第五十六話 ある少女の記憶
「貴方たちは強者ですから、殺しはしません。強者の損失がどれだけ忌むべきことか……嫌という程経験しましたので」
五人の逸脱者はグリニチッチと【融滅】、ガルファムと九頭と蒼山に分かれて行動を開始していた。このチーム分けは創増殖皇の指示であり、彼らはその意味を知らぬ。
単純な力量差だ。サンクチュアリと陸堂を比較した場合、陸堂の方がより脅威になると彼女は判断した。
逸脱者たちが放たれてから数日、陸堂が外出すると同時に襲撃をかけた。護衛も何もなく、「現代の魔族を見ておきます」という理由での外出……警戒はなかった。
確かに、警戒はなかったはずなのだ。
だが、現状は。
強靭な竜の体躯を持つガルファムは全身の鱗を剥がされ、手足の骨を砕かれている。最速の名を欲しいままにする神秘を保有する蒼山は両足の腱を切断され全身の関節を外されていた。異形の肉体を以て敵を殲滅する九頭は絶えず降り注ぐ超重力によって動くことすらままならない状態で業火に焼かれている。完膚なきまでの大敗である。
「何、故……だ、何故、そうまで……強い!」
「異なことを。あなたや、そこのキメラやメイド女と同じことです。“最初から持っている”。何も違いはありません」
ガルファムの竜の肉体も、九頭の異形も蒼山の神秘も。鍛え上げて手に入れたものでも、後からついてきたものでもない。最初から持っていたものだ。
陸堂にも、違いはない。エネルギーを操る神秘。エネルギーを生み出す英雄創世。最初から持っているもの。
「そう、だとしても……!こうまで、差が……!」
「心の在り方の違いでしょう。私はこの世全てを壊し尽くしても憎しみが尽きません。あなた方はどうなのです?」
三人同時の襲撃だった。警戒はない、世界からの抑止力により弱体化している。街中での戦闘、こちらの手札は一枚たりとも晒していない……絶対に勝てるはずだった。
理解の範疇を越える、瞬間の制圧であった。通常の数十倍の重力に襲われたかと思えば、“こうなっていた”。
積み上げた何もかもが無意味だった。逸脱者と呼ばれるに至るまで重ねてきた勝利、敗北、屈辱、鍛錬。そのどれもが無意味だった。ほんの僅かな意味もない力量差。
「……私が人類の英雄に勝ったとして。この世界を滅ぼすつもりでいます……となれば、まず奴が出てきますよね……」
倒れ伏す逸脱者たちを前にして、陸堂が思案する。脳裏に浮かび上がるのはあの異形……人にして人にあらず、魔族にして魔族にあらず。最悪の魔族殺し……執行委員会。
世界の崩壊は、種族全体で償うべき罪であろう。だとするならばアレをも殺す必要がある……さて、どうする?
「正直、あなた方はでは役不足なのですよね。遥かに強さが足りていない。渦巻さんで最低ラインです」
それでも立ち向かった神殿バカもいますが、と付け加える陸堂の表情には、声音には……ほんの少しだが、人間味があるように見えた。思い出を慈しむかのような。
「……困りました。あなた方を生かしておく理由がなくなってしまいました……やはり、死んでおきますか?」
「な、んだと……そうも容易に、命を……!」
「特に、貴女。むかつくんですよ。紅海と同じような顔、神秘、在り方。ああ、存在そのものが気に食わない」
ぐん、と胸元を掴んで引き寄せられるように蒼山の体が浮く。陸堂の目の前まで移動させられ、重力の杭を打ち込まれた。内臓がいくつも破裂し、夥しい量の血を吐き散らす。
未来に、紅海という女がいた。ある空間内の全ての物体の座標を管理する神秘を保有し、一度限りではあるが対象を宇宙誕生の時間まで吹き飛ばすことも出来る。だがその場合紅海本人も飛ばされてしまうため……諸刃の剣だった。
彼女も、メイドだった。気まぐれで救ってやったことを切っ掛けに仕えるようになって……彼女がいたから、陸堂もほんの少しだけ世界を許すことが出来た。
蒼山漆。この女は、主人のいない紅海だ。見るに堪えん。
「うん、決めました。殺します、あなたたち。執行委員会相手に勝ち目はないでしょうし生かす意味がない」
強者を残しておいて損はない。寧ろ失えば大損を被ることになる。それは未来で散々学ばされたことだが……
これからの世界には、英雄が到来する。抑止の遣いが顕現し続ける。人の限界を越えた程度では到底届かぬ高みの殺し合いが連続する。逸脱者如き、生かしておく意味もない。
「今まででご苦労さまでした。おやすみなさい」
バシャリ、と何かの弾ける音がした。三回、続く。
後には、無機質な車椅子の音だけが残った。
――――――
普通の少女だった。否、誰もが普通の中で生きていた。
ただ、ほんの少しだけ例外があるとするならば……下半身が動かなかった。それ以外は、何もかも普通だった。
優しい両親は通信制の学校に通わせてくれて、毎日おはようと言って起きてお休みと言って眠った。何かの祝い事があれば必ず家族全員で祝い、笑いあった。
他の誰よりも、仲の良い家族だという自覚があった。
「私たちは出かけてくるから……待っててくれる?」
