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降り積もる灰の理想郷  作者: 螺鈿
第三章 燃える世界に十字架を
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第六十四話 第二の戦場

 (限界が来たら本性に気付く……実に、人間らしい)


 だが、それでいい。陸堂儚華はそれでこそ彼女足り得る。


 不変の最強であった彼女は、限界を越えた経験がない。千崎や渦巻は未来において幾度となくソレを経験し、英雄として召喚されてからはその状態が基本であったが……


 今ようやく、花開く。神秘の貯蔵庫、体力、そこに生命力と運命力まで加わる。定命の英雄のみに許される秘奥。


 (この戦争が終わって、五分生きていればそれでいい)


 サンクチュアリに勝利し、五分間生存する。ただそれだけで世界の鏖殺は完遂出来る。超高火力の【流れ星】を連発するだけで、この不完全な世界は跡形もなくなる。


 故に、勝利を。まずはこの黒衣の英雄を打ち倒す。


「容赦はしねェ……全力全霊全開放でブチ殺すゥ……」


 確かに、十三番機から光が照射されることはなくなっていた。しかし、代わりに爆弾が飛んでくる。矢が射られる。溶解液が噴射され、レーザーが大地を裂いている。


 正攻法なのだろう。理不尽ではなく必然で死ぬのならば、それは正攻法だ。サンクチュアリはそう考える。


「英雄、人類の英雄。私から提案があります」


 汗ひとつ掻いていない頬が優しく歪む。慣れない、純粋な笑みを浮かべようとしているのだ。どこかぎこちないが、確かな成長を感じる。千崎が見ればきっと笑っただろう。


「死力を尽くしませんか。後も先も考えない、死力を」


「……あァ?俺は出せるモン全部出してるぞォ……」


 英雄神話さえ、もう使った。動きを再開した【ロンギヌスの丘】は、こんな会話の最中でさえ攻撃を続けている。


 違う。知っているはずだ。強者ならば。


「我々強者は……特に、比類なき英雄は。あまりに強すぎる力に無意識下でストッパーをかける……でしょう?」


「まあ……そうだなァ。なんだ、外せってかァ?」


 英雄とは即ち強者。ごく一部の例外を除き、敵を滅する強さを持たない英雄は存在し得ない。無論サンクチュアリはその例外ではなく、実に五割の力を制限している。


 解放すれば、確かに互角以上に戦えるだろう。陸堂が同じように解放しない、という前提付きではあるのだが。


「悪いな、それは出来ねェ……もう使わねえって決めたァ」


 その生涯において、彼がその制限を解除したのは一度だけだ。神罰執行室を壊滅させるための、あの丘での戦い……


 悲劇。惨劇。殺戮劇。恐るべき悪魔の祭典。聖職者云々ではなく……人として、踏み外してはならぬ道を外した。最早戦いとすら言えないのだろう、一方的な蹂躙だった。


 全力のサンクチュアリには誰も勝てぬ。人を、外した者。


「……癪に障りますか?私のような小娘に促されて」


「何だと?お前ェ、何言って……」


 虚偽だ。また、慣れないことをしようとしている……


 何故全力を出させようとするのか。理解は及ばぬ。だが、僅かに分かる……それはきっと、飢え、渇望。


 並ぶ者なき強者だった。誰も追随しなかった。互いに信念を持って、守るべきものがあって、その上で命を賭して戦い抜いた。満たされることは、果たしてあっただろうか……


 否、否、否だ。ただ一度も、この胸の渇きは収まらぬ。


「ええ、ええ、分かりますとも。たかだか齢十六の小娘にこう促され、はいそうですかとあなたはならない」


 お行儀よく膝の上に乗せた手が震えている。口角は自然と吊り上がり、喉の奥から隠しきれない恐怖と期待に後押しされた笑い声が漏れている。獰猛な、狩人の目をしている。


 知っているとも。その非業は、不満は……


「ですがこの陸堂儚華、恐れ多くも最強の小娘」


「ほう……もう外してやがんのか、お前ェ……」


