だったところを今はやりのリノベーションってやつをして、柱や仕切りが少なく開放感のある家。新築ではないんだけど、奇麗でおしゃれ。吹き抜けから光が差し込むお陰で明るいし、私の好きな縁側やバルコニーもあって、これでタダで暮らせるならお得じゃんってテンションが上がりました。
・・・・・・ただ。問題はどこで暮らすのではなく、誰と暮らすことだってことに、すぐに気が付かされるわけで。
お母さんは良い人そうです。気が利いて優しいのはもちろん、いちいち仕草がかわいらしくて。一回キッチンでくしゃみをしたんだけど、くしゅ・・・・・・んっ! って感じで。抑えようと頑張ってるんだけど、ちょっとだけ漏れちゃったみたいな。狙ってやってるんなら小悪魔ですよ、あれ。
もう四十代らしいけど、(実はまだ十代の)私より可愛らしさというか、女子力高そうです。私のスウェットに穴が開いてるの見つけて、すぐに裁縫道具を取り出して可愛い子豚のワッペンを付けてくれました。いやーさすがに可愛すぎるでしょって思ったけど、お母さん満足げにニコニコしててさ。晩御飯に作ってくれたボルシチもお肉が柔らかくて美味しかったし。いろんな人に愛されて生きてきたんだなって感じです。わたしもあんな風に歳をとっていきたいけど、根っこがどろどろに腐ってて手が付けられないので、もう無理そうです。
そうそう。”お父さん”に挨拶に行こうと思って。二階にいるっていうから、階段を上がって父の部屋のドアをノックしようとしたらさ。
鍵、ついてんの。家なのに。しかも明らかに後から無理やりつけた感じ。びっくりして、それでもノックはしたんだけど、返事はなし。外からよろしくお願いしまーすって叫んで、一応挨拶はしたけど。
夕飯の時にやっと部屋から出てきて。私が会釈してもずっとむすっとしてんの。何がそんなに気にくわないのか、誰にも言わないから教えてほしいってよっぽど思ったくらい。食卓で向かい合ったんだけど、分厚い眼鏡の向こう側にどす黒いもやもやした何かが蠢いているような、そんな目つきでさ。美味しいともうんともすんとも言わずに、無言でボルシチを頬張ってんの。母とは真反対。違う生き物。
背は普通なんだけど、背中が曲がってて小さく見える。頭は白髪だらけで髪型にも無頓着そうだし、なんだかなあ。
母が気を遣って色々話しかけたりしてるのが、なんだか痛々しく映ったくらい。結局最後に”寝る”とだけ言葉を放って、二階へと消えて行ったよ。もういいから黙って寝ろやボケ。
あ、そういえば表札の”晶”とやらはまだみたい。高校に通ってて、部活の遠征があるから遅れるらしい。年下かあ。どんな子なんだろうか。名前的に、弟なのか妹なのかすら分からないけど、わくわくする。もう父はいなかったことにして、精一杯この生活を楽しむことにします。では、おやすみなさい。
”三日目”
いきなり一日飛んじゃった。別に毎日は書かなくて・・・・・・いいよね。ダメ?
今日は会社がやすみで。天気もいいから、母の庭作業を手伝いました。昨日までに雑草処理やらの整地作業は終わったみたいで、朝から二人でホームセンターに買い出しに行きました。色々と重たいものも買ったから、男手があればいいなあと思ったけど、父に頼るのはなんとなく嫌でした。
母は慣れた手つきで除草シートを敷いた上に砂利を撒いて、色違いのレンガを敷き詰めてお洒落な小道を造りました。玄関までの華やかなステップが完成して、私たちは満足げに顔を見合わせて笑いました。母ってすごい。こうすることで、雑草対策や防犯対策にもなるらしい。
ついでに余ったレンガを縦に立てて、間をモルタルで埋めて花壇も作ってしまった。こういうセンスと行動力があると、人生が潤うんだろうなあ。残念ながら血は繋がってないけど、そのDNAは分けて欲しかった。
父? 仕事には行ったみたいだけど、私が起きたころにはもう居なくて。相変わらず顔面に仏頂面を敷き詰めて朝飯を食らったらしいけど、母もよく相手にしてられるなあと感心します。
「ちょっとシャイなだけよ。そのうち慣れてくるって」
優しい母は特に意に介していない様子で、庭仕事以外にも掃除、炊事、洗濯などの家事全般、夕飯の買い出しからお風呂の用意までをてきぱきとこなしていました。手伝おうかって言ったら、普段お仕事頑張ってるんだから、きょうは休んでなさいと私をソファーに座らせました。
何だか懐かしい。その背中は、かつての”母”の姿を、私に思い出させていました。そう、壊れる前の。
小さい頃は、キッチンに立ってる母のおしりに顔を埋めるのが大好きだったなあ。いつも邪魔だって怒られたけど。とにかく几帳面でキレイ好きだった母は、台所も洗面所も常に顔が映るくらいにピカピカにしていて、外から帰ってそのまま家に上がろうとすると怒られたっけ。先にお風呂に入ってからじゃないと、部屋に戻ることも許されませんでした。その性格のせいで、よその人がうちの敷居を跨ぐことはなかったなあ。
あの包丁事件以降は、人が変わったように部屋中がごみやモノで溢れかえって。見かねた私が片づけて整理して棄ててきても、またいつの間にやら元に戻ってました。母はバスタブの中に溜めていた几帳面さやきれい好きなところが、栓が抜けて勢いよく全部流れて行ってしまったようでした。
そんなかつて母の姿を、母に重ねながら~~~~~~~、、、、
「だーれだっ」
冷たい手。目元がひんやりしてきもちいい。ってなにこれ。机に向かって手記書いてたらいきなり後ろからって耳元でっておいおいおい。
「さあ。答えよう。三、二、一・・・・・・」
気が動転して金魚の様に口をぱくぱくさせて、空気が抜けていく。あれ、どっかで。そうだ、これは、この人は――。
「あ、あ、あきら!・・・・・・くん?」
私の顔から、すっと手が離れた。慌てて振り返ると、ジャージにほんのり汗の匂いが香る、中性的で端正な顔をした少年が、悪戯っぽく私を見つめていた。
「お、すっぴん。そりゃそうか」
なんだか調子が狂ってしまいそう。”弟”との出会いは、日付が変わるのを秒針がノックしているようなそんな夜更けに、突として訪れた。