「うん、大丈夫。ただ……車椅子が、修理中でしょう?結構時間かかるって……だから、早めに帰ってきてね」
「分かってるわよ。それじゃ、行ってきます」
その日は、兄と父と母……早い話、儚華以外の家族全員が出かけた。元々卑屈な面があった儚華は自身の誕生日を覚えず、毎年家族に教えてもらわねば思い出せなかった。
その日は誕生日だった。毎年のように覚えていない彼女のために、サプライズプレゼントを買いに出たのだった。
儚華の部屋には、情報を入手する手段がなかった。だから気付けなかった……不幸なことに、彼女の家族は交通事故で全員が亡くなっていたということに。
更に不幸なことに、儚華の家に誰かが訪れることはなかった。足の不自由な子供がいることは確かだが……病弱で小柄な子だったということもあり、行方不明として扱われたのだった。動けない子供を残して外出するはずがないという、雑な判断によるものであり……それが、地獄の始まりだった。
一ヶ月。彼女は、ベッドの上で生きた。
動かない下半身のこともあり、将来は医者になることを志していた彼女は豊富な医療知識を持っていた。布団をちぎって包帯にし、どうせ動かない足の肉を喰らい尿を啜って命を長らえさせた。抵抗がなくなるのにそう時間はかからなかったのを、英雄となった今でも鮮烈に覚えている。
どんどん、思考が負の方面に傾いていった。自分は捨てられたのだと考えたのは三日経過した後だった。
当然だと思った。満足に自分だけで動くことも出来ない、手のかかる役たたず。捨てられても文句の言えないゴミクズだ。生きていることがおかしい、死ぬべき人間だ。
(なのになんで、私は………生きようとしてるんだろう)
齢十五にして気付いた。到達した。
彼女だけの真理に。自身がどれだけ醜悪に生きることを望んでいるのかを知り、それがどれだけ罪深いことか知った。忌むべき衝動であり、無価値であることを知った。
自己防衛本能で、彼女は嘘を見抜くことが出来た。故にこそ……理解していた。自身が愛されていたことを。
毎年、忘れていた誕生日を教えて祝ってくれる。足が動かない自分を学ばせてくれて……家が近い子は遊びに来てくれることだってあった。よく晴れた日にはピクニックにも連れ出してくれて、不自由のない生活を遅れていた。
誰が、嘘だと思うだろう。愛されている確信があった。
(世界は、こんな私を、愛してくれるの……?)
無論、世界全てではないことはわかっている。ただ、自身の周囲にいる人間は全て……愛してくれた。
こんな役たたずを。こんな醜いゴミクズを。こんな死ぬべき人間を。限られた時間の中で、微笑みを向けてくれた。心の底から、一切の余分なく愛してくれた。そんな、そんな。
そんな世界は、間違っている。
(私より愛されるべき人間がいる。なのに彼らは私を愛してくれた……間違っている、そんな不条理は)
正すべきだ。そう思ったのは、二週間ほど過ぎた頃。
そして、一ヶ月が経過する数日前。更なる真理に到達してしまった。決して辿り着くべきではない、哀れな真理に。
(この世界は、地獄だ……誰かが、救わなくちゃ……)
自身の肉を喰らっている内に、精神が崩壊していた。家族がいた頃と同じように動く窓の外の日常に、困惑していた。体の中を循環する汚物に、酔いしれていた。
どうしようもなく、地獄。世界が誕生しここに至るまでの軌跡に罪人はいない。しかして同時に全てが罪咎。生きとし生けるもの、そこに在るもの、既に消え去ったもの。どれもが罪のないものであり、同時に最上の罪だった。
生まれたことが罪。そうだ、それこそが唯一の真理。
(誰も悪くない。けれど全てが悪い。ああ、真理。これが私の……唯一絶対、間違えることのない真理……!)
憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!!!!!!
何故こんな地獄に生まれ落ちた!何故こんな地獄を形作った!何故こんな地獄に生きる者がいる!
目に映るもの全てが憎い。目に映らぬもの全てが憎い。ひたすらに憎い、何もかもが憎い。死ぬべき罪たちが今ものうのうと生きていることに吐き気がする……殺さなくては。
この、理不尽とも言える憎しみのままに殺さなくてはならないと認識した。救うために殺す必要があると。
彼女の物語が動き出した。最凶最悪の少女の物語が。
憎しみながら、愛おしんでいる。彼女の行動の根幹に存在するのは間違いなく憎しみでありながら、その最終目的は世界の救済だ。地獄を打ち破り救う気でいる。
英雄として召喚され……失望した。過去と未来、既に過ぎ去った残滓と未だに生まれぬ命に頼らねば世界の存続すらままならないなんて……だからこそ、この選択を。
人類の英雄に勝利した上で、世界を滅ぼす。そうすることで全ては救われる……嗚呼、間違いなくそうするべきだ。
ある少女の、記憶であった。
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