第七十一話 天敵
「どうしよウか。講義から始めテあげようか?」
「その必要はないよ。お前は僕たちに蹂躙されるんだ」
さっきから何度も試しているが、何故か“彼”の能力は【融滅】に通じない。これでは試練が与えられないし戦えないじゃないか。突然現れて、なんなんだこいつは……
仕方ないので執行委員会と無へと帰す獣に殺させることにする。“彼”が指を振り、二柱を向かわせた……
「どうした。なんでずっと動かないんだ!執行委員会!」
しかし、【融滅】へと向かったのは無へと帰す獣だけであった。執行委員会は棒立ちしたまま動かない。
痺れを切らした“彼”が背中を叩いて強引に動かそうとするが、執行委員会はビクともしない。流石に何か異常が起こっていることを察した“彼”が【融滅】を睨み付けた。
無へと帰す獣も、【融滅】を警戒するようにしてグルグル回るだけで攻撃を始めない。先程から何かおかしい。
「やっパり講義が必要なんじゃなイか」
クスリ、と小馬鹿にするようにして【融滅】が笑った。青筋を浮かべながら、“彼”は強く拳を握る。不愉快の極みだが今はこの女の言葉……講義に耳を傾けるしかない。
「さて、デはまずそこの人型触手大魔神」
(人型触手大魔神……?)
「そイつは、敵がワタシしかイない時点で負けてイる」
(人型触手大魔神……?)
唐突に飛び出したパワーワードに気を取られている“彼”だが、【融滅】のその言葉である程度理解した。突然英雄たちを死体の波で取り込み隔離したのはそういうことか。今、執行委員会が敵と認識しているのは【融滅】だけだ。
陸堂は執行委員会の粛清対象だが、それを上回る脅威として【融滅】がここにいる。結果として、敵は一人。
「神秘は常時発動している。逆手に取りやがったな」
「ご名答。と言っテも、賭けではあッたがね……」
どんな存在にしろ、“そこにいる”なら弱点はある。執行委員会のソレは、神秘のオンオフを切り替えられないこと。
無論これは、敵が【融滅】である場合のみ。それ以外の場合、どれだけの軍勢で挑もうと一瞬で蹴散らされるということなのだから。【融滅】のみがこの特性を弱点たらしめる。
「いヤあ、すぐ分かルと思ったんだガね」
さあ、段々アがってきた。この局面は、久しく見せていない悪魔としての側面を見せる大チャンスだ。
盛大に口角を吊り上げ、今出せる全力の煽りを出し切る。
「“死体を殺すたメの最強”なんてないンだよ低知能!散々お高くとまっトいてそんなんモ分からないカァ!?」
ないものには、なれない。当然の法則。
それを逆手に取れる者は……世界で唯一【融滅】のみ。既に死んでいながら意思を持ち、対特攻保有概念生命体に敵意を向ける者など【融滅】以外に誰がいるだろうか。
決して有り得ぬ最強にならなければならないという矛盾を背負わされた執行委員会は、“ただそこにあるだけ”の木偶の坊と化した。一柱、【融滅】によって無力化される。
「事前に英雄たちヲ執行委員会の知覚範囲内かラ隔離しておいテ大正解だった。そうしナけりゃ……死んでたカも」
ワタシじゃなくて英雄たちが、だけどね?と嫌味ったらしく言い放つ。“彼”の中の何かが音を立てて切れるのが見ているだけでもわかった……もしかしてこいつ、面白いな?
(ダメダメ、今は趣味を優先する状況じゃない)
流石の【融滅】も、自身の選択一つでこの先が決まるこの状況で趣味嗜好を優先するほど愚かではない。気を取り直して、二柱目を無力化するための準備を始める。
「ん、ん?いヤ違うか。もう二柱無力化出来テるか」
額から血が噴き出るのではないか、というほど強く“彼”の血管が痙攣している。一々反応が面白いな……
対生命特攻保有概念生命体である“彼”の能力は厳密に言えば神秘でも異能でもなく、保有概念と強く結び付いている。要するに生者ではない【融滅】には何も出来ないのだ。
「あっはッはごめん、気付かなカったや」
ごめんね〜と今度は清々しく笑いながら手を振る。限界を迎えた“彼”がその場で暴れ始めた……三歳児かこいつは。
【融滅】が振っていない方の手には、Evil angelから取り出した醜く蠢く心臓のような何かが握られている。怪しげな紫色をしたソレを、無へと帰す獣は異常に警戒している。
「じゃ、三柱目を無力化するとしよう。ね、ワンちゃん?」
こいつだけは、少し注意しておく必要がある。意識的に表情を引き締めて声のトーンを下げる……ただの獣にそんなことをしたところで、意味なんてないのかもしれないが。
(大丈夫だ、無へと帰す獣は。いくらこの女と言えどこいつは攻略出来ない。ジワジワと嬲り殺されろ……!)
