第六話 英雄の愉悦
ドパパン!と風弾を五発、発射。迂回して接近。
背負った二本の短刀を両の手に握り締めると同時、風弾がナラーシァに着弾。やはりダメージは通らない。
敢えての近接。槍は中距離武器だ。
首を削ぎ落とすための横薙ぎ、背後からの奇襲であったがナラーシァは首を傾げることで回避した。
「ん、ん?遅いなぁ。風が上手く扱えていない」
横薙ぎの一閃の勢いを殺さずに側転、倒立の姿勢を取る。足首の腱を狙うが、朱槍が短刀を弾いた。
即座に後退、姿を隠す。ナラーシァは曲芸じみた動きで槍を回転させ続けて接近を拒み、同時に攻撃としている。鼻歌混じりでそうする彼女は、まるで舞っているかのよう。
「【双魚】の聖遺物は……使えんよなあ。アレは死を前提とした切り札……くく、悲しきかな。お前は負ける」
捕捉されないように移動を続けながら、短刀の柄と柄を強靭な糸で繋ぐ。刃のついた双節棍として扱う。
風の使い方がなっていない、とナラーシァは言った。悔しいことだが、先代に遠く及ばない自覚はある。今だけは怒りを押し殺して、彼女を殺すために全神経を注ぐ。
(推進力……移動に用いる。遅いと言った……攻撃速度の調整にも使える。槍の防御を突破して本体に傷をつける)
鋭い、刺すような動きはもうやめだ。春風のような暖かく軽やかな風をイメージする……静かに流動する。
ナラーシァの上を取った。本気で気付けなかったのか、一瞬だけ目が驚愕に見開かれる。余裕綽々という様子だったナラーシァが初めて【双魚】に戦士の目を向けた。
「戦いの中で成長、と言うが。あんな分の悪い賭けに成功する者がいるとはな。いい動きだ、若き【双魚】よ」
落下しながら斬撃を見舞うつもりだったが、その言葉と同時に方針を転換してエネルギー全てを回避に回す。
過去の英雄の弱点だ。特に近代の英雄であればあるほどその弱点は大きな穴となる。事細かにその武勇や生涯が後世に語り継がれる英雄は、最初から情報が筒抜けなのだ。
『【覇魂】の賞賛は破壊的な殺意の前兆だ』
ナラーシァは今、【双魚】を賞賛した。目で見る必要もないほどの虫けらから、誠意を持って対応すべき戦士へと認識を変えたのだ。それは、戦士にとっての幸福で……
敵にとっての絶望に等しい。
「稚魚は終わりだ。三枚に卸して、食ろうてくれよう」
天に向かって突き上げた朱槍の刃の切っ先が、脳天を貫く光景を幻視する。事実そうなるはずであった。
短刀という主武器を犠牲に槍の軌道をズラした。短刀が砕け散る感触と、凄まじい風圧が頬を裂く感覚がしたのは全くの同タイミングだった。怖気が、寒気が止まらない。
一切の隙間なく、蜘蛛の巣のように張り巡らされたナラーシァの殺気、敵意の網。恐怖により正常な判断が出来なくなり、降り立った唯一の綻び。それは彼女の真正面だった。
「やはり、な。まだ精神が未熟。泳ぎは成魚でも食欲は稚魚であったな。そう簡単に餌に食らいつくでない」
終わり。【双魚】として他の黄道聖典から厳しい訓練を受けている時も、先代の【双魚】に風の刃で切り刻まれた時も死にかけたが……これは、まだ先のはずの死が視える。
動けずにいると、ナラーシァが構えを解いた。
「……弱点を利用した。成長した。死の幻視を前に立ち尽くした。良い、お前は間違いなく戦士だ。勝算がある、などという増上慢を除けば立派だったぞ……まあ」
この世のものとは思えないほどに顔を歪めてナラーシァが嘲笑する。震える足が対抗を、抗議を許さなかった。
ナラーシァ・エミリル。過去、四帝直属の騎士団長として魔族軍と戦い続け、ヴァルハラ戦役においては記録に残るレベルの殺戮を為した異能と美貌の戦士。
弱者、敗者への侮辱を彼女は厭わない。
この卑劣さが、この残酷さ、残忍さが彼女を英雄たらしめているのだ。慈愛のみで英雄は成り立たない。
「戦士では、妾には決して勝てんがな」
挑発に、ナラーシァの言葉に乗ってしまっていた。暗殺者らしい戦い方を捨てて戦士の戦い方を選んだ。
その時点でもう、【双魚】は敗北していたのだ。
――――――
「ライアの暗殺者が……大変申し訳ございません。防衛は完璧だったはずなのですが……なんということを」
「良い。黄道聖典が相手では分が悪い。ああそれと、教会への追求やら何やらはやめておけ。あいつらは昔からそうだ、失敗すれば知らぬ存ぜぬを突き通す。時間の無駄だからな」
人として立派な者はあそこにはおらん、としかめっ面で言うナラーシァを見つめる。今朝四帝宛ての手紙がいくつか届いた。内容は原因不明の家屋の破壊の真相解明と修繕費を求める民の声で……控えめに言って意味不明だった。
英雄召喚は既に人類、魔族両種族に告知されている大事業だ。大半は好意的な姿勢を示してはいるが、中には英雄とまで言われる強大な存在が現代に蘇ることに否定的な人間もいる。その手の人間からのでっち上げかと思ったのだが……ナラーシァからの「あ、それ妾」というコメントで全てがひっくり返った。軽く言ってくれるものだ。
なんでも、ライア教の神罰執行室に襲撃されたとか……妙に肌がツヤツヤしていたから何かと思ったが、記録通り、戦闘を好み娯楽とする癖があるようだ。
「民の要望には……応えましょう。ナラーシァ様が関与していることは伏せておきます……あの、それで」
ナラーシァの関与を隠しておく方針は賛成だ。腐っても人類の英雄として召喚されている以上、民からの信用を損なうことは避けたい。時には隠し事も大事なのだ。
手を振って、マージュの問いの先を促す。
「ライア教のことはよく調べておりますが……黄道聖典とは一体なんなのでしょう?聞いたことがなく……」
「奴らは隠し事が上手いからな。あの時代から変わらん……良い、特別に教えてやろう。今日は気分がいい」
ナラーシァ先生の特別講義が始まった。
「神罰執行室は流石に知っているな?」
神罰執行室はその思想、生い立ちからしてライア教で最も異質な存在だ。頂点派閥である大教宣告室と真反対の方針である異教徒殲滅を掲げているくせに離れることはなく、常日頃から論争が絶えないくせに命令は聞く。
何がしたいのかわからない、というのはライア教内外問わずに言われていることだ。何か良からぬ企みや思惑あってのことなのだろうが……今の所、予想すら出来ていない。
「黄道聖典はその中にあって最強の殲滅機構だ」
【白羊】、【金牛】、【双児】、【巨蟹】、【獅子】、【処女】、【天秤】、【天蠍】、【人馬】、【磨羯】、【宝瓶】、【双魚】。計十二名からなる集団である。
それぞれが人の身でありながら魔族の神秘のような特殊な技術を保有しており、単独でも騎士団の中隊レベルの戦力を持っているとされる。また、ライアの聖遺物と呼ばれる埒外の力が封じられている兵器まで所有している。
「根本的に過激思想なこともあり、少しでも主の教えとやらに背く者がいればすぐ殺そうとする。物騒だよなあ」
だがそれだけの力を保有していながら、彼らが歴史の表舞台に立ったことはなく、知られたこともない。事実、四帝ですら黄道聖典の存在を認識していないのだ。
ライア教の隠蔽能力は大したものだ。人類と魔族の両方に根付いているだけあって協力者が多く、情報も通常組織の二倍以上集まる。そこに黄道聖典の戦力が合わされば……彼らを情報封鎖の檻に閉じ込めるなど容易いことこの上ない。
秘されし超戦力。それが黄道聖典という機構だ。
「まあ、妾の方が強いがな。くく」
ナラーシァはライア教と仲が悪いことでも有名だ。生まれた時から英雄である彼女は、世界の認識に“自己”と“他人”しか存在せず、自分以下の弱者を尊ぶことはない。ただ、最初からではない。そうなったには理由があるのだが……そこを見て、気付ける者はいなかった。
故に思想が合わない。ライア教の慈悲と慈愛に満ちた考えが心の底から受け入れられない。その点だけで言えば神罰執行室の方がまだ許容しやすいほどだ。だがやはり、ライア教の一部というだけでナラーシァは彼らを受け入れることが出来ない。目障り。滅べばいいとすら思っている。
「今回以外にも、戦ったことがあると……?」
「んあ、知らんか。奴らが隠しているなら当然と言えば当然なのかもしれんなあ……妾は当時の黄道聖典を全滅させたことがある。あの時の顔は……くく、思い出すだけで、愉悦」
記録にはないが、ナラーシァの記憶にはしっかりと刻み込まれている暁の荒野。丁度大きめの戦争が終わって疲弊していたナラーシァを四人がかりで襲撃するが返り討ちにされ、その後残りの八人で同時に襲ってきた。
流石に少し苦戦したが……その場で全員の首を刎ねた。
「聖遺物は残しておいてやったが、正直次代が生まれるとは思っていなかった……まだ続いていたのだな」
本当に驚いているようで、ナラーシァの目が少しだけ見開からていた。そこには少なからず感嘆も含まれている。
既に召喚から二日が経過し、今は三日目。だというのにそんな殲滅機構に命を狙われるとは……生前のナラーシァがライア教に凄まじい被害をもたらしたのか、それとも英雄という存在自体が教えに背いているのか……
「……そうだ。ライア教由来の英雄はいるか?」
「は、恐らく召喚可能なのは【堕獄聖典】か【黒翼】、可能性は低いですが【黒十字】あたりかと……」
「知らん。【黒十字】しか知らん。なんだそいつらは」
ライア教のみならず、【黒十字】の名は世界各地に轟いている。人類史全体で見ても最高クラスの強さを保有する暴力神父であり、誰よりも信心深い教徒であったという。
「それが、どうかしましたか……ナラーシァ様」
「いいや、何も?ただ、そうだな……」
元々嫌いだったが、今回の襲撃をもってして大嫌いになった。滞在期間が限られていないのであれば、ライア教を滅ぼすための大戦争を起こしてもいいと思うほどに。
ただそれと同時に、凄まじい愉悦を感じていた。だってそうだろう?高い戦力を持ち、教えに背くなどという曖昧にも程がある理由でいくらでもこちらを敵と認識する殲滅機構。ボッコボコにしてやった時、どんな顔をするのだろう。
想像するだけでも愉悦極まりない光景だ。
そして。
「主の教えに背く、現在に介入する英雄……自分たちの宗教からそんな者が現れた時、どう反応するのか……」
きっと面白い。嗚呼、なんて……なんて愉悦!
退屈で美しい七日の自由、その光景を想像するだけで退屈しのぎになりそうだ。清々しい笑顔でそう思うナラーシァだった。残虐で非道な、英雄らしからぬ笑顔だった。
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