第七十話 後付けの異能
「へえ、君、異能持っテないのか。意外ノ極みだ」
「……見てわかると思うが急いでるんだ。あとなんでここに残ってる。魔族は全員避難させたと聞いているが」
時は少し遡り、魔族街中央部。腰に提げた二振りの刀を揺らしながら走るカーニエとほんの僅かに表出させたEvil angelに乗る【融滅】は轟音を出しながら並走していた。
「ハハ、私がたダの魔族に見える?眼科行ク?」
「冗談だよ……お前は、“なんでもなさそうだ”」
カーニエは戦闘能力だけでも秀でているが、それ以上に勘の良さがズバ抜けている。短時間並走するだけで【融滅】が生命ではないことに気付いた。思わず感嘆する。
なんの身体的交流もなく気付けたのは彼が初めてだ。どこが根拠なのだろうか……非常に興味深い。
「ま、いイや。本題……君、このまマじゃ即死するよ」
「ってーと?なんか含みがある言い方だな」
ニマニマ笑いながらではあるが雰囲気を引き締めた【融滅】が、どこから取り出したのか小瓶を揺らしながらカーニエにそう言った。この忠告は彼女なりの優しさだ。
「この先に異能や神秘ヲ持たない者はいない。そもそも英雄が三人イるだけで異常だ……何も持タない君が行ったところデ、出来ることは何もなイと思うんだけドなあ」
「……ナラーシァみてえなこと言うな、お前」
カーニエは、ナラーシァが執行委員会の気配を察知して灰の楽園に向かい始めた時に言った。俺も着いていく、連れて行け、と……だが、ナラーシァはそれを断固拒否した。
単純に弱いのだ。最低ラインにすら到達していない……これがきっと英雄神話を持たないアヴィスであっても、彼女は同じことを言っただろう。身体能力と技術だけではどうしようもない世界というものが……あるのだ。
「だから置いていかれたけどよ、俺が勝手に着いていく性格ってのを知らねえアイツじゃねえんだ」
(あれ、惚気かこれ。高度な惚気なのかこれは)
「俺が守るって言ったんだ。死ぬか生きるかなんて関係ねえよ、俺がどうなろうとナラーシァだけは守ってみせる」
惚気だったか、と苦笑しながら嘆息する。【融滅】は誰よりも愛情深く残虐な悪魔……こういう人間を笑いながら蹂躙することを好むが、どうも今はそんな気分じゃない。
恋心、か。良いものだ。誰もが抱き、それ故に苦しみ、そして人生の美しさを知る。恋とは、そんなものだ。
わかったのもここ最近だが……やれやれ、人の感情で一番分かりやすく一番厄介なのが恋心。こうなった人間は、何をしても折れないし諦めない。面倒なことだ、まったく。
(きっと君たちは、笑うだろうか。ルルク、クリス……)
この世界にはいない彼らを想う。こう見えて一児の母で、一人の男に恋をした身。怪物に踏み躙られ、幻想を求めて旅をして、最後には満足して散っていった。
(こんなにも弱いワタシを、必要としたのは君だろうか)
スティス、と呼んだ人がいる。元の世界において一瞬だけだが主従関係を築いた大切な人。とても強くて、楽しくて、明るかった人……そして、この身を好きだと言った人。
心の強さなんてなくて、一つの信念……他者の幸せを蹂躙するという心根を突き通せない弱い自分を赦してくれた。だからこそ貴方は貴方なのだと笑ってくれた。きっと彼女のような人が……今度は、ワタシを求めたのだろう。
もうこの世にはいない。逸脱者として創増殖皇に目を付けられた時、この世界に【融滅】を喚んだ者は死んだ。
会話は、一度だけだった。
『こんにちは。明日の天気は、分かるかな?』
訳の分からない人だった。ふわふわしていて、ここにいないようで……笑った顔が、あまりにも幸せそうで。
『ああ分かるとも。ワタシは君に喚ばれた悪魔だからね』
愛情深い悪魔など、誰が必要とするだろうか。それはきっと彼のような、美しい人なのだろう。今が見えなくて過去を塗りつぶされて、明日を見るしか出来ない人が。
晴れた青空に夢を見た、ただ一つの雲のような君が。
「……異能を顕現さセる薬だ。飲むこトを推奨するヨ」
守りたいと思っている。悪魔であるはずのこの心が、目の前でひた走るこの青年を。まるで、何も知らなかった頃の自分を見ているようで……まだ世界の美しさと醜さを知らなかった自分のようで。何故か、守りたくなる。
結局彼がどんな人だったのかは知らない。ただ、窓の外に訪れる明日を夢見ることしか出来ない人だった。あの人が知らない世界を見せることが……【融滅】の目的だった。
この世界で愛した者がいるのなら……それは彼だけだ。あんなにも弱く脆い彼だけを、【融滅】は愛している。
「この世界にオけるEvil angelの製造過程で抽出されたものデね、人類が飲むと異能を顕現サせることガ出来る」
この青年が何者か知っている。カーニエ・ピラスマ、人類のまとめ役。彼がいなければきっと、これから先、人類が勝ち残った時に幸せな未来が訪れることはない。
故に守らねばならぬ。幸せな未来に辿り着くために。
「君が生き残るこトを祈っている。ワタシと君は確かに初対面ダが……ワタシには君を守ル必要が、あるからね」
そう言って小瓶を手渡し、【融滅】は灰の楽園へ向けて速度を上げて行った。カーニエだけが取り残される。
見るからに怪しい薬だ。それに、異能とは一部の人類が生まれ持つもの。薬やなんやで後付けできるものではない……それは人類のあらゆる学者が研究し解明されている。
飲むはずがないだろう、こんなもの……
(でもなあ、なんか……違うっていうか……)
しかし、カーニエの勘が告げている。【融滅】の言っていることは嘘ではないと。この小瓶が異能を顕現させると。
こういう勘が外れたことはない。かつて商人にとてつもなく怪しい壺を買わされそうになった時も、勘に任せて購入したら謎に金運が上がった。彼の勘は裏切らない。
立ち止まり、覚悟を決めて小瓶の蓋を開ける。意外にもそれは無臭で、想像していた臭みなどは一切なかった。
「飲む、か……いやしかし……ええいままよ!」
少し躊躇った後、一気に飲み干す。無色透明の薬はカーニエの喉を通過して胃袋へ、そして内臓から体内へと溶けていく。異能を司る器官に強制的に介入している……
不思議な感覚だった。体の中を何かが這い回る気持ち悪い感覚と、未だ嘗て経験したことのない充足感に襲われた。
「なんじゃこりゃ……こんなので本当に異能が……?」
手足を動かしてみるが、何も変化はない。それっぽく手を突き出しても何もない……本当に異能が手に入ったのか?