心臓のような何かを突き出す。それだけで無へと帰す獣は震え上がり、【融滅】から大きく飛び退いて距離を取った。
「怖いかァ?んん?表層の理に取リ込まれるノが怖いか?」
悪魔の心臓、と言う。触れた物体を吸収し能力をコピーする特性を持ち、この世界においては触れたものの異能や神秘を我がものとする機能を獲得していた。
無へと帰す獣は、他の二柱と比べて圧倒的に耐久性が高くおぞましい程に高い生存能力を保有している。
「ほら食エよ。お前も表側に来タんだろうが!」
無へと帰す獣の特性は悪魔の心臓に近い。人間が積み上げた文明を吸収し、この世から消却する異能を保有する。所有概念は【全て人類文明は獣の腹の内である】。これがある限り人類は決してこの獣に打ち勝つことは出来ない。
端的に言えば、人類が獲得した文明は無へと帰す獣に対して何一つ有効打足り得ない。全て、無効化される。
「そんなラこっちのルールに従エよワンちゃぁぁん!?」
そしてそれと同時に、無へと帰す獣は不死である。厳密には無へと帰す獣そのものが文明崩壊の象徴であるが故に、この世から文明が消え去らぬ限りそこに有り続ける宿命を背負っているのだ。完全なる、世界の裏側のルール。
しかし、それを無効化する方法が一つだけある。それはこの世界由来の“文明の心臓”を取り込ませ、それを破壊すること。それだけで無へと帰す獣は不死性を失い果てる。
突き出された【融滅】の手から獣が逃げる。決して触れてはならぬ禁忌だと、理解しているのだろう。
「コレは一種の文明だぜ?お前の大好物じゃナいのか!?」
この世界で作り上げた悪魔の心臓は、純度100%この世界由来のもの。そしてこれは……明確な心臓である。
鼓動を刻み、肉体を活動させ、生命を確立させる。事実これを用いてEvil angelは動いていた。
当然代わりのものは仕込んである。これ以上異能や神秘を吸収することのない模造品ではあるが、既に一億を越える量を取り込んでいる……これ以上必要となることはない。
吸収し、進化する。それはまさに文明。無へと帰す獣に埋め込むのにこれ以上最適な心臓は存在し得ない。
「食え、食え食エ食え食え!逃げるんじゃナいよ犬っコロォ!」
Evil angelの背に乗り、逃げる獣を追いかける。執行委員会と“彼”が何らかの邪魔をしてくるかと思ったが……何もしてこない。出来ない、という方が正しいか?
全力を出したEvil angelは獣の逃亡よりも圧倒的に速い。狂気的な声を上げる【融滅】と共に数秒もしない内に追いつかれ……無理やり、その背中をこじ開けられた。
「少しでも文明取り込んデりゃ抵抗出来たンだろうなあ。だガ今の無垢なるお前は……少し身体能力の高イ犬畜生だ」
そしてその穴に、容赦なく悪魔の心臓が埋め込まれた。獣は足掻きを止め、創造から今まで経験したことのない生命の躍動に困惑していた。全身が震え、内臓器官が生成される。一つの生命として降り立とうとしている。
三人目の英雄戦争が始まるより前、“彼”が埋め込んだ無へと帰す獣の心臓。アレは悪魔の心臓よりも弱かった。ただただ獣を世界の表側に繋ぎ止めるための鎖と、文明の象徴とも言える心臓では訳が違う。この獣は、もう殺せる。
「……さて、お前たち三人。蹂躙準備は整ったが?」
全滅、とすら言えよう。執行委員会は【融滅】が英雄たちを解放しない限り何も出来ない。“彼”は死体である彼女に対してあまりにも無力であり……不死性を失い、力となる文明を何一つ食っていない獣はいとも容易くEvil angelに圧殺されるだろう。こんなことが、有り得て良いのか。
ただ一つの死体に、対特攻保有概念生命体が……!
「ワタシはお前たちヲ逃がすつもりはなイけれど、どうするつモりだい?逃げてみル?すぐに追いついテ殺すけど」
「舐める、なよ……たかが、死体如きが!」
強がるが、手詰まりに違いはない。無へと帰す獣が必死に逃げてくれたお陰で“彼”と【融滅】の距離は大きく離れているが、Evil angelがある限りこの程度は誤差だ。
誤算、誤算誤算誤算誤算誤算。世界の裏から覗き続けて、こんな存在いなかった。どうやって隠れていた……
(お前か!創増殖皇ぉぉぉおおおお!!!!!)
それしかない。対特攻保有概念生命体を認識していたのは彼女だけ。ならば、隠せるのも彼女しかいない!
腹が立つ、嗚呼腹が立つ!変なところだけ優秀で、試練そのものに抵抗するか!許せない、許せない……!決定だ、試練関係なく創増殖皇は……富士峰胎矢はブチ殺す!
(すぐ殺したいけど……なんか、ありそうだな。この小物がこの状況で何もしてこないなんて。いくら何も出来ないとはいえ、小物らしく足掻くはずだ……ここは)
煽りながらも依然警戒体制を解いていない【融滅】が、決して執行委員会に認識されないよう陸堂とサンクチュアリを遠く離れた場所で解放する。対特攻保有概念生命体による粛清はただの殺害ではなく、消滅……アレに殺されてしまえば三人目の英雄戦争に勝者はいなくなってしまう。
執行委員会たちはこのまま【融滅】が監視して、英雄たちには決着を付けてもらう。こいつらはその後に殺そう。間違いなく、それが今できる最善手のはずだ。
「さーて、どうなるかな……」
灰の楽園に、真なる決着が刻まれようとしていた。
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