 ようやく出会えたのだ。陸堂にとっては、自身を救い出してくれた救世主。戦闘力でも比肩する強者。こうまで満たされることは、有り得ないとすら認識出来る奇跡。


 元より召喚などという特例儀式で顕現した命。こんな好機は後にも先にも訪れぬ。ならば、この空のうつわは。


 満ちて満ちて、零れるほどに満たされねばならない。


「使命も、立場も理解しております。私は世界を鏖殺する者であり、あなたはそれを止める者。人類を救う者」


「……ああ、そうかよォ……へへ、そうかァ……」


「しかし同時に、飢えている。否とは言えないでしょう?」


 獣ならば、涎を垂らして舌を出していた。この身が人間で良かったとつくづく思う。知性と理性は人の特権だ。


 サンクチュアリ・サンクチュアリ。最後に己を優先した冒涜の聖職者。生まれついての大英雄であり、誰一人として追いつけなかった孤高の強者。故に……否定は不可能。


 飢えている。使命、責任、期待、信仰。それら全てをかなぐり捨てた時に残るのは……この抗えぬ渇き。一度でいい、向こう側に到達したい。戦場の死を、この命に刻みたい。


「敢えて言いましょう。この陸堂、人生に背負ったモノに関しては齢千だろうと万だろうと億だろうと劣りはしない」


「こりゃまた、面白ェ奴が英雄になったなァ……」


 真に始まる。三人目の英雄戦争。史上最悪の戦争。救済の分岐点であり、“世界を変える”戦争でもある。


「見せてください。私に並ぶ、圧倒的な……力を」


「は……ァァァアハハハハハハ!!!はぁ……いいぜ」


 ガチャリ、と十字架を向ける。煌めき。


 嗤う。


「聖戦だ。これは今より、聖戦となる……!」


 嗤う。


 ――――――


「おっと。これはいかんな。おい魔族の、動け」


「言われずとも。逃げにゃやべえやコレ」


 ナラーシァが四帝、【太陽暦】が四皇を抱きかかえて走り出す。灰の楽園の反対方向、魔族街へ。未だ高笑いを続けている英雄たちからひたすらに逃げるようにして。


 理由を問いただそうとした創増殖皇が口を噤む。凄まじい速度……風圧だ。下手に口を開くと舌がちぎれる。


「お前たち、守るつもりではいるが……一応」


 一瞬カーニエを見て不安げな表情をしたナラーシァが、重々しく口を開いた。四帝たちがギリギリ呼吸出来る程度の速度を保ちながら走っていては間に合わぬと悟った。


「死ぬ覚悟をしておけ。アレは、洒落にならん」


 ナラーシァが後方を振り返る。英雄たちは未だに高笑いを続けているのみだが……その周囲が変貌している。


 大地は内側に秘めた力を抑えきれなくなったかのようにして爆ぜ、落雷が鼓膜を破らんばかり降り注ぐ。十三番機は異常なまでの光を放ち、少しづつ降下を始めている。


 ナラーシァほどの強者でも、ストッパーはかからぬ。全力の解放を、肉体が抑制することなど有り得ない。


 格が違いすぎる。聖域も、星雲も。生物的に“違う”。


「何が起こっているのかよくわからんが……妾や魔族のであってもお前たちを守りながらの逃亡が不可能だということだけは理解しておけよ。正直……恐ろしい」


「ああ、そうだ。“怖い”。近付きたくはないな、決して」


 今まで本気を出したことはなかった。否、世界の抑止力のせいで出せなかった。それは理解しているが……


 だとしても、だ。感覚的な理解さえ難しいストッパーという概念……それを外しただけでよもやここまでとは。天地雷鳴すら意のままとする巨大な力……及ぶ気が、しない。


「……ん?おい魔族の、すまんが足止め頼むぞ」


「任せろ。お前の方が足は速そうだ」


 くいくいと手を振ったナラーシァに四皇を投げ渡す。朱槍を用いて八人の成人を抱えても尚、彼女の走りに翳りは見えない。ひたすらに三人目の英雄たちから遠ざかる。


 対して【太陽暦】は反転し灰の楽園へと向かった。走りながら大鎌を振るう……ナニカが、両断された。


 (んだこれは……人類の英雄か。度が過ぎるぞ……)


 流れゆく景色を掻い潜って十三番機を観測する。下方に開いた穴からは大量の……蟲と人を混ぜたかのような生命体が放出されていた。魔族街へ向かっている。


 誰も知らぬ。聖骸・偽造心臓、という。健康且つ潤いのある肉体を求めて殺戮を繰り返す偽りの生命体。


「おいおい……まさか俺が守りきらなきゃならんのか?」


 やっぱり任せれば良かったな、とぼやきながら【太陽暦】が異能の勢いを強めていく。肺が痛い。眼球が熱い。全身を躍動させる筋肉がギシギシと音を立てて断裂する。


 まあ、確かに……最近は異能を発動する機会が多すぎて慣れている。広域戦闘は寧ろ得手なのかもしれない。


「めんどくせぇなあ……恨むぞえーと……色々」


 足元から橙色の光が巻き上がる。恒星の輝きのようなそれはいずれ【太陽暦】の全身を包み込み……やがて、灰の楽園と魔族街、既に侵攻された部分の境界線を呑み込んだ。断絶される。範囲内の魔族全て、永遠恒星には含まない。


 英雄を呑み込むとまず間違いなく殺される。この区別はかなりギリギリだったが……何とか上手くいった。


「さーて、殺すか……現代の英雄の底力、見せてやる」


 大鎌の先端に鎖を括り付け、自身の周囲で回転させる。この空間、永遠恒星の範囲内に尋常の生命は【太陽暦】だけである……故に、聖骸の怪物たちは彼に群がる他ない。


 勝手に近寄ってくるなら、こうして大鎌を振り回しているだけで殲滅出来る。まあ……そう上手くいかないだろうことは容易に考えられるからこそ覚悟を決めているのだが。


「ほら見ろ、ほーら見ろ。変なの出てきやがったよ」


 冷たい血液が降り注ぐ空間で、【太陽暦】はうんざりした顔で笑った。両手で鎌を掴み、腰を落として構える。


 十三番機から飛翔して出てくるのではなく、産み落とされるようにして“落ちて”きた巨大な聖骸の怪物。数十本の腕の先端が触手のように蠢き、体躯は数kmあるだろう。


「人類の英雄とアレを切り離したらこれ以上はないだろうと思ってたがなあ……全然そんなこたぁなかったな」


 サンクチュアリ以外の誰も知らぬことである。ライアの聖遺物・十三番機は彼の精神・神経と接続されることで始めて全機能が解放される。それは、逆に言えば……


 接続さえ完了すれば後は何もする必要がないのだ。


「一度溢れ出した怪物は止まらんか。怖いなあもう」


 サンクチュアリ自身も必要とはしていない。元より聖骸・偽造心臓は彼にとっては不要な機能であったのだ。


 放出されれば無差別に生命体を害する機能など、殺しを良しとしない彼にとって忌むべきもの。何故それが今発動されたのか……それは、かつてない感情の昂りに依るもの。


「大物退治は久々だな。英雄もケツぐらい自分で拭いてくれんと困るなあ……ちゃんと報酬出るんだろうなコレ」


 対峙する。偽りの生命、真なる虚ろ。あらゆる命を害する災厄。聖骸の名を冠する、冒涜の権化……


 ここに、英雄戦争の余波が広がる。第二の戦場。


「完全に破壊する。お前に、誰も殺させはしない」

ご拝読いただきありがとうございました。

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