いや、今はそんなことどうだっていい。とにかく急いで灰の楽園に向かわなくてはならない。とんでもない敵が現れたのは分かる……ナラーシァでも苦戦は必至。
少しでも手が必要なはず。また足に力を込めて、駆け
「おっ、ぐぇ、ぐぶ……か、あああ……」
その時、カーニエの全身を針のような不快感と嫌悪感が貫いた。本能的なもの……魂が、明確に拒絶している。
この感覚は、なんだ。急激な吐き気と全身の痙攣は先程の四皇たちと同じ症状……まさか、人類にもアレが及び始めたのか?有り得ないほどに、全身の筋肉が動かない。
「ナラ、シァ……クソ、動かねえ……」
異能を手にしたのは確かだ。まだ気付いていないだけ。しかし、灰の楽園へ迫る新たな脅威を前にして人類としてのカーニエが限界を迎えた。意識が引き剥がされていく。
手を伸ばす。掴んだのは、無機質な石畳だった。
――――――
「望み通り、呼んでやるさ。計画は台無しだけどね……」
「うんウんそれが正解。ワかってるね君ィ」
悪魔としての本領を十二分に発揮し、【融滅】が“彼”を煽り散らかす。傍に控えている執行委員会は英雄たちを拘束したまま動かず、Evil angelの体内で延命処置を受けている陸堂のいる場所を見つめている。分かるのだろうか。
睨み合いながら英雄たちを死体の群れで包み込む。無論執行委員会も無抵抗という訳ではないはずだが……残念ながら物量じゃこちらが上なことに加えて、何故か執行委員会は微塵も動かなかった。ゴリ押しで奪わせてもらう。
あの時は創増殖皇に疑われないよう孤児たちを殺した……ように見せかけたこの死体の波だが、本来の用途は急襲と移動だ。当然孤児たちは無事に保護してある。アレはあくまでサンクチュアリを煽るために用意したものだ。
サンクチュアリ戦のあと【融滅】は一人で戦力を蓄え続けていた。地の底に眠る無数の死体を掻き集め、忘れ去られた墓地も荒らした。Evil angelの強化に必要だった。
「むちゃくちゃだな……お前、本当になんなんだ」
「死体だよ、死体。少し不思議な理論で動ケてる、ただの死体。そシて……君たちの天敵でもある」
ち、と“彼”が舌打ちする。対生命特攻保有概念生命体である“彼”の能力は、この世界で唯一【融滅】にのみ機能することがない。言葉通り、天敵だ。
そしてこの世界から生まれ落ちていない【融滅】は魔族でも人類でもない。つまり……特攻が機能しない。
「君たちの……特に執行委員会と無へと帰す獣が保有する特攻は非常に優秀だ。恐らく視界に入れるだけで殺せるんだろう?接近だけでコレなんだ、とんでもないねえ」
今、無へと帰す獣が灰の楽園へ向かっている。近付くに連れて、英雄たちも一人また一人と意識を手放した。
まだ意識を保っているのは……サンクチュアリと陸堂のみだった。種族そのものを考えるよりも先に、召喚された“事象”に過ぎない彼らに特攻は働かない。
だが、無意味。どうせ動ける体ではないのだから。
「お前は僕たちで殺す。試練の邪魔をするな」
「分かっテないなあ君。イいかい?見ておクといい」
違和感。執行委員会は……何故、微動だにしない。ほんの僅かな揺らぎさえ、発生していないのはどういうことだ。
無へと帰す獣が灰の楽園へ到達した。四足と牙の生えた口に尻尾……“獣”という概念を構成するのに最低限必要な要素のみで完成された、対人類特攻保有概念生命体。
「君たチは、ワタシ一人の手でフルボッコにさレるんだ」
【融滅】が大袈裟に手を広げた。演者のように。
人智を超越した存在と、理を踏み躙った存在が対峙している。三人目の英雄戦争は勝者を定めることなく、英雄ならざる者たちの手によって結末を迎えつつある……
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