第六十一話 愛、故の試練
「うぅ〜わ〜都市部は本当に凄いなあ〜」
人で賑わう夜の魔族街を練り歩く“彼”の周囲からは、自然と人が離れていった。嫌悪感がある訳ではない、特別な感情を抱いている訳でも無い、ただ近くにいたくない。
飲食店内で出くわしてしまったら、まあ別にいいか、というぐらいの微弱な拒絶感。本能がもたらす行動、思考であることを理解出来る者はそこにはいなかったが……一切の違和感さえ覚えないというのは些か不可思議な現象だろう。
「どうしよっかな〜全部いいなぁ〜」
動く人間、色付く景色。視界に入る何かが動いているというのはそれだけで新鮮で美しい……吐き気がするほどに。
迷う。書店でも服屋でも……映画館でも構わない。通貨なんてものは世界の裏側で本物そっくりの偽物を腐るほど作ってきた。この機会に魔族の文明を沢山味わっておかなくてはならない。この愛すべき子供たちの玩具を。
「本当に何にしようかなぁ〜あ、そうだ!」
丁度喉が渇いた気がしたんだった。この体は渇きや飢えという感覚を消失しているが、真似事ぐらいしてもいいはずだろう。今の自分は、魔族のカモフラージュをしているのだから。どこからどう見ても完璧な魔族……の、はず。
チリンチリンと鐘を鳴らし、店内に入る。落ち着いた内装に雰囲気、漂う焙煎豆の香り……実に“彼”好み。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「う〜ん……じゃ、この店で一番美味しいアイスティーをお願い出来るかな!ミルクたっぷりでいいよ!」
店員が注文を取りに来る。魔族で流行中のカフェだ。大体は友人と一緒に可愛らしいデザインのスイーツを注文するのが定番だが、この時間帯は一人客で賑わっていた。
昼は若い魔族が多すぎて気後れしてしまうのだ。三十代四十代の中年が今の流行りを掴むためにやってくる。
「お客様、当店のアイスティーは一種類しかございませんが一番美味しいアイスティーとは……?」
「あ、そうなの?じゃあ……一番美味しいホットティーを」
「ホットティーも一種類しかございませんが……」
「えー?じゃ〜……なんでもいいや、一番美味しいの!」
静かだった店内に、“彼”の異様にでかい声が響き渡る。何故か不快にはならないが、雰囲気はブチ壊しだ。店員も訳の分からないオーダーに戸惑いながらキッチンへ下がった。
ルンルン気分で足をブラブラさせながら待つ“彼”の向かい側の席にくたびれたスーツを着た中年が座った。よろしいかな?という問いにはニコニコで全然OK!と答えた。
「若いね、仕事は何かな?時間に囚われない仕事?」
「ん〜まあそんな感じ。そっちは?無難に会社員かな?」
「ああ、娘が難しい時期でね。ここで時間を潰してる」
難しい時期、というのがよくわからないが大変だね〜とだだけ言って流した。魔族の生活様式はそこまで見ていなかったことを思い出す。帰った時に見るようにしよう。
どうやら“彼”の外見が独り立ちした息子に似ていたから話しかけてきたようだった。息子は芸術家……画家を目指していたのだが、その界隈は収入が不安定だし成功しなければ苦しい生活が待っているだけ。それを理解していたから一方的に否定してしまい……半ば家出にも近かったらしい。
「二人目なのに……ダメだね、子育ては難しいよ」
「ふ〜ん、まあ子供は難しいよね。わかるよ」
見守ってきた。“彼”にとって全ての人類と魔族は子供なのだ。発展してきた文明と、繰り返される戦争を見る度に何がしたいのかと疑問に思わない日はなかった。
それも含めて全てが愛おしいのだが、理解は難しい。特に難しいのが英雄戦争だ。三千年の滅びが観測可能域に到達した瞬間焦り出してこうまで抗う。まだ時間はあるのだから、限られた安寧の時間を楽しめばいいものを……
「生誕と死滅以外の選択肢が存在しない生命なのに積極的に奪い合い、感情なんて不完全なものに振り回されて結局はほとんどが自滅する。子供の理解は本当に難しいよ」
「はは、随分詩的な表現だな……小説家だったりするのかな君は。息子も文学は好きだったよ、文字が好きだったのかもしれないな。他人の世界を覗くのは気分がいい」
その気持ちは理解出来る。世界の裏側からずっと見ている中で、理解不能なことは多々あれど楽しまない日はなかったと断言しよう。全て愉快で、いい気分になれた。
愛おしい子供たちが勝手に作っていく世界を誰にも知られず覗き見ることの優越感は……確かにあったのだろう。
「小説繋がりで聞いときたいんだけどさ」
クリームがふんだんに盛られたスイーツと湯気が漂うコーヒーが運ばれてきた。礼を言って受け取り、一口啜る。
「苦っ……苦いじゃないかこれ〜……むう……」
まあ、確認しなかった自分にも非はあるか。
少々甘味が強すぎるスイーツと一緒に飲むと丁度良かったので、男を待たせながらペロリと平らげた。表側に来て初めての食事としては十分合格点、賞賛に値する。
「ごめんごめん待たせたね、それで聞きたいんだけど」
「なんでも聞いて。小説にする時は名前を載せてくれよ」
にっ、と気持ちよく笑う男に釣られて“彼”も笑った。
「人類のこと、どう思ってる?」
カフェ全体が凍りつくような感覚がした。基本的に誰も喋っていない店内では、この二人の声がよく通る。
感覚として“彼”が魔族であると誤認している。小説家であるということも聞いていたから、題材に関わるのだろうことも分かっているが……その名前だけで嫌悪感がある。
「……はっきり言うけどね、この機会に滅ぶべきだと思っているよ。そうだろう?神秘はなくて、犠牲を顧みずに文明の発展だけに尽くして無駄に数の多い劣等種……」
「ふーん、つまり君はさ、こう言いたいワケだ」
男が言い切るのも待たずに、“彼”が口を挟んだ。
口調に変化はない。声色にも変化はない。ただ、得体の知れない寒気が魔族たちの背筋を震わせたのは確かだった。
「人類は大嫌い!英雄戦争で負けて滅んじゃえー!ってさ」
「そうさ。俺だけじゃない、きっと誰だってそう」
ぐぱり、と音がした。男が左右に裂ける音だった。
正中線に沿ってこの世で一番切れ味のいいナイフで斬られたように。時間が止まったかと思うほどに静止したカフェで音楽だけは止まらない。ピアノの独奏が始まった。
「う……」
誰が発したか分からない、明確な怯えの感情を孕んだ声。
左右に裂けた男の体はべちゃりと、ゴミのように床に落ちた。あまりにも美しく断裂した内臓からはグロテスクとは正反対に、何処か神々しさすら覚えるほど綺麗に血液が溢れていた。死体は今も痙攣を続けている。
「愛し合うべきだよ。魔族も人類も。僕はそう思うな」
「うわああああああああああ!!!!!」
全員が駆け出す。窓から、扉から、キッチンの店員は裏口から逃げ出そうとした。“彼”の視線から逃げようとした。
「あれ、おかしいな。僕は君たちに聞こえる声で愛し合うべきだって言って、人類嫌いな彼を殺したんだから……」
殺す条件も殺された原因も判明している。その上で逃げるってことは自分も殺されるって思っているということで……それはつまり自分たちも条件を満たしていると行動で示していることと同義ではなかろうか。いや、絶対そうだ。
正直者で良い子供たちだ。誰もが愛し合うべきだという当たり前のことを守れない代わりにこんなにも正直者として生きているのだから。親として、応える義務がある!
「OKわかったよ皆。素敵な試練を与えよう」
進化には、前進には試練が必要だ。喜んで与えよう。
カフェの中にいた魔族の総数は34人だった。もう夜も遅い、客も店員も少なかった。少人数に試練を与えるのは不公平かもしれないけれど……仕方ないこと。
さあ、試練の時間だ。
ある者は、焼死。ある者は、爆死。ある者は、窒息死。ある者は、失血死。ある者は、ショック死。ある者は、溺死。ある者は、凍死。ある者は、圧死。ある者は、ある者は、ある者は、ある者は、ある者は、ある者は。
全員死ぬ。夢のように死んでいく。だが、ただ死ぬだけでは決してない。彼らは試練に挑み、散っていくのだ。
「ああ……まただ。けれど仕方ないよね」
誰一人、乗り越えられる者など存在しない。
「君たちは試練に負けたんだ」
そのことに、彼は未だ気付いていない。
愛、故の試練。それがただの虐殺であることを。
「魔族軍だ!通報を受けてきた……なんだ、これは」
「君たちにも聞いておこうか。試練が必要かもしれない」
駆けつけた完全武装の魔族軍に対して、“彼”は最上の笑みを浮かべた。これ以上なく期待している。
新たな試練が降り注ぐ。
「人類のこと、どう思ってる?」
――――――
「入城〜……なんだと?誰が気付いたんだこれ、魔族側のリーターか!?凄いなあ、もう辿り着いたんだ」
カフェで試練を与えた後、“彼”は灰の楽園へと足を向けていた。昼間に陸堂と【太陽暦】の戦闘が繰り広げられた場所から少し離れた保護区域、千崎の遺した城へと。
良い戦いだったのは戦場跡を見るだけでわかる。【太陽暦】も初めから勝てるとは思っていなかった、ただ灰の下にある大地に刻み付けた傷は自分がどれだけ抗えたかを示すためのもの。これだけ近付いたと誇るためのもの。
良い子供だ。英雄レベルの傑作だと断言出来るだろう。
閑話休題。
千崎が遺した城の中には、召喚される英雄たちの役割に関する情報が刻み込まれていた。かなり精密で、まだ知り得る機会はどこにもないはずのものだ……有り得ない。
幸いなことに、まだ魔族の調査は及んでいない。三人目の英雄戦争が終わったあとに本腰を入れて中の調査を進めるつもりで、今は外部調査に徹しているのだったか。良かった、まだこの情報は現代の人間が触れるべきではない。
「最後の英雄戦争が終わった後でいいんだよっと」
彼の瞳が僅かに輝く。同時に城は虚空へと掻き消えた。
英雄の神秘だ。さしもの“彼”も権限フル無視で消滅させることは出来ない。現代の人間が触れるべき時が来るまで干渉出来ない場所へと放逐した。対処はこれでいい。
「対生命特攻、範囲が広すぎて弱いんだよね。っていうかだよ世界!僕まだ納得してないんだけど!」
事実を事実として受け止めることは容易なのだ。
ただ、文句を言わずにはいられない。
「僕が対生命特攻保有概念生命体!?そんな訳ないだろう僕は人間を愛してる!なんで特攻なんか持ってるんだ!」
世界の裏側において原初を刻む、全ての根源。あまねく生命の父であり、同時に特攻を保有する異形。
全生命の父である彼は、何故己が生命の天敵と認識されているのか理解していない。おぞましき悪魔である。
ご拝読いただきありがとうございました